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クルトとペトロネラ

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「あ~~あ、置いて行かれちゃった」

 クルトは早朝バート村に出発した馬車を見送りらながら、ポツリと呟いた。

「筋力戻そうと思って頑張ったんだけど、間に合わなかったか」

 ヒョイと木に飛び乗ると、同じように木に登ったペトロネラと目が合う。

「どう? ペトラはもう本調子になった?」

「まだ体力と集中力に問題があります」

「ん? 何でその喋り方なの?」

「ベルタさんが、お嬢様のメイドには必要だと言っていたので」

「ふぅ~~ん」

 二人で馬車が見えなくなるまで見送っていると、木の上のクルトの隣に音もなく人物が出現した。

「うわわわっ!」

 驚いて木の上から落ちそうになったクルトの首根っこを捕まえられて、なんとか落下は免れたけれど……。

「ぐぇ。苦しい。首が絞まってるって!」

 相手の腕をポンポン叩いて降参を告げる。首を離してもらって、クルトは涙目で突然現れた人物を睨み付けた。

「もうっ! 僕に気配を消して近付くなんて、どこの闇の手練れだよ、パウルの爺さん!」

「ワシはイシカワ邸の庭師だ。お前達、サボってないで仕事だ。
 ペトラはもう少し休むといいと、ベルタが言っていたよ。キッチンでお茶を入れてくれているようだから、行って来なさい」

「はい」

 ペトロネラは軽やかに木から飛び降りる。
 まだ本調子ではないと言いつつ、着地に音をたてないあたり、だいぶ勘を取り戻しているようだと、クルトは思った。

「んじゃ、僕もお茶して来ようっと」

「お前さんは、裏の蔓を刈り取ってからだ」

 未だに時々、爆発的に増殖する悪魔の蔓は、最近ではクルトが刈り取っていた。
 きちんと刈り取らなければ、明日の朝にまた増殖していて、馬丁のユーリが厩舎に行けないと半泣きで助けを呼ぶことになる。
 それに、裏庭のレモンの木を守らなくては。
 裏庭のレモンの木は、市販のレモンより美味しいとマイカのお気に入りで、揚げ物にビチャビチャになるまでレモン汁をかけている。マイカのガッカリする姿は見たくない。

「じゃあさ、鎖鎌を貸してよ! あれで刈ると面白いくらいに切れるから、楽しいんだよね」

「いいだろう。間違っても庭木は傷つけないように」

「はぁ~~い!」

 ペトロネラの時と同じように音もなく飛び降りて、下からニコニコと手を振った。
 パウルがシッシと手を振って答えると、クルトは一度クルリと宙返りをして、裏庭に向かった。

 

「まるで舞っているようだな」

 エドガーがポツリと言った。

 視線の先には音をたてずに滑らかに動きながら、鎖鎌を振り回すクルトの姿がある。

 エドガーから見るクルトの動きは、非常に危ういモノだった。極力、音を立てずに動きに隙を作らない。
 傭兵として生きていた時に、見たことがある。
 夜の闇に紛れ、気配を消して、いつの間にか命を奪われる。エドガーも対峙したことがある。非常に厄介な相手だった。集団で動かれたら手練れの戦士でも命の危険がある。
 クルトのそれは闇に生きる者の動きだ。

 エドガーは、クルトを見守るパウルを見た。

「この間、ペトロネラが風に飛ばされた洗濯物を追いかけて、外壁を登って屋根の上にいた」

「フハハハッ。元気で何よりだなぁ」

「パウルさん、あの二人は……大丈夫だろうか」

 マイカの側にいて、寝首をかいたりしないだろうか。

 その心配はパウルにも分かる。だけど……。

「大丈夫だろう。呪いまで受けたということは、足抜けの結果だろうな。
 自分達でお嬢ちゃんを主と決めたようだし、お嬢ちゃんの力になるだろう。なぁに、まだ子供だ。子犬のようで可愛いものだよ」

 クルトを見つめるパウルの目が、孫を見るかのようで、エドガーは肩の力を抜いた。
 パウルが大丈夫だというからには、大丈夫なのだろう。パウルは闇についても詳しいのではないか……そんな気がした。

 クルトとペトロネラはマイカに解呪してもらわなければ、本当に死ぬところだったのだ。まだ子供にこれ程の動きを仕込み、容赦なく切り捨てる。すぐに殺すのではなく、呪いによってジワジワと。
 どれ程苦しかっただろう。
 それでも呪われる前よりマシだと二人は言った。

 エドガーはグッと拳を握りしめた。

 これからは二人ともマイカの元で、心穏やかに過ごせるようにしてやりたい。

(よし、俺が二人の兄ちゃんになろう)

 エドガーは心からそう思った。





「あ……!」

 リリアの手から熱いお茶の入ったポットが滑り落ちる。
 マイカの気に入っているポットだ。割れたら火傷も免れない。

 リリアは自分の失態を覚悟した。

 けれど、リリアの手から離れたポットは、空中でペトロネラがキャッチする。
 お茶もこぼれていない。

「大丈夫ですか? 熱いので、お気をつけ下さい」

 ペトロネラはリリアに火傷やケガがないことを確認すると、無表情のままポットを置いた。

「あ、ありがとうございます。助かりました」

「いえ」

 ペトロネラは無表情のまま、お茶を注ぎはじめる。
 その様子をリリアはボゥとしながら見つめた。

 ペトロネラはつい最近、ベルタからお茶の入れ方を習った。それなのに、入れ方は完璧だし、動作が無駄なく美しい。

 リリアは無駄のない動きをじっと見つめた。
 自分が器用ではないことをリリアは知っている。ペトロネラの方が年上だけど、メイドとしては自分の方が先輩だ。正直、悔しい気持ちもある。
 だけど。

「ペトロネラさんのお茶の入れ方、すごく綺麗ですね」

「はい?」

 顔立ちは可愛らしいのに、表情に乏しいペトロネラに見つめられると、リリアは緊張で身体を固くした。けれど、目を反らしたくない。

「わ、私の入れ方、どう思いますか?」

 勇気を振り絞って言った言葉に、ペトロネラは少しだけ首をかしげる。

 こんな質問をしてどう思っただろうか。
 メイドとして先輩なのに、呆れられただろうか。

「入れ方は問題ないかと。ベルタさんの指導通りです。ただ……」

「ただ?」

 リリアはゴクリと唾を飲み込む。

「リリアさんにはこのポットは大きすぎると思います。腕の力が弱いので、重さで腕が震えていました」

 目から鱗だった。

 ペトロネラのアドバイスもそうだけれど、ペトロネラがこんなにしっかり自分の事を見ていたなんて。

(なんだか少し嬉しいかも……)

「腕の力はどうすればつくのかしら」

 細いだけで筋肉の欠片もない自分の腕。こんな腕ではお茶の入ったポットも満足に持てない。

「簡単なトレーニングを試してみますか?」

「え?」

「握力と腕力を鍛えれば、ポットも、大皿の料理も、運ぶことが出来ます。雑巾を絞る力が向上すれば、窓を綺麗に拭きあげることも可能でしょう」

「は、はい! よろしくお願いいたします!!」

「では早速、本日の休憩時間から始めましょう。やるからには真剣に。最初は軽い筋トレから始めます。弱音は聞けません」

「はい、教官! ……いえ、ペトロネラさん!」

 ペトロネラは一瞬、眉をしかめて、すぐに元の無表情に戻った。

(こ、心の中だけでペトロネラさんのことを教官って呼ぶことにしよう……)

 この日からメイドの間で腕力トレーニングが流行する。

「両腕を真っ直ぐ前に付き出して、グーパーグーパー!
 リリアさん、腕が曲がってます! はい、グーパーグーパー!
 カリンさん、腕を下げずに! はい、グーパーグーパー!
 次は腕を真横に広げて。曲げずに回します。はい、グルグルグルグル。
 エリンさん、姿勢を伸ばす! はい、グルグルグルグル!」

 メイド達は皆、ペトロネラを心の中で教官と呼ぶようになった。

 
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