黒い森、白い影

大秦頼太

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19~24

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19

 黒い森を離れて夜の森を歩く鈴菜と祐美。何度も何度も黒い森を振り返る二人。
「おばあちゃん大丈夫かな」
「あの怖いの追いかけてこないよね?」
 立ち止まる鈴菜。じっと森の奥、黒い森のあるほうをにらみつける。
「あんたは先に帰ってて」
「え? 嫌だよ。怖いもん」
 鈴菜にまとわりつく祐美。
「お願いだから、今だけは私の言うことを聞いてよ! なんて嫌なやつなのよ!」
 妹の手をを振りほどく。
「お姉ちゃんまでいなくなったら嫌だもん!」
 鈴菜は妹の思っても見なかった言葉に動きが止まる。強張った笑顔を祐美に向けると、その体を抱いてやる。
「大丈夫。すぐ帰ってくるから、おばあちゃんの家で待ってて。わかった?」
「でも」
 体を離し肩をつかむ。厳しい表情を妹に向ける。
「あんたと言い合いしてる時間は無いの」
「祐美も行く」
「あんたは口笛吹けないからダメ。怖い怪物に見つかったら、今度こそ食べられちゃうよ」
「一人は嫌だよ」
「おばあちゃんの家に着いたら、ママに電話しな。それで大丈夫。わかった?」
「……うん」
「約束守ったら、これからずっとベッドの上、使わせてあげるから」
「ほんと?」
「うん」
 祐美、走り去っていく。時折、後ろを振り返る。その姿が徐々に小さくなって消える。
「行こう。おばあちゃんを助けないと」

20

 木に隠れるように鈴菜が現れる。岩には黒いもやのようなものは無い。そばにいる白い人影に恐る恐る声をかける。
「ねぇ、お婆さんを見なかった?」
「きみは、はこばないのかい?」
「何を?」
「いしさ」
「これを運んでどうするの?」
「せんこ、つみあげれば、ごくらくにいけるんだ」
 見れば積んだ石は誰かに取られ、その取った者も誰かに積んだ石を取られている。
 それゆえ誰一人石を千個どころか沢山積んだ者はいない。
「みんなだまされてるのよ!」
「ここにはそんなやつはいないさ」
「石はぐるぐる回っているだけよ」
「なんのことだい?」
「もう! あたしのおばあちゃんはどこ?」
「だれ?」
「ちょっと前に私とここに来た人よ」
「わすれちゃったよ」
「もういい、自分で探すわ」
 周りを見回す鈴菜。徒労を繰り返す白い人影たち。その中に祖母の姿があった。周囲を見回しながら祖母に近づいていく。

 石を運ぶ祖母。時には他の霊と石の奪い合いをする。すごい形相で脅かし合う白い人影たち。鈴菜はそばに寄って声をかける。
「おばあちゃん。こんなこともうやめて」
「これをせんこはこぶとここからでられるのよ」
「おばあちゃん、それは嘘なのよ。自分で言ってたじゃない」
「あんたまごににてるねぇ。でも、わたしのしごとのじゃまはしないでおくれ」
 祖母、鈴菜を避けるように歩き出す。
「ねえ、おばあちゃんってば」
「ついてこないでよ。きもちがわるい」
「おばあちゃん……」
「だれだい? あんたは? きもちわるい。こっちにこないで」
 鈴菜は徐々に祖母に近づけなくなっていく。
「わたしのしごとをとるきだね? そうはさせないよ」
 祖母の方も鈴菜を無視するようなった。
「……」

 しゃべることも忘れて、石運びに夢中になる祖母。
 気がつけば、周りはそんな白い影たちばかりだった。
 鈴菜は怖くなって逃げ出す。

 走る鈴菜。後ろを何度も振り返りながら、黒い森の中を駆け抜けていく。
 黒い森の切れ間にたどり着く。
 肩で大きく息を吸う。
 右足が黒い森の外に出る。黒い森の外に出ると夜の森の中にも影が現れる。
「あんなに死にたかったくせに、今頃命を惜しんでる。私はバカだ。大バカだ。今、おばあちゃんを見捨てたら、私は一生このままなんだ」
 頭と体が別の行動をしようとする。
 震える足は森の外に向かう。立ち止まり頭を振っては何度も振り返る。
「怖い。こんなに怖いなんて思わなかった。自分を信じられないことが一番怖いだなんて……」
 深く息を吸い込む。
「あぁ、あそこにいるのは私だ。自分の居場所がないと思いながら、同じ所に縛られて出ることもせず、周りと自分は違うんだと無理に納得させて、本当の居場所は今の自分がいる場所なのに。場所が私を縛るんじゃない。私が場所を縛ってるんだ」
 両手で顔を叩き、大きな声を絞り出す。
「行くよ!」
 一歩ずつ黒い森に向かって行く鈴菜。
「幽霊もお化けも私とちっとも変わらない。それなのに怖いなんてバカみたいだ。大丈夫。おばあちゃんを助けるんだ」

21

 石ころが積み上がった場所。石を奪い合いながら積み上げている。積んだ石には手は出さないが、一度でも崩れようものなら一斉に群がって拾い集めに来る。
 霊たちが解放されることを願い再び積み始める。
 自分勝手な白い霊たち。
 そこに鈴菜がやってくる。その鈴菜の足元には、落ちないはずの影がある。
 祖母の目の前に立つと、積んでいる石を蹴飛ばしてすべて崩す。
 祖母はそれを拾いまた積む。
 鈴菜が崩す。
 祖母が積む。
 鈴菜が崩す。
 そうして、ようやく祖母は鈴菜に気がつく。
「なんでそんなことをするの?」
「おばあちゃんは忘れちゃったの?」
「あんだれだい?」
「おばあちゃんの孫よ」
「あたしにまごなんていないよ」
「じゃあ、あの歌は覚えてない? 黒い森の歌よ」
「しらないねぇ」
 鈴菜が歌う。
「黒い森には入ってはいけないよ 帰れなくなっちまう
黒い森では口笛を吹いてはいけないよ バケモノに取られちまう
黒い森では嘘をついてはいけないよ 嘘もみーんな取られちまう
黒い森では生きていてはいけないよ バケモノに殺されちまう」
歌を聴いて霊たちの手が止まる。一斉に鈴菜のほうを見る。
 鈴菜は歌を繰り返す。
「しっている」
「しっている。このうたをしっている」
「どうしてだろう」
「どうしてだろう。なぜだろう」
「なつかしい」
「これはこどものころのおもいでだ」
「かあさんからきいたうた」
「にいさまがうたってくれた」
「うたおう」
「うたおう」
「うたおう」
「うたおう」
 白い人影たちが石を積むのをやめて、鈴菜の周りに集まってくる。
「知っているの?」
「なつかしい」
「こどものころにきいたうただ」
「かあさんがうたってくれた」
「じゃあ、石なんか積むのをやめてみんなで歌おう」
 歌は合唱になっていく。祖母も歌い始める。
 森がざわつき始める。霊たちがおびえ始める。
「みんなで口笛を吹くのよ!」
 そう言った瞬間、鈴菜の足元の黒い影が鈴菜を包み込む。
 霊たちは、歌のメロディーで口笛を吹き始める。
「なに? 気持ちが悪い……」
 鈴菜は、黒い影の中で苦しみのた打ち回る。
 ざわざわとバケモノの声がする。
「似てる」
「(似てる)」
「これじゃあ、まるでイジメじゃない」
「(これはイジメだ)」
「私はみんなを否定したのに同じことをしようとしている」
「(お前は同じことをしている。やめるんだ)」
「やめなきゃ」
「(やめさせるんだ)」
「やめさせなきゃ」
「(やめろ)」
「みんなやめて!」
 霊たちは口笛を吹くのをやめない。もがき続ける鈴菜の前に一人の霊が、近づいてくる。
「何故? 何故やめなきゃいけないの? バケモノは私たちにひどいことをしたのよ。バケモノは私たちをここに閉じ込めたのよ。バケモノなんだからいいじゃない。苦しんで当然よ」
「でも、これじゃあ……」
「(これはイジメじゃない)」
「これはイジメじゃない!」
「じゃあ、どうするんだ?」
「え……」
「(ここから出て行け。ここは俺の場所だ)」
「ここから出て行くわ」
「鈴ちゃん。負けちゃダメよ」
「(負けてもいいんだよ……)」
 黒い影は鈴菜にまとわり続けているが、徐々に薄く小さくなっている。
「負ける? じゃあ、勝ちって何よ! こんなに苦しいのに、誰も助けてくれないじゃない! どうすればいいのよ! 誰だって逃げ出したくなるわよ!」
「(お前はいつも逃げてるんだ。ここで終わりにしよう。ここにいれば苦しくないよ)」
「逃げるのは悪いことじゃないわ。逃げることで明日に繋がることもあるんだから」
 祖母の顔に優しさが戻っていた。その優しさについ甘えてしまう鈴菜がいる。
「明日? 私の明日って何? またみんなに無視されて、勉強も出来なくて、好きかもしれないと思った相手には、彼女が出来てて……。私の明日って真っ暗よ! どうにもならないのよ!」
 ざわめきがどんどん甲高く騒がしくなってくる。それはもがき苦しんでいる悲鳴のようにも聞こえる。
「(お前には何も無い。明日なんか無い)」
「うるさい! あたしの邪魔をしないで」
「(生きてるくせに死んでるんだ)」
「あたし、生きてないの? 死んでるの?」
 鈴菜を取り囲み世界が回る。祖母や他の人の声が聞こえてくる。
「何を言ってるんだ。君はまだ生きてるじゃないか」
「そうよ。生きていれば辛いこともある。けどね、生きているから幸せを感じられるのよ」
「生きるって何? 毎日毎日同じことを繰り返して、ずっとこの苦しみが続くことなの?」
「そうよ。苦しみが大きければ大きいほど、手に入れた幸せはかけがえの無い宝物になるのよ」
「わかんないよ」
「(お前にわかるわけが無い)」
「大丈夫。人生はまだ長いんだから」
 祖母の優しい声に救われる気がした。
「もっと、もっと苦しめばいいのね?」
「そう。そして、それを楽しめばいいのよ。苦しい道のりでも、道が開ければ爽快になるように」
「わかったわ。私、もっと楽しんでみる」
 鈴菜も口笛を吹き始める。
 バケモノも最後の抵抗を見せる。
「(お願い殺さないで)」
「ごめんね。あたしはそんなに優しくないんだ。自分のことも守れなかったんだもの」
 バケモノは悲鳴に似たざわめきを上げて静かになる。
 黒いもやは鈴菜からはがれていき、行き場を失い宙をさまよう。
 そこへ広場に朝日が差し込んでくる。
 崩れていくバケモノの体。宙に上ったもやも朝日を浴びて掻き消えていく。
 同時に、森に色が戻ってくる。深い緑鮮やかな碧さ。
 地面に倒れこむ鈴菜。霊たちに取り囲まれる。
「鈴ちゃん。よく頑張ったわね」
「ありがとう。でも……」
 祖母は優しい笑みをする。
「今度こそ、本当にさよならね」
 霊たちが喚起の声を上げる。
「黒い森が消えるぞ! やっと帰れるんだ」
 白い人影たちが岩に触れ空へと上っていく。
 鈴菜と祖母はそれを見ながら話を始める。
「おばあちゃん。何か言い残したことは無い? お父さんたちに伝えるよ」
「無いわね」
 祖母は鈴菜に触れようとするが、体はすり抜ける。
「それよりもあなたのことが心配よ。逃げてもいいのよ。人の命を大切に出来ない世の中だなんて、そっちの方が間違っているんだから」
「うん。そうだあの家、大分傷んでいたけど、あたし、たまに来て上げれば良かったね」
 祖母は笑う。
「あの家はね、おじいちゃんの生まれた家なの。お嫁に来て、子供が二人できて、お金は無くても毎日が幸せで。本当にいい思い出だわ。当然、辛い思いもしたわよ。食べる物がない日だってあったからね。二人は貧乏なんて嫌だって騒いだけどね。そんなときは、よく言っていたわ。お金は使うもんだ。お金に使われるんじゃないってね。二人はそれに反発したのね。足を悪くするまでは、きちんとキレイにしていたのよ。残念ね、汚したまま去るだなんて」
「あたし頑張って掃除するから、安心して」
「……もう、いいのよ」
 祖母は、寂しそうな顔を一瞬だけ見せた。
「じゃあ、そろそろ行くわね。死んだ人間がいつまでもいたんじゃ未練たらしいでしょ。あの家、売ってしまっていいわ。だって、これからおじいちゃんの所に行くんだから」
 そう言うと祖母も岩に近寄り、手で触れる。
「さようなら」
「さようなら」
 鈴菜は祖母に手を振る。祖母の体が光り輝き空に上っていく。
 鈴菜が見上げる空は、吸い込まれそうなほど青い空。

22

 朝日が森を覆っていた重たい霧を吹き飛ばしていく。

 家の前で鈴菜の家族が待っていた。祐美は疲れきって父親の腕の中で眠っている。
涙を流している母親。父親は何も言わずに鈴菜の肩を抱いて家の中に入れる。

 祖母の葬儀が始まる。集まる人々に挨拶をする。鈴菜はさっきまで祖母と話していたんだなと不思議な気持ちで見ていた。
 棺が車の中に運ばれる。走り出す車。親族はバスで後を付いて行く。

 戻ってくる親族。鈴菜が箱型の包を両腕に抱えて家に戻ってくる。

23

 居間に座る伯父夫婦と鈴菜の家族。祐美の姿は無い。
「まったくどんな教育しているんだか」
「どうもご迷惑をおかけしてすみませんでした」
 伯父に父が謝る。
「まあ、無事だったからいいけど。何か問題があったら、責任をとらされてたんだから、気をつけて行動するんだよ」
「すみませんでした」
 鈴菜は伯父と伯母に頭を下げる。伯母はあからさまに無視をする。
「ところで、この家のことなんだけど」
「そうだった。早めに処分する方がいいと思うんだ。税金の問題もあるしね」
 伯父はこの家を売る方向で話を進めたいらしい。父は面白くなさそうにする。
「売るのかい?」
「こんなところ残しておいても意味がないだろう?」
「売ってもたいしたお金にはならないけど、あったらあったで大変なのよね」
 伯母の助け舟もあって伯父は勢いづく。父だって負けていない。
「じゃあ、俺にだって半分は権利があるよな?」
「通夜にも来なかったのに権利を主張するのか?」
「そうよ」
「もっと早く声をかけてくれてたら来れたんだよ」
「どうせお母さんのことなんて考えてなかったんでしょうけどね」
 父母も頑張る。でも、伯父は引かなかった。
「とにかく、ここは売る。それで良いな?」
 それで父も折れることになった。
「いいよ」
 鈴菜が慌てて止める。
「ちょっと待ってよ」
 立ち上がる鈴菜を伯母が制止する。
「子供は黙ってなさい。これは大人のお話なんだから」
「嫌よ。伯父さんもお父さんも卑怯よ」
 だが、鈴菜は引き下がらない。こうなれば全員が敵だ。と言わんばかりに仁王立ちしたまま睨みつける。
「何?」
「おい」
「おばあちゃんをここに一人きりにして、自分たちは逃げたんじゃない」
「まったくお前はどういう教育をしてるんだ?」
「仕方がないだろう。仕事があるんだから」
「仕事をしてればそんなに偉いの? 自分の母親を一人ぼっちにして、殺しても良いって言うの?」
「仕事をしなけりゃ家族を養えないだろうが。そんな簡単なこともわからないのか?」
「まったくどんな子なのかしら」
「お金お金って、大人の頭の中にはそれしかないの? それじゃあ、森の霊と一緒じゃないの! 自分のことばっかり考えて、助け合うことも知らないで、バカじゃないの?」
「鈴菜、もうやめなさい」
「嫌よ!」
「わかったわ。学校の成績が落ちてるからって、私たちに当たられてもしょうがないわよ」
 伯母の言うことはズバリのストライクだったが、ここまでくれば相手を引きずり込んででも勝ちを取りたい。
「自分はどうなのよ? 子供ができないからって、私たちに当たるのはやめてよ」
「な、何よ!」
「人は何のために学ぶのよ? お金儲けしたいから? 人よりいい生活がしたいから? もしそうなら、人間はただのゴミよ! この地球を蝕んでるウイルスよ!」
「なんだ逃げ口上か」
「逃げてない人間なんてどこにいるのよ。誰だってみんな逃げてるじゃない。立場があるから、都合があるからって、みんな逃げてるじゃない! 嫌なものを見ないように見ないようにして生きてるじゃないの。自分たちだって、そうでしょう?」
 静まる一同。
「……そうだな」
「それなのに立場が違う。生活のためだなんて、自分たちだって同じように逃げてるじゃないの」
「お金がなくちゃ生きていけないでしょう? あなただって、色々欲しいものがある年頃でしょうに」
「お金なんかなくても人は生きていけるのよ! なのにお金がないと生きていけないような生活を選んでるからでしょ! 生きていくのに必要なお金なんてそんな沢山じゃないわ……」
「もういい。うるさくてかなわない。おい、この家のことはお前がやれ。俺は相続の税金を一銭も払わないからな」
 くだらないと言わんばかりに伯父が背を向けた。すると、父が援護をしてくれた。
「いいよ。ここは売らない。うちで引き取るよ」
「こんなオンボロ家屋だけど、売ったらいくらかにはなるのよ? ただで渡すなんてどうかしてるわ」
 伯母の言葉が癪に障ったのか、伯父と伯母が仲違いを始めた。
「俺の生まれた家だぞ。オンボロとか言うな!」
「ご心配なく。金は払うよ」
 伯父夫婦は立ち上がり、部屋を出て行く。
 たまらず母親が父親の腕をつかむ
「あなた」
「悪いな。あそこまで言われると、腹が立って」
「ごめんなさい」
 立ち尽くす鈴菜に笑いかける父。
「いいんじゃないか? ここだってリフォームすれば悪くないさ」
「そんなお金あればだけどね」
「……」
「私、来年になったら働くから」
「大学は?」
「そうだ。心配するな。何とかする」
「ううん。私やりたいことができたの。おばあちゃんと約束したのよ」
「そんなに急いで決めることも無いわよ。ね?」
「うん。そうだな」

24

 帰りのバスの中。運転手と鈴菜の家族以外車内にはいない。
 母親のひざの上で眠る妹。母親のため息。
「まったくあんな所もらったって、不便で仕方ないわよ」
「まぁ、そう言うなって。俺の生まれ育った家なんだから」
「あたしもそうよ。あたしはあそこで育ったの」
 鈴菜、意を決したように顔を上げる。
「私ね、学校で無視されてるの」
「え?」
「いつから?」
「大分前からよ。それをママたちに言うのとても怖かった」
「そんな大事なことなんでもっと早く言わないのよ」
「話してどうにかなるなら、とっくに話してるわよ」
「話してくれなきゃわかるわけないじゃないの! ママが明日、学校に行くわ」
「もういいの」
「良い訳ないでしょ」
「ママが行っても何も変わらないし、余計ひどくなるだけよ。今のいじめって、本当にどうしようもないくらい悪質なんだから。あたしはまだましな方よ」
「じゃあ、どうするのよ」
「やめるわ」
「え?」
「学校はやめる」
「そんなことできるわけ無いじゃないの。義務教育よ」
「それなら、こっちの中学校を卒業するわ。とにかく、今の学校にはもう行かない」
 思わず開きっぱなしになっていた口を閉じ、父親に助けを求める母親。
「ちょっと黙ってないで、なんとか言ってよ」
「まぁ、まぁ。それで高校はどうするんだい?」
「多分行かない」
「そんなこと許さないわよ」
「行かないで何をするんだい?」
「働いてお金を貯めて、やってみたいことがあるの。だから、高校にも大学にも行かない。勉強は続けるけど、それはずっと変わらない。生きてることは、ずっと勉強でしょ? おばあちゃんも言ってたもの」
「あんたの親は、私たちよ」
「おばあちゃんもよ」
「やってみたいことってどんなこと?」
「お花を作って売りたいの。いろんなお花をいろんなところに」
「そんなの生活できるわけ無いじゃないの。ダメよ」
「じゃあ、あたしが死んでもいいの? あんなところに戻るくらいなら、引きこもるからね。そうしたら、しばらくしてきっと自殺をするのよ」
 うっと黙り込む母親。
「ママ。これは僕たちの負けだね」
「でも」
「やらせてみようよ。それでダメなら、僕たちが助けてあげればいいじゃないか」
「あなた、どうしたのよ」
「パパ、ありがとう」
「幸せって、人それぞれだろ? 僕たちは、勉強をしてもらって大学とか出てくれたらそれは安心だけど、でも、今はよく分からない世の中だからね。学校を出ても、きちんとした仕事についても、それが幸せだとは限らないってことさ。だったら、手に職をつけるんだから悪いことじゃないさ」
「それはそうだけど」
「辛いだろうけど、生きているときにしか幸せは感じられないんだからさ」
「そうそう」
「わかった。もう言わない。私だけ悪者になりそうだもの。いいわ、鈴菜はこっちで暮らしなさい。お掃除も洗濯も、ご飯の支度も全部しなさい。きっと、どうせすぐにそれも嫌になるだろうから、そうなったら行ける高校をさがしましょ。それまでは好きなことを一生懸命なさい」
「ありがとう」
「応援なんかしてないわよ。あんたへの仕送りのことで頭が痛いわ」
 目をこすりながら祐美が起き上がる。
「お姉ちゃんどっか行くの?」
「おばあちゃんの家に住むのよ」
「いいなぁ」
「あんたはダメ。鈴菜みたいに片付け出来ないから」
「え~」
「鈴菜は、こっちでいろんな勉強をするんだからね」
「時々なら遊びに来てもいいよ」
「ほんとに?」
「散らかさなければね」
「じゃあ無理ね」
 笑う家族。
「人手がいる時は遠慮なく言うんだぞ」
「仕事は?」
「休む休む」
「まあ」
「俺もこっちでなんかやるかなぁ」
「まったくすぐ影響されるんだから」
「いいじゃないか。今や田舎暮らしや農業は時代の最先端なんだからね」

 バスが田舎道を走っていく。
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