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109《アナスタシア・4》

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てんせい少女

109《アナスタシア・4》                 



「さあ! 何からやったらいいのかしら!?」

 アナは張り切っていたが、大使館のキッチンでやることは「お湯を沸かすこと」だけだった。

「で、あとは?」

 当然な質問だった。しかし、アリサの答えは「段ボールの箱を運ぶ」ことだけだった。

 それは、アリサが個人的に大使館から借りている物置で、部屋の中は、その50センチ四方ほどの箱で一杯だった。

「日本で一番簡単で、栄養も温かさも摂れる新開発の非常食です。まずは大使館のみんなと試食です」

 とりあえず運び出した。

「アリサ、力持ち!」
「見かけより軽いんです。アーニャ(大使館ではアーニャで通すことにした)も持ってごらんなさい。5箱は軽いですよ」
「そんな、あたしは……あ、持てた!」

 その箱は大きさの割には軽く、ひと箱1キロ程でしかなかった。

「さあ、手すきの大使館員のみなさん、ちょっと試食に付き合ってくださいな!」

 なんだなんだと、警備以外の大使館員がホールに集まった。

「アーニャ、その箱開けて、中身を人数分出して」
「はい……なんだろ、これ」

 中からは紙のようなものでできたカップが30個ほど入っていた。日本語で書いてあるのでよくわからないが、カップの中はカサコソ音がして、何か入っていることは確かだが、食べ物にしては、あまりにも軽い。

「カップの蓋を1/3ほど開けてください」

 この段階で、皆がざわついた。良い匂いはするが、中はカチカチにこんぐらがってプレスされた針金の塊のようなもの。そこに、エビや野菜、小さな肉のようなものがミイラのようになって入っていた。

「台所のお湯は沸くのに時間がかかります。サモワールのお湯を中に注いで、もう一度蓋をして3分待つ。3分経ったら、蓋を開けて、カップに貼りついているセルロイドのフォークで食べてください」

 いい匂いがして、3分間の沈黙になった。

 あちこちで、蓋を開けてカップラーメンをすする音がした。

「美味しい! でも日本人て、食べるとき行儀が悪いわね」
「それは違うの。アーニャ、これは『すする』という食べ方で、麺状の食べ物を食べる時には一番早く食べられるし、のど越しって感覚が、とってもいいの……ズルズル」

 アナは吹き出しかけたが、たしかに日本人たちは美味しそうに、そして早く食べている。

「有紗さん。これ美味いけど、新製品かね?」

 一等書記官の水野が聞いてきた。

「はい、これで一儲けしようと思っております。なんたって、お湯さえあれば、このロシアの真冬だって温かいものが食べられます。軍の携帯糧秣なんかにいいんじゃないかと思っています」
「さすが大黒屋光太夫の末ではあるなあ」
「え、アリサって、コーダユーの子孫なの?」
「はい、玄孫(やしゃご)のひ孫になります。縁あってロシア人みたいな顔になっておりますけど」
「すごい! エカチェリーナひいひいひいひいお祖母さまから尊敬された日本人よ。歴史のセミョーノフ先生からも聞いたことあるわ!」
「しかし有紗さん。これでは男の腹はくちくならないね」
「それは試食用。炊き出しに使うのは……こちらの方です!」

 アリサはスーパーカップを取り出した。

「おお、デカイ。それにみそ味って書いてあるじゃないか!」

 一等書記官は素直に喜んだ。さすがに迫水大使が心配げにアリサの肩を叩いた。

「炊き出しは無理だ。君の部屋にあるものじゃ5分ともたない。足りなければ騒ぎになる。ペトログラードは革命の寸前だよ、大使館が無事で済まなくなる」
「大丈夫です。仕掛けは申せませんが、この携帯食料は無尽蔵です。お湯をかけてあげるのは最初の百人ほど。あとは箱ごと渡します。食べ方も箱とカップの両方に絵文字で印刷してあります。それよりもお話が……」

 アリサは、大使にだけはアーニャの身分と処遇について話をしておいた。

 アーニャは、楽しげに炊き出しの手伝いをやり始めていた……。
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