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第一部

第10話 王子の回想~永遠に傍らに

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 目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう少女の面倒を見つつ、手ずから食べ物を与えるのは、認めたくはないがそれなりに楽しかった。

 いつもの自分のペースを崩され、普段の自分ならあり得ない行動ばかりをとっている。
 その状態は煩わしくもあったが、同時に興味深い。
 

 ルークは自分が優秀なことを知っていた。
 何かをしようと思ってそれを達成できなかったことはなかった。
 自分の身の回りのものは、全て自分のコントロール下にあった。
 物事はほとんど予測通りに進んだし、不測の事態があったとしても、全て冷静に対処を行ってきた。

 そんな自分が、初めて戸惑っている。
 振り回されて、制御できないのだ。

 そして、制御できないこの状態を引き起こすのが、彼女だ。
 それを受け入れている理由は簡単だ。

 ――自分は、彼女に好意を持っている。

 認めてみると、案外それは悪くなかった。
 

『銀狐、見ていって欲しい。バステトがお礼に舞うから』
 ひとしきり出し物を回って満足したバステト皇女は、先ほどとは違い、はにかんだ様子でルークの手をひいた。

 舞とは、マレの文化の一つだ。
 民間の祭りから神事まで、幅広く様々な場面で舞が舞われる。
 舞い手は女性で、それを極めたものは、舞姫と呼ばれる。
 舞の種類も多種多様で、そのうち、もっとも美しいとされているのが、神事の舞だという。
 特に神事での舞は、神への奉納の意味があり、別格だという。
 このアメルの最終日にも、中央神殿で神事の舞の奉納があり、ルークはそれを観覧することになっていた。

 バステト皇女も、そんな舞い手の一人なのだろう。
 それを見るのも悪くない。

 バステトは、自分の手をとると、そのまま、街中の神殿へと足を運んだ。
 まだ明るい時間だ。
 一般の神殿では、祭りの期間、毎夜神事が行われる。その準備のために昼間の時間は閉鎖されているのだが、バステト皇女は鍵をもっているようだった。
 神殿の中へ入り、ホールにルークを残すと、奥の部屋に入っていった。

 この国の神殿は、円形の建物だ。椅子を並べず、床に敷物を敷いて座る文化のため、中央に大きなスペースがある。ルークは、敷物が敷かれた一角に腰を下ろした。

 部屋から出てきたバステトは、錫杖とシストルムという楽器を手に持っていた。衣装は特に変えていないが、長い体を覆うような領巾《ひれ》を肩から流している。


 ホールの中央で、バステトは、ルークに深々と頭を下げた。
 そのままの姿勢で、頭を下げたまま、錫杖を床にシャン、とついた。

 ホールにその音が響き渡り、そして、顔を上げたときには、彼女は別人だった。
 ルークは呼吸を忘れてそれに魅入った。

『銀狐。マレ神殿の巫女にして舞姫バステトがそなたに、祝福を授けよう』

 観客は、ルーク一人。

 そして。

 その舞が終わるころには、ルークは、自分がさらなる深みにはまってしまったことに気づいた。
 先ほどまでの揺れ動く感情は、まだ序の口だったことに気づく。

 ルークは、この少女を永遠に自分の傍らに置くことを決めた。


  ◇◇◇◇◇◇


 皇都ハシュールの皇宮の一角。
 カナートから引き込んだ小川が美しい、皇宮の水庭園が見える貴賓室で、ルークはマレ皇帝アブドゥル三世と私的な会談を行っていた。
 昨日、街中でバステト皇女を保護した件の礼も兼ねて急遽設けられた会談であった。

『バステト皇女をいただきたい』

 バステトと同じ黒髪に翠の目をした恰幅のよいアブドゥル三世は、謝意を示した後につづけられたルークの発言に一瞬目を丸くする。
 しかし、そのあと、得心が言ったように大きくうなずいた。

『あれが、マレの舞姫だとお知りになられたのですね。しかし、残念ながら、バステトは皇家と神殿とをつなぐ大事な役目を担っています。おいそれと国外に出すわけには参りません。
 それに、あれは王妃とするには、いささか足りない娘です。神殿の巫女は、外界から隔離されて育つ。国母となれるように育てては参りませんでした』

『ええ。十分承知しております』
 昨夜のうちにあらゆる手段を使って調べ上げた。
 彼女のマレでの立ち位置は非常に重要で、国としても簡単に手放せるものではないだろう。
 だが、国母になれないとは詭弁にしか過ぎない。彼女には、人を引き付ける得難き資質、天賦の才がある。あの舞を見て惹かれない者があろうか。国母となるべき教育など、それに比べたら些末なものだ。

『しかし、先日は、私がいなければ、彼女は命を失っていた』
 昨日、ルークの護衛が退けた殺意は、一つではなかった。

『それは……』
『バステト皇女を狙ったのは、訓練を受けた手練れの暗殺者でした。護衛も、何人も亡くなったのでは?』
 12人だ。調べはついている。
 もう、この皇家に皇女を守り抜く力はない。

『事情はある程度察していますよ。力を増したい軍部が、皇家と神殿との分断を狙っているのでしょう』
 アブドゥル三世は沈黙する。

『バステト皇女の役割の重要性は認識していますが、皇女が亡くなれば、それこそ軍の思う壺では? 軍は、皇家と神殿を分断し、皇家と神殿の地位を落とすような情報戦を仕掛けてくるでしょう。それこそ、暗殺を皇家のせいにするかもしれません』 
 ルークは続ける。

『次は、守り抜けますか?』
 
『しかし、国外に出しても守れるという保証は……っ』

ケイリッヒが守りましょう』

 アブドゥル三世は、背後から突然目の前に突き出された二本の白刃に身動きをとめた。
 白刃は皇帝の前で交差し、皇帝の動きを奪っている。
 皇帝の背後には、先ほどまで存在していなかった二人の騎士の姿があった。
 部屋にいたマレの護衛騎士は、すでに沈黙し、床に倒れ伏していた。
 
『ご存じでしょう? 列強にケイリッヒが恐れられている理由を』

影の騎士団シャッテンリッター……』
 中世より連綿と続き、有事の影には必ずその存在が囁かれた、ケイリッヒの影の騎士団。

 肯定はしない。

 ルークは静かに微笑んだ。



 その後、皇帝からは、娘を頼む、という言質と、婚約の誓約書を受け取った。
 後はバステト本人と、ルークの父であるケイリッヒ国王の署名があれば完成する。
 父については、問題ない。マレの石油を巡っての関係強化の一環として、認められる範囲だ。

 バステト本人の署名については、バステトが頷くまでは婚約を待ってほしいという皇帝の要望を受けてそのように作られた。この誓約書が完成するまでの間、バステトは、ケイリッヒへの留学生という扱いだ。
 これは、バステトの国外脱出を軍部に悟らせないように、ケイリッヒ王太子との婚約は周囲へ極力伏せることが必要だったため、そちらの点でも都合がよかった。
 
 バステトがマレを出国するまで、マレには、影の騎士団二人を、護衛に残すことも決めた。


 そして、アブドゥル三世からは、結婚までにもう一つの条件を出された。
 マレの至宝を連れ出すことに対しての条件にしても、いささかハードルは高い。

 バステトを連れ出すことが、国益などではないことは、もう気づかれているのだろう。
 足元を見られているのはこちらの方だ。
 でも、むしろ、高すぎる対価を支払うことは、自分の気持ちを証明するようで気分がよかった。

『義父からの試練と、あなたが結んだへの対価とだと思っていただければ』
 人の悪い笑みを浮かべる皇帝に思わず、苦笑を返した。
 有利な条件で結んだ石油の条約、こちらも気づかれていたようだ。
 義父となるマレの皇帝を見直した一幕だった。



 アメルの最終日には、神事である舞の奉納が行われる。
 ルークは、中央神殿の貴賓席でそれを観覧することになった。

 神殿の中央に設置された舞台の上に、静謐な空気が舞い降りる。
 薄衣の衣装をまとったバステトは、その舞台の上を舞い踊っている。
 市民と神殿の人々は、華麗なこの舞姫に目を奪われていた。

 最上位の神殿の神事における舞は、神おろしとよばれるらしい。
 神々しいとすらいえるその舞台に涙する人々も多い。
 
 マレの舞姫。
 民と神に愛されたマレの至宝。

 ルークは、自らが手に入れた舞姫の姿を眼裏にやきつける。


 国に帰る船の中で、ルークは、いつ自分が銀狐であることをバステトに明かそうかと、幸せな未来へ想いを馳せるのだった。

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