その香り。その瞳。

京 みやこ

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(4)SIDE:斗輝

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*斗輝は誰に対しても、基本的には呼び捨てになります。この先に登場する年上の男性にも、呼び捨てになるかと。彼の社会的立場と、人類の頂点に立つアルファという立場から、少々不遜な物言いをしてしまいがちです。
そういった斗輝の態度を不愉快に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、どうぞご了承しかくください。
ただし、奏太くんにはベタ甘モードの予定。そうなるように、が、が、頑張ります!


◆◆◆◆◆


 あの施設で自分の番である彼の写真を目にしてから半年近くが過ぎた。いつの日か愛しい彼と出逢えることを心待ちにして、毎日、精力的に過ごす。
 学業の他に、父の仕事を積極的に手伝うようにもなった。
 澤泉の名が付く主な企業は、不動産業を中心としている。土地の売買をきっかけに発展した澤泉財閥は、祖父の代に建設業界、ホテル業界にもその名を知らしめるようになった。
 父の代になってからはさらに手を広げ、製薬業界や美容業界でも会社を興してゆく。今や、澤泉の名前を知らない者はいないと言われるほどになっていた。
 まだ学生である上に、ようやく本当の意味でのアルファの自覚が芽生えたばかりなので、俺にできることはそう多くない。
 それでも、小さな経験が将来に繋がることを思えば、そして、自分の番を守ることに繋がるのだと思えば、苦労が苦労ではなくなる。
 こうして「澤泉斗輝」という人間の存在を知らしめ、人脈を広げてゆく。人の上に立ち、人を使い、頂点に立つべき存在という自覚を高めていった。
 三年に進級した今は、去年までサボりがちだった大学にも顔を出し、講義にはきちんと出席するようになった。
 いちいち講義に出なくても、教科書を読めば内容は頭に入る。だが、そういう不真面目な姿勢では、番に呆れられてしまうのではないかと考えたのである。
 たとえ写真であっても、あのまっすぐな眼差しからは、純粋な心の持ち主だと伝わってきた。
 彼と対面した時、面倒だから授業をサボるようなだらしない人間だと思われたくなかった。
 それに、面倒であることを理由に物事を避けてばかりいたら、番に関する情報を漏らしかねないと気付いたのである。
 自分と大して年齢の変わらない番だから、もしかしたら、大学の誰かと知り合いかもしれない。なにかのきっかけで、自分と番を繋ぐ糸を手繰り寄せるかもしれない。
 そんな不確かなものに縋るなんて滑稽かもしれないが、唯一の番を得るためなら、僅かな可能性さえも見逃すわけにはいかないのだ。
 そんな思いで、俺はせっせと大学に足を運んでいた。



 大学三年生になって、三週間が経った。もちろん、自分が選択した講義には、変わりなく欠かさず出席している。
 残念ながら、今のところは番に繋がる手がかりは得ていなかった。
 それでも、腐ることなく大学に通っている。
 とはいえ、毎度、この光景にはさすがに嫌気がさしてくるものだ。

――俺に群がったところで、無意味なんだが。

 午前中の講義の後、いつものように俺のパートナーになりたがっているオメガたちに掴
まった。
「斗輝様。ぜひとも、昼食をご一緒させてください」
「いえ、私と昼食を」
「僕、斗輝様のために、お弁当を作ってきたんです」
 男女問わず、オメガたちが我先にと押しかけ、俺に色目を使ってくる。己の外見に磨きをかけることに懸命になっている者たちばかりだ。
 確かに女性であっても、男性であっても、彼らの容姿は可愛いや綺麗と評するに相応しいのだろう。髪の先から足の先まで、常に気を配っていることは容易に見て取れる。
 また、この大学に入学できたくらいなので、学力はもちろん、家柄や過去の素行なども問題ない。
 それでも、俺の関心はまったく動かなかった。
 オメガがアルファに寄り付くのは、ある意味仕方のないことだ。まして、今の俺には番がいないとなっている。
 いや、唯一の番は既に見つけているのだが、その存在が実際には俺の隣にいないということで、『自分こそが番になってみせる』と、オメガたちが躍起になっているのだ。
 その体質ゆえに、男性でも女性でも、オメガというのは社会的弱者である。
 だからこそ、より地位の高いアルファと番い、自分の居場所を確立することに必死なのだ。
 アルファの中には、そういった彼らをつまみ食いする輩もいるようだが、俺はどうもそういうことには食指が動かなかった。
 性欲が湧かないということではない。とにかく、面倒だったのだ。
 それというのも、「澤泉斗輝」という人間ではなく、俺のバックボーンに惹かれているという彼らの思惑が伝わってくるからでもある。
 中には純粋に俺のことを慕ってくれているオメガもいるのかもしれないが、そういった想いに応えようという気持ちには、これまでになったことがない。

 誰でもいいというのなら、空虚な気持ちを抱えることなどなかったのだろう。
 唯一を求めるからこそ、長い間、俺の心は満たされなかったのだ。

 ましてや、この世界にたった一人、自分のすべてを捧げたいと思える大切な番が存在していると知った俺に、彼らに付き合ってやろうという気持ちは微塵もない。
 今朝は胸騒ぎというか、虫の知らせというか、なんだか気分が落ち着かなかったせいで、食事をするタイミングを逃してしまっていた。
 空腹であることと面倒な秋波にイライラしながらオメガたちを無言の睨みで退け、友人でもあり、将来、社会に出た時の仲間でもあるいつもの三人と合流し、学食へと向かう。
 澤泉財閥が出資するこの大学は、国内でも最高レベルの学力。いや、学力だけではなく、施設なども最高レベルだ。
 学食も同様であり、高級料亭や高級ホテルで味わうようなメニューが手ごろな値段で提供されている。おかげで、昼時になれば学食はいつも満席。
 それでも俺のために席が用意されているので、いつでも座ることができる。
 その席を空けておくことは学食を利用する生徒たちの間では暗黙のうちにルール化され、どんなに混み合っていても、そこの席だけはいつだって空いている。
 ところが、今日は俺のための席に先客がいた。
 下を向いて夢中でうどんをすすっているので、周りの様子にまったく気が付いていない一人の生徒。
 濃紺の綿シャツの中に白いTシャツを着て、ベージュのチノパンを穿いている。この大学ではあまり見かけない地味な格好をしている生徒は、小柄で線が細く、手も小さい。
 だが、どう見ても男子だ。
 やたらと華奢なその人物に目を奪われているうち、フワリ揺れる髪にハッと息を呑んだ。
 知っている。あの柔らかそうな茶色の髪を、俺は知っている。
 見覚えのある髪色に、俺はその場に立ち尽くした。

――見つけた……

 とはいえ、本当にあの男子生徒が、夢にまで見た俺の番だろうか。
 髪色だけなら、今の時代、どうにでもなる。遠目で見ているので、あの色が自然のものか染めたものか、視力1.5の俺でも判別がつかない。
 だが、彼の瞳を見れば、きっと分かるはず。あのまっすぐで綺麗な瞳を、一目見れば。

――早く、顔を上げてくれ……
 
 トレイを手に席を立った男子生徒がキョロキョロと周囲を窺い、やがて、正面に位置する俺に顔を向けた。
 髪よりも少し濃い茶色の瞳。鼻筋も唇も、あの日、施設で見た通りのものだ。
 心臓がバクンと、大きく跳ね上がった後、ドクドクと音をたて、ものすごい勢いで動き出す。

――ああ、やっと出逢えた。

 しかし、俺ときたら、感動するあまりに一歩も動けなかったのだ。
 さらに、足早に通り過ぎた彼から漂う魅惑的な香りに心を奪われ、それこそ、足がその場に縫い付けられたかのように動けなかった。



 ようやく我に返ったのは、俺の片腕でもあるアルファの清水が声をかけてきたからだ。彼は代々、澤泉家に仕える家柄の者である。
 清水家の人間もかなり優秀なのだが、澤泉という血統には及ばない。
 彼は幼い頃から俺に仕えるための教育を受け、その言動の規準は「俺のためになるか、否か」だ。
 そのため、時として俺以上に冷酷になることもあったが、清水の判断が間違ったことは、これまでになかった。
 片腕として、また、幼い頃から共に歩んできた友人として、清水は気遣わしげな視線を向けてきた。
「どうかなさいましたか?」
 呆然と立ち尽くす俺に、心配そうな声をかけてくる。彼の声によって香りの魅惑から僅かに解き放たれ、体と思考回路がゆっくりと動き出す。
「……見つけたんだ」
 その一言で、番の話を散々聞かされている清水には解かったようだ。
「もしや、先ほどすれ違った彼のことでしょうか?」
 俺は深く頷く。
「間違いない。……ああ、どうしよう。あの子は、どこに行ってしまったんだろう」
 出逢えば一目で分かると、香りですぐに分かると言った父親の言葉通りだった。
 ところが実際には、番であると認識した瞬間に、大きすぎる喜びで思考が止まってしまったのだ。
「早く、早く、捕まえないと……」
 この腕で捕えて、胸に抱き込んで。あの柔らかい髪を撫で、綺麗な瞳を見つめ。ずっと、ずっと、自分の傍で大事に大切に、目いっぱい愛してあげたい。
 心底そう思うのに、なかなか足が動いてくれなかった。
 そんな俺を清水が怪訝な顔で見てくる。
「本当に、彼が斗輝様の番なのでしょうか?」
「そうだ」
 俺の言葉に、清水の眉がさらに寄った。
「でしたら、なぜ、彼は斗輝様から離れていったのでしょう? 番であるオメガなら、斗輝様の香りに惹かれないはずはないのに」
 清水の言葉はもっともである。
 この出逢いに感動し、お互いが唯一無二の存在として、熱烈な抱擁の一つもあってしかるべきだ。
 俺を目で捉えておきながら足早に去ってゆくなど、常識的に考えられない。
 それでも……
「それでも、彼は俺の番だ」
 鼻腔の奥をくすぐる残り香を寂しく思いながら、俺はポツリと呟いた。

 やや間を置いて、清水が短く息を吐く。その顔は、俺の配下である顔だ。 
「分かりました」
 混乱気味の俺の代わりに、清水がテキパキと動き始める。
 学内にいる友人たちにスマートフォンの無線アプリで一斉連絡を入れ、俺の番である彼の特徴を伝えて足取りを掴もうと試みていた。
「くれぐれも彼に触れるなよ。たとえ指一本でも触れたら、斗輝様に殺されるぞ」
 指示を出す清水の横から、言葉を挟む。
「髪一本でも殺す」
 どす黒い感情が渦巻く俺の声に、清水の片眉がヒョイと上がった。
「……だそうだ。とにかく、彼がどこに向かっているのか、どこにいるのか、早急に探れ」
 清水は通話を切り、俺の正面に立つ。
「斗輝様は、むやみに動かないでください。連絡を待ってから、迎えに行ったほうがよろしいでしょう」
 冷静な態度の清水に、イラッとした。
「そんな悠長なことを言っていられるか!?」
 ようやく現れた自分の番を探しに行くなとは、どんな拷問だ。
 しかし、俺の不機嫌そのものの表情を見ても、清水は冷静なままだった。このぐらいの丹力がなければ、この俺の右腕は務まらない。
「ですが、広い学内をどうやって探すとおっしゃるのですか? やみくもに探しまわるのは、効率が悪いです」
 もどかしさが焦りに変わり、強く拳を握って清水を睨み付けた。
「俺には、彼の匂いが分かるんだ!」
「そうだとしても、目に見える範囲にいない人間の匂いを、どうやって辿るのですか? さすがの斗輝様でも、無理でしょう。あなたは優秀なアルファであっても、訓練を受けた警察犬ではありません」
 無言で睨み続ける俺を、清水も真っ直ぐに視線をぶつけてくる。
「でしたら、彼がどこにいるのか、ここにいても分かるとおっしゃるのですか? それならば、引き留めませんが」
 悔しいが、さすがにそれはできなかった。
 だが、もう、待てないのだ。これ以上は、一分、いや、一秒でさえも待てなかった。
 正面の清水を乱暴に押しのけ、すぐさま駆け出す。
「斗輝様! 落ち着いてください!」
 珍しく慌てている片腕の声を背に受け、必死に足を動かした。

――どこだ……。どこだ、どこだ! 俺の番は、どこにいるんだ!

 時折立ち止まり、視線を巡らせ、香りを探る。そして、また駆け出す。
 そんなことを三十分以上も続けると、さすがの俺でも体力と集中力が尽きかけた。
 その時、デニムのバックポケットに入れていたスマートフォンが着信を告げる。
『斗輝様、彼の行き先が分かりました』
「どこだ!?」
『大声を出さないでください、鼓膜が破れてしまいます』
 苦笑した清水は、番が医務室にいることを告げる。
 学食と医務室の中間にいた俺は、動かない足を叱咤して、ふたたび駆け出した。
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