幼馴染みが記憶トレーニングと称して、いやらしく俺に触れてくるんだが。

ことりさん

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目指せ大会優勝!

家庭教師、佐野

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「あら、ちょっと、潤君! 暫く見ないうちに格好良くなっちゃって~」
「お久しぶりです、おばさんこそ、相変わらずおキレイですね」
「いやだわあ、潤君、晩ご飯食べてってね、絶対」
「母さん、もううるさいよ」

 母の黄色い声が響いている。
 今日は恵吾の家で大会に向けての特訓をすることにしたのである。
 母に大会のことと佐野の話をしたら、一度家に連れてこいとうるさかったためだ。

 昔はよく互いの家に遊びに行っていたのだが、一旦間が出来てしまうと気恥ずかしい感じがする。それに、佐野が最後にこの部屋に入ったのは、あの一件のときだ。
 恵吾は意識したくなくても、どうしても意識してしまう。やっぱり家はやめればよかった。
 集中して勉強できるはずがない。
 今度からは林が用意してくれた空き教室を使おうと恵吾は思った。


「佐野、なんかごめんな」
「なんで、俺は嬉しいけど。恵吾の部屋、昔とちっとも変わってないな」
 佐野はそう言うと、長谷部の部屋を見渡した。

「あんまガン見すんなよ、変なもんでもあったら困る」
「変なものって、変なもの、あるの?」
「いや、別にねえけど――エロ本とか? ……って何言ってんだ俺……」
 佐野は、ふっと笑い、
「ここ座るよ」
 と、ソファに座り、肩に掛けた鞄を下ろした。
 なんだか、佐野の凛とした雰囲気が、むさ苦しいこの部屋には似合わない。佐野の姿だけ、まるで合成みたいだ。

「林先生って、もう恵吾の家に来たりとかしないの?」
「ああ、そうだなあ……家になんて滅多に来ないぞ。翔ちゃん忙しいみたいだし、親戚の葬式とか、そういう集まりのときしか母さんとも会ってないみたいだし」
「ふーん」

「俺は、嫌でも学校で会うしな、母さんと話はするけど」
「そうだよね……」

(なんだろう……このなんとも言えない空気は……)





「じゃあ、やろっか。時間もったいないし」

(え、何を……って、特訓ね)

「お、おう、よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 林から、問題の種類の大枠は説明を受けた。
 佐野は、まずどういう暗記が恵吾に向いているかを判断するようにと林に言われたと言った。

「恵吾、今からちょっと問題を出すから、答えて」

「お、おう」

「明日、春、数学、鍵、自転車、曇り、運動靴、卵焼き、北海道」

「へ?」
(そんないきなり、ぽんぽんと、何だ???)

「順番はいいからさ、俺、今なんて言った?」

「えーと…、明日、春、数学と、北海道、えーと、なんだっけ、卵焼き……、それから、もう分からん」

「うん、じゃあ次ね、1、3、6、4、7、8、2。これを逆順で言って」
「え~、できねえよ」
「ほら、早くしないと忘れちゃうよ」
「えーと、1、3、6、4、7、8、2だから……2、8…あれ、1、3、6、4、7、8、2、だから……2、8、7、4、あれ、最初なんだっけ、1、3……」

「ありがとう、じゃあ次!」
「間髪入れずに、切っていくね……ははっ」
 佐野は勉強モードに切り替えてから一向にその姿勢を崩さない。どんどん攻められるような、追い立てられる気分になってきた恵吾は、脂汗を掻いていた。

「ちょっと、部屋のもの、借りてもいい?」
「あ、どうぞ」

「じゃあ、これとこれとこれとこれ、それからこれ、覚えてね」
「うん」

「ちょっと暫く見ていて」




「………」




「はい、終わり。じゃあ、恵吾、右から二番目にあったものは何?」
「ええ、ティッシュケース」

「うん、じゃあ一番小さいものは?」
「消しゴム」

「赤、青、黄、緑、なかった色は?」
「え~ちょっと待てよ、ええと、赤だな」

「うん、じゃあ最後の問題。ちょっと、待ってね」
 そう言って佐野は、自分の鞄から本を数冊取り出した。

「それ、いつも持ち歩いているの?」
「いや、帰りに図書室で適当に借りたんだ」
 そう言って佐野は、その中の一冊を捲る。

「『長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れ込んだ。』」
「何、それ」
「知らない? 川端康成」
「いんや」
「恵吾は、本当に本を読まないね」
「活字って苦手なんだよなあ」
「恵吾、俺が今読んだ文章で覚えている部分、暗唱してみて」
「え~、今の長い文を……?」
(う~なんだよこいつ、間髪なしかよ)

「はい」

「トンネルを抜けると、雪国だった。夜の、なんだかが白くなった。汽車が来て……、娘が来て……」
「うん」

「うん」



「終わり?」

「あーーーーもう! 忘却の彼方だ」

「恵吾、もうちょっと耳を鍛えた方がいいかもね」

「ん? それ、誰かにも言われたな」
 落語の二人に、だ。
「三ノ宮と東條がさ、俺に落語を聞けって」
「ふーん、でもいいかもね」
「あ、そうだ、俺、落語愛好会に入れられそうなんだよ! 佐野、助けてくれ」
「助けるって?」

「……一緒に、入る?」

「……遠慮しとく」

「……だよねえ~」

「でも、俺は、いつだってお前が助けてっていうなら、助けるよ」
「佐野……それはどういう意味?」

「そういう意味だよ」

 まただ、佐野がじっとこちらを見つめている。この目で見つめられるのはどうも苦手だ。恵吾はとっさに切り替えた。

「ところでさ、皆どうやって試験前とか、暗記してんの?」

「そうだなあ、俺は試験範囲のノートを教科書見ながら、もう一度書いて、ちゃんと理解しながら書けば頭に入る感じかなあ」

「ふーん」

「記憶ってさ、種類があって、瞬間的に脳に留めておく能力っていうのは、集中力と注意力で何とかなるんだよね」
「うん」
「恵吾は、そこが、弱いかな」
「……だよなあ~、俺、昔から落ち着きないって先生に注意されてたし、集中力ねえんだ」
「あとはさ、ある程度長期の記憶っていうのは、脳のいろんなところを使って、思い出すときのヒントをたくさん用意しておくと忘れないかな」

 難しいことを言っている。恵吾にはピンと来ない。

「……ごめん、もっと分かりやすく」
「だいぶ噛み砕いたつもりなんだけど……例えば、朝ごはんのメニューを思い出すときに、ただ『トースト』という単語を記憶する場合と、『トースト』を実際に食べて、すごい美味しいって思って、BGMなんかも流れていてそれがなんか心地良くて、恵吾のおばさんがいつもに増してキレイだった場合を比較すると、どうかな」
「どうって?」
「記憶って無意味で薄っぺらなものほど覚えておくの難しいんだよね。意味を付けてさ、エピソードにすると忘れにくい」
「うん」
「五感を使って、感情を挟むの」
「……うん」
「あとは、やっぱりやる気かな」
「……そこだな~」
「恵吾は、記憶力は悪いとは、俺は思わないよ。ただ……」
「ただ?」

「……」

「はっきり言ってくれ」

「文章の理解力が足りないよね」
 長谷部は、ガクッと肩を落とした。

「授業を聞いたり自分で問題をやるときとかさ、覚える事柄の意味がまず分かってなかったりすることってない?」
「ある、ある! そう、それだよ」
「それだね」

(なんか、ものすごい謎が解けたと同時に衝撃を食らったような気がする……)

「学期末に試験もあるから、無理はしない方がいいけど、最低でもこれ読んでみてよ」
「う、うん」
 佐野が恵吾に渡したのは先ほど鞄から出した数冊の本だ。
「細かなところとかあまり考えなくて良いから、声に出して読んでみたり、目でなるべく早く読み進められるようにさ」
「わかった」
「恵吾は、図形とか色と空間の認知とかは、得意だと思うよ。たぶん、恵吾の担当は決まったな。林先生に伝えておくよ」
「おう、さんきゅう」
「じゃあ、明日から期末試験の一週間前までは少しでも残れる日は空き教室で課題をやろう」
「うん」
 それにしても、こんな短時間で恵吾の欠点を見抜いてしまうなんて、佐野の分析力には驚かされる。さすが学年一の優等生だ。

「恵吾さ」
「え、何?」
「あのときも、俺の言ったことの意味が、分かんなかったの? だから、言ったことも忘れちゃったの?」
「え……」
「もう一度、言ったら、伝わるのかな」
 佐野が真剣な瞳で恵吾を見つめている。

(どうしよう、もう逃げられない)


 そのときだった。
「恵吾~! 潤君! 晩ご飯できたから下りてらっしゃい」
 ドアの向こうから母の声がした。
「い、今行くー!」
 正直、助かったと恵吾は思った。

「佐野……あの」
「おばさん、呼んでるから、行こうか」
「うん」



 それから三人でご飯を食べ、母と談笑した後、佐野は帰っていった。

「送るよ」
 恵吾がそう言ったが、
「夜道は危ないよ」
 と、子どもに言うような口調で、からかうように笑って佐野は行ってしまった。

(潤って、何考えているか分からないところがあるよなあ……)
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