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- 参 -
夜の熱
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肌の粟立ちがひどくなった頃、ようやく煕佑が姿を現した。
体格の良い若い宦官だ。
局部を切られた彼らは、時間が経つにつれ、男らしい筋力や肉付きといったものが失われてしまう者が多い。
だが、煕佑の肉体には、まだまだまだ男としての名残があった。
生真面目な性格が垣間見えるようなかっちりとした略敬礼をしたあと、椅子の前に背を向けてしゃがむ。
綉葩がその広い背に身体を預けると、慎重にゆっくりと持ち上げられた。
薄衣しか身につけていない身には、彼の若々しい肉体の熱がじんわりと伝わってくる。
すっかり冷えきっていた身体には、まるで吸い取ってでもいるように煕佑の体温が染み渡っていった。
皮膚が一枚増えただけに過ぎないような、薄い布しか隔てるものがないからこそだ。
実はこれを身に着けて運ばれていくのにも、意味がある。
以前、心を病んだ后妃のひとりが、胸元に小さな刃物を忍ばせて寝所に入り、皇帝に切りつけたという事件があった。
それ以後、なにも隠し持っていないことを証明するために、必要な処置となったのだ。
おぶわれて皇帝の寝所へ続く廊下を進む。
外から見えぬよう左右と天井は木の板で囲われ、足もとに小さな灯りが点在するだけの長く薄暗い空間は、洞窟を思わせた。
閉じられた、まるで二人だけしか存在していないようなその場所を行くあいだ、煕佑は独り言を呟く。
「また軽くなられた」
寵妃と宦官がここで言葉を交わすなど、あってはならないことだ。
ゆえに独り言である体が必要で、煕佑の声は本当に小さかった。
だが、音の響きにくい、だだっ広い砂漠の近くで育った綉葩は、ことのほか耳がいい。
だからその声は充分に聞こえた。
トン、トン。
掴まるために首に回していた指先で、煕佑の襟もと、鎖骨近くの肌を綉葩は軽く叩く。
言葉を聞いている、という合図だ。
いつのまにか、二人のあいだの暗黙の約束ごとになっていた。
「ちゃんとお食事されてるのだろうか」
トン、トン。
「もっとお太りになればいいのに」
スゥ。
今度は、爪の甲で軽く撫でるようにする。
否、もしくはこの話題は終わり、という合図だ。
煕佑は小さなため息をひとつだけつき、黙った。
やがて寝所に着き、絹の布団が積み上げられた寝台へと降ろされる。
退室の略敬礼をすると、煕佑は顔を伏せたまま、部屋の戸のすぐ脇に垂れている飾り紐を引いた。
紐の先は担当の宦官の部屋へと続いている。
そこで待ち受けている者が合図を受け、皇帝の元へと馳せ参じるのだ。
やがて、高位の宦官たちに付き添われて、この広大な権力の園の主がやって来る。
それを待たずに、煕佑は部屋を去っていった。
ほどなくやってきた老齢の皇帝が、布団へと入ってくる。
寄り添われ、太く短い指が肌を這うと、寒さではない原因で肌が粟立った。
煕佑の身体の熱はあんなに心地よかったというのに、慶邁帝のそれは不快でしかなかった。
長年の飽食のせいでブヨブヨと肥え太った身体は、肉塊と呼ぶにふさわしく、さらに奇妙な冷たさがある。
優しい触れ合いも、心を解く言葉もないまますぐにのしかかられ、綉葩はただただ押し黙って吐き気をこらえ続けるしかなかった。
体格の良い若い宦官だ。
局部を切られた彼らは、時間が経つにつれ、男らしい筋力や肉付きといったものが失われてしまう者が多い。
だが、煕佑の肉体には、まだまだまだ男としての名残があった。
生真面目な性格が垣間見えるようなかっちりとした略敬礼をしたあと、椅子の前に背を向けてしゃがむ。
綉葩がその広い背に身体を預けると、慎重にゆっくりと持ち上げられた。
薄衣しか身につけていない身には、彼の若々しい肉体の熱がじんわりと伝わってくる。
すっかり冷えきっていた身体には、まるで吸い取ってでもいるように煕佑の体温が染み渡っていった。
皮膚が一枚増えただけに過ぎないような、薄い布しか隔てるものがないからこそだ。
実はこれを身に着けて運ばれていくのにも、意味がある。
以前、心を病んだ后妃のひとりが、胸元に小さな刃物を忍ばせて寝所に入り、皇帝に切りつけたという事件があった。
それ以後、なにも隠し持っていないことを証明するために、必要な処置となったのだ。
おぶわれて皇帝の寝所へ続く廊下を進む。
外から見えぬよう左右と天井は木の板で囲われ、足もとに小さな灯りが点在するだけの長く薄暗い空間は、洞窟を思わせた。
閉じられた、まるで二人だけしか存在していないようなその場所を行くあいだ、煕佑は独り言を呟く。
「また軽くなられた」
寵妃と宦官がここで言葉を交わすなど、あってはならないことだ。
ゆえに独り言である体が必要で、煕佑の声は本当に小さかった。
だが、音の響きにくい、だだっ広い砂漠の近くで育った綉葩は、ことのほか耳がいい。
だからその声は充分に聞こえた。
トン、トン。
掴まるために首に回していた指先で、煕佑の襟もと、鎖骨近くの肌を綉葩は軽く叩く。
言葉を聞いている、という合図だ。
いつのまにか、二人のあいだの暗黙の約束ごとになっていた。
「ちゃんとお食事されてるのだろうか」
トン、トン。
「もっとお太りになればいいのに」
スゥ。
今度は、爪の甲で軽く撫でるようにする。
否、もしくはこの話題は終わり、という合図だ。
煕佑は小さなため息をひとつだけつき、黙った。
やがて寝所に着き、絹の布団が積み上げられた寝台へと降ろされる。
退室の略敬礼をすると、煕佑は顔を伏せたまま、部屋の戸のすぐ脇に垂れている飾り紐を引いた。
紐の先は担当の宦官の部屋へと続いている。
そこで待ち受けている者が合図を受け、皇帝の元へと馳せ参じるのだ。
やがて、高位の宦官たちに付き添われて、この広大な権力の園の主がやって来る。
それを待たずに、煕佑は部屋を去っていった。
ほどなくやってきた老齢の皇帝が、布団へと入ってくる。
寄り添われ、太く短い指が肌を這うと、寒さではない原因で肌が粟立った。
煕佑の身体の熱はあんなに心地よかったというのに、慶邁帝のそれは不快でしかなかった。
長年の飽食のせいでブヨブヨと肥え太った身体は、肉塊と呼ぶにふさわしく、さらに奇妙な冷たさがある。
優しい触れ合いも、心を解く言葉もないまますぐにのしかかられ、綉葩はただただ押し黙って吐き気をこらえ続けるしかなかった。
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