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プロローグ
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ここは日本のとある地方。安藤(あんどう)奏太(かなた)は、この村で暮らしている。
周りにはベータ以外の性が存在しない小さな集落で、ベータ同士の両親から生まれた彼は、ベータとして生を受け、すくすくと育つ。
本来であればベータは自分たちの王であるアルファに心酔し、自分たちに向けられない寵愛を受けるオメガの存在を疎ましく思うものだ。
しかし、穏やかな気候が穏やかな人柄を育んだらしく、ここではそのような物騒な事件が起きない。
都会で起こる第二次特性を巡るトラブルの報道をテレビや新聞、雑誌で目にしつつも、どこか遠い世界の出来事だと、この地域のベータたちは感じている。
そんな集落で育った奏太は、間もなく十五歳。
上に兄二人、姉二人を持つ末っ子は、家族から、それはそれは可愛がられていた。
どこかポヤンとしたのんびり屋の気質である奏太は、早いもので中学三年生に進級。将来の身の振り方を少しずつ考えなくてはならない年頃となった。
そんな時、彼の身に予想しないことが起きた。
その日、奏太は目を覚ました時に、自分の体がいつもとは違うことに気付く。
見た目は変わらないのに、内側から作り替えられてしまうような、そんな奇妙な違和感。
腹の底がやけに熱い。
眠い目を擦りながら部屋を出てきた奏太。彼を溺愛する家族は、表面には見えない変化を感じとる。
両親、兄姉が駆け寄り、かわるがわる奏太に触れて、痛いところはないか、吐き気はないかと、問い掛ける。
「どこも痛くないし、気持ち悪くもないよ。ただ、体がすごく怠くて……」
それを聞いて、六人は青ざめた。
体が一番大きな長男が奏太をおぶると、一目散にリビングを飛び出していく。それに続く五人。
彼らは、この村で唯一の診療所へと駆けこんでいった。
辺鄙な村の、小さな診療所。
だが、医療設備は驚くほど整っていた。辺鄙な場所だからこそ、この診療所でほぼすべての医療行為を施さなくてはならないのだ。
この診療所の主である篠岡(しのおか)一葉(かずは)は、実はとある財閥の人間である。アルファ性の父親を持ったおかげで不自由ない暮らしが保障されているものの、都会での面倒くさい人間関係に疲れ、この地にやってきた。
また、己の番であるオメガが喘息もちであることから、穏やかな気候で空気が綺麗な場所で静養させるつもりもあってのこと。
来年二十九歳になる一葉は整った顔立ちに加えて鋭い目つきのため、近寄りがたい雰囲気を放っている。
しかし、この地域の住人たちにはまったく通用しなかった。「先生は照れ屋さんだから」という一言で片づけられたのだ。
そのことに呆れつつも安堵した一葉は、すっかりこの地域の一員である。
さまざまな混乱を引き起こさないために一葉は番の第二次特性を明かしていなかったものの、それについても住民には大した問題ではないらしい。もちろん、彼の番もまるっと受け入れられている。
そんなのんびりした村に、安藤家長男の大声が響き渡った。
「先生! 先生! 奏太の具合がおかしいんです! 診てください!」
軒先に掲げられている看板には、診療開始時間は午前九時。七時を少し過ぎたばかりの今では、当然、閉まっている。
だが、助けを求められたら、手を差し伸べるのが医者である。そういう信念を持つ主は、手早く玄関のカギを開錠し、彼らを診察室へと通した。
ベッドに奏太を寝かせて聴診器を胸に当てながら、オロオロと見守っている家族たちに一葉が神妙な面持ちで尋ねる。
「奏太君は第二次特性を調べる検査を受けていますか?」
「いや、それが……」
父親と母親が言葉を濁した。
自分たちがベータ同士の夫婦で、奏太の兄姉もベータであるため、検査を受けなくてもどうせベータだろうと考えていたそうだ。のんびりとした気質も考えものである。
「なにかの感染症である可能性もありますから、血液検査をしておきましょう」
奏太の腕から血液を採り、それを奥にある最新鋭の機械に掛けた。
それから約二十分後。下された結果に、奏太の家族は言葉を失う。
奏太は、オメガだったのだ。
ごく稀なケースだが、ベータ同士の夫婦の子であっても、ベータ性ではない子供が生まれることもある。そういった場合は、祖先にアルファ性やオメガ性がいたと考えられている。
診断結果が示したように、奏太の体が怠く、熱っぽいのは、オメガの特徴である発情期の兆しだ。
「……先生、本当ですか?」
信じられないといった様相の父親が、ポツリと尋ねる。
六人の視線を浴びた一葉は、いつものように泰然とした態度で口を開いた。
「奏太君は、オメガで間違いないでしょう。いずれはアルファの伴侶となり、子供を宿す可能性があります」
きっぱりとした口調に、六人はなんとも言えない表情で視線を交わし合い、そして叫ぶ。
「奏太が生んだ赤ちゃんなら、ぜったいに可愛い!」
親バカ、そして、並びにブラコン、ここに極まれり。
ベータである彼らが蔑むべき存在のオメガ。
ところが、彼らにとって奏太はどこまでも可愛い息子であり、弟でしかない。それはオメガだと分かったところで、まったく揺らがなかった。
都会でオメガの立ち位置を嫌というほど目にしてきた一葉は、オメガであることを心の底から喜ぶベータたちに苦笑いを浮かべつつも、心の底からホッとした表情だった。
のどかな村に似つかわしくない凄惨な事件が起きるかもしれないという考えが、一瞬だけ脳裡を掠めたが、無用の心配だったらしい。
だが、当の本人である奏太はどうであろうか。
まだ事実が上手く呑み込めず、また、突然迎えた発情期に体の細胞がついていかず、それゆえにぼんやりしている彼に、事の重大さが分かっているだろうか。
オメガは三ヶ月に一度の発情期を迎える。たとえ、どんな生まれだろうと、どんな育ちだろうと、男性でも女性でも、等しく変わらないのだ。
発情期間中は熱に浮かされ、理性が崩れる。
それを収める為には、体内にアルファの精を受けることが有効とされている。
とはいえ、すべてのオメガがアルファに抱かれるわけではない。
今は抑制剤が普及しており、期間中に欠かさず服用することで、発情期を乗り切れるようになっている。
奏太が少し落ち着いたところで、一葉は発情レベルの測定を始めた。
そして、不思議な結果が出る。
彼の発情レベルはありえないほど低く、通常、抑制剤のカプセルを三つほど服用しなくてはならないところを、一つでも十分すぎるくらいに抑えることができたのだ。
こんなことは、山ほど症例を見てきた都会時代でも、なかったことだ。
だが、発情レベルが低いことは、むしろ喜ぶべきこと。
無理やり発情を抑え込む薬には、それなりに体に負担がかかるのだ。
こうして、ベータしか存在しない安藤家に、初めてベータ以外の性が誕生した。
周りにはベータ以外の性が存在しない小さな集落で、ベータ同士の両親から生まれた彼は、ベータとして生を受け、すくすくと育つ。
本来であればベータは自分たちの王であるアルファに心酔し、自分たちに向けられない寵愛を受けるオメガの存在を疎ましく思うものだ。
しかし、穏やかな気候が穏やかな人柄を育んだらしく、ここではそのような物騒な事件が起きない。
都会で起こる第二次特性を巡るトラブルの報道をテレビや新聞、雑誌で目にしつつも、どこか遠い世界の出来事だと、この地域のベータたちは感じている。
そんな集落で育った奏太は、間もなく十五歳。
上に兄二人、姉二人を持つ末っ子は、家族から、それはそれは可愛がられていた。
どこかポヤンとしたのんびり屋の気質である奏太は、早いもので中学三年生に進級。将来の身の振り方を少しずつ考えなくてはならない年頃となった。
そんな時、彼の身に予想しないことが起きた。
その日、奏太は目を覚ました時に、自分の体がいつもとは違うことに気付く。
見た目は変わらないのに、内側から作り替えられてしまうような、そんな奇妙な違和感。
腹の底がやけに熱い。
眠い目を擦りながら部屋を出てきた奏太。彼を溺愛する家族は、表面には見えない変化を感じとる。
両親、兄姉が駆け寄り、かわるがわる奏太に触れて、痛いところはないか、吐き気はないかと、問い掛ける。
「どこも痛くないし、気持ち悪くもないよ。ただ、体がすごく怠くて……」
それを聞いて、六人は青ざめた。
体が一番大きな長男が奏太をおぶると、一目散にリビングを飛び出していく。それに続く五人。
彼らは、この村で唯一の診療所へと駆けこんでいった。
辺鄙な村の、小さな診療所。
だが、医療設備は驚くほど整っていた。辺鄙な場所だからこそ、この診療所でほぼすべての医療行為を施さなくてはならないのだ。
この診療所の主である篠岡(しのおか)一葉(かずは)は、実はとある財閥の人間である。アルファ性の父親を持ったおかげで不自由ない暮らしが保障されているものの、都会での面倒くさい人間関係に疲れ、この地にやってきた。
また、己の番であるオメガが喘息もちであることから、穏やかな気候で空気が綺麗な場所で静養させるつもりもあってのこと。
来年二十九歳になる一葉は整った顔立ちに加えて鋭い目つきのため、近寄りがたい雰囲気を放っている。
しかし、この地域の住人たちにはまったく通用しなかった。「先生は照れ屋さんだから」という一言で片づけられたのだ。
そのことに呆れつつも安堵した一葉は、すっかりこの地域の一員である。
さまざまな混乱を引き起こさないために一葉は番の第二次特性を明かしていなかったものの、それについても住民には大した問題ではないらしい。もちろん、彼の番もまるっと受け入れられている。
そんなのんびりした村に、安藤家長男の大声が響き渡った。
「先生! 先生! 奏太の具合がおかしいんです! 診てください!」
軒先に掲げられている看板には、診療開始時間は午前九時。七時を少し過ぎたばかりの今では、当然、閉まっている。
だが、助けを求められたら、手を差し伸べるのが医者である。そういう信念を持つ主は、手早く玄関のカギを開錠し、彼らを診察室へと通した。
ベッドに奏太を寝かせて聴診器を胸に当てながら、オロオロと見守っている家族たちに一葉が神妙な面持ちで尋ねる。
「奏太君は第二次特性を調べる検査を受けていますか?」
「いや、それが……」
父親と母親が言葉を濁した。
自分たちがベータ同士の夫婦で、奏太の兄姉もベータであるため、検査を受けなくてもどうせベータだろうと考えていたそうだ。のんびりとした気質も考えものである。
「なにかの感染症である可能性もありますから、血液検査をしておきましょう」
奏太の腕から血液を採り、それを奥にある最新鋭の機械に掛けた。
それから約二十分後。下された結果に、奏太の家族は言葉を失う。
奏太は、オメガだったのだ。
ごく稀なケースだが、ベータ同士の夫婦の子であっても、ベータ性ではない子供が生まれることもある。そういった場合は、祖先にアルファ性やオメガ性がいたと考えられている。
診断結果が示したように、奏太の体が怠く、熱っぽいのは、オメガの特徴である発情期の兆しだ。
「……先生、本当ですか?」
信じられないといった様相の父親が、ポツリと尋ねる。
六人の視線を浴びた一葉は、いつものように泰然とした態度で口を開いた。
「奏太君は、オメガで間違いないでしょう。いずれはアルファの伴侶となり、子供を宿す可能性があります」
きっぱりとした口調に、六人はなんとも言えない表情で視線を交わし合い、そして叫ぶ。
「奏太が生んだ赤ちゃんなら、ぜったいに可愛い!」
親バカ、そして、並びにブラコン、ここに極まれり。
ベータである彼らが蔑むべき存在のオメガ。
ところが、彼らにとって奏太はどこまでも可愛い息子であり、弟でしかない。それはオメガだと分かったところで、まったく揺らがなかった。
都会でオメガの立ち位置を嫌というほど目にしてきた一葉は、オメガであることを心の底から喜ぶベータたちに苦笑いを浮かべつつも、心の底からホッとした表情だった。
のどかな村に似つかわしくない凄惨な事件が起きるかもしれないという考えが、一瞬だけ脳裡を掠めたが、無用の心配だったらしい。
だが、当の本人である奏太はどうであろうか。
まだ事実が上手く呑み込めず、また、突然迎えた発情期に体の細胞がついていかず、それゆえにぼんやりしている彼に、事の重大さが分かっているだろうか。
オメガは三ヶ月に一度の発情期を迎える。たとえ、どんな生まれだろうと、どんな育ちだろうと、男性でも女性でも、等しく変わらないのだ。
発情期間中は熱に浮かされ、理性が崩れる。
それを収める為には、体内にアルファの精を受けることが有効とされている。
とはいえ、すべてのオメガがアルファに抱かれるわけではない。
今は抑制剤が普及しており、期間中に欠かさず服用することで、発情期を乗り切れるようになっている。
奏太が少し落ち着いたところで、一葉は発情レベルの測定を始めた。
そして、不思議な結果が出る。
彼の発情レベルはありえないほど低く、通常、抑制剤のカプセルを三つほど服用しなくてはならないところを、一つでも十分すぎるくらいに抑えることができたのだ。
こんなことは、山ほど症例を見てきた都会時代でも、なかったことだ。
だが、発情レベルが低いことは、むしろ喜ぶべきこと。
無理やり発情を抑え込む薬には、それなりに体に負担がかかるのだ。
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