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番外編
世界で一番君が好き7
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なのに、そんな遥人は逃げ出した隆則を捕まえるためだけに、それが叶う会社に就職して、出奔先から引きずり出したのだ。そして真摯に想いを伝えてくれたからこそ、やっと隆則も頑なに信じることができなかった感情を動かした。あれから五年、未だに毎日のように愛を囁いては疑う余地すら与えてくれないほど愛情で溺れさせてくる。
こうなっては冷静になる暇もないくらいズブズブにのめり込んでしまう。
まだ恥ずかしくて自分の中にある感情を口にできないが。
テーブルの上の食器を片付けるために離れた瞬間を狙って、顔を真っ赤にしたまま逃げるように仕事部屋へと駆け込んだ。
遥人と二人で安定した老後を過ごすためにもっともっと稼がないといけない。
金はいくらあっても困らないし、大好きなプログラミングを自分の采配だけでやれる上にサラリーマン時代よりも実入りが良い今の仕事は、人間関係や煩わしさない代わりに、一度のミスも許されない。たった一度失敗しただけで信用は失墜する。
そのため、締め切りを破らないのは当たり前で、バグが最小限できちんとクライアントの希望する動きをするものを納入する責任が芽生える。
だからどんな仕事でも失敗は許されないし、フォローしてくれる人もいない。
遥人との生活のために「よしっ」と気合いを入れてまたキーを叩いていった。
できあがったシステムにエラーがないか確認して納品し、すぐに次に取りかかる。
いつものように夢中になると寝食を忘れ、時間を忘れ、ひたすら最後のコードに向けて突き進む。しかも少し前のめりになって打ち続け、世界を狭めていく。
そうなったらもう周囲の音すらも聞こえてこない。
誰かがノックしたような気もするが、それにすら返事せずにひたすら打ち続ける。
時折、水を取りにリビングへ出るがその時だって周囲に人間がいたかどうかもわからない。それほど仕事モードに突入すると日常生活すらままならなくなる隆則が、やっとエンドマークを付けたのはそれから一週間後だった。
いつにも増してハードだったように思えるがもう覚えていない。
途中何を食べたかも思い出せないが、机の脇にはたくさんの菓子袋が転がっていた。
一番最初にデスマーチを迎えたとき、遥人に頼んだ銘柄の菓子の袋に、いつ食べたかも思い出せずにいたが、あまりもの空腹を通り過ぎた後の胃の痛みを感じてフラフラと部屋から出た。
「隆則さん、おはようございます」
耳に心地よい声にぼんやりとそちらに目を向ける。それが誰だったのかも思い出せないくらい脳が疲弊していた。
「仕事、終わったんですか?」
こくんと頷き、またぼーっと見つめる。
(凄く綺麗な顔だ……こんな人間がいるんだ世の中に)
なぜそんな顔の男が自分の部屋にいるかもわからず見つめ続けた。
「納品は済んだんですか?」
頷いて、またあんまりにも自分好みの顔をぼーっと見つめた。
クスリと笑うと大きな手が伸びてきた。
「お風呂入りますか、それともご飯にしますか?」
「……ふろ……」
そうだ、一週間もずっと入っていない。いつ眠ったのかもわからないような生活で入浴は最初に排除した要項だが、仕事が終わると気持ち悪くて仕方ない。
「わかりました、手伝いますね」
ふらふらの隆則を当たり前のように大きな手が抱き上げた。
「えっ……ぁっ!」
突然のことに驚き、そしてちょっとの間だけ頭が機能し始めた。そうだ、自分を抱き上げているのは恋人の遥人だ、どうして忘れてしまったんだろう。
「いい、自分でできるっ!」
「いつもしていることですよ。安心してください、身体の隅々まで洗いますから」
嬉しそうに言って浴室まで運んだ遥人は、隆則が身に付けていたTシャツを脱がすと、躊躇うことなくハーフパンツを下着ごと抜き取り熱いシャワーを浴びせた。
ずっと冷房のかかった部屋の中でただ座ってキーを打つだけだった身体に、少し熱めのお湯が心地よく感じられた。
ふにゃりとその場でしゃがみ込んでしまう。
このままでは遥人に面倒がかかるとわかっているのに力が入らない。
ふにゃふにゃの身体で遥人を見上げれば、シャンプーを絡ませた器用な手が近づいてきた。髪を撫で美容師のように泡立てていく。浴室いっぱいにハッカの匂いが充満していく。隆則も撫でられた猫のように心地よさに目を閉じ顔を上げてしまう。
クスリと遥人が笑った。
「髪を洗うときの隆則さん、本当に可愛い」
何がだろう。四十を過ぎたおっさんを捕まえて、遥人はいつも『可愛い』という。どこが、なにが彼をそう思わせているのかわからないが、指先から愛おしさを感じてしまう。柔らかい手つきでゆっくりと頭皮を撫でられて、ずっと我慢していた眠気が全身を包み込もうとする。そうなれば身体に力が入らず、クタリと人形のようにバスタブの縁に座った遥人の膝に頭を乗せた。
「シャワーで流しますよ」
小さく頷いて返事をすると、温かいお湯が頭皮に当てられ泡が身体を走り下りていく。あんなに感じていた頭皮の痒みがなくなり、このまま眠ってしまいたくなる。けれどそれは許されないだろう。トリートメントで整え、終われば次は身体だ。
こうなっては冷静になる暇もないくらいズブズブにのめり込んでしまう。
まだ恥ずかしくて自分の中にある感情を口にできないが。
テーブルの上の食器を片付けるために離れた瞬間を狙って、顔を真っ赤にしたまま逃げるように仕事部屋へと駆け込んだ。
遥人と二人で安定した老後を過ごすためにもっともっと稼がないといけない。
金はいくらあっても困らないし、大好きなプログラミングを自分の采配だけでやれる上にサラリーマン時代よりも実入りが良い今の仕事は、人間関係や煩わしさない代わりに、一度のミスも許されない。たった一度失敗しただけで信用は失墜する。
そのため、締め切りを破らないのは当たり前で、バグが最小限できちんとクライアントの希望する動きをするものを納入する責任が芽生える。
だからどんな仕事でも失敗は許されないし、フォローしてくれる人もいない。
遥人との生活のために「よしっ」と気合いを入れてまたキーを叩いていった。
できあがったシステムにエラーがないか確認して納品し、すぐに次に取りかかる。
いつものように夢中になると寝食を忘れ、時間を忘れ、ひたすら最後のコードに向けて突き進む。しかも少し前のめりになって打ち続け、世界を狭めていく。
そうなったらもう周囲の音すらも聞こえてこない。
誰かがノックしたような気もするが、それにすら返事せずにひたすら打ち続ける。
時折、水を取りにリビングへ出るがその時だって周囲に人間がいたかどうかもわからない。それほど仕事モードに突入すると日常生活すらままならなくなる隆則が、やっとエンドマークを付けたのはそれから一週間後だった。
いつにも増してハードだったように思えるがもう覚えていない。
途中何を食べたかも思い出せないが、机の脇にはたくさんの菓子袋が転がっていた。
一番最初にデスマーチを迎えたとき、遥人に頼んだ銘柄の菓子の袋に、いつ食べたかも思い出せずにいたが、あまりもの空腹を通り過ぎた後の胃の痛みを感じてフラフラと部屋から出た。
「隆則さん、おはようございます」
耳に心地よい声にぼんやりとそちらに目を向ける。それが誰だったのかも思い出せないくらい脳が疲弊していた。
「仕事、終わったんですか?」
こくんと頷き、またぼーっと見つめる。
(凄く綺麗な顔だ……こんな人間がいるんだ世の中に)
なぜそんな顔の男が自分の部屋にいるかもわからず見つめ続けた。
「納品は済んだんですか?」
頷いて、またあんまりにも自分好みの顔をぼーっと見つめた。
クスリと笑うと大きな手が伸びてきた。
「お風呂入りますか、それともご飯にしますか?」
「……ふろ……」
そうだ、一週間もずっと入っていない。いつ眠ったのかもわからないような生活で入浴は最初に排除した要項だが、仕事が終わると気持ち悪くて仕方ない。
「わかりました、手伝いますね」
ふらふらの隆則を当たり前のように大きな手が抱き上げた。
「えっ……ぁっ!」
突然のことに驚き、そしてちょっとの間だけ頭が機能し始めた。そうだ、自分を抱き上げているのは恋人の遥人だ、どうして忘れてしまったんだろう。
「いい、自分でできるっ!」
「いつもしていることですよ。安心してください、身体の隅々まで洗いますから」
嬉しそうに言って浴室まで運んだ遥人は、隆則が身に付けていたTシャツを脱がすと、躊躇うことなくハーフパンツを下着ごと抜き取り熱いシャワーを浴びせた。
ずっと冷房のかかった部屋の中でただ座ってキーを打つだけだった身体に、少し熱めのお湯が心地よく感じられた。
ふにゃりとその場でしゃがみ込んでしまう。
このままでは遥人に面倒がかかるとわかっているのに力が入らない。
ふにゃふにゃの身体で遥人を見上げれば、シャンプーを絡ませた器用な手が近づいてきた。髪を撫で美容師のように泡立てていく。浴室いっぱいにハッカの匂いが充満していく。隆則も撫でられた猫のように心地よさに目を閉じ顔を上げてしまう。
クスリと遥人が笑った。
「髪を洗うときの隆則さん、本当に可愛い」
何がだろう。四十を過ぎたおっさんを捕まえて、遥人はいつも『可愛い』という。どこが、なにが彼をそう思わせているのかわからないが、指先から愛おしさを感じてしまう。柔らかい手つきでゆっくりと頭皮を撫でられて、ずっと我慢していた眠気が全身を包み込もうとする。そうなれば身体に力が入らず、クタリと人形のようにバスタブの縁に座った遥人の膝に頭を乗せた。
「シャワーで流しますよ」
小さく頷いて返事をすると、温かいお湯が頭皮に当てられ泡が身体を走り下りていく。あんなに感じていた頭皮の痒みがなくなり、このまま眠ってしまいたくなる。けれどそれは許されないだろう。トリートメントで整え、終われば次は身体だ。
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