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「『主』」
ばんっ、と。
アタシは『主』のデスクに勢いよく両手をついて、正面から『主』を見据えた。
「ん? なんだい?」
執務中だった『主』が、緩やかに書類から顔を上げる。
「こいつをどうにかしてくれ」
アタシは、ビッ! と、親指を立てて己の背後を指した。『主』はアタシの状況を見て、
「あぁ、仲良しだねぇ」と目を細めて微笑んだ。
いや……そんな感想が欲しい訳じゃねぇんだけど……ねぇんだけど!
くっ、でも『主』の(怒ってない時の)笑顔は大好きだ!
…………っ、じゃなくて。
『主』に訴えたいアタシの今の状況。
“犬”(身長百八十越えの男)に服の裾をぎっちりと掴まえられている上に、カルガモの雛のように付きまとわれている現状だ。
それも。
ここ数日フルタイムでこれだ。
アタシのライフペースに関わらずついてくる。
「『主』から言ってくれよ、離れろって」
その一言さえあれば、“犬”はアタシから離れてくれるんだからさ。
「それは出来ないよ。仕事に差し支えるからね」
『主』は笑顔でアタシの訴状を棄却した。
「それに別にいいじゃないか。『バディ』なんだし、お互いの距離が近い方がいいだろう?」
物理的にもね──と、『主』は加えて言う。
いや。
いやいやいや。
「いくらなんでも近すぎだろ」
「今回のことで、“猫”にはこれくらいしないとダメなんだと学んだんじゃないかな。ねぇ? “犬”」
『主』がそう話を振ると、“犬”は黙ったままで頷いた。
「また誘拐されるかもしれないしね」
続けて『主』が言ったその言葉に、“犬”は何度も頷いた。
そんなに頷くな。
それにそうそう何度も誘拐されてたまるか。
「──そういえば、先方から御礼状が届いていたよ」
『主』は今思い出したようにそう言い、デスクにある書類の間から封書を手にとり、アタシに見せるようにした。
「先方?」
って、どちらさま?
「お前を誘拐したあの三人が属していた会社だよ」
「ぁあーぁ」
あいつらのか。
見ると、封書には社名が印刷されていた。
『主』のライバル会社だった。
んー、あの態度とあの人数構成(一個人に対して二人の側付き)からするに、社長か何かと思ってたけど……違ったのか。ふぅん。それにしても、御礼状なんてものをわざわざ送ってくるとは……。
……うん? ちょっとまて。
「それ、ホントに御礼状? 詫び状じゃなくて?」
そこは普通、迷惑かけてすいませんでしたっていうお詫びじゃないの?
「うん、書かれてる内容も御礼状だったよ。どうやらあの三人、先方の社内でだいぶ手に余る存在だったようだね」
『主』は言って、封書を再びデスクに置いた。
あ、それ、中は見せてくれないのね。
まぁ、どんなことが書かれてるのかは大体想像できる。たぶん、「始末してくれてありがとう」みたいなことが書かれてるんだろう。
しかし……そうなるとなんだか上手く利用された感があるな。
利用されたというか使われたというか。
例えば。
あの三人を始末するためにこっちに手を出させた──とか。
ライバル会社ならこちらの力量くらい知っているはずだしな。ありえない訳じゃない。
「余計な詮索は自信を滅ぼすよ、“猫”」
『主』が笑みを湛えた目でアタシを見た。
「べ、別に詮索してなんかないって」
ただ気になっただけだし。
「好奇心は猫を殺すというからね──ちょうど良い、このまま“犬”にはお前を見張っていてもらおうかな」
「ちょっ、冗談じゃな──」
アタシが反論を言い切る前に“犬”が両腕をアタシの前に持ってきて、ぐっ、と力をいれた。後ろから抱きつかれた格好になる。
「…………これ、見張りっていうか拘束じゃね?」
「ははっ、“犬”は素直でいいねぇ」
良くないっ!
思い切り叫ぼうとしたその時。
「──ん?」
室外に足音を感知して、アタシは部屋のドアに視線をやった。この足音は。
「執事だ」
歩を進めるペース。歩幅によってそれは個人差が出る。この歩速音は執事のものだ。
しばらくして、ドアがノックされる。
「主様。お電話で御座います」
「入れ」
許可が出されて、「失礼します」と執事が入ってくる。その手には銀トレイに乗せた電話の子機(直立不動)がある。
いつも思うけど、すげーバランス感覚だよな。歩いていてそれ倒れないの、なんで?
執事は『主』の側まで寄り、電話を差し出す。『主』はそれを取り話し始めた。『主』の顔が仕事時のそれになる。電話は仕事の件のようだ。
……暇だな。
アタシは少し考えて、“犬”の拘束から逃げてみようと試みた。
“犬”の腕の中でくるりと向きを変え、一度“犬”と対面する。
「…………?」
“犬”が疑問符を浮かべている間に、その左肩からよじ登る。腕の筋力と爪を“犬”の服に引っ掛ける形で体を浮かせる。ハッとした“犬”がアタシの体を掴まえて引きずり下ろそうとする。こちらは既に片足の膝を肩に乗せていたので、ちょっとした力で抵抗すると難なく逃れた。後は“犬”の背中で前転するようにして床に着地する。
よし!
このまま逃げてやる!
と、頭上からものすごい圧力が降ってきた。
抵抗する間もなくアタシは床に押さえ付けられた。
“犬”が全身でアタシに覆い被さってきたのだ。
重い……!
なんとかそこから抜け出そうともがくが、“犬”が押さえつけてくる力は(加減されているとはいえ)強い。アタシも流石に全力で暴れるわけにはいかないからもがく力を加減する。
あぁぁぁぁ! もぉぉぉぉぉ!
「執事! 助けろ!」
アタシは執事に助けを求めた。
「え? いつものじゃれ合いでは?」
「ねぇよ!」
明らかにいつもと違うだろーが!
「しっ。静かにしてください、“猫”さん。主様がまだ電話中です」
「あ」
注意されて我に返る。
忘れてた。
ものっそい忘れてた。
アタシは脱力してもがくのを止めたが、“犬”は変わらず押さえつけてくる。
しょーがない。『主』の電話が終わるまでこのままでいるか……とも思ったけどそれだとやはり暇なので、じゃれ合い(いつもの)に移行する。自由だった手で“犬”の頭を、たすたすっ、と軽く叩いた。それを続けていると、受け続けていた“犬”が耐えられなくなってアタシの手を止める。アタシは止められた手をほどいて叩く。“犬”が止めにかかる。アタシは止まらず叩く。“犬”が止めにかかる。アタシは叩く。“犬”が止めにかかる。なんてのを繰り返していると──
「…………仕事だ」
低い声で『主』が言った。
アタシも“犬”も、じゃれ合いの手を止める。
「獲物は?」
床に寝転がった状態のまま訊く。
「あぁ、いや、今回はメインじゃないよ」
ん。
って、ことは。
「……護衛……?」
“犬”がぼそりとアタシの代わりに呟くように言った。
アタシたちの仕事はメインとサブがある。
メインが暗殺で、サブが護衛。
そして、護衛となると大概は『主』が会議だかパーティーだかに参加するときの身辺警護になる。
「なんかあんの?」
「ちょっとしたパーティーに招かれた、ってとこかな」
「ふぅん……。で、いつ?」
確認しながらアタシは“犬”の下から這い出して、床に伏せた状態の“犬”の背に乗っかった。
“犬”の体に対して十字になるように上体を預ける。
「今夜だよ」
「ん、オッケー」
アタシは手を上げて了解の意を示した。
“犬”もこくこく、と頷いて了承を示した。
パーティーか。
色んな人間が見られるから楽しみなんだよなー。
会議の時はいつも同じ面子だからつまんないけど。
「あ、それから」
『主』は付け加えた。
「私の息子も行くからね」
──は?
ばんっ、と。
アタシは『主』のデスクに勢いよく両手をついて、正面から『主』を見据えた。
「ん? なんだい?」
執務中だった『主』が、緩やかに書類から顔を上げる。
「こいつをどうにかしてくれ」
アタシは、ビッ! と、親指を立てて己の背後を指した。『主』はアタシの状況を見て、
「あぁ、仲良しだねぇ」と目を細めて微笑んだ。
いや……そんな感想が欲しい訳じゃねぇんだけど……ねぇんだけど!
くっ、でも『主』の(怒ってない時の)笑顔は大好きだ!
…………っ、じゃなくて。
『主』に訴えたいアタシの今の状況。
“犬”(身長百八十越えの男)に服の裾をぎっちりと掴まえられている上に、カルガモの雛のように付きまとわれている現状だ。
それも。
ここ数日フルタイムでこれだ。
アタシのライフペースに関わらずついてくる。
「『主』から言ってくれよ、離れろって」
その一言さえあれば、“犬”はアタシから離れてくれるんだからさ。
「それは出来ないよ。仕事に差し支えるからね」
『主』は笑顔でアタシの訴状を棄却した。
「それに別にいいじゃないか。『バディ』なんだし、お互いの距離が近い方がいいだろう?」
物理的にもね──と、『主』は加えて言う。
いや。
いやいやいや。
「いくらなんでも近すぎだろ」
「今回のことで、“猫”にはこれくらいしないとダメなんだと学んだんじゃないかな。ねぇ? “犬”」
『主』がそう話を振ると、“犬”は黙ったままで頷いた。
「また誘拐されるかもしれないしね」
続けて『主』が言ったその言葉に、“犬”は何度も頷いた。
そんなに頷くな。
それにそうそう何度も誘拐されてたまるか。
「──そういえば、先方から御礼状が届いていたよ」
『主』は今思い出したようにそう言い、デスクにある書類の間から封書を手にとり、アタシに見せるようにした。
「先方?」
って、どちらさま?
「お前を誘拐したあの三人が属していた会社だよ」
「ぁあーぁ」
あいつらのか。
見ると、封書には社名が印刷されていた。
『主』のライバル会社だった。
んー、あの態度とあの人数構成(一個人に対して二人の側付き)からするに、社長か何かと思ってたけど……違ったのか。ふぅん。それにしても、御礼状なんてものをわざわざ送ってくるとは……。
……うん? ちょっとまて。
「それ、ホントに御礼状? 詫び状じゃなくて?」
そこは普通、迷惑かけてすいませんでしたっていうお詫びじゃないの?
「うん、書かれてる内容も御礼状だったよ。どうやらあの三人、先方の社内でだいぶ手に余る存在だったようだね」
『主』は言って、封書を再びデスクに置いた。
あ、それ、中は見せてくれないのね。
まぁ、どんなことが書かれてるのかは大体想像できる。たぶん、「始末してくれてありがとう」みたいなことが書かれてるんだろう。
しかし……そうなるとなんだか上手く利用された感があるな。
利用されたというか使われたというか。
例えば。
あの三人を始末するためにこっちに手を出させた──とか。
ライバル会社ならこちらの力量くらい知っているはずだしな。ありえない訳じゃない。
「余計な詮索は自信を滅ぼすよ、“猫”」
『主』が笑みを湛えた目でアタシを見た。
「べ、別に詮索してなんかないって」
ただ気になっただけだし。
「好奇心は猫を殺すというからね──ちょうど良い、このまま“犬”にはお前を見張っていてもらおうかな」
「ちょっ、冗談じゃな──」
アタシが反論を言い切る前に“犬”が両腕をアタシの前に持ってきて、ぐっ、と力をいれた。後ろから抱きつかれた格好になる。
「…………これ、見張りっていうか拘束じゃね?」
「ははっ、“犬”は素直でいいねぇ」
良くないっ!
思い切り叫ぼうとしたその時。
「──ん?」
室外に足音を感知して、アタシは部屋のドアに視線をやった。この足音は。
「執事だ」
歩を進めるペース。歩幅によってそれは個人差が出る。この歩速音は執事のものだ。
しばらくして、ドアがノックされる。
「主様。お電話で御座います」
「入れ」
許可が出されて、「失礼します」と執事が入ってくる。その手には銀トレイに乗せた電話の子機(直立不動)がある。
いつも思うけど、すげーバランス感覚だよな。歩いていてそれ倒れないの、なんで?
執事は『主』の側まで寄り、電話を差し出す。『主』はそれを取り話し始めた。『主』の顔が仕事時のそれになる。電話は仕事の件のようだ。
……暇だな。
アタシは少し考えて、“犬”の拘束から逃げてみようと試みた。
“犬”の腕の中でくるりと向きを変え、一度“犬”と対面する。
「…………?」
“犬”が疑問符を浮かべている間に、その左肩からよじ登る。腕の筋力と爪を“犬”の服に引っ掛ける形で体を浮かせる。ハッとした“犬”がアタシの体を掴まえて引きずり下ろそうとする。こちらは既に片足の膝を肩に乗せていたので、ちょっとした力で抵抗すると難なく逃れた。後は“犬”の背中で前転するようにして床に着地する。
よし!
このまま逃げてやる!
と、頭上からものすごい圧力が降ってきた。
抵抗する間もなくアタシは床に押さえ付けられた。
“犬”が全身でアタシに覆い被さってきたのだ。
重い……!
なんとかそこから抜け出そうともがくが、“犬”が押さえつけてくる力は(加減されているとはいえ)強い。アタシも流石に全力で暴れるわけにはいかないからもがく力を加減する。
あぁぁぁぁ! もぉぉぉぉぉ!
「執事! 助けろ!」
アタシは執事に助けを求めた。
「え? いつものじゃれ合いでは?」
「ねぇよ!」
明らかにいつもと違うだろーが!
「しっ。静かにしてください、“猫”さん。主様がまだ電話中です」
「あ」
注意されて我に返る。
忘れてた。
ものっそい忘れてた。
アタシは脱力してもがくのを止めたが、“犬”は変わらず押さえつけてくる。
しょーがない。『主』の電話が終わるまでこのままでいるか……とも思ったけどそれだとやはり暇なので、じゃれ合い(いつもの)に移行する。自由だった手で“犬”の頭を、たすたすっ、と軽く叩いた。それを続けていると、受け続けていた“犬”が耐えられなくなってアタシの手を止める。アタシは止められた手をほどいて叩く。“犬”が止めにかかる。アタシは止まらず叩く。“犬”が止めにかかる。アタシは叩く。“犬”が止めにかかる。なんてのを繰り返していると──
「…………仕事だ」
低い声で『主』が言った。
アタシも“犬”も、じゃれ合いの手を止める。
「獲物は?」
床に寝転がった状態のまま訊く。
「あぁ、いや、今回はメインじゃないよ」
ん。
って、ことは。
「……護衛……?」
“犬”がぼそりとアタシの代わりに呟くように言った。
アタシたちの仕事はメインとサブがある。
メインが暗殺で、サブが護衛。
そして、護衛となると大概は『主』が会議だかパーティーだかに参加するときの身辺警護になる。
「なんかあんの?」
「ちょっとしたパーティーに招かれた、ってとこかな」
「ふぅん……。で、いつ?」
確認しながらアタシは“犬”の下から這い出して、床に伏せた状態の“犬”の背に乗っかった。
“犬”の体に対して十字になるように上体を預ける。
「今夜だよ」
「ん、オッケー」
アタシは手を上げて了解の意を示した。
“犬”もこくこく、と頷いて了承を示した。
パーティーか。
色んな人間が見られるから楽しみなんだよなー。
会議の時はいつも同じ面子だからつまんないけど。
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