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報復死球→ゲームセット?

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 紙にはこう書いてあった。《くそボール》
 郷田が書いた字。一字一字に恨みと呪いが込められたような悪魔によって書かれた文字のようであった。
 白鳥はこの《くそボール》を知っている。郷田にとって屈辱のボール、それは郷田都が鮎川都であった時に手に入れた記念のボール。いわば都にはお宝の品物である。それを抹殺しなければいけない使命を担ってしまった。
 まずい。郷田などこの際どうでもいいが、郷田都の怒りを買うわけにはいなかない。都に嫌われれば……それを考えると気が変になりそうだ。どうすればいい、自分が生き延びる道は? 白鳥の額に一筋の汗が流れた。
 郷田都がこのボールをどうやって手に入れたのかはわからない。郷田正吉がリーグ戦で投げたボール。そしてそのボールはW大学の日下部に完璧に捕らえられ、左翼席の上段に放り込まれた。
 白鳥は郷田の自宅玄関で、ガラスケースの中に入れられたそのボールを見たことがある。そのボールには日下部のサインと“都さんへ”と日下部が書いた文字が書かれていた。
 郷田の家でそのボールは都の気持ちで移動する。時に玄関へ、時に応接室へ。ある時は郷田の書斎に置かれていることもあったらしい。そしてそのボールが郷田家の寝室に持ち込まれた時は、郷田は卒倒した。そのボールには、都によって描かれた紅いハートのマークが付け加えられていたのだ。
「おのれ! 都!」郷田がそう思ったのかは定かではない……が。
 だから郷田は首相官邸に逃げ込むしかない。いや、郷田の寛げる場所は世界で首相官邸だけなのだ。権力者は孤独である……もとい、権力者は嫉妬深いのである。
 都のお宝が郷田にとっては不用品、それはわかる。しかし、郷田に頼まれたからそれをどこかに葬ることなど白鳥にはできない。
 なくなったボールのことを郷田は都にこう言うに決まっている。
「ああ、あのボールね。実は白鳥君にね、君がフランスに行っている間大掃除をしてもらったんだよ。多分その時かなんかじゃないかな、ボールを失くしたのは。でも白鳥君も悪気はないんだから許してやってくれ」
 くそ親父が! 白鳥は急に腹が立った。そして腹を決めた。郷田を取るべきなのか? それとも都を取るべきなのか? 自分の決断は決して間違ってはいない。自分の決断は日本の将来の為に必要な決断なのだ。白鳥は自分にそう言い聞かせた。

《三日後》
 経団会との夕食会が済んで、郷田は官邸に戻る車の中にいた。経団会副会長 日下部浩二。この男が生きている間、絶対に経団会の次に副と言う漢字を付けててやる。自分の政治生命にかけてそれをやり遂げる。全力で投げた球をいとも簡単に打ち返したくそ野郎。あの時の惨めな思いを❝副❞という漢字に込めて投げ続けてやる。ざまぁみろ日下部。お前は生涯副会長だ。「日下部、僕は貴様に勝ったんだ!」郷田が心の中でそう叫んでいる時、胸のポケットのハイパースマートフォンが振動した。
「総理」
 電話は白鳥からだった。
「終わったかね?」
「はい、無事に終了しました。不用品は総理のご自宅から姿を消しております」
「うん。まぁ、不注意は誰にでもあるからね」
「えっ? あっ、はい」
「ご苦労だった」
「はい」
 郷田は電話を切った。今日はブラームスの交響曲第一番ハ短調作品68に包まれたい。今の自分に最もふさわしい音楽だ。完成まで二十一年を要した傑作。白鳥をうまく使えば自分の政権もそれくらい長く続けられるかもしれない。いや、続けるのだ。日本国首相官邸は自分だけのものだ。郷田は目を瞑りながらそう思った。
 警備以外に今日は官邸に誰もいない。そして誰かが訪ねてくる予定もない。自分一人の官邸も悪くない。いや、いつも自分一人でいたい。郷田は応接室に入ると、一つ大きく息を吸った。ひんやりとした空気が喉を通り肺に入った。バーキャビネットに向かう。グラスを取り、そこにスピリングパンクを注いだ。潮の香りがした。郷田はこの香りが好きだ。グラスをテーブルに置く。イギリス外遊の時に見つけたアンティークのレコードラックからブラームスを取り出す。レコードをアナログターンテーブルに置こうとしたそのとき、あるものが目に入った。紅いハートマークがついた都のお宝。郷田は目をむいた。自分の顔が醜く歪むのがわかった。ぴくぴくと頬が動く。心臓の鼓動が速くなる。そして次の瞬間、駆け足するように動いていた心臓が、働くことを放棄した。郷田はその場で倒れた。倒れる前に「おのれ白鳥!」と叫んだかは誰にもわからない。
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