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31 魔女の一族

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 リーベルの故郷はグラスター王国から遥か北、雪山に囲まれた渓谷に存在していた。
 流刑地として使用されていた極寒の大地は、本来人が住める場所ではない。そのためリーベルの一族――亜人の血を引く彼らは、人が生活できる平野は魔法で気温を一定に保っていた。
 谷底と地上の気温差によって、空は一年中分厚い霧に覆われ、谷には太陽の光すら届かなかった。
 陽の恵みを受けず育つ作物は少ない。寒さに強い麦を植えても、土壌が不毛なのか耕しても耕しても種は芽吹かない。リーベルの先祖達は長い間食糧問題に頭を悩ませ、飢えを凌ぐため試行錯誤を続けた。
 やがて一族は、独自の魔法で生命を生み出すことに成功した。
 それが、リーベルが鍋の魔法使いと言われている所以である。
 普通の人間にとって「鍋」はただの調理器具であっても、リーベルの一族にとっては文字通り「生命線」。
 魔道具である一族の鍋は食料調達において必需品であり、薬や働き手、そして人口を維持するための装置として重要だった。
 リーベルの先祖達は己の子供に一つずつ鍋を与え、生命の作り方と育て方を教えた。子供達が大人になれば、また作った己の子供に教えを説く、ということが繰り返されていった。
 やがて「谷」で暮らしていくにつれ、一族は適応していった。
 子供達に興味を持たせないため外界の情報は伏せる。谷での生活が破綻しないよう掟を定める。情が移らないよう労働力の魔法生物は一日で壊れるようにする。男児よりも女児の方が生まれてくる成功率が高いので男よりも女を作る。自分達の起源ルーツを忘れないよう歴史を子供達に教え、血筋に誇りをもたせる。
 寒冷地の厳しい環境も相まって、一族は年月が経つにつれ排他的になっていった。
 そうして、外の世界を忘れ谷底にこもり、しか生まれない、生命を操る魔法使いの一族が住まうそこは。

 いつしか、魔女の谷と呼ばれるようになっていった。


*****


 リーベルは欠伸をしながら武器庫の扉を開けた。
 彼女の影が埃臭い地面に伸びる。月明かりを背に、リーベルの横にはいつもの鍋壺、そして手には木の棒が握られていた。
 掛け声と共に鍋を両手で持ち上げ、扉を開けっぱなしで武器庫の中に入る。目的の場所まで鍋を運んだ後、昼間の土の魔石を保管している箱から取り出した。

「こんばんは~。やっぱり隠れてますねー。いい加減、出てきたらどうですかぁ、従妹殿セイディス

 眠たげに言って、リーベルは土の魔石を木の棒の底で割った。
 すると、石の割れ目から土が溢れ、あっという間に人間ほどの高さまで土が積もっていく。
 リーベルが一歩下れば、土は音を立てて岩のように固くなった。刹那、光と共に岩が崩れ、中から少女が現れた。
 リーベルと同じ年頃の娘だった。十七、八歳ほどの彼女は、鋭い三白眼と焦げ茶色の髪の毛以外、どことなくリーベルに似ていた。
 少女の登場に、リーベルが感心したように拍手する。

「わあ、セイディスすごい。まるで幽霊みたいな登場の仕方です~」

 セイディスと呼ばれた少女は、不機嫌そうに眉間に皺をよせ、舌打ちをした。

「その癪に障る間延びした喋り方、アンタで間違いないようね。掟破りのリーベル」

「セイディスもお元気そうで何よりです。わざわざ自分の体をマナにまで分解して魔石に隠していたんですか? 地上に出てきたのだから、観光すればよかったのに~」

「アンタ達と違って私は掟を破ったりしないわ! 今だって、おばあ様の命令でなかったら、こんなところにいないわよ!」

 セイディスは爪を噛み、たんたんと足で地面を叩く。

「いつまで経っても帰ってこないアンタを心配して、おばあ様が私を寄越したのよ。だのに、アンタは地上の人間どもと呑気に遊んでいて……! リヴィルを連れ帰る任はどうしたの! 裏切者の尻拭いをするために、アンタは谷から出たのでしょう!?」

「夜中に怒鳴らないでください~。皆さんが起きてしまいます~」

 リーベルがセイディスをどうどうと宥めようとする。我慢の限界だと言わんばかりに、セイディスは親指の爪を噛み切った。

「ふざけないでリーベル! 私の存在に気づいておきながらこんな時間まで放置していたくせに。アンタは昔からそうやって緊張感がなくて不真面目で――」

「はいはい、ごめんなさい。でも、魔女の存在が他の人に漏れたら大変じゃないですか。こっちにも事情がありますし、方々に気を遣った結果なんですよ~。私だって考えてはいるんですー」

「ふん、臆病者。秘密が漏れたら全員殺せばいい。私ならできるわ。あんな奴ら一瞬でね」

「見栄っ張り~。返り討ちにされるのがオチですってば。特におじいちゃんなんて無限復活するので殺すのは物理的に無理です~。とりあえず、満足したなら帰ってもらえませんか? 私ももう眠いのでー」

「アンタ、私がこんな雑談をしに来たと本気で思っているの?」

 セイディスは疲れた様子で前髪を掻き上げ、ぎろりとその三白眼を更に鋭くした。

「リヴィルだけじゃないわ。おばあ様は、アンタのことも疑い始めているのよ、リーベル」

 セイディスは人差し指をリーベルに向ける。脅しても平然としたまま同郷の少女に、セイディスは苛立った声で問いかける。

「いくらアンタでも、おばあ様の警告を忘れたわけないでしょう?」

「『地上の空は灰色だ』ですか。ふふ、どういう意味か外に出てからわかりましたよ。長老も人が悪い」

「……おばあ様はアンタに期待しているのよ。子供達の中で、リーベルが一番、魔法が上手だったから」

「後継者ならセイディスがいるでしょう。私、魔石に隠れるなんてできませんよー。流石長老の孫です~」

「茶化すのはやめて。私、アンタのそういうところが嫌いよ」

 セイディスは一瞬その表情に翳りを宿したが、すぐに調子を戻した。

「話を戻すわ。聞けば、昼間の子供……この国の王女らしいじゃない」

 レクティタの話題に、リーベルは「やっぱり」と肩を竦めた。

「どうせ碌でもない内容でしょうけど。一応、最後まで聞いてあげます、セイディス」

「アンタ、自分が魔女の一族だと自覚あるの? 魔人はご先祖様の敵(かたき)。私達を追放した一族の末裔に復讐できると、おばあ様が喜んでいたわ」

 セイディスは声を低くし、リーベルに告げた。

「おばあ様からの命令よ。あの王女を殺して、一族への忠誠を示しなさい、リーベル」

 リーベルは笑いながら即答した。

「断るに決まっていますよぉ、そんなの」

「そう」

 セイディスが短く返事をした直後、彼女の足元で魔法陣が光った。
 カタカタと地面が揺れる。見たことのないセイディスの魔法に、リーベルは目を丸くした。

「なら、私があの王女を殺してアンタを谷へ連れて帰る。抵抗するなら四肢をもぐ。アンタと仲の良い男達も皆殺しよ!」

 相対するセイディスの足元から、禍々しい霧と共に扉が現われる。その光景にリーベルが「ええ!?」と驚きの声を上げた。

「お鍋はどうしたんですか、セイディス!?」

「要領がわかれば魔道具はいらないのよ、リーベル!!」

 リーベルが呆気に囚われている間、耳障りな音を立てて開かれたそこから何本かの触手が伸びてきた。
 抵抗する間もなくリーベルの四肢は捕えられ、宙に真っ逆さまに吊るしあげられる。ぎちぎちと締め上げるそれは、まるで蛸の足のようだった。
 木の棒も奪い取られ、無抵抗となったリーベルを前に、セイディスは勝ち誇った笑みを浮かべた。

「ざまあないわね、リーベル。アンタが遊んでいた二年間、私は必死に努力したんだから! こうして私だけの方法で、悪魔の一部を生み出せるようになったのよ! アンタを連れ帰れば、ようやく皆から認められるわ!」

「うーん……確かに凄いんですけど……」

 機嫌の良いセイディスに対し、リーベルは困ったように眉尻を下げた。逆さになった視界で、リーベルは右に左に目を動かす。その瞳に映っているのは、未だ地面で光を放っている魔法陣だった。
 軽口を叩かないリーベルを、余裕がないと判断したのか、セイディスが嬉々として問いかける。

「なあに? 命乞いでもしたいの、リーベル。アンタがどうしてもと言うなら、男達の中から一人だけ生かしてあげてもいいわよ? 生かした男は谷の皆へのお土産にしましょうか!」

「はぁ」

「何よその気の抜けた返事は。怖くてまともに返事もできないの、リーベル――」

「ああ、こうすればいいのか」

 リーベルが呟いた刹那、
 天井にセイディスの足元にある魔法陣と同じ模様が浮かび、これまた同じ模様の扉が逆さの状態で出現した。

「――えっ」

 一瞬の呆けた隙に、セイディスは扉から現われた蛸足に胴体を殴られる。鈍い音と共に吹き飛ばされ、セイディスは壁に激突した。同時にリーベルを拘束していた触手が消え、べちゃりと床に落ちる。

「いたたた……。見様見真似でしたが、成功したみたいで良かったです。意外と勢いで作れるものですね~」

 打った鼻を摩りながら、リーベルが起き上がった。地面に落ちた木の棒を拾って、腹を抑えて咳き込んでいるセイディスの首根っこを捕まえた。

「でも私はやっぱり、お鍋でぐるぐるしないと気分が上がりません。それに工夫して使わないと、こうして魔法を真似されちゃいますよ~。魔道具は技術の盗難を防ぐ意味もあると、長老も言っていたじゃないですか。普通のお鍋を使うなら裏側の底で魔法陣を描くとか、盗難防止も考えないと」

 倒れた鍋壺を立て直し、リーベルはセイディスを中へと放り投げる。身体を折りたたまれるよう鍋へ入れられた彼女は、痛みとは別の意味の涙を目に浮かべていた。

「あ、アンタは……! そうやっていつも、私を簡単に追い越して……!」

 リーベルは鍋に木の棒を突っ込み、ぐるぐるとかき回し始めた。緑色の光が呼応するように渦を巻き、無数の蔦が現われセイディスを拘束する。
 身動きが取れなくなった魔女の末裔は、目の上のたん瘤である従妹を睨むことしかできなかった。

「わ、私を殺すつもりなの!? リーベル!?」

「同郷のよしみで命だけは勘弁してあげます。ただし、さっきみたいに身体をマナにまで分解して川へ放流します~。また暗殺しにこられても困るので~」

「な……!? この、鬼畜女! 身体の再構築がどれだけ大変かわからないの!? 魔石みたいに纏まっているならともかく、川なんかに流されたらそれこそ何年かかるか――」

「殺されないだけマシだと思ってくださいよぉ。大丈夫です、セイディスならできますできます。気合いです気合い」

「こ、この野郎……!」

 セイディスは悔し涙を流しながら、歯噛みした。

「アンタはいつもそうよ! 私を振り回して! 酷いこといっぱいするくせに! 掟だって破ってばかりなのに!! 昔からおばあ様に褒められるのはアンタで……! 私はリーベルに囚われて苦しいのに、アンタは私を視界にすら入れていない……! 私ばっかり必死で、ずっと……!」

「相変わらずよくわからない因縁をつけてきますね。でも、私はセイディスのこと嫌いではありませんよ。一緒にいて楽しくないだけで」

「……っ! リーベルの馬鹿! 人でなし! 大嫌い!! アンタが無神経だからリヴィルが出て行ったのよ!! あの子に同情するわ! アンタみたいな女が片割れだなんて!!」

「全く、リヴィルに関してはセイディスの言う通りです」

 ぐつぐつと沸騰し始める鍋に、セイディスの背中に冷や汗が流れる。そんな彼女に構わず、リーベルは木の棒でかき回しながら話を続けた。

「私は故郷が好きです。魔女の末裔であることに誇りを持っています。でも、谷での『当たり前』が地上では『当たり前』ではないことを知りました」

 下半身から徐々に身体が溶けていく。感覚がなくなっていく腰から下に、セイディスは声にならない悲鳴を上げる。

「優劣を付けるつもりはありません。だけど個々によって息苦しさは存在します。私は地上に出てようやく、リヴィルの孤独を理解できました。姉なのに情けないです」

 リーベルは谷での生活を思い返す。
 女しかいない狭い社会で、男として生まれてきてしまった、双子の弟。
 稀にあることゆえ、リヴィルは他の子供達と分け隔てなく一緒に育てられていたが――どれだけ隠していても、大人達の些細な態度の違いは、子供達に勘付かれてしまうものだ。
 リヴィルが「男」という自分達と違う特徴を持っていることは、谷の子供達にとって格好の標的だった。年を重ねるにつれ、幼稚的ないじめはなくなっても、どこか見えない壁はずっと張ってあった。
 リーベルはリヴィルの現状を理解しつつも、その孤独と絶望までは想像できなかった。彼が谷から出て行き、自分も彼の跡を追いかけて方々を旅していくうちに――ただ己がたまたま環境に恵まれていただけだと、痛感したのだ。

「最初はただリヴィルがいなくなって寂しいから、彼を探しました。でも今は違う。ただ、リヴィルと会って話したい。私は彼を谷へ連れ戻す気はないですし、私も帰るつもりありません。魔女の秘密は守りますから、どうか放っておいてください」

 リーベルの独白に、セイディスは息も絶え絶えに答えた。

「そ、そんなの……おばあ様が……許さないわ……」

 セイディスの身体はもう既に胸まで溶けてしまっていた。返事が返ってくると思っていなかったリーベルは、しばし考えた後、手を止めた。

「ねえ、セイディス。あなたは今日の美しい空を見ましたよね」

 独り言ではなく、しっかりとセイディスの目を見てリーベルは言った。

「そのうえで、問いかけます。『地上の空は何色ですか?』」

「……空は」

 緑色の液体に沈みながら、セイディスはハッキリと告げた。

「『地上の空は灰色』よ、リーベル」

 顔の半分まで溶けてしまったというのに、谷の掟を守ろうとする従妹の姿勢にリーベルは目を伏せた。

「つまらない、つまらないです。本当にあなたは頭が固いですねえ、セイディス。谷の『当たり前』に縛られる道理はないというのに」

 ため息を吐いて、リーベルは鍋を持ち上げた。そこにはもうセイディスの姿はなく、緑色の液体が並々と入っているだけだ。
 彼女は中身を零さないよう気を付けながら、砦の結界を出て、近くの川へと向かった。虫の鳴き声すらない森の中で、リーベルはマナへと分解されたセイディスを川へと流していく。

「さよなら、セイディス。是非とも川や海を流れていき、谷以外の人々の営みと、世界の広さを実感してきてくださいね~」

 最後の一滴を流す際、「それから」とリーベルは言った。

「もし谷へ戻れたら、長老に伝えておいてください」

 リーベルは夜空を見上げ、木々から覗く星々に目を細めた。


「『地上の空は青いですよ』と」
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