ダンシング・オメガバース

のは(山端のは)

文字の大きさ
4 / 42

3 研究所のイケオジたち

しおりを挟む
 僕は研究所のキッチンを借りて料理をしていた。といっても、パンは買ってきたものだし、サラダはちぎっただけ。あとはチキンにハーブをふりかけて焼いただけなんだけど。

 研究所にはイケオジがたくさんいるのだが、見た目のわりに食事をないがしろにするタイプが多いらしく、こんな簡単なものでも案外喜ばれる。
 お世話になりっぱなしじゃ悪いから、まあこれくらいはね。

 僕はチキンが焼き上がるまでのあいだ、余ったローズマリーをつまみ上げ、香りを楽しんでいた。
「やあ、ルノン。いい匂いだね」
 料理の匂いを嗅ぎつけたのかロマンスグレーのイケオジたちがゾロゾロ、キッチンにやってきた。

「残念だな。十年若ければ、ルノンをさらって自分のものにしたのに」
 などと冗談めかして口説かれたりするが、彼らももう、踊れないらしい。
 だからこそ、この研究所で働いている。
 検査や研究の際に、オメガのフェロモンに左右されないことが絶対条件らしいのだ。
 実にもったいない。僕の目からすれば、彼らは全員まだまだ魅力的だ。なんとかして恋人をあてがってあげたいものだ。

「ルノン、もうすぐここを出るんだって?」
「まあなあ。正式にオメガと決まってしまえば、さすがにここで暮らすのはマズいしなあ」
「本当にひとりで暮らせるのかい?」
「せめてベータならなあ」
 研究所のイケオジたちは口々に言う。しんみりした空気が居たたまれなくて、僕は笑顔を作った。
「僕、ひとり暮らしの経験あるよ。子供だと思ってるだろ。それより、あとで買い物行くけど、なにか必要なものある?」
 そんな話をしていたら、ミラロゥが遅れてやってきた。
「先生、遅いよ。なくなっちゃうよ?」
「ルノンはもう食べたのか?」
「味見をせずには振る舞えないよ」
 給仕のついでにさりげなく近寄って、ミラロゥから漂う香りを確かめる。

「やっぱり。先生、ローズマリーみたいな香りがするね」
 こそっと告げると、ミラロゥはハッと僕を見た。
「ルノン、それは」
 口を開いたのは横で聞いていた別の職員だった。彼がなんと続けるつもりだったのかはわからない。ミラロゥが彼をチラリと見ると、あからさまに口を閉ざしてしまったからだ。
 なにか失礼なことを言ったかと焦ったが、言葉を濁されてしまった。

 この世界での生活に不安がないわけじゃない。けど、不便はない。
 研究所を出た僕は、ぐるりと大回りをしながら緩やかな坂を下っていた。市場に出る道の途中で、立ち止まる。
 ここにはかつて帰るすべ、らしきもの、が存在した。

 たとえばそれが、わかりやすくドアの形をしていたなら。もしくは虹色に輝く円の形をしていたなら。僕はもう、この世界にはいなかったのかもしれない。
 だけどここに在ったのは、まったく異質なものだった。
 サラリーマンらしきおっさんがふたり、手を取り合ってアーチを作っていたのだ。あの下をくぐれば、元の世界に戻れるのだという確信を、僕はどうしても持てなかった。
 無視するうちに、それもいつのまにか消えていた。

 僕がここに立ち寄ったのは感傷に浸るためではない。
 ここはスマホのアンテナが立つのだ。といっても、電話もメールも使えない。唯一つながるのは、僕がよく使っていた電子書籍のストアだけだ。
 バグなのかチートなのか、この世界に来て僕はマンガが買い放題だった。
 気づけばチャージされているポイント。なぜか減らない電池。満杯にならないストレージ。
 しかも、ダウンロードがめちゃめちゃ早い。
 となると、帰る理由がないんだよな。

 新刊をチェックして満足した僕は、今度こそ市場へ向かった。そこにはよくわからないモノも結構あるけど、トマトとかキャベツとか見知ったものもちゃんと売ってる。
 両手いっぱい買いこんで坂道をのぼっていると、どこからかリズムが聞こえてきた。

 ギクリとしたが求愛されているのは僕じゃなさそうだ。
 手すりごしにひょいと見おろすと、ささやかな広場でアルファらしき男が重低音を響かせていた。
 男がジャケットを脱ぎ捨て踊りはじめる。そばにいたオメガらしき男性が、応えた。重低音に軽やかなリズムが乗った。その熱に浮かされたように周りのみんなも踊りだす。

「わあ……」
 僕は思わず感嘆の声をあげていた。
 はたで見る分にはおもしろい。リズム音痴の僕まで体をゆらしそうになったほどだ。
 成立したばかりのカップルはリズムを鳴らしたまま、すでにダンスそっちのけで二人の世界になっていた。道の往来で熱いキスなんて交わしている。

 幸せのおすそ分けをもらった気分だ。ニコニコしたまま振り返ると、通りすがりの男性と目があった。僕のほうは、どちらかというと彼の抱えていたスイカに目がいった。いいな、おいしそう。

 その瞬間、彼がリズム音を響かせた。ヤバっ。
「いや、僕は要らないんで!」
 言葉で断ろうとしたのは失敗だった。
「ああ! なんてかわいらしい声なんだ!」
 相手の動きが激しくなった。止めろ、スイカをダンスの道具みたいに使うな! 
 すぐにでも拍手をしたいが荷物が邪魔だった。

 もたつくうちに、頭の中が彼のリズムでいっぱいになってしまった。
 それに、なんだろうこの香り。ラム酒みたいな香りがあたりに充満していて、酔ってしまいそうだ。
 踊りたくなんてないはずなのに、体が動きそうになる。

「ルノン!」
 なじみのある声に、僕はハッとそちらを見た。
 ミラロゥが僕めがけて駆けてくるところだった。
「落ち着いて。荷物をこっちに。拍手できるかい」
 僕はほとんど言われるままに手を叩いていた。

「あ、おい! あんた、なんで邪魔をするっ!」
 男が怒鳴りつけると、リズム音まで大きくなった。威嚇するような大音量だった。
 思わず耳を押さえたけど、全然効果はなかった。

「きみこそマナー違反だぞ! 相手の手がふさがってるときにダンスをするなんて」
「お、俺だってふさがってる」
「そんなことは言い訳にならない。さっさと立ち去れ! 彼が苦しんでる」
「な、なんだよ。文句があるならあんたもダンスで勝負をって――、なんだ、あんた枯れてんのか。だったら」
「うるさい、どっか行け!」
 僕は声を振り絞り、ミラロゥにしがみついた。男はどうやら去っていったらしい。

 先生に支えられて、僕はなんとか研究所に帰ってきた。
 そして以前と同じように、先生の部屋の簡易ベッドに寝かされている。

「先生、もしかして迎えに来てくれた?」
「ああ」
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「いいんだ。それより、邪魔をしてしまったわけではないんだよな?」
「あんなヤツ、絶対にごめんだよ。アイツ、先生のこと笑ったんだよ!」
「私のことはどうでもいい」
「良くないよ! 枯れてるってなんだよっ。先生は、アイツなんかよりもずっと魅力的だよ!」
「ルノン。大丈夫だから。さあ、目を閉じて」

 目の前にいない相手に対して、僕は怒りが収まらない。
 まだあの男のリズムが頭の中で鳴っているせいかもしれない。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

処理中です...