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15話
しおりを挟む「お願い、最後まで、して」
互いに無言のままに、ベッドの上で見つめ合った。ミエルはイースに抱いてほしかった。イースは何も言わず、彼女の肩に手を伸ばした。びくりと震えたときだ。ゆっくりと、イースは彼女の頭を撫でた。
さらさらと、通りの良いミエルの髪をいじって、そこに小さくキスをした。どくりと胸が痛くなってしまったとき、イースはミエルに背を向けた。「……さっさと寝ろよ」 それだけだ。ぱっと窓から飛び降りて消えてしまった。
ゆっくりと、息を吸い込んで、吐き出した。驚くことに、涙が零れそうになってしまった。けれども当たり前だ。彼らは、互いにずっと拒否し続けていた。「ほんとは」 きらい、きらいとイースのことを言っていたけれど。本当は。「そんなの」 これ以上の言葉は出なかった。
ミエルには、一つの記憶がある。彼はミエルがそのことを知っているだなんて、知らないけれど。悔しいから、ずっと言わない。彼がこちらを嫌うのなら、同じようにしようと思った。イースのように才能もない自身は、つっぱねなければ真っ直ぐ立つこともできない。
次の日、イースは彼女のもとを訪れなかった。恋人のふりをして街を歩いたとしても、目も合わせることもなかった。きっと、自業自得だった。
***
多くの違和感を、イースは抱え込んでいた。
すでに日は暮れている。いつもならば、ミエルのもとに訪れている頃合いだ。
(惚れ薬……)
本当に、自身がかぶったものは、惚れ薬であるのか。抱いてほしいと自身に告げる彼女がひどく愛しかったし、嬉しくも感じた。任務といいつつ手のひらを繋げば、その手がひどく熱くて、たまらなかった。薬とは、本来ならじわじわと効力を失っていくはずのものだ。なのに会えば会うほど、時間が経てば経つほど彼女が気になって、好きで、可愛らしくてたまらない。
本来ならありえないことだ。
気づいた疑問を、イースはグリュンに尋ねた。
『本当に、自身がかぶったものは惚れ薬であったのか』
彼は大きな瞳をくるくるさせて、首を傾げた。そしてあっけなく、彼に告げた。
『違うよ?』
初めから、グリュンは嘘などついていない。
ミエルとイースが、勝手に勘違いをしていただけだ。気づくと恥ずかしさやら、嬉しさやら、わけのわからない感情が胸の中でぐるぐると回っている。これをどうミエルに伝えるべきかと、普段は気が強く眉を吊り上げる彼女を思い出して、頭をかいた。
資料室の中で、もう一つの疑問を胸に懐きながら静かに本のページをめくっていく。そこは初めて彼女の体を触った場所だ。考えるとおかしな気分になってくるが、今はそんな場合ではない。片手に魔力をためて、ひとつひとつ、鍵を破壊する。修復も、そう難しくはないだろう。ただのイースの思い違いだったら済む話だ。
「やあ、これは大きなネズミだなあ」
すでに開けた扉にもたれて、コンコン、とノックをする男がいる。長髪で、華美な服飾を着た男だ。
「暇ですね。わざわざこんなところまで」
イースは瞳を合わせずに、手元の本を見つめて告げた。「それは僕の台詞なんだがね」 ガリュツィは笑っている。静かに扉を閉めた。
「なにか、調べごとかな」
「ここには騎士団の名簿が揃っているらしいので」
「……本にも、部屋にも鍵がかかっているはずなんだがな」
「その辺りはこれで」
イースは本を抱えたまま、反対の手をひらつかせる。彼の得意とする炎がまるで小さな鍵の形となり、本の隙間に潜り込んだ。カチリ、と小さな音とともにぴたりと閉じていた本が、飛び出すようにパラパラとページを踊らせる。ぴたり、と開いた箇所に目を向けた。目的のものだ。
「……面白いことは、見つかったかな」
「いいえ。予想通りのことしか。ネズミ男は捕まりましたか。ガリュツィ・グリムアーム第二部隊団長」
「逃げ足が早くてね。残念だ」
「そりゃそうだ。あんたが逃しているんだから」
ガリュツィは瞳をすがめた。そうして、肩をすくめた。面白いことを言う、と呆れているような姿だ。
「あんたはうちの部隊の先輩方に幻影魔法を使っていた。変化の魔法は普段と違う動きになってしまうから、というところでね。つまり、変化も使えるんだろう、と思って調べた。さすが団長様だな。入団当初の名簿を拝見したところ、見事に得意魔法に書かれていたよ」
ネズミ男は、それは見事に姿を変える魔法種を使用していた。あれほどの魔法は、市場にも出回らない。「ステータスの名も書き換えしていたな。念入りにしすぎなんだよ。逆に犯人を教えているようなものだろう」 男の名から、元の主をつなげたくはなかったのだろう。
イースは本を閉じて、元通りに鍵を修復させた。本棚に片付けつつ、さてと振り返ってみると、ガリュツィはなんの表情も変えることなく、ただ微笑み、両の腕を背で組んでいる。
「とても興味深い話だけれど、僕が、ただの惚れ薬を街にばらまいて、一体なんの得になるんだ。実力がありすぎるのも難しい話だな。そんな疑いをかけられるとは。僕なんかよりも、よっぽど怪しいものなど、いくらでもいるだろうに」
もちろん、全てはただのイースの推測だ。なんの証拠があるわけではない。そこを、ガリュツィは理解している。
「例えば、研究所。あちらの方が薬においては専門だ。いくらでも量産は可能だろう。それにほら、なんだったか。グリュンとか言うカエル。彼の方が、僕から言わせてみればよっぽど怪しいけどね。入ったばかりで、なんの信用もないくせに、好きに施設を使用している」
どうにかした方がいいんじゃないか。と呟く彼の言葉に、イースは思い出した。グリュンが、彼が惚れ薬と思われたものを持っていたこと。それをうっかりひっくり返されたときには、どこぞからお忍びの依頼をもらったのだろう、と考えていた。なるほど、たしかに怪しい。けれども。
「ありえないな」
イースはグリュンという獣人を、よく知っている。いつもにこにこと笑って、嬉しげで、ミエルと喧嘩をする姿を見せて心配をかけさせた。目の前の男よりも、よっぽど信頼しているし、信じている。
「よく言うよ。人材不足というあんたの消えた部隊の新人たちは、今年から配置された獣人ばかりだ。あんたは人間至上主義派だろう。前に、人が拾った種は三つ、と言っていたな。今では男と女の人二人と、獣人三人が拾った種、合わせて三つが主流なんだよ」
ミエルと共に行った劇場で流れた物語はそうだ。もちろん、過去では一人の男が三つの種を拾ったとされていたときもあった。変化を嫌がる人間はどこにでもいる。そのことに、なんの文句をつけるつもりはない。けれども、彼は明らかに、獣人に対する悪意がある。
「さすがに面白くはない話になってきたね。決めつけもはなはだしいな」
「もちろん、証拠もなにもない。だからあんたの頭に聞く。これだけ話したんだ。そろそろ意識も浮かび上がってきた頃かな」
イースは片手を持ち上げた。直接使用者の思考に問いかける、上級魔法だ。使用できる人間など限られている。ガリュツィでさえ他者の思考など指の先ほどしかわからない。
「……許可なく禁術を使用する行為は犯罪だぞ」
「もちろんそうだな。でも証拠がでれば話は別だ。あんたが売人だと確信してるよ。俺は天才だからな。魔法の癖はわかるんだ」
ただしそれは、あくまでも感覚的なものに過ぎない。イースしか知らぬ事実は、なにもないと同義である。ガリュツィは舌を打った。逃げ出そうとした扉は、すでにイースが念入りに閉じ込めておいた。
「ぎゃあ!」
まるで炎を握りしめたかのようなドアノブに、ガリュツィは飛び上がった。長い髪を振り乱しながら片手を握りしめ、イースと睨み合った。口元では短く詠唱を唱えている。突如として表れた幾本もの剣の先は、イースに向けられていた。全ては幻影だ。けれども強く思い浮かべた全ては現実となる。イースの周囲には燃えるような炎が湧き上がった。
――――部屋は幾重にも魔法結界が施されており、たとえ一級魔法を打ち込まれたところで扉はびくともしない。
つまり、その逆も同じだ。この部屋の中では、どんな魔法も外に影響することはない。
イースに突き立てられるはずであった剣は、一瞬にしてただのとろけた鉛に変わってしまった。「クソッ……!!」 ガリュツィは両手をあわせ、突き出した。炎を氷で閉じ込めた。そして笑った。ただの若造が、探偵気取りでパイプをくゆらせているから――――「う、うぐっ……!」
「いい夢みたか?」
氷漬けになったはずの青年が、ガリュツィの首元を掴み、壁に叩きつけた。「俺に氷とか、ふざけてんのか。ミエルに比べりゃ、ぬるすぎる」 間違いなくガリュツィよりも、彼女の方が魔法は不得手だ。なのに苛立った。お前がミエルと同じ魔法を使うなと。
「やめろ……!!」
逃げるガリュツィの頭を握りしめた。貧相な体だ。思考が流れ込む。間違いなく、彼は件の犯人だ。獣人の存在全てが、彼を苛立たせた。騎士学校に入学させるときいたときは、あまりにも驚いた。そして嫌悪した。彼の世界は、人で回っている。種を拾ったのは一人きりで十分だ。獣人でも、女でもなく、ただの男の一人きり。
「お前……!!」
全てをイースに読まれた男は、彼をにらみあげた。すぐさまイースはガリュツィを殴り飛ばした。拘束の魔法をかけて、回廊を駆けた。それだけでは遅い。間に合わない。窓から飛び出した。風に服をはためかせながら、イースは記憶を遡らせた。ガリュツィとイースはどうあがいても、相容れない。決定的なことがあった。まだ彼が学生であったときだ。
ガリュツィは第二部隊の団長であるが、学生に魔法の授業を受け持ってもいた。早期から優秀な人材を見つけるという名目もあるし、もともと各部隊や研究所の団長たちは持ち回りで学長も兼任している。学校と言う名の、訓練場でもあるからだ。
獣人を受け入れることに決まってすぐの年だ。さすがのガリュツィも、彼らを排除することはできなかった。けれども、代わりとばかりに彼はミエルのみ、魔法学の出席を拒否した。魔法の不得手を理由にしてのことだった。確かに、当時の彼女はほとんど魔法を使うことができなかった。しかしそれはおかしいとイースは叫んだ。なんのための訓練場だと。
あまりにも理不尽な扱いに、彼は憤った。けれども、イースはなんの力にもなれなかった。ただ、ガリュツィが彼を第二部隊に誘ったとき、彼の下につくことを拒否した。それくらいだ。まさかその先で、ミエルと同じ部隊にいきつくことになるとは思わなかったが。
学生時代、いつもミエルは同じ場所で、馬鹿のように同じことばかりを繰り返していた。日も当たらない中庭で、無粋に剣を振り回して、毎日、毎日飽きもせず。
窓から見下ろすと、彼女の長い髪が揺れていた。汗をこぼして、苦しげに。雨が降っても、雪が降っても。変わらず、毎日。
『あの子、いつも頑張ってるねえ』
イースと同じように、窓から彼女を見下ろしたグリュンの言葉に、ああ、と小さく頷いた。まだそのときは、名前なんて知らなかった。犬猿の仲とも言えるリョート家の長女であると知ったのはすぐあとだ。けれど、イースにとってそんなことはどうでもよかった。学年が上がり、同じクラスとなって、互いにつっぱねるようになった。彼女の努力を知っていたから、男だとか、女だとか、そんなことどうでもよかった。ただ、彼女に負けたくなかった。外から見れば大人気ないと言われようとも、試験になれば、イースはミエルを叩きつけるように特技の魔法を駆使して戦った。
「ミエル!!!」
吐き出した声は、自身でも驚くような声だった。聞いたこともなく、汗だくのまま、彼女の部屋に飛び込んだ。そのときミエルは瞳を見開き、イースを見つめた。「イース……?」 すっかり部屋着である彼女だ。幾度も脱がせたはずなのに、思わず顔を逸らした。しかし見逃してはならないものが転がっていた。
「み、ミエル、お前……」
「ああ、なにかしら。とりあえず今から団長のところにつきだしに行こうと思っていたんだけど」
彼女の足元では二人の男がすっかりのびていて、白目を向きながら腹を見せている。どこから取り出したのか、すでにロープでぐるぐる巻きだ。「うん、おう、まあ、そうだよな、お前ならそうだよな……」 彼女の危機を知り、慌てて駆けつけたのだが。彼女はこういう女だった。腕っぷしなら、下手をすればイースよりも強い。
「イース、この人たちがなにか、あなた知っているの? いきなり窓から来たのだけれど」
「うん、まあそうだな、知っているな。とりあえず、着替えようか……」
自身だけならともかく、とつぶやいた言葉に、ミエルは瞬き、それからわずかばかりに頬を染めた。互いに気まずくしていたことは、すっかり忘れてしまっていた。
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