死ぬ前に君と。

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第7話 くだらないことで笑う夜

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第7話 くだらないことで笑う夜

 その週の終わり頃、咲良からまたメッセージが来た。

 ──咲良:本、どこまで読んだ?

 ──冬馬:読み終わりましたよ。
     感想は、直接で。

 ──咲良:お、かっこつけた。
     じゃあコンビニ前集合。
     “また今度”の続きね。

 夜。
 いつものコンビニの前には、
 いつものように咲良が立っていた。

「やぁ、文学少年」

「少年ではないです」

「心は、って話だよ」

 自販機横のベンチに並んで座り、
 それぞれ飲み物を手にする。

「で、どうだった? あの日記小説」

「……正直に言っていいなら」

「その前振り、ちょっと怖いけど、どうぞ」

「読み始めは、あまり好きではないと思いました」

「おっと」

「日記形式というのは、
 作者の感情が直接出すぎることが多いので」

「毒舌だね、今日」

「でも」

 そこで一度言葉を切る。

「最後まで読んだとき、
 途中で止めなくてよかったとは、思いました」

 咲良は、缶のプルタブに指をかけたまま、こちらを見た。

「どの辺でそう思った?」

「主人公が、自分の一年を“何も起きなかった”と書いていたところです」

「ほう」

「何も起きなかったと思っているのは本人だけで、
 読んでいる側からすると、十分いろいろ起きているから」

「ふふ」

 咲良は、缶をあける。

「それ、自分に言ってない?」

「どういう意味ですか」

「君、自分のこと“何も起きない人”だと思ってそうだなって」

「……否定はしません」

「でもさ」

 咲良は、缶を一口飲んでから言った。

「コンビニの前で知らない女の子に“遺影どれがいい?”って聞かれて、
 ちゃんと真面目に選ぶ人って、
 だいぶ“何か起きてる人”だと思うよ」

「それは、相手の問題です」

「そうやってすぐ人のせいにするとこ、嫌いじゃない」

「褒められている気がしませんね」

「褒めてないもん」

 くだらない会話のはずなのに、
 こういう時間だけは、やけに鮮明に記憶に残る。

「こっちの短編集は?」

「全部読んだ」

 咲良は、真面目な顔で頷いた。

「“大したことない日”の話、ばっかりだった」

「そうですね」

「でも、“大したことない日”がちょっとだけマシに見える話でもあった」

 缶を両手で持ちながら、咲良は笑う。

「困るんだよね、そういうの」

「また困っているんですか」

「困ってる」

 少しだけ真面目な声だった。

「“大したことない日”がいいなって思い始めたら、
 “ここで終わりにしよう”って言いづらくなるから」

 緩い会話の中に、ときどきこういう言葉を混ぜてくる。

 受け止めきれないまま、
 僕は飲みかけのコーヒーに口をつけた。

「ねぇ冬馬」

「なんでしょう」

「君さ、笑うときある?」

「失礼ですね」

「今のもそうだけど、
 口元だけちょっと動いて、声は出さないやつじゃなくて」

 咲良は、両手で口元に四角を作って見せる。

「ちゃんと“ははっ”って声出る笑い方」

「……あまり、ないかもしれません」

「やっぱり」

 彼女は、少しだけ考えるような顔をした。

「リスト増やしていい?」

「嫌な予感しかしませんが」

 ノートを開き、ペンを走らせる。

 ──9.君を“声出して笑わせる”。

「また勝手に増やしましたね」

「さっき思いついたから」

「そんなに簡単に増やすものじゃないでしょう、それは」

「いいの。
 死ぬ前に君とやりたいこと、増えるのは悪いことじゃない」

 咲良は、ペン先をとんとんとたたいた。

「で、その第一弾として」

「第一弾?」

「これから、ちょっとだけくだらないこと言ってくから、
 笑っても怒らないでね」

「前提からして不安なんですが」

「大丈夫大丈夫。
 君のことちゃんと観察してるから、ギリギリのライン攻める」

「やめてください」

 そう言ったものの、
 その夜の咲良の「くだらない話」は、
 思っていたよりもたちがよかった。

 仕事の話。
 コンビニで見かけた変な客の話。
 昔、自販機に千円を飲まれたまま戻らなかった話。

 どれも他愛もない話なのに、
 話し方だけがやたらと上手かった。

 気づけば、口元から、いつもより少し大きな息が漏れていた。

「……今の、惜しいな」

「何がですか」

「ほぼ“笑い”だった。
 君にしては上出来」

「上からですね」

「君がちゃんと笑ったら、その日はリストにチェック入れるから」

「ハードル、高くないですか」

「高くしとかないと、簡単にクリアされちゃうから」

 そう言いながらも、
 咲良の表情はどこか楽しそうだった。

 * * *

 その夜のノートには、新しい行がひとつ増えた。

 ──9.君を“声出して笑わせる”。

『今日は、まだ半分くらい。
 口元は少しだけ緩んでた。

 声が出たら、その日はきっと、
 “死ぬ前に”じゃなくて、“生きててよかった”って書くつもり。

 君が笑う顔、ちゃんと見てみたい。
 遺影より、日記の一行より、
 たぶんそれが今いちばん見たいもの。

 そう思ってしまった時点で、
 もうだいぶアウトなんだろうな。

 ……君には絶対、見せないページ。
 君の笑い待ちで、少しだけ生き延びてる話。』

 インクが乾くのを待つように、
 咲良はしばらくページを見つめていた。
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