『転生したら悪役令嬢、前世の娘がヒロインでした』

夢窓(ゆめまど)

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変わった客、王子様ですか?

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港町のはずれ、石畳の坂を降りた先に──
白い壁と青い屋根の、小さな宿屋ができた。

看板には手描きのカモメと「メゾン•ルミエール」の文字。
主人は、元騎士で働き者のカイルド。
そして厨房を預かるのは、男爵令嬢のジョアンナだ。

「カイルド様! 今日の朝食、焼きたてパンと魚のスープにしますね」
「おう。港の魚屋がいい鯵をくれたから、使ってくれ」

宿は大きくない。
部屋は三つ、食堂は20席ほど。
けれど、朝になると潮の香りとパンの匂いがふわっと漂い、
夜には灯りがもれて、旅人や漁師たちが自然と集まってくる。

「……こんなに笑って仕事してるお前、初めて見た」
「わたしだって、こんなにおいしいご飯を作ったって感謝されるの、初めてです」

カイルドは、ふっと笑ってジョアンナの髪を撫でた。
港町の夜風は少しひんやりしていたが、宿の中は暖かかった。


その日の夕方。
港に赤く沈む太陽を見ながら、ジョアンナは夕食の仕込みをしていた。
店の扉が、カラン、と軽やかに鳴る。

「いらっしゃいませ──」

そこに立っていたのは、やけに厚手のマントを羽織り、
つばの広い帽子を目深にかぶった客。
……いや、帽子の下から覗く黄金色の髪と、宝石のような碧眼は、
あまりに堂々と輝きすぎていて、逆に目立っている。

「こんばんは。旅の……ええと、ただの旅人だ」
「…………」
(いや、殿下。絶対に“ただの旅人”じゃない)

ジョアンナは引きつった笑みで迎え、奥の席に案内する。
カイルドがさりげなく耳打ちした。
「……あれ、王子だよな」
「うん、でもご本人は隠し通せてるつもりだから……触れないであげよう」

珍客はマントを脱ぎもせず、メニューを覗き込みながら、
「この……やきとりというのは?」と真剣に尋ねる。
ジョアンナが説明すると、「ほう、肉を串に刺して焼くとは、庶民は工夫家だな」と感心している。

厨房の奥で、カイルドがぼそっと呟く。
「殿下、変装って……そういう意味じゃないんだがな」


焼き鳥を一口食べた殿下──いや、“自称旅人”は目を見開いた。
「……これは……! 香ばしい……肉汁が閉じ込められて……!」
次の瞬間、串を片手に少年のような笑みを浮かべ、立て続けに三本ぺろり。

「おかわりだ、ジョアンナ殿!」
「……あ、はい」

(※名前まで覚えてる時点で完全にバレバレ)

その後、熱燗を二合ほど空けた頃──。
殿下は真顔で告げた。

「うむ、ここにしばらく滞在することにした」

「……は?」
ジョアンナとカイルドの声が揃った。

「宿屋というのは泊まるためにあるのだろう? ならば泊まる。三日……いや、一週間は」
ジョアンナ
「いえ、あの、お部屋は……」

アルフレッド
「空いているだろう?」

ジョアンナ
「……まあ、空いてますけど」
アルフレッド
「決まりだ。では案内してくれ」

勝手に話をまとめ、階段を上がっていく殿下。
残されたジョアンナは呆然とし、カイルドがぼそっと呟く。

「……あの王子、絶対何かから逃げてる」

ジョアンナ
「……たぶんね」


殿下が宿屋にしばらく滞在すると言い出した夜、カイルドはこっそり尋ねた。

「……殿下、何から逃げてるんです?」

殿下はチラと窓の外を見やり、低く答える。
「……隣国の王女だ」

カイルド
「隣国の……求婚でもされたんですか?」

アルフレッド
「“されそうになった”が正しい。好みじゃないんだ、あの厚化粧は」

ジョアンナが首を傾げる。
「化粧ぐらい、好みじゃなくても……」

殿下は両手をぶんぶん振った。
「いや、あれはもう塗装だ! 顔の原型がどこにあるか分からん! 近づくと香水でむせる!」

ジョアンナ
「……随分とストレートですね」

アルフレッド
「しかも、会うたびに“わたくしのドレスと同じ色のマントをお作りになって”とか、“ペアルックで晩餐に出ましょう”とか……冗談じゃない!」

カイルドが呆れたように笑う。
「それで変装して庶民宿に潜伏ですか」

アルフレッド
「そうだ。ここなら安全だろう。厚化粧は庶民宿になど来ない」

ジョアンナはふと遠くを見る。
(……いや、そういうタイプこそ、ドラマチックを求めて押しかけてくる気がするけど……)


宿屋の常連客も、街の人たちも、最初の一目で分かっていた。

――あれ、王子だ。
変装しているつもりだろうが、背筋の伸び方も、言葉遣いも、まるで隠せていない。

だが、誰一人として口には出さない。
本人が「完璧な変装」と思い込んでいるなら、その夢は壊さないでおこう――それが町全体の暗黙の了解になっていた。

「ふっ、ここまで来れば安全だ」
殿下は宿の椅子にふんぞり返り、自慢げに笑った。
「この変装に気づける者などおらぬ」

(……あ、はい。全員気づいてますけど)と、ジョアンナは心の中で返す。



しかしその静かな日々は、あの“香害”によって破られた。

カランカラン、と宿の扉が開いた瞬間――
むせ返るほどの甘ったるい香りが、店内を満たす。
客の何人かが咳き込み、厨房から出てきたカイルドも思わず眉をしかめた。

「まあっ♡ わたくしのダーリン!」

そこに立っていたのは、厚塗りの白粉に真紅の口紅、髪には宝石をこれでもかと散りばめた隣国の王女。
周囲の空気が一瞬で「来た……」に変わる。

「や、やば……この匂いで半日頭痛になるやつ……」とジョアンナが小声で呟いたとき――

殿下は椅子から立ち上がり、堂々と言い放った。

アルフレッド
「おや、どちらさまかな? 私はただの旅人で――」

(いや、バレてますから。全員最初から)





「アルさま! 厨房、空けてます!」
宿の常連の老婆が、さりげなく声をかける。

アルフレッド
「……あ、いや、俺はただの――」

「はいはい、旅人さんね。わかってますから早く!」

半ば押し込まれる形で、王子は厨房に逃げ込む。
入口の前では、屈強な漁師や商人たちがさりげなく立ちはだかり、王女の視線を遮っていた。

「ダーリン!? どこにいるのです!?」
ホール中に響く甲高い声と、さらに強まる香水の匂い。

アルフレッド
(くっ、この匂いは毒ガスか……)王子は思わず鼻を押さえる。

「ほら、これ持って。串打って」
ジョアンナが無言で差し出したのは、肉の切り身と金属の串。

アルフレッド
「……なんで俺が」

ジョアンナ
「庇われるってのは、働いて恩返しするってことよ」

王子は渋々、肉を刺し始めた。
――意外とリズムよく、きれいに並ぶ。
(……やけに器用だな、この人)と、ジョアンナは横目で感心する。

その間も、ホールでは地元民たちが連携プレーで王女を翻弄していた。

「あっちに市場がございますよ!」
「ええっ、本当!?」
――その先は市場じゃなく、港の裏道。

厨房の裏口から、ひょいと顔を出した漁師が囁く。

「殿……じゃなかった、兄さん。舟で沖まで逃がしますよ」

舟は港を離れ、夕暮れの波間を滑っていく。
海風が、さっきまで鼻を刺していた香水の匂いをすっかり洗い流してくれた。

アルフレッド
「……ふぅ、助かった……」
櫂を漕いでいた漁師が笑う。

「兄さん、あの王女、やけに執念深そうだったな」

王子は片膝を立て、額の汗を拭った。
「いや……執念っていうか、あれはもう……狩りだよ」

そして小さく、でも確信を込めて言った。
アルフレッド
「……やっぱ、僕でも、選ぶ権利って多少はあるよね」

漁師は一瞬きょとんとしたあと、にやりと笑った。
「あるさ。命の危機感じる相手を娶るなんざ、馬鹿のすることだ」

王子も笑い返す――が、その笑顔の奥には、ほっとした安堵と同時に、これからどうやって身を隠し続けるかという現実的な不安もちらついていた。


(厨房横のカウンターにて)
メリンダ
「お客様、長旅でお疲れでしょう? 特製おしぼりをどうぞ」
(爽やかな薄荷とローズマリーの香りがふわっと立ちのぼる)

王女「まあ、気が利くのね。わたくし、香りには自信があるのよ」
(ゴシゴシ顔を拭く)

次の瞬間——
香水とハーブが混ざり合い、鼻を突くような異臭が店内に充満。

ジョアンナ(厨房から小声)「メリンダさん、これ……」

メリンダ(小声)「ええ、予想外の化学反応ね」

常連客A「お、おう……なんか涙が……」
常連客B(鼻を押さえながら)「あの王女さん、香水が……進化したぞ」

王女「……っ! ちょっと……頭が……ふら……」
(よろめきながら戸口へ退散)

「あれ、帰っちゃったの?」
ジョアンナ「さあ? お疲れになったんじゃないですか」
(全員、にやり)

ふらふらと扉から去っていく王女の背中を見送り、

メリンダはさっと王子の手首をつかんだ。

「さ、殿下。ここは私がご案内しますわ」

アルフレッド
「え、でも——」

メリンダ
「いいから」
(王子、ぐいっと引っ張られる)

人目のある城下通りへ出ると、メリンダは笑顔を作って王子の腕にぴたりと絡む。
歩幅を合わせ、耳元で甘く囁いた。

メリンダ
「ほら、手を振って。……“私とデート中”って見せつけるんです」

王子「……な、なるほど」
(顔が少し赤くなる)

広場を抜けるころには、通行人たちが「お似合いだわね」と囁き合う。
それを見た王女は、遠巻きにぎりっと歯を食いしばり、そのまま馬車に引き返していった。

「貸しですわよ、王子」
メリンダは笑顔のまま、耳元で釘を刺す。

「……覚えておきます」
王子は、妙に真剣な顔でうなずいた。


城門が見えてきたころ、王子はふうっと息をついた。
アルフレッド
「……やっぱり、僕でも、選ぶ権利って多少はあるよね」

「多少どころじゃないですわよ」
メリンダはきっぱりと言い切る。
「生涯を共にする相手を決めるんですもの。“香水で窒息しそうになるかどうか”は、最低限の判断基準ですわ」
アルフレッド
「……うん、そうだよね」
王子の目が、ほんの少し潤んだ気がした。

そのとき、城の上階の窓がガタガタと開く。
さきほどの王女が、手を振っていた。

「きゃあっ! また来ますわ~!」

メリンダ(にこっ)
「……見せつけてあげましょう。」

「それ、また貸しになるやつでしょ」
王子は苦笑しつつも、足取りは軽い。


王子は城門をくぐりながら、メリンダを横目で見た。

アルフレッド
「……メリンダ」

メリンダ
「はい?」

アルフレッド
「僕、多分――君には一生貸しを作るかもしれない」

「まあ、そんな大げさな」
メリンダは涼しい顔で微笑む。
「でも貸しは貸しですわ。忘れませんから」

「……やっぱり怖いな、君」
そう言いながらも、王子の声には妙な温かさが混じっていた。
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