上 下
1 / 7

プロローグ

しおりを挟む
「君は私だけのものだ」
今宵は満月だった。
月明りの射し込むベッドに眠る美しい顔の少女。睫毛は目を閉じていても長く、月光に照らされた冷たい影が、きめ細かくて柔らかな真白い肌にくっきり映える。年齢にそぐわぬ艶やかにも見える美しさを秘めた絹糸のようなブロンドの髪は、眩しいくらいに輝いていた。
男は、少女の眠る部屋の外から寂しく見つめることしか出来ない。今すぐにでもこのガラスを突き破って少女を奪い去ってしまいたいが、それを実行すれば少女は男を恐れ、胸に秘める願いも叶わぬ結果になることは明らかだった。
月が満ちた夜、数分だけ、この男は少女が眠っている時を狙ってただ眺めるのだ。
愛しい少女を見守ることしか出来ない男は、どうすれば少女を自分のものにすることが出来るのかを考えた。少女は貴族の生まれで、成人近くになれば婚約相手が決まり、他の男の妻となってしまうだろう。男に爵位など無い。しかし、魔法は使えた。この男は魔法使いなのだ。だから、少女と直接会うことも、話すことも叶わないのだ。そもそも、貴族の娘と話す機会など普通の人間だとしてもそうそう無い。魔法使いなど得体の知れない存在などもってのほかだ。それでも、魔法はそのような常識を無視してしまうことも出来る。いざとなれば魔法を使って思考を操り、少女と共に暮らすことも可能ではあった。しかし、それをしてしまうのは魔法使いの心を痛めることとなるため、今のところ何も魔法を使わないでいた。
男がふと自身の背後にどんと構える月を睨むと、強く風が吹いた。男に「今すぐ帰れ」と言わんばかりの、身体ごと持っていかれそうな風は木々を揺らし、少女の住まう豪邸にも強く当たる。ごおごお、と音を立てるせいで少女が目覚めてしまったらどうするのだ。と風を止めようと手を上に掲げた。
「ん、んん……」
 寝返りをうって窓の方を向く少女。薄らと瞼を開け、擦る。男は今すぐに隠れなくてはならないと焦りつつも、この機会を逃せばもう二度と少女と会話出来ないかもしれないと思うと身体は動かなかった。
 風は落ち着いてきて、鍵を魔法で開けて窓をゆっくり押すと、ひんやりとした夜風が少女の髪を撫でる。その風でぼんやりと覚醒した少女はあくびをしながら男をじっと見つめる。宝石にも負けない、見たものを惹き込むブルーアイに男は目を離せなかった。
「あなた、だれ……?」
「私かい? 私は魔法使いさ」
「まほうつかい? ふふ、わたしにどんなまほうをみせてくれるのぉ?」
まだ半分夢の中にいる少女の可愛らしさに心臓の鼓動を速めながら、少女が望む「魔法」を見せてやらなければ、といそいそと頭に入っている膨大な数の魔法を探す。
「そうだ。ほら、見てごらん」
 男が手の平を擦りながら、ふう、と息を吹きかけると、薄桃色の花弁が舞う。
「きれい! ……でも、これはまほうなの?」
「ああ、そうさ。これは魔法だ。ごめんよ、君が喜ぶ魔法が思いつかないんだ」
「じゃあ、わたしをじゆうにしてちょうだい……。いつもおうちにいて、たいくつなの」
「それはまた今度だね。もう私は帰らなければならない」
何者かが少女の部屋に近づく気配を感じていたからだった。恐らく、先程の強風で目覚めた用心深い使用人が巡回しているのだろう。
「もういっちゃうの?」
「そうだよ」
「じゃあ、あなたの、んん……、ふぁあ、おなまえを……おしえ……て?」
 夢の終わりを感じた少女は、またあくびをして瞼を閉じながら男に尋ねる。
「君の夢でまた会えると良いね。私の名は……」
 眠りについた少女は、すうすうと小さく寝息を立てながら縮こまって眠っていた。
 ノックの音の後、ガチャ、とドアが開く音と共に男は空に飛び、去っていった。
「おいおい、かぜをひいちゃうぞ」
 ブラウンの髪の少年が、少女の部屋の方向から風の音がするのが聞こえて部屋を訪ねた。案の定、窓が開いていたので静かに閉じてあげる。豪邸の二階の一室は少女の部屋だ。夜は空を眺めながら眠りたいからとカーテンを閉めないで眠る。今夜は少し暑かったからか、窓を開けたのだろうか、と少年は考えていた。
 少女がしっかり眠っていることを確認して、頭を撫でる。少年は、少女の家に仕える使用人一家の息子である。幼い頃から一緒に生活しており、その影響もあってか少女に恋心を抱いていた。しかし、親からの教育や、仕事をしていて身分の差という高い壁があるのを幼いながらに感じていた。そのため、この想いを告げることはせず、一生少女に仕えられさえすれば何も望まないこととした。
だから、本人に悟られないように振舞っている。
少女は美しいだけでない。努力家で決して諦めない強い心を持ち、幼いというのに親の言いつけをしっかり守り、我儘をせず真面目に勉学に励んで習い事もこなした。その姿を間近で見守っていたからこそ少年は少女を好きになってしまったのだ。
女の子であるのに、男の子に負けないようにと必死に頑張る姿は、既に同年代の貴族の息子たちよりも立派なものであると少年は感じていた。
そんな愛しい主。彼女が眠る夜だけは、本心を打ち明けられた。

「ルキア。だいすき」
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

暗き冥界の底で貴方の帰りを待つ

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:11

天使な顔に騙された男

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:7

辺境伯の奥様は「世界一の悪妻」を目指している

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:99pt お気に入り:1,447

鏖殺の剣の物語

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

処理中です...