『風の魔女がステップをふめば、世界は笑う。』追放令嬢のスローライフ、復讐は、計画的に

夢窓(ゆめまど)

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アンナの兄の帰還

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王都篇:公爵令息ドバンの帰還

冬の名残を運ぶ風の中、
一台の馬車が王都の門をくぐった。

御者が声をかける。
「ドバン様、王都に到着いたしました」

カーテンを開けた青年は、
言葉を失った。

道の両脇に広がるのは、
泥にまみれた人影と、空になった屋台。
誰も彼を見上げない。
見る力も残っていない。

「……ここが、あの王都か」
低く呟いた声には、震えがあった。

留学先の隣国では、
人々が笑って畑を耕し、
子どもたちが広場で歌っていた。
同じ太陽の下に、
どうしてこれほどの差があるのか。

御者が控えめに言う。
「税が……重うございます。
 冬を越せなかった家も多く……」

ドバンは唇を噛んだ。
「王城は、何をしている?」

「……祈りを、とのことです」

馬車はゆっくりと進み、
やがて公爵邸の門前で止まった。
豪奢な鉄の門の内側では、
まだ花が咲いていた。
だがその美しさが、
外の光景をいっそう痛ましく見せた。

執事が門を開ける。
「お帰りなさいませ、ドバン様。
 お嬢様の……アンナ様の件も、
 すでにお耳に入っておられるかと」

「……ああ」
ドバンは短く頷いた。
「だが今は妹の話よりも、
 この国がどうなっているのかを知りたい」

彼の声には、怒りとも哀しみともつかぬ色があった。


ドバンの帰還(屋敷内)

重い門が閉まる音を背に、ドバンは屋敷の中へ入った。
外の喧騒は、厚い石壁にすっかり遮られている。

赤い絨毯の上を歩くと、
空気がまるで別の国のもののように感じられた。
ここでは飢えも寒さもなく、
銀の燭台が昼間から灯っている。

執事が深く頭を下げた。
「改めて、お帰りなさいませ、ドバン様。
 お嬢様の追放以来……屋敷も静まり返っております」

ドバンは手袋を外しながら、
窓の外の空を見た。
遠くに、黒煙の上がる街並みが見える。

「外は……地獄だ。
 人が倒れているのに、兵士は通り過ぎるだけだった。
 王城は何をしている?」

執事は一瞬、目を伏せた。
「恐れながら、陛下は病床に。
 そして……王子様が政を執られておられます」


屋敷の門は、静かに閉ざされていた。
外の通りでは、兵が人々を追い払っている。
だが屋敷の中は別世界のように静まり返っていた。
ドバンが、帰ってきたので、
すぐに残っていた、使用人たちが頭を下げる。
食料の匂いも、暖炉の炎もある。
しかし、外の光景を見たドバンには、
それが耐えがたいものに思えた。

「……誰が、こんな国にした」

執事が答えられずに目を伏せる。
「城下は、税の取り立てが続いております。
 病人も多く……
 今では、王城の周りしか灯がともりません」

ドバンは歩みを止めた。
「城が明るくて、街が暗い――
 そんな国が長く持つものか」

彼の言葉に、
古参の使用人たちが怯えたように顔を見合わせる。
誰も反論しない。
ただ、耳を澄ませば、
遠くで子どもの泣き声が風に乗って届く。

ドバンは拳を握りしめた。
「……妹を追い出した理由も、
 今ならわかる気がする。
 “真っ当な人間”ほど、この国では邪魔になる」

廊下に入った瞬間、ドバンは空気の重さに眉をひそめた。
まるで屋敷そのものが、息を潜めているようだった。

「母上は?」

執事が目を伏せる。
「……お部屋でお休みです。お加減が優れず、ここしばらく寝台の上で。」

「父上は?」

「ご執務室に。ですが……」
言葉を濁した。

階段を上るたび、家の温度が下がっていく気がした。
壁の肖像画には布がかけられ、廊下の明かりは半分しか灯っていない。

父の部屋の前まで来ると、中からかすかな声が聞こえた。
「……王は、必ずや……我らを……」

扉の隙間から見えたのは、机に散らばる書簡と、
一心に書き殴る父の姿。

(まるで、別人みたいだ……)

声をかけようとしたが、結局ドバンは扉に手をかけることもなく、
静かにその場を離れた。

母の部屋の扉をノックする。
「母上、ドバンです」

か細い声が返ってきた。
「……おかえりなさい。あなたまで帰ってくるなんて」

「アンナのことを、聞きました」

一瞬の沈黙ののち、
母の目が伏せられた。

「……あの子は、行方不明だと、みんな言うけれど……
 探す人なんて、もう誰もいないのよ」

ドバンは言葉を失った。

母の部屋の隅には、アンナが使っていたティーカップが置かれていた。
埃をかぶったまま、誰も触れようとしない。

「ロウエルも一緒だと?」

「ええ……たぶん、あの子を守っているのでしょう。
 あの子を信じられるのは、もう彼くらいだから」

窓の外、風が冷たく唸った。
ドバンは静かに呟いた。
「……この家も、国も、もう戻らないのかもしれない」

外では、
また遠くから鐘の音が響いていた。
いつもの葬儀の鐘だった。

ドバンの調査──沈黙の屋敷

夜明け前の屋敷は、
いつもより静かだった。

寝台を出たドバンは、
灯りを最小限にして廊下を歩いた。
かすかな靴音が響く。
壁に飾られた家系図は、ところどころ焼け焦げている。
(……火事の跡?)

執事に尋ねても「古い記録を処分されたのです」としか答えない。
父の命令だろう。
だが、消された家系図の部分には、
確かにアンナの名があったはずだった。

書庫に入る。
机の上の帳簿をめくると、金貨の出入りが異常に多い。
王都への「献金」「奉納」「祝儀」。
どれも桁外れの額で、
屋敷の修繕費や使用人の給金は削られている。

(……父上は、王に取り入るために、
 家を削っていたのか)

ふと背後に気配を感じた。
「――どなたです?」

扉の影から、若い侍女が現れた。
夜着のまま、怯えたように。

「旦那様に……書類を探していらしたと伝えても?」

「いや、必要ない。君はいつからここに?」

「……ひと月ほど前から。城の紹介で」

(城の紹介――やはり、監視だ)

「夜更けに歩くのは危険だよ」
そう言い残して去る。
だがその瞳には、恐怖よりも、何かを観察する冷たさがあった。

執務室の前を通ると、
父の声が微かに漏れてくる。

「……聖女の力は、我が家に還る……
 風は……我らの血に呼応する……」

独り言にしては、あまりに明瞭だった。
まるで誰かに語りかけているように。

ドバンは息をひそめた。
扉の隙間から見えたのは、
父の前に置かれた通信石(魔導具)。
青く、弱く、脈打つように光っている。

(誰かと、繋がっている……)

その瞬間、足元を何かが走り抜けた。
小さな影――屋敷に残った黒猫だ。
アンナがよく抱いていた猫だった。

「……お前まで、残されたのか」

猫はドバンを一瞥し、
廊下の奥――かつてアンナが使っていた部屋へと走っていった。

ドバンが後を追うと、
そこは埃だらけのまま、閉ざされていた。
窓際には、アンナの書きかけのノート。
開かれたままのページに、
城から、そのまま追放されたと、
何も持たずに、出ていったと、
それが、ドバンの胸を締めつけた。


公爵家・調査編(現実)

屋敷は静まり返っていた。
廊下に立つ者もなく、
壁の時計の音だけが規則正しく響く。

ドバンは、机の上の書類をひとつずつ確かめていった。
帳簿の数字が不自然に跳ね上がっている。
王城への「奉納金」「特別寄進」――どれも桁が大きすぎる。

その一方で、
屋敷の修繕費や給金の項目はほとんど空欄になっていた。

(……どこに、これほどの金を)

執事を呼んでも、答えは濁される。
「すべて旦那様のご命令で」
その一言で会話が終わる。

廊下を歩けば、閉ざされた部屋が増えていた。
かつては使用人たちの部屋だった。
今は扉に封蝋が押され、「立入禁止」と書かれている。

台所も同じだった。
食材庫の棚は半分以上が空で、
残っているのは乾いたパンの欠片と古い豆だけ。
使用人が減ったせいか、掃除も行き届いていない。



書斎の前を通ると、
父の声がかすかに聞こえる。
「……聖女の加護は我らに、王の御心は変わらぬ……」

独り言のようでいて、
間を置くたび、誰かに答えているような沈黙があった。

ドバンは扉に手をかけなかった。
何も言わず、ただ廊下を戻る。

屋敷の中に人はいる。
だが、誰も“生きて”いない。

母の部屋には、香草の匂いが漂っていた。
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