64 / 171
7章 俺の12年と、アイツの24年。
64 崩れ出した均衡
しおりを挟む
中央廟は、魔王の城の離れにあった。
黒い塀に囲われた広い敷地の中で、城とは対角の位置にある建物だ。
城の外へ出て「あそこだ」と指差された建物を確認してからが遠かった。
花が咲きほこる庭園の一番奥に佇む、小さな白い屋根。雨の気配を感じつつ、整備された石畳の上を甘い花の匂いに包まれながら歩いていくと、半分ほど来たところで向こうから一人の老父がやって来た。
「こんにちは、ハイド」
クラウの声に全員が足を止める。
ハイドと呼ばれた老父は、着物のような白い合わせの服を着ていて、長い白髪をきつく結い上げている。年老いて見えるのに背中が真っすぐにピンと伸びていて、背の高いゼストよりも大きく見えた。
胸に付きそうな長く垂れた顎髭が印象的で、俺はそれをたどって彼を見上げると、「初めまして」と目が合って恭しく頭を下げられてしまった。
咄嗟に返事することが出来ず、俺は何故か「はい」と答えてしまう。
クラウは普段と変わらないが、会釈だけしたゼストとメルはどことなく緊張しているのが分かる。
「ティオナの所に行ったのか?」
「はい。所用で」
ハイドは目元の皺を深く刻んで穏やかに笑うと、メルと俺を交互に見た。
「メルーシュ様と、ユースケ様ですね。お噂は聞いております。エルドラの巨大カーボを倒したんだとか。素晴らしい事です。私からも礼を言わせて下さい」
再びハイドに頭を下げられて、俺は『倒したのは俺じゃないです』の意味を込めて、「いえ」と片手を横に振った。
「私は、私にできる事をしたまでです」
「謙遜は無用ですぞ。けれど、今は小さいのですから無理なさらず」
ハイドはそう言うと「では、急ぎますので」と歩き出す。
俺たちの横を抜けて――すれ違いざまに見せた彼の表情に、俺はゾッと背筋が凍り付く感覚を覚えた。
「ちょっと緊張したわ」
ハイドの背を振り返り、メルは胸を押さえて「はぁ」と愛らしい溜息を吐き出す。
「こんな所で、普段遭遇したりしないからな。ユースケ、あれは元老院議長のハイドだ」
ゼストが面倒そうに腕を組んで説明する。
「元老院?」
「この国の中枢。向こうの世界でも似たようなのがあったな。けど、国会と皇室を足して割った様なって言った方が分かるか? さっきの爺さんが一番偉い議長。まぁ、この国で一番偉いのがクラウなのは変わらん。ここの元老院の仕事は、国家の静観――魔王が道を誤ろうとしたとき、軌道修正させるのが役目だ」
「何だか、保健教師に社会科を習っている気分です」
「その通りだからな」
ははっと笑うゼストは、この世界の魔王親衛隊の1人でありながら、向こうの世界では俺のクラス担任で保健体育の教師なのだ。
「あの爺さんも最近は大人しいよな。昔、メルが魔王だった頃は色々あったみたいだけど」
ニヤリとするゼストに、メルがハッとして唇をきゅっと噛んだ。
「昔のこと、覚えていないもの」
「覚えてなくていいんだよ」
すかさずクラウがフォローを入れる。メルがこの国の魔王だった10年以上前のことを、彼女自身は覚えていないらしい。
当時は大人だった彼女が一度赤子に戻っているのだから、俺の中の一般常識から掛け離れているとは言え、納得いく話とも言える。
「ハイドはお祭りの時に何回か見掛けたことがあるだけで、昔関わったことがあるなんて言われてもピンと来ないのよ。こうして話したのも初めて。少し怖いような気もするけど、悪い人ではないんじゃないかしら?」
メルはそんなことを言うけれど、すれ違いざまに見せたハイドの冷たい目は明らかに彼女を見据えていた。『何でお前がここに居る?』と言わんばかりの禍々しい表情だった。
この城にとって、メル――前王メルーシュは招かざる客なのだろうか。
それに、俺だって歓迎されているとは限らない。
この不穏な空気をクラウは読み取っているのか--?
「あれ、そういえば――」
ふと、クラウが首を傾げた。背を屈めてメルを覗き込む。
「メルはこの城に入れたんだ」
「どうした? いきなり。もちろん正面から堂々入ってきたわけじゃないんだろう?」
動揺を見せるクラウに、ゼストが苦笑する。リトが二人を見つけるまで騒ぎになっていなかった所を見ると、そういう事なんだろうなと俺は思った。
メルは言い辛そうに肩をすくめて、ぽつりぽつりと口を開く。
「ヒルドに、思い出してって言われて。隠し通路を使ったの。ちゃんと思い出したわけじゃないんだけど、思い当たるところを探ってみたら来れてしまって」
「隠し通路?」
えっと首を捻るゼスト。クラウも困惑した表情を浮かべるが、それ以上の追及はせず「そうか」と小さな笑顔で締めた。
「あの、クラウ様?」
「何だいメル」
メルが胸の前で手をギュッと握り締めてクラウを見上げた。
「私もユースケとここに居てもいいかしら? できたらヒルドも」
さっきゼストに自分で言えと言われていたが、本気だったのか。
クラウは面食らった表情で「えっ」と漏らすが、少し悩んだ末にメルの前に腰を落として、彼女の手を拳の上から握り締めた。
「ヒルドって、画家の? だいぶ仲が良いんだね」
「彼もメル隊に入ってくれたのよ」
ヒルドは俺が思っていた以上に、画家としての認知度があるようだ。
「そう。それは良かった。メルはユースケと一緒に居たいの?」
「……うん」
「分かった。なら、そうしても構わないよ」
「本当? ありがとう、クラウ様!」
無邪気な笑顔を広げて、クラウの首に飛びつくメル。
彼女を抱きとめたクラウの表情が物悲しい色を含んだのを見て、俺はゼストを振り返る。
けれど、彼は首を横に振るだけで、何も言ってはくれなかった。
黒い塀に囲われた広い敷地の中で、城とは対角の位置にある建物だ。
城の外へ出て「あそこだ」と指差された建物を確認してからが遠かった。
花が咲きほこる庭園の一番奥に佇む、小さな白い屋根。雨の気配を感じつつ、整備された石畳の上を甘い花の匂いに包まれながら歩いていくと、半分ほど来たところで向こうから一人の老父がやって来た。
「こんにちは、ハイド」
クラウの声に全員が足を止める。
ハイドと呼ばれた老父は、着物のような白い合わせの服を着ていて、長い白髪をきつく結い上げている。年老いて見えるのに背中が真っすぐにピンと伸びていて、背の高いゼストよりも大きく見えた。
胸に付きそうな長く垂れた顎髭が印象的で、俺はそれをたどって彼を見上げると、「初めまして」と目が合って恭しく頭を下げられてしまった。
咄嗟に返事することが出来ず、俺は何故か「はい」と答えてしまう。
クラウは普段と変わらないが、会釈だけしたゼストとメルはどことなく緊張しているのが分かる。
「ティオナの所に行ったのか?」
「はい。所用で」
ハイドは目元の皺を深く刻んで穏やかに笑うと、メルと俺を交互に見た。
「メルーシュ様と、ユースケ様ですね。お噂は聞いております。エルドラの巨大カーボを倒したんだとか。素晴らしい事です。私からも礼を言わせて下さい」
再びハイドに頭を下げられて、俺は『倒したのは俺じゃないです』の意味を込めて、「いえ」と片手を横に振った。
「私は、私にできる事をしたまでです」
「謙遜は無用ですぞ。けれど、今は小さいのですから無理なさらず」
ハイドはそう言うと「では、急ぎますので」と歩き出す。
俺たちの横を抜けて――すれ違いざまに見せた彼の表情に、俺はゾッと背筋が凍り付く感覚を覚えた。
「ちょっと緊張したわ」
ハイドの背を振り返り、メルは胸を押さえて「はぁ」と愛らしい溜息を吐き出す。
「こんな所で、普段遭遇したりしないからな。ユースケ、あれは元老院議長のハイドだ」
ゼストが面倒そうに腕を組んで説明する。
「元老院?」
「この国の中枢。向こうの世界でも似たようなのがあったな。けど、国会と皇室を足して割った様なって言った方が分かるか? さっきの爺さんが一番偉い議長。まぁ、この国で一番偉いのがクラウなのは変わらん。ここの元老院の仕事は、国家の静観――魔王が道を誤ろうとしたとき、軌道修正させるのが役目だ」
「何だか、保健教師に社会科を習っている気分です」
「その通りだからな」
ははっと笑うゼストは、この世界の魔王親衛隊の1人でありながら、向こうの世界では俺のクラス担任で保健体育の教師なのだ。
「あの爺さんも最近は大人しいよな。昔、メルが魔王だった頃は色々あったみたいだけど」
ニヤリとするゼストに、メルがハッとして唇をきゅっと噛んだ。
「昔のこと、覚えていないもの」
「覚えてなくていいんだよ」
すかさずクラウがフォローを入れる。メルがこの国の魔王だった10年以上前のことを、彼女自身は覚えていないらしい。
当時は大人だった彼女が一度赤子に戻っているのだから、俺の中の一般常識から掛け離れているとは言え、納得いく話とも言える。
「ハイドはお祭りの時に何回か見掛けたことがあるだけで、昔関わったことがあるなんて言われてもピンと来ないのよ。こうして話したのも初めて。少し怖いような気もするけど、悪い人ではないんじゃないかしら?」
メルはそんなことを言うけれど、すれ違いざまに見せたハイドの冷たい目は明らかに彼女を見据えていた。『何でお前がここに居る?』と言わんばかりの禍々しい表情だった。
この城にとって、メル――前王メルーシュは招かざる客なのだろうか。
それに、俺だって歓迎されているとは限らない。
この不穏な空気をクラウは読み取っているのか--?
「あれ、そういえば――」
ふと、クラウが首を傾げた。背を屈めてメルを覗き込む。
「メルはこの城に入れたんだ」
「どうした? いきなり。もちろん正面から堂々入ってきたわけじゃないんだろう?」
動揺を見せるクラウに、ゼストが苦笑する。リトが二人を見つけるまで騒ぎになっていなかった所を見ると、そういう事なんだろうなと俺は思った。
メルは言い辛そうに肩をすくめて、ぽつりぽつりと口を開く。
「ヒルドに、思い出してって言われて。隠し通路を使ったの。ちゃんと思い出したわけじゃないんだけど、思い当たるところを探ってみたら来れてしまって」
「隠し通路?」
えっと首を捻るゼスト。クラウも困惑した表情を浮かべるが、それ以上の追及はせず「そうか」と小さな笑顔で締めた。
「あの、クラウ様?」
「何だいメル」
メルが胸の前で手をギュッと握り締めてクラウを見上げた。
「私もユースケとここに居てもいいかしら? できたらヒルドも」
さっきゼストに自分で言えと言われていたが、本気だったのか。
クラウは面食らった表情で「えっ」と漏らすが、少し悩んだ末にメルの前に腰を落として、彼女の手を拳の上から握り締めた。
「ヒルドって、画家の? だいぶ仲が良いんだね」
「彼もメル隊に入ってくれたのよ」
ヒルドは俺が思っていた以上に、画家としての認知度があるようだ。
「そう。それは良かった。メルはユースケと一緒に居たいの?」
「……うん」
「分かった。なら、そうしても構わないよ」
「本当? ありがとう、クラウ様!」
無邪気な笑顔を広げて、クラウの首に飛びつくメル。
彼女を抱きとめたクラウの表情が物悲しい色を含んだのを見て、俺はゼストを振り返る。
けれど、彼は首を横に振るだけで、何も言ってはくれなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
貞操逆転世界に転生したのに…男女比一対一って…
美鈴
ファンタジー
俺は隼 豊和(はやぶさ とよかず)。年齢は15歳。今年から高校生になるんだけど、何を隠そう俺には前世の記憶があるんだ。前世の記憶があるということは亡くなって生まれ変わったという事なんだろうけど、生まれ変わった世界はなんと貞操逆転世界だった。これはモテると喜んだのも束の間…その世界の男女比の差は全く無く、男性が優遇される世界ではなかった…寧ろ…。とにかく他にも色々とおかしい、そんな世界で俺にどうしろと!?また誰とも付き合えないのかっ!?そんなお話です…。
※カクヨム様にも投稿しております。内容は異なります。
※イラストはAI生成です
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる