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本編
唯一の贖罪 【圭吾視点】
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「お邪魔します」
十日も経っていないのに、那央の家に入るのを久しぶりだと思ってしまう。
「いらっしゃい」
廊下を駆けてきた那央のお母さんはいつもと変わらずにこにことしていて、俺は安心した。
那央に何かあったわけじゃないと思えたからだ。
いつもは那央の部屋に直行していたから客間に通されるのは新鮮で、どことなく緊張する。
お茶菓子を出されて、「すみません、いただきます」と頭を下げた。
「いいのいいの、お見舞いに来てくれるだけで嬉しいんだから。ふふ、これだけ長く休んだら心配にもなるわよねぇ」
「あの、那央は大丈夫なんですか?」
「そう、さっき連絡があってもう心配ないって。明日お医者さんの診断を受けてからになるけど、きっと大丈夫よ」
「連絡って……まさか入院してるんですか?」
「あら、まだ圭くんに言ってなかったのね。那央ね、急なんだけど結婚することになって」
「は……」
けっこん? けっこんする?
一瞬頭に入ってこなくて、何度も反芻する。
「ええと……おばさん、結婚、って言った……?」
「そうなの、びっくりでしょ」
「は、はい、でもどうして」
「少し前から体調がおかしかったでしょ? 調べて貰ったら風邪じゃなくてフェロモン異常だとかなんとか……わたしも詳しくはわからないんだけど、番にならないと治まらない症状みたいでね」
番にならないと治まらない?
そのために結婚したってことなのか?
「それで大急ぎでお見合いしたのよ。でもすぐいい人に出逢えて、今はそちらの家にお邪魔してるところなの」
「……じゃあ大丈夫ってことは」
「ふふ、そういうことね。圭くんだから言ったけど、しばらく触れないでおいてあげてね。きっと恥ずかしがるから」
「は……はい」
背中になぜかひやりとした汗が垂れていく。
この異常な不安は那央と見合い相手が番になったから?
なんで言ってくれなかったんだと思うけど、恋人ができて浮かれていた俺に相談できないのは当然で。
なのに那央が他のアルファのものになったことに対して、怒りやら虚しさやらで感情がぐちゃぐちゃになってくる。
「那央は幸せなんでしょうか……」
「心配してくれてありがとう。さっき那央とも話したけど声がとっても明るかったから大丈夫よ。それに圭くん、二人を見たらびっくりするかも」
「……びっくり?」
「自分の子供に言うのもなんだけど、お似合い?あまあま?見てるこっちが恥ずかしくなるくらい。だから安心してちょうだい」
「じゃあ……幸せ、なんですね」
おばさんはしっかりと俺の目を見て頷いてくれた。
那央が幸せでいてくれるならそれでいい。本当にそれだけが心配で、那央の笑顔を早く見たいと思う。
そう心では祝福している。
その一方で相手のアルファを敵のように感じてしまう。俺はそんなこと思える立場じゃないのに。
「ありがとうございました。また那央が戻ってきたら遊びに来ます」
「そうしてそうして、那央も喜ぶから」
「はい」
俺は那央の家を出てふらふらと自分の部屋まで戻った。
壱翔がいなくてよかった。こんな姿見せたらまた心配させてしまう。
「でも本当に、そうなのか?」
この不安は。
『二十年一緒にいたから』だけなのか……?
目を背けたい答えがすぐそこにある気がして、俺は逃げるようにベッドに突っ伏した。
◇◆◇
翌日、頭から嫌な考えが抜けずに馬鹿みたいに走り込んでいたとき、スマホが震えた。
「那央」という文字が浮かんでいるのを見て、俺は慌てて立ち止まってスマホを握る。
心臓が早鐘を打っているのは走っていたせいか、それとも。
「はい」
『あ、圭ちゃん?今大丈夫?』
恐る恐る出た瞬間、那央の声がして、わけも分からず目頭が熱くなる。
「っ、大丈夫。那央の方こそ大丈夫なのかよ、身体の方」
『うん、もう平気。心配かけてごめんね』
「ううん、那央が無事ならそれでいいから」
『ありがとね。それで……そのことでさ、母さんから聞いたと思うけど、結婚することになって』
「おう、聞いた。すげぇ突然で驚いた」
『だよね、ごめん。連絡する暇もなくとんとん拍子で決まったから』
「謝るなって、那央が悪いわけじゃないだろ。おばさんから相手がいい人だって聞いて安心できてたし、まぁ平気じゃないけど」
『ふふ、そこは平気って言うんじゃないの?』
「昨日の今日で、気持ちが追い付いてないっての」
『それもそうだね』
那央がくすくすと笑う。その向こうで、『那央くん』という呼び声が聞こえた。
ばくっと心臓が跳ねる。声の主はアルファで、明らかに牽制されている。
「那央ごめん。えっと、夫さん?旦那さん?いるんだよな?」
『うっ、今の聞こえた?なんだか照れちゃうね、ってごめん、そうじゃなくて!いろいろ報告したいことがあるから、少しだけ会えないかなって』
「おう俺も聞きたいと思ってた。いつにする?」
『あ、ええと、その……夫も、圭ちゃんに会ってみたいらしくて、一緒にいいかな……?』
那央が照れながら「夫」という言葉を使うのが無性に胸にクる。
しかも相手が俺に会いたいと言ってくるとは思わなくて、一瞬呆気に取られた。
『無理にとは言わないから! 僕だけで――』
「いや、会う。俺の方こそ会いたい」
『ほ、本当にいいの?』
「うん、早いほうがいい?」
『ええとね――』
那央と待ち合わせ時間を決めると、俺はすぐさま自宅へと駆け出した。
汗を流してから準備をするけど、どこか浮ついていていつも以上に時間がかかる。
余裕をもって到着する予定が、待ち合わせ場所に着いたのはぎりぎりの時間だった。
「圭ちゃん!」
駅前の待ち合わせスポットになっている巨大人形の前に差し掛かると、那央の声が響いた。
全面ガラスのショーウィンドウの前に二人。小柄な那央と長身の……アルファがいた。
抜いているのか地毛なのか、色素の薄い髪色をした涼しげな人という印象だった。歳は思ったより上で、デキる大人という雰囲気をまとっている。
「すみません、遅くなりました!」
「圭ちゃん、久しぶり。まだ時間になってないから大丈夫だよ」
「まじ?よかった。ほんと久しぶりだな、那央」
なんとか返したけど、那央のことを真正面から見られなくて目が泳いだ。
こわいのだと思う。那央の変化を直視するのが。俺は那央が人妻になったという現実をまだ呑み込めてなかった。
「紹介するね、この人が僕の番になってくれた柊弥さん」
「は、はじめまして……」
「はじめまして、圭吾くんだったね。よろしく」
「よろしく、お願いします」
「那央と積る話もあるのに、お邪魔してごめんね」
「い、いえ、俺もその、お会いしたかったので」
「そういってもらえて嬉しいよ。お詫びに店予約してあるんだ。あ、お茶するだけだからそんな緊張しないでね」
圭ちゃん借りてきた猫みたい、と那央に揶揄われながら、駅に隣接したホテルに入っていく。
何度か来たことがあるところだったけど、どこか異世界に来た気分だった。
エレベータで最上階に上がったあと、レストランにある個室に案内される。
「圭吾くんは甘いの好き?」
「は、はい」
「じゃあ、那央が食べたいって言っていたのと同じにしようか」
俺の奢りだから心配いらないよ、と言って柊弥さんがさらっと注文する。那央はすべてお任せといった様子だ。そこにあるのは信頼というか、確かな繋がり。
自分が場違いなところにいる気がして、いたたまれなかった。おばさんがびっくりすると言っていたけど、こういうことだったのだ。
「それで、まず圭ちゃんに言っておかなきゃと思ったのが引っ越しと大学のことで」
「え、大学? もしかして辞める、とか……」
「うん、今の大学は辞めることになるけど、編入させてもらえることになって」
「そんなこと……こんな短期間でできるんだな……」
「手続きは全部柊弥さんがしてくれたんだけどね。ええと番だと特例になって……?」
「そう、番の特例措置だよ。那央は成績も良かったし、面接も顔合わせみたいなものだったから」
「――ってことみたい」
「じゃあ引っ越しも……?」
「うん、柊弥さんが勤めてる会社の近くに。だから圭ちゃんとはなかなか会えなくなっちゃうんだ」
「そう、なんだな。……残念だけど、でもよかったな」
よかった。間違いなくよかったんだ。
番に大事にしてもらっていることを喜ばしく思うべきなんだ。
なのに頭がぐらぐらする。あるはずだったものがなくなっている気がして、また異様な不安が襲ってきた。
那央の前で取り乱すようなことはできない。必死に正気を保っていた。
「圭吾くんも三回生だったよね? どこか目星つけてるの? 就職」
「本家の家業を手伝っているので俺もそこに」
「へぇ、家業を。どんなことをされてるのか聞いても――」
柊弥さんと日常会話というよりも面接のような会話をする。初対面で年上の人となると話題は確かにそれぐらいしかないんだけど、とても気まずい。那央が相槌や合いの手を入れて、話題を振ってくれるのが救いだった。
新婚のようにべたべたと仲睦まじい姿を見せられることもなく、ただ喋りながら期間限定のスイーツセットを楽しむ。外から見れば和やかな関係に思えることだろう。
「すみません、ちょっと手洗いに」
「ああ案内ついでに俺も行くよ。支払いもしてくるから、那央はゆっくり食べてて」
「うん、いってらっしゃい」
柊弥さんが立ち上がりながら那央の頭を軽く撫でる。それだけで那央は甘いものを食べたみたいに表情をやわらげた。
じゃあ行こうと言われて、俺は頷いた。二人きりになったらこれ以上気まずくなる自信があったけど、ついて行くしかなかった。
レストランを出て、レストルームへの細い通路を進んでいると柊弥さんがちらりと一瞥を寄越した。
「いつ気付いたのかな? それともまだ呑み込めてない?」
穏やかなのに感情がこもっていない声で訊かれ、ばくんと心臓が鳴った。
なにを、とは返せなかった。誤魔化すこともできなかった。
押し込めていたものが壁を突き破って溢れだして、どっと汗が噴き出してくる。
「さ、昨夜、です……」
「そう、わからないって言われなくてよかった。君のフェロモン、今すごく不安定だから気を付けた方がいいと思って」
「わ、わかるんですか? もしかして那央も――」
「そこは大丈夫。アルファ同士のものだから。那央はもう俺のしか感じないしね」
そうだ……
番になったら他のアルファのフェロモンを感じない……
「那央の前で取り乱さないのは感心したよ」
「それは……顔に出したらいけないと思ったので……」
「そう思ってくれていて嬉しい。これからもその態度を崩さないように頼めるかな? それから、君の恋人にも同じように振舞った方がいい。運命を引き裂いていたなんて知られたくないだろう?」
「……は、い……」
こめかみからつうと冷たい汗が伝った。
この人は知ってるんだ。壱翔がどうやって俺に近づいたか。
『運命だって気付いてもらえないことがどれだけつらいことかあなたにわかりますか!?』
壱翔がそう訴えてきたとき、俺は一人だったか? あの場に那央がいたんじゃなかったのか?
隣で聞いていたとしたら何を思った……?
それだけじゃない。俺は那央に何を聞かせ続けていた?
『オメガはみんな同じ香りしかしない』
『運命なんてわかるわけがない』
那央の口を閉ざさせていたのは、他でもない俺だ。
足元がふらついて、「おっと」と柊弥さんに支えられる。
「俺は君に感謝しているんだ。こういう言い方をすると嫌な奴だと思われるかもしれないけど、本心だよ。那央と俺が出逢ったのは正真正銘『運命』だったから」
運命の相手だったとしても、惹かれ合って番になった二人を邪魔できない。
番になった時点で運命を上回ることになる。
「那央が耐え続けてきた時間がどれだけ長いものなのか、君には見当がつくだろう? 那央は意趣返しなんてことは望まないし、君が故意でないことも知ってる。でも多少言っておきたかったんだ。ただ運命を失ったと気付いて君も随分と苦しんでいるようだから、これで痛み分けにしておこう。那央にはもう俺がいるからね」
柊弥さんは淡々と告げながら、足元がおぼつかない俺をレストルーム前まで介助する。
「俺はけして君を不幸にしたいわけじゃない。那央も君の幸せを願って決断したことだ。それはわかってほしい。――じゃあ、俺は先に戻るね。那央にその顔を見せないようにお願いするよ」
そういって踵を返し、一度も振り返ることなく那央の元へと戻っていった。
俺はベンチソファに糸が切れたように座り込んだ。頬を伝ったものがぽたりと落ちてズボンを濡らす。
「……那央、ごめん……、ごめん……っ」
だけど那央に直接謝ることは許されない。
俺が気づいたと知れば、那央はまた苦しむことになる。
いままでと同じように振る舞うこと。運命に気付かない哀れなアルファを装うこと。
それが、俺が那央にできる唯一の贖罪になるのだから。
十日も経っていないのに、那央の家に入るのを久しぶりだと思ってしまう。
「いらっしゃい」
廊下を駆けてきた那央のお母さんはいつもと変わらずにこにことしていて、俺は安心した。
那央に何かあったわけじゃないと思えたからだ。
いつもは那央の部屋に直行していたから客間に通されるのは新鮮で、どことなく緊張する。
お茶菓子を出されて、「すみません、いただきます」と頭を下げた。
「いいのいいの、お見舞いに来てくれるだけで嬉しいんだから。ふふ、これだけ長く休んだら心配にもなるわよねぇ」
「あの、那央は大丈夫なんですか?」
「そう、さっき連絡があってもう心配ないって。明日お医者さんの診断を受けてからになるけど、きっと大丈夫よ」
「連絡って……まさか入院してるんですか?」
「あら、まだ圭くんに言ってなかったのね。那央ね、急なんだけど結婚することになって」
「は……」
けっこん? けっこんする?
一瞬頭に入ってこなくて、何度も反芻する。
「ええと……おばさん、結婚、って言った……?」
「そうなの、びっくりでしょ」
「は、はい、でもどうして」
「少し前から体調がおかしかったでしょ? 調べて貰ったら風邪じゃなくてフェロモン異常だとかなんとか……わたしも詳しくはわからないんだけど、番にならないと治まらない症状みたいでね」
番にならないと治まらない?
そのために結婚したってことなのか?
「それで大急ぎでお見合いしたのよ。でもすぐいい人に出逢えて、今はそちらの家にお邪魔してるところなの」
「……じゃあ大丈夫ってことは」
「ふふ、そういうことね。圭くんだから言ったけど、しばらく触れないでおいてあげてね。きっと恥ずかしがるから」
「は……はい」
背中になぜかひやりとした汗が垂れていく。
この異常な不安は那央と見合い相手が番になったから?
なんで言ってくれなかったんだと思うけど、恋人ができて浮かれていた俺に相談できないのは当然で。
なのに那央が他のアルファのものになったことに対して、怒りやら虚しさやらで感情がぐちゃぐちゃになってくる。
「那央は幸せなんでしょうか……」
「心配してくれてありがとう。さっき那央とも話したけど声がとっても明るかったから大丈夫よ。それに圭くん、二人を見たらびっくりするかも」
「……びっくり?」
「自分の子供に言うのもなんだけど、お似合い?あまあま?見てるこっちが恥ずかしくなるくらい。だから安心してちょうだい」
「じゃあ……幸せ、なんですね」
おばさんはしっかりと俺の目を見て頷いてくれた。
那央が幸せでいてくれるならそれでいい。本当にそれだけが心配で、那央の笑顔を早く見たいと思う。
そう心では祝福している。
その一方で相手のアルファを敵のように感じてしまう。俺はそんなこと思える立場じゃないのに。
「ありがとうございました。また那央が戻ってきたら遊びに来ます」
「そうしてそうして、那央も喜ぶから」
「はい」
俺は那央の家を出てふらふらと自分の部屋まで戻った。
壱翔がいなくてよかった。こんな姿見せたらまた心配させてしまう。
「でも本当に、そうなのか?」
この不安は。
『二十年一緒にいたから』だけなのか……?
目を背けたい答えがすぐそこにある気がして、俺は逃げるようにベッドに突っ伏した。
◇◆◇
翌日、頭から嫌な考えが抜けずに馬鹿みたいに走り込んでいたとき、スマホが震えた。
「那央」という文字が浮かんでいるのを見て、俺は慌てて立ち止まってスマホを握る。
心臓が早鐘を打っているのは走っていたせいか、それとも。
「はい」
『あ、圭ちゃん?今大丈夫?』
恐る恐る出た瞬間、那央の声がして、わけも分からず目頭が熱くなる。
「っ、大丈夫。那央の方こそ大丈夫なのかよ、身体の方」
『うん、もう平気。心配かけてごめんね』
「ううん、那央が無事ならそれでいいから」
『ありがとね。それで……そのことでさ、母さんから聞いたと思うけど、結婚することになって』
「おう、聞いた。すげぇ突然で驚いた」
『だよね、ごめん。連絡する暇もなくとんとん拍子で決まったから』
「謝るなって、那央が悪いわけじゃないだろ。おばさんから相手がいい人だって聞いて安心できてたし、まぁ平気じゃないけど」
『ふふ、そこは平気って言うんじゃないの?』
「昨日の今日で、気持ちが追い付いてないっての」
『それもそうだね』
那央がくすくすと笑う。その向こうで、『那央くん』という呼び声が聞こえた。
ばくっと心臓が跳ねる。声の主はアルファで、明らかに牽制されている。
「那央ごめん。えっと、夫さん?旦那さん?いるんだよな?」
『うっ、今の聞こえた?なんだか照れちゃうね、ってごめん、そうじゃなくて!いろいろ報告したいことがあるから、少しだけ会えないかなって』
「おう俺も聞きたいと思ってた。いつにする?」
『あ、ええと、その……夫も、圭ちゃんに会ってみたいらしくて、一緒にいいかな……?』
那央が照れながら「夫」という言葉を使うのが無性に胸にクる。
しかも相手が俺に会いたいと言ってくるとは思わなくて、一瞬呆気に取られた。
『無理にとは言わないから! 僕だけで――』
「いや、会う。俺の方こそ会いたい」
『ほ、本当にいいの?』
「うん、早いほうがいい?」
『ええとね――』
那央と待ち合わせ時間を決めると、俺はすぐさま自宅へと駆け出した。
汗を流してから準備をするけど、どこか浮ついていていつも以上に時間がかかる。
余裕をもって到着する予定が、待ち合わせ場所に着いたのはぎりぎりの時間だった。
「圭ちゃん!」
駅前の待ち合わせスポットになっている巨大人形の前に差し掛かると、那央の声が響いた。
全面ガラスのショーウィンドウの前に二人。小柄な那央と長身の……アルファがいた。
抜いているのか地毛なのか、色素の薄い髪色をした涼しげな人という印象だった。歳は思ったより上で、デキる大人という雰囲気をまとっている。
「すみません、遅くなりました!」
「圭ちゃん、久しぶり。まだ時間になってないから大丈夫だよ」
「まじ?よかった。ほんと久しぶりだな、那央」
なんとか返したけど、那央のことを真正面から見られなくて目が泳いだ。
こわいのだと思う。那央の変化を直視するのが。俺は那央が人妻になったという現実をまだ呑み込めてなかった。
「紹介するね、この人が僕の番になってくれた柊弥さん」
「は、はじめまして……」
「はじめまして、圭吾くんだったね。よろしく」
「よろしく、お願いします」
「那央と積る話もあるのに、お邪魔してごめんね」
「い、いえ、俺もその、お会いしたかったので」
「そういってもらえて嬉しいよ。お詫びに店予約してあるんだ。あ、お茶するだけだからそんな緊張しないでね」
圭ちゃん借りてきた猫みたい、と那央に揶揄われながら、駅に隣接したホテルに入っていく。
何度か来たことがあるところだったけど、どこか異世界に来た気分だった。
エレベータで最上階に上がったあと、レストランにある個室に案内される。
「圭吾くんは甘いの好き?」
「は、はい」
「じゃあ、那央が食べたいって言っていたのと同じにしようか」
俺の奢りだから心配いらないよ、と言って柊弥さんがさらっと注文する。那央はすべてお任せといった様子だ。そこにあるのは信頼というか、確かな繋がり。
自分が場違いなところにいる気がして、いたたまれなかった。おばさんがびっくりすると言っていたけど、こういうことだったのだ。
「それで、まず圭ちゃんに言っておかなきゃと思ったのが引っ越しと大学のことで」
「え、大学? もしかして辞める、とか……」
「うん、今の大学は辞めることになるけど、編入させてもらえることになって」
「そんなこと……こんな短期間でできるんだな……」
「手続きは全部柊弥さんがしてくれたんだけどね。ええと番だと特例になって……?」
「そう、番の特例措置だよ。那央は成績も良かったし、面接も顔合わせみたいなものだったから」
「――ってことみたい」
「じゃあ引っ越しも……?」
「うん、柊弥さんが勤めてる会社の近くに。だから圭ちゃんとはなかなか会えなくなっちゃうんだ」
「そう、なんだな。……残念だけど、でもよかったな」
よかった。間違いなくよかったんだ。
番に大事にしてもらっていることを喜ばしく思うべきなんだ。
なのに頭がぐらぐらする。あるはずだったものがなくなっている気がして、また異様な不安が襲ってきた。
那央の前で取り乱すようなことはできない。必死に正気を保っていた。
「圭吾くんも三回生だったよね? どこか目星つけてるの? 就職」
「本家の家業を手伝っているので俺もそこに」
「へぇ、家業を。どんなことをされてるのか聞いても――」
柊弥さんと日常会話というよりも面接のような会話をする。初対面で年上の人となると話題は確かにそれぐらいしかないんだけど、とても気まずい。那央が相槌や合いの手を入れて、話題を振ってくれるのが救いだった。
新婚のようにべたべたと仲睦まじい姿を見せられることもなく、ただ喋りながら期間限定のスイーツセットを楽しむ。外から見れば和やかな関係に思えることだろう。
「すみません、ちょっと手洗いに」
「ああ案内ついでに俺も行くよ。支払いもしてくるから、那央はゆっくり食べてて」
「うん、いってらっしゃい」
柊弥さんが立ち上がりながら那央の頭を軽く撫でる。それだけで那央は甘いものを食べたみたいに表情をやわらげた。
じゃあ行こうと言われて、俺は頷いた。二人きりになったらこれ以上気まずくなる自信があったけど、ついて行くしかなかった。
レストランを出て、レストルームへの細い通路を進んでいると柊弥さんがちらりと一瞥を寄越した。
「いつ気付いたのかな? それともまだ呑み込めてない?」
穏やかなのに感情がこもっていない声で訊かれ、ばくんと心臓が鳴った。
なにを、とは返せなかった。誤魔化すこともできなかった。
押し込めていたものが壁を突き破って溢れだして、どっと汗が噴き出してくる。
「さ、昨夜、です……」
「そう、わからないって言われなくてよかった。君のフェロモン、今すごく不安定だから気を付けた方がいいと思って」
「わ、わかるんですか? もしかして那央も――」
「そこは大丈夫。アルファ同士のものだから。那央はもう俺のしか感じないしね」
そうだ……
番になったら他のアルファのフェロモンを感じない……
「那央の前で取り乱さないのは感心したよ」
「それは……顔に出したらいけないと思ったので……」
「そう思ってくれていて嬉しい。これからもその態度を崩さないように頼めるかな? それから、君の恋人にも同じように振舞った方がいい。運命を引き裂いていたなんて知られたくないだろう?」
「……は、い……」
こめかみからつうと冷たい汗が伝った。
この人は知ってるんだ。壱翔がどうやって俺に近づいたか。
『運命だって気付いてもらえないことがどれだけつらいことかあなたにわかりますか!?』
壱翔がそう訴えてきたとき、俺は一人だったか? あの場に那央がいたんじゃなかったのか?
隣で聞いていたとしたら何を思った……?
それだけじゃない。俺は那央に何を聞かせ続けていた?
『オメガはみんな同じ香りしかしない』
『運命なんてわかるわけがない』
那央の口を閉ざさせていたのは、他でもない俺だ。
足元がふらついて、「おっと」と柊弥さんに支えられる。
「俺は君に感謝しているんだ。こういう言い方をすると嫌な奴だと思われるかもしれないけど、本心だよ。那央と俺が出逢ったのは正真正銘『運命』だったから」
運命の相手だったとしても、惹かれ合って番になった二人を邪魔できない。
番になった時点で運命を上回ることになる。
「那央が耐え続けてきた時間がどれだけ長いものなのか、君には見当がつくだろう? 那央は意趣返しなんてことは望まないし、君が故意でないことも知ってる。でも多少言っておきたかったんだ。ただ運命を失ったと気付いて君も随分と苦しんでいるようだから、これで痛み分けにしておこう。那央にはもう俺がいるからね」
柊弥さんは淡々と告げながら、足元がおぼつかない俺をレストルーム前まで介助する。
「俺はけして君を不幸にしたいわけじゃない。那央も君の幸せを願って決断したことだ。それはわかってほしい。――じゃあ、俺は先に戻るね。那央にその顔を見せないようにお願いするよ」
そういって踵を返し、一度も振り返ることなく那央の元へと戻っていった。
俺はベンチソファに糸が切れたように座り込んだ。頬を伝ったものがぽたりと落ちてズボンを濡らす。
「……那央、ごめん……、ごめん……っ」
だけど那央に直接謝ることは許されない。
俺が気づいたと知れば、那央はまた苦しむことになる。
いままでと同じように振る舞うこと。運命に気付かない哀れなアルファを装うこと。
それが、俺が那央にできる唯一の贖罪になるのだから。
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