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159≪ビリケン攻略方・2≫
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てんせい少女
159≪ビリケン攻略方・2≫
雪子は髪形と化粧を少し直すだけで、アメリカかイギリスのハイソサエティーの娘に見えた。
いま雪子は、そのなりで当時まだ珍しいアメリカの高級車に乗って、高級軍人や官僚の屋敷が並ぶ山の手を目指している。
「やっぱ、このナリの方が、しっくりいくかなあ?」
運転手のトマスに聞いた。
「お嬢様は、おばあ様似でいらっしゃいますから、見る者が見れば、モス・チャイルドの人間だと分かります。わたしは、そのお姿の方が好きです」
「ハハ、トマスったら、こないだは日本人のナリをアジアンビューティーだって誉めてたじゃないの」
「ハハ、そうでしたか。とにかく、このトマスは、アリスお嬢様が一番生き生きされているのが何よりだと思います」
坂道に差し掛かった。
この坂を上ったところにビリケンこと寺内正毅の屋敷がある。
寺内は、顔が、当時流行しはじめたアメリカ渡りの幸福の神さまに似ているので、国民からは、その神さまの名前で通っていた。
「フフ、ほんとうにビリケンに似ておられますこと。閣下は、きっと東アジアに幸福をもたらす神さまのような人なんですね」
初対面の寺内に、オチャッピーな東京娘のように微笑んだ。
寺内は、よく言えば剛直で一徹な陸軍大将。冷静な目で見れば、昭和の軍人の祖型とも言える。
権威主義、誇大妄想的な人物で、つい先日も、ある師団司令部を訪れた際、師団のブロンズの看板が錆びていたので、それをまっさきに師団長に指摘したという男である。看板は、さる皇族の揮毫によるもので、自分の偉さを示すために天皇や皇族を持ち出す、昭和軍人の悪弊をすでに持っていた。
ただ長州閥というだけで、取り柄の無い男であったが、朝鮮併合の旗振り役で、そのビリケンに似た容貌で存外国民に人気がある。
「伊藤閣下は、ハルピンで命拾いされたとか」
「憎まれっ子はナントカと、言っておきました」
「ハハ、伊藤閣下も雪子さんにかかると、子供同然ですな」
「では、伊藤閣下の秘書としての仕事から入らせていただきます。まず、これが伊藤閣下のお手紙です」
雪子は、伊藤の手紙を渡し、ビリケンが読んでいる間、窓から庭を眺めていた。
「桜や松などに、藁が縛りつけてあるのはなんですか?」
「菰巻です。ああやっておくと、冬の間に虫が藁の中に入って、春に外して菰ごと焼いて駆除するんです」
「閣下がなさるんですか?」
「ハハ、年寄りのささやかな趣味です……伊藤閣下は、やはり朝鮮の併合にはご反対のようですな」
「はい、半島の統治は、お金ばかりかかって日本の持ち出しが多く、得にならない。これが、伊藤閣下の論点です」
「手紙にも、そのように書いてありますな」
「もう一つは、ムクゲのことを書いてございません?」
「ああ、二枚目に追伸で書いておられますな。朝鮮からムクゲを移植したが、うまく育たず、枯らしてしまったので、うまい育て方があったら教えて欲しいと書いておられますな」
「ムクゲって、難しんでしょうか?」
「なあに、簡単なはなですが、土が合わんかったんでしょう。ムクゲは朝鮮に限ります」
そこまで言って、あまり勘のよくない寺内にも分かった。ムクゲは朝鮮の国花である。ダメ押しの併合反対の意志である。
寺内が理解したところで、雪子はアリス・モスチャイルドの表情になって口を開いた……。
159≪ビリケン攻略方・2≫
雪子は髪形と化粧を少し直すだけで、アメリカかイギリスのハイソサエティーの娘に見えた。
いま雪子は、そのなりで当時まだ珍しいアメリカの高級車に乗って、高級軍人や官僚の屋敷が並ぶ山の手を目指している。
「やっぱ、このナリの方が、しっくりいくかなあ?」
運転手のトマスに聞いた。
「お嬢様は、おばあ様似でいらっしゃいますから、見る者が見れば、モス・チャイルドの人間だと分かります。わたしは、そのお姿の方が好きです」
「ハハ、トマスったら、こないだは日本人のナリをアジアンビューティーだって誉めてたじゃないの」
「ハハ、そうでしたか。とにかく、このトマスは、アリスお嬢様が一番生き生きされているのが何よりだと思います」
坂道に差し掛かった。
この坂を上ったところにビリケンこと寺内正毅の屋敷がある。
寺内は、顔が、当時流行しはじめたアメリカ渡りの幸福の神さまに似ているので、国民からは、その神さまの名前で通っていた。
「フフ、ほんとうにビリケンに似ておられますこと。閣下は、きっと東アジアに幸福をもたらす神さまのような人なんですね」
初対面の寺内に、オチャッピーな東京娘のように微笑んだ。
寺内は、よく言えば剛直で一徹な陸軍大将。冷静な目で見れば、昭和の軍人の祖型とも言える。
権威主義、誇大妄想的な人物で、つい先日も、ある師団司令部を訪れた際、師団のブロンズの看板が錆びていたので、それをまっさきに師団長に指摘したという男である。看板は、さる皇族の揮毫によるもので、自分の偉さを示すために天皇や皇族を持ち出す、昭和軍人の悪弊をすでに持っていた。
ただ長州閥というだけで、取り柄の無い男であったが、朝鮮併合の旗振り役で、そのビリケンに似た容貌で存外国民に人気がある。
「伊藤閣下は、ハルピンで命拾いされたとか」
「憎まれっ子はナントカと、言っておきました」
「ハハ、伊藤閣下も雪子さんにかかると、子供同然ですな」
「では、伊藤閣下の秘書としての仕事から入らせていただきます。まず、これが伊藤閣下のお手紙です」
雪子は、伊藤の手紙を渡し、ビリケンが読んでいる間、窓から庭を眺めていた。
「桜や松などに、藁が縛りつけてあるのはなんですか?」
「菰巻です。ああやっておくと、冬の間に虫が藁の中に入って、春に外して菰ごと焼いて駆除するんです」
「閣下がなさるんですか?」
「ハハ、年寄りのささやかな趣味です……伊藤閣下は、やはり朝鮮の併合にはご反対のようですな」
「はい、半島の統治は、お金ばかりかかって日本の持ち出しが多く、得にならない。これが、伊藤閣下の論点です」
「手紙にも、そのように書いてありますな」
「もう一つは、ムクゲのことを書いてございません?」
「ああ、二枚目に追伸で書いておられますな。朝鮮からムクゲを移植したが、うまく育たず、枯らしてしまったので、うまい育て方があったら教えて欲しいと書いておられますな」
「ムクゲって、難しんでしょうか?」
「なあに、簡単なはなですが、土が合わんかったんでしょう。ムクゲは朝鮮に限ります」
そこまで言って、あまり勘のよくない寺内にも分かった。ムクゲは朝鮮の国花である。ダメ押しの併合反対の意志である。
寺内が理解したところで、雪子はアリス・モスチャイルドの表情になって口を開いた……。
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