東京大学野球部についての一考察~ただ一つ

西海 広

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君、部活は何をしていたんだ?

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「君は知らないと思うが、僕はね、小学校からずっと野球をしていたんだよ。もちろん東大の野球部にも所属していたし、リーグ戦でも投げたよ」
「……申し訳ございません、存じ上げませんでした」
 郷田が東大野球部の出身だということを知らない政治家はいない。もちろん郷田の珍記録も政界では有名な話の一つだ。
 白鳥は郷田がリーグ戦で投げた一球を知っている。郷田が大学四年の秋のシーズン、0―18のビハインドの九回表に、郷田は敗戦処理のリーリーフとして登板している。オーバーハンドから投げたフォーシーム、郷田の投げた渾身の一球は相手打者に見事に打ち返され、神宮の空に高々舞い上がったその打球は、レフトスタンド最上段まで運ばれた。滞空時間およそ三秒、いや四秒、五秒だったかも知れない。その五秒で郷田の野球人生はずたずたにされたのだ。勝敗はすでに決まっている試合、卒業記念のような形で登板した試合、その試合で投げた一球。
 郷田がリーグ戦で投げたのは、この一球だけだ。
 郷田の政敵は、陰でこの話を面白おかしく持ち出すが、同じ派閥に属している者にとっては、これは絶対に触れてはいけない事件になっている。もう一度言う、郷田のリーグ戦での一球は大事件なのだ。
 したがって我が党において、野球、六大学、リーグ戦、ついでにホームランという言葉は、口に出してはいけないNGワードなのである。それを知らない間抜けは、大臣にはなれない。 
 立ち入り禁止の領域に郷田は自ら踏み込んだ。それだけに郷田の喜びがどれほどのものなのかがわかる。春、秋の東大野球部連続優勝。もちろんネットニュースは東大の優勝をトップで伝えて、世間では東大の快挙に沸いている……はずなのだが……。
「僕は野球少年なんだよ。今でもね」
「はぁ」
 その純粋な気持ちを何故政治に生かさないのだ、白鳥はそう思った。
「ところで白鳥君、君は何かスポーツに打ち込んだ経験はあるかね?」
「スポーツですか?」
「ああ、君だって何か運動はしてきただろ。まさか勉強だけの人生だったのか?」
「あっ、いえ……。幼稚園では、早起きラジオ体操の会で毎朝ラジオ体操をしていました」
「ラジオ体操? あれはいいいね。日本の伝統であり文化だよ。僕も夏休みには近くの公園に毎朝通ったな。で。後は?」
「小学校の低学年ではらくちんランニングクラブ。高学年では町のサークルで古式泳法を習っていました」
「ほう、古式泳法ね。どうして古式泳法なんて習ったのかね?」
「通学路に小川が流れておりまして、万が一その小川に落ちたりして溺れることがないようにと、母の強い勧めでサークルに通うことにしました」
「小川?」
「はい」
「リバーじゃなくて、ストリーム?」
「はい」
「小川って五十年くらい前にはメダカとかが生息していた小川?」
「はい」
「ちなみに深さはどれくらいなんだ?」
「川幅はおよそ八十㎝、深さは一番深いところで大人の膝上くらいまででしょうか?」
「その小川で溺れる?」
「はい」
「君の母君は随分と心配性なんだね」
「自慢の母です」
「君の自慢の母君に一度お会いしたいものだよ」
「次の総選挙で総理にお出で頂いた際に母を紹介させていただきます」
「……僕の応援なんていらないだろう。ユニークな母君がいれば間違いなく君は圧勝する」
「はい」
 白鳥は元気よく返事をした。
「……???」
 郷田は白鳥を官房長官にして正解だと思った。無邪気を通り越した白鳥の天真爛漫の性格。熟女受けする甘いマスク。どんなにマスコミに叩かれても白鳥に尻拭いさせておけば、政権は延命できる。
 総理なんて座に対して興味はないが、この首相官邸だけは自分のものだけにしておきたい。大理石に囲まれた荘厳な空間。そこに流れるレコード針を通したクラッシック音楽。スコッチウイスキーの偉大で豊潤な香り。ヨーロッパアンティーク家具に満たされる心。この官邸にさえいれば、憎たらし妻のことが忘れられる。日本国首相官邸は自分のすべてである。郷田正吉はあらためてそのことを思った。
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