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134《コスモス坂・6》

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てんせい少女

134《コスモス坂・6》



 白根と芳子の付き合いは、つましいものだった。

 週に何度か湘南の海岸でスケッチをする。白根は絵については器用な性質で、スケッチも、ほんの10分ほどで仕上げてしまう。ほとんどクロッキー(早描き)と変わらなかったがポイントは押えていて、それをもとに家に帰ってからイーゼルに向かい、油絵に仕上げていく。油絵も量産と言ってよく、キャンバスではなくボードを使っていた。近所の喫茶店や理容店などには重宝がられて定期的に店に掛けてもらったりしていた。

「あたしの絵は、あんな晒しものにしてないでしょうね!?」

 ある日、理容店の窓から見えた白根の絵を見て芳子は念をおした。

「ああいうのは、風景画と生物画だけさ。肖像画は、あんまり描かないし、描いてもたいてい本人にあげてしまう。ほれ」

 目の前に新聞紙でくるんだものを渡された。

「すごい……!」

 6号だけど、ちゃんとしたキャンバスだった。背景に湘南の海と空、自分でも気恥ずかしくなるほどきれいに描かれていた。

「まだ習作。前も言ったけど、よっちゃんの顔はころころ変わる。まだ本当の三村芳子がどれなのか、良く分からない。分かるまで描きつづける」

「ハハ、それじゃずっと描きつづけなきゃ。あたし自身自分のこと、よく分かってないもん」

「じゃ、そうさせてもらうよ。今日は口元だけデッサンさせて、10秒ほどこっち向いてくれればいいから」

 たった10秒だけど、こんな近くで見つめられるのは初めてだ。芳子はドギマギした。

「よっちゃんの口って、緊張すると、滑空してるカモメに似てるな……」

「ほんと?」

 スケッチブックを見ると、自分の口とカモメが並んで描かれていた。確かに似ている。そして驚いたことに、いつ見たのか、芳子のいろんな口の形がスケッチブックに描かれていた。

 二人は稲村ヶ崎の海岸で別れる。

 白根は七里ヶ浜まで戻り、芳子は稲村ヶ崎の駅まで歩いて電車に乗る。

 本当に、このころの高校生というのはつましかった。数年前に太陽族という無軌道な青春のアリカタが流行り、それが社会的に問題になった反動の時期でもあった。

 三回映画を観に行った。江ノ電沿線では人の目があるので、桜木町まで出て東京の映画館に行った。

『ベンハー』と『チャップリンの独裁者』と『名も無く貧しく美しく』の三本だった。

「チャップリンみたいなレジストの在り方もありなんだな」

「そうね、誰かさんみたいにデモばっかやってるのが能じゃないわ」

「でも、急がなきゃならないこともある。安保は批准されたらおしまいだからな」

「それは……」

「なんだよ?」

「安保反対には反対よ。白根さんにもお兄ちゃんにもデモになんか行ってほしくない。単に安保についての考えからだけじゃなく、身の危険を感じるから。もう怪我人が何人も出てる」

「でもな……よそう。この問題については水と油になりそうだ」

「でも……そうだ、交換日記で討論しよう!」

 芳子の提案で交換日記が始まった。タイトルは『カツオとワカメの兄妹日記』になった。
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