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第3章 婚約破棄
45.初めての新月ニ
しおりを挟むいよいよもうすぐ日が変わり新月の日となる。もうほとんどフェンリルの加護の力が感じられない。
今ハルはクリスに貸してもらった離宮の一室に居た。もうすぐ真夜中だというのに部屋の中は真っ暗だ。明かりもつけずに息を潜める。
ここなら安全だ――そう思うのだが不安で仕方がない。
ソファに三角座りをして膝小僧に額を預け不安をやり過ごそうと試みる。
『ハル、大丈夫?』
マメリルが気遣わしげにそんなハルの顔を覗き込む。マメリルの体の淡い青銀の光だけが仄かに辺りを照らす。
「うん、大丈夫。ごめんね、マメリルは新月のわたし、初めてだよネ」
『うん』
「わたしは毎月こうやって新月のときは小さくなったまま、音も立てないように静かに息を殺して過ごすノ」
『そうなんだ?』
これまでの新月の日のことを思い出しながらマメリルに打ち明ける。
「うン。今まではずっとロウの住処の洞窟でこうして丸くなってタ。でもずっとロウとエルと兄弟が守ってくれてたから少しは安心していられタ」
『うん』
「だけど1人なのは初めてだかラ……あ、ごめン。マメリルのことは頼りにしてるヨ。でもまだ知り合って間もないシ……」
『分かってるよ。ハルほどじゃないけど、新月はボクも力が最も弱まる日だから分かるよ。不安だよね』
マメリルがハルを気遣ってくれているのが分かる。なんだか申し訳ない。
今は俯せる自分の顔を覆う髪がほとんど黒くなっているのが分かる。瞳も恐らく黒くなっているだろう。
そうして不安のために一睡もできずに夜を過ごしいよいよ新月の日となった。
ようやく朝が来た。だができることならもっと暗い所のほうが安心する。そう思ってカーテンを閉め切った。
しばらくすると、コンコンと扉をノックする音が響く。扉には内鍵をかけてあるから外からは開かない筈だ。
「ハル? 大丈夫? 昨夜一晩中部屋に明かりもつけていないみたいだって侍女から聞いた。まさか意識がないとかないよね?」
クリスだ。部屋が真っ暗なのは隣のバルコニーからでも分かる。
この部屋を借りてからずっと部屋の明かりをつけていなかった。それに今はカーテンを閉め切っている。
明らかに人が居るのにまるで気配がないのを不審に思ったのだろう。心配させてしまったようだ。
「大丈夫……心配しないデ。ちゃんと生きてるかラ」
そう答えると扉の外から安堵したような溜息が聞こえた。
「そう、それならよかった。顔を見せてもらえないかな? 少しでもハルの顔を見られたら安心するんだけど」
「……」
誰にも会いたくない。怖い。
それにこんな弱ったハルをクリスに見せたくない。
『ハル……いいの?』
「……」
マメリルが再び顔を覗き込む。
クリスのことが信用できない訳じゃないのだけれど。それに番になら殺されてもいい。
だけど彼には弱いところを見せたくない。
「ごめん、クリス。今は会えなイ。大丈夫だヨ。明日の朝に挨拶に行くから心配しないデ」
そう返すと、しばらくしてからクリスから返事があった。
「分かった。無理言ってごめん。でもせめて何か食べたほうがいい。昨日から何も食べていないんだろう?」
「平気だかラ……ごめんネ」
新月の間はとにかく息を潜め食事もとらない。自らの気配を完全に絶つ。今までずっとそうしてきた。
「分かった……。それじゃ、明日の朝顔を見せてね」
「うん、ありがとウ」
クリスが部屋から遠のいていくのが分かる。それを確かめてほっと安心する。
『ハル、おやじ様やロウに言われた筈だ。番を見つけて守ってもらえって』
「うン」
『じゃあ、どうしてクリスにちゃんと守ってほしいって言わないんだよ。折角番を見つけることができたのに!』
マメリルが言う通り、フェンリルやロウには番に守ってもらうようにと言って送り出された。確かにそうなんだけど……
「クリスはわたしにとっては番だけど彼にとってはそうじゃなイ。彼には好きな女の子が居るでショ。彼がわたしを守る義務はなイ」
『それはそうかもしれないけどっ……!』
マメリルが悔しそうな顔をして俯く。
「それに弱いわたしを見せて守らせてもらえなくなったら困ル。クリスのことはこれからもわたしが守りたいんだヨ」
『ハル……』
夜になる。部屋の明かりはつけない。暗闇の中で不安に震える。
初めてのロウとエルの居ない新月の夜。こんなに怖いとは思わなかった。
怖い。怖い。
恐怖に耐えきれずベッドの下へ潜り込む。少しでも狭い所のほうが落ち着く。
マメリルは今は諦めたように静かにハルを見守っている。
こうして初めてロウとエルと離れて新月の夜を迎えてふと思い出す。
ずっと幼い頃、この世界の夜の森に一人放り出されたときのこと。何も分からずに不安で泣きそうになったこと。
あのときはすぐにロウが迎えに来てくれたけど今は……。
ガタガタと震えながら朝を待つ。一睡もできない。いつ襲われるか分からない。この部屋には誰も入ってこない。だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら息を殺して朝が来るのを待った。
そしてようやく旅立ってから初めての新月の日をやり過ごすことができた。
『ずっとこうして過ごすつもり? いつもクリスが部屋を貸してくれるとは限らないんだよ?』
「分かってル……どこか身を隠す場所を考えないとネ」
そう言うとマメリルが大きな溜息を吐いた。意地でもクリスに助けを求めないハルに呆れているのだろう。
そうして部屋を出てクリスに会いに彼の執務室へと向かった。
クリスの執務室へ到着すると既に彼が部屋に居た。そしてハルの姿を見て目を瞠る。
そんなに変かな……?
「ハル……大丈夫? なんだかとても疲れているように見える。目の下の隈も酷いし。それに君の髪……」
クリスが話している途中に何かに気付いたのかハルに近づいてくる。なんとなく新月の余波もあり咄嗟に身構えてしまう。
彼はハルの髪を一掬い手に取ってじっと見る。
「なんだか所々黒っぽい気がする。気のせい……じゃないよね?」
「気にしないデ。ときどきこうなるだけだかラ」
「ときどきこうなるって……」
なんだか釈然としない様子のクリスを見てハルは微笑む。
「とにかくもう元気だかラ。心配かけてごめんネ、クリス。部屋を貸してくれてありがとウ」
そう言い張るハルにクリスは仕方ないとでも思ったのか大きな溜息を吐く。
「また部屋が必要な時は言ってね。……それに困っているときはちゃんと相談してほしい」
「……んで」
「うん?」
ずっと思っていたことがつい口を突いて出てしまう。
「なんでクリスがそんな心配するノ? クリスは好きな子が居るでショ? わたしのことをそんなに心配する必要ないでショ?」
そう言うとクリスが目を丸くしている。驚かせてしまったようだ。だけどハルの言葉は止まらない。
「それは……」
「自分のことは自分で守ル! クリスはわたしの番だけどクリスにとってはそうじゃないんだから黙って守られてればいいノ! わたしのことは気にしないでいいノ!」
もはや自分でも何を言っているか分からない。矛盾だらけのことを言っている気もする。
「じゃあ、君だって僕を守る必要はないだろう?」
クリスがハルの言葉に怒っているのが分かる。それを認めて悲しくなってくる。だけど……
「でもっ、でもっ……! クリスはわたしの番だから守りたいノ! だけどクリスがわたしを気遣う必要はないノ!」
『ハルっ!』
ハルはそう言ってバルコニーから飛び出した。マメリルが慌ててついてくる。
後ろでクリスがハルを呼ぶ声が聞こえたような気がした。
そして気が付くと森を旅立った時と同じように眦から涙が流れていた。
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