176 / 202
繋がれた手
177.
しおりを挟む
「オレが、死のうが生きようが、関係ねえじゃん……!」
トイのことを生きる価値のない玩具だと、殺してやりたいとさえ口にしていたのに。
その度にトイは、深く傷付いていたというのに。
「ソンリェンには、関係ねえじゃんか!」
「何が関係ねえ、だ!」
ソンリェンがもう片方の膝をバルコニーにかけた。がくんと身体が崩れる。
力いっぱい引き寄せられるが手すりには届かない。
ソンリェンのもう片方の腕もトイの手首に絡まってきた。絡まってしまった。
トイはもう彼の手の甲を刺せなかった。ソンリェンから降りかかってくる血の量があまりにも多くて焦点が定まらない。
いや違う、トイの目が滲んでいるのか。
「お前の命は、俺の」
もンなんだよ、と。いつもなら続いていたはずだ。トイもそれを望んでいた。そう言ってくれれば、最後の力を振り絞ってソンリェンの手を振り解けたのに。
だというのにソンリェンの唇は痛みではなく歪み、やがて明確な意思を持って震えながら開かれた。
開かれて、しまった。
「大事な、もンなんだよ」
──目を開ければ血が垂れてくる。
トイは堪えきれず目を閉じた。ソンリェンの金色の髪が重い雲の隙間から差し込む太陽の光に照らされて、あまりにも眩しかった。
「大事、なんだよ……トイ」
何も見えないはずなのに、ソンリェンの強い眼差しが瞼の裏に透けて見えた気がした。
聴覚だけが敏感になってしまったせいで、ソンリェンの低い声も耳朶によく響いた。
震える空気を一つ吸い、吐く。
「トイ……お前が、大事だ、誰よりも──なに、よりも」
自分の命よりも。声無きソンリェンの叫びが、ぽつりと雨と共に頬に浸透してきた。
ぽつりぽつりと、口に滲んでくる空の雫と鉄臭さと、しょっぱさ。
トイの涙か汗か、それともソンリェンか。二人分か。
「だから……だから、頼む」
『こんな汚れ切った身体じゃ誰もてめえなんて助けねえよ』
かつてそんな言葉でトイを蔑み、トイをどうでもいいものと切り捨てたはずの男が、今必死になってトイを助けようとしている。
「頼む……!」
トイが死んだら、舌打ちの一つや二つで済ましてほしいのに。
ソンリェンはあまりにも、変わってしまった。
「そんなに、オレの具合よかった、の……?」
目を開き、あえて傷付けるための言葉を吐き捨てたのは最後の意地だった。
そして狙い通りソンリェンの顔は凍った。
噛みしめられた厚い唇に彼の吹き荒れる痛恨を感じて、トイの方が苦しくなった。
「違え、よ」
嘲笑しようとして、失敗したような顔。
そんなひしゃげた表情をしているくせに、ソンリェンの手の力は緩まなかった。
それこそが、彼の答えなのだろう。
「嘘、つき、そんりぇんの、ばか。どうせ今だけなんだろ……」
トイはもう、辛うじて残っていた意地すらもソンリェンにぶつけられなくなってしまった。
その上しゃくりあげているせいで、まともに相手に声が届いているかどうかも怪しい。
「どうせまた、捨て、るんだ……トイのこと」
ソンリェンは今まで以上に引き上げる腕に力を込めてきた。その分赤い液体も流れる。
不思議だ。こんなにも血が出ているというのに、傷も深そうなのに、ソンリェンはトイの手を絶対に離してくれないという絶望にも似た確信が胸の奥で広がってくる。
打ち捨てられたあの時は、死が希望だった。
けれどもこの瞬間、絶望にも似た確信が、トイの希望になってしまった。
それは生きると、いうことだ。
「何度も、言ってんだろうが……捨てねえよ」
トイの声は、ソンリェンに届いていた。さらに視界が震える。
「わかんねえ、じゃん」
「それは助かってから判断、しろ」
苦しそうに声を絞り出している癖に、傲慢さだけは本当に変わらない。
ソンリェンはソンリェンのまま、変わってしまった。
「トイ、手え伸ばせ。そろそろヤバい……からな」
その言葉通り、いよいよソンリェンの語尾も震えてきた。そろそろ腕も脚も限界なはずだ。
「じゃねえと俺も、落ちるぞ。二人そろって死ぬか」
それなのに、トイが一人で落ちるという選択肢は与えて貰えない。
「くそ……細いくせに重いんだよ、お前……重いんだよ」
眩しそうに目を細められ、そんなことを言われてしまったら。
「諦め、ろ。離さねえからな……絶対」
そんな潰れた声で、この手を離さないと明言されてしまったら。
「トイ、頼む」
そしてそれが嘘ではなく、本当なのだと見せつけられてしまったら。
「トイ──頼むから……」
こんな風に懇願されてしまったら。
そんなのもう、諦めるしかないじゃないか。
トイは、ソンリェンの血に濡れた手を掴み返した。
トイのことを生きる価値のない玩具だと、殺してやりたいとさえ口にしていたのに。
その度にトイは、深く傷付いていたというのに。
「ソンリェンには、関係ねえじゃんか!」
「何が関係ねえ、だ!」
ソンリェンがもう片方の膝をバルコニーにかけた。がくんと身体が崩れる。
力いっぱい引き寄せられるが手すりには届かない。
ソンリェンのもう片方の腕もトイの手首に絡まってきた。絡まってしまった。
トイはもう彼の手の甲を刺せなかった。ソンリェンから降りかかってくる血の量があまりにも多くて焦点が定まらない。
いや違う、トイの目が滲んでいるのか。
「お前の命は、俺の」
もンなんだよ、と。いつもなら続いていたはずだ。トイもそれを望んでいた。そう言ってくれれば、最後の力を振り絞ってソンリェンの手を振り解けたのに。
だというのにソンリェンの唇は痛みではなく歪み、やがて明確な意思を持って震えながら開かれた。
開かれて、しまった。
「大事な、もンなんだよ」
──目を開ければ血が垂れてくる。
トイは堪えきれず目を閉じた。ソンリェンの金色の髪が重い雲の隙間から差し込む太陽の光に照らされて、あまりにも眩しかった。
「大事、なんだよ……トイ」
何も見えないはずなのに、ソンリェンの強い眼差しが瞼の裏に透けて見えた気がした。
聴覚だけが敏感になってしまったせいで、ソンリェンの低い声も耳朶によく響いた。
震える空気を一つ吸い、吐く。
「トイ……お前が、大事だ、誰よりも──なに、よりも」
自分の命よりも。声無きソンリェンの叫びが、ぽつりと雨と共に頬に浸透してきた。
ぽつりぽつりと、口に滲んでくる空の雫と鉄臭さと、しょっぱさ。
トイの涙か汗か、それともソンリェンか。二人分か。
「だから……だから、頼む」
『こんな汚れ切った身体じゃ誰もてめえなんて助けねえよ』
かつてそんな言葉でトイを蔑み、トイをどうでもいいものと切り捨てたはずの男が、今必死になってトイを助けようとしている。
「頼む……!」
トイが死んだら、舌打ちの一つや二つで済ましてほしいのに。
ソンリェンはあまりにも、変わってしまった。
「そんなに、オレの具合よかった、の……?」
目を開き、あえて傷付けるための言葉を吐き捨てたのは最後の意地だった。
そして狙い通りソンリェンの顔は凍った。
噛みしめられた厚い唇に彼の吹き荒れる痛恨を感じて、トイの方が苦しくなった。
「違え、よ」
嘲笑しようとして、失敗したような顔。
そんなひしゃげた表情をしているくせに、ソンリェンの手の力は緩まなかった。
それこそが、彼の答えなのだろう。
「嘘、つき、そんりぇんの、ばか。どうせ今だけなんだろ……」
トイはもう、辛うじて残っていた意地すらもソンリェンにぶつけられなくなってしまった。
その上しゃくりあげているせいで、まともに相手に声が届いているかどうかも怪しい。
「どうせまた、捨て、るんだ……トイのこと」
ソンリェンは今まで以上に引き上げる腕に力を込めてきた。その分赤い液体も流れる。
不思議だ。こんなにも血が出ているというのに、傷も深そうなのに、ソンリェンはトイの手を絶対に離してくれないという絶望にも似た確信が胸の奥で広がってくる。
打ち捨てられたあの時は、死が希望だった。
けれどもこの瞬間、絶望にも似た確信が、トイの希望になってしまった。
それは生きると、いうことだ。
「何度も、言ってんだろうが……捨てねえよ」
トイの声は、ソンリェンに届いていた。さらに視界が震える。
「わかんねえ、じゃん」
「それは助かってから判断、しろ」
苦しそうに声を絞り出している癖に、傲慢さだけは本当に変わらない。
ソンリェンはソンリェンのまま、変わってしまった。
「トイ、手え伸ばせ。そろそろヤバい……からな」
その言葉通り、いよいよソンリェンの語尾も震えてきた。そろそろ腕も脚も限界なはずだ。
「じゃねえと俺も、落ちるぞ。二人そろって死ぬか」
それなのに、トイが一人で落ちるという選択肢は与えて貰えない。
「くそ……細いくせに重いんだよ、お前……重いんだよ」
眩しそうに目を細められ、そんなことを言われてしまったら。
「諦め、ろ。離さねえからな……絶対」
そんな潰れた声で、この手を離さないと明言されてしまったら。
「トイ、頼む」
そしてそれが嘘ではなく、本当なのだと見せつけられてしまったら。
「トイ──頼むから……」
こんな風に懇願されてしまったら。
そんなのもう、諦めるしかないじゃないか。
トイは、ソンリェンの血に濡れた手を掴み返した。
41
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
月弥総合病院
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
陥落 ー おじさま達に病愛されて ー
ななな
BL
眉目秀麗、才ある青年が二人のおじさま達から変態的かつ病的に愛されるお話。全九話。
国一番の璃伴士(将棋士)であるリンユゥは、義父に温かい愛情を注がれ、平凡ながらも幸せな日々を過ごしていた。
そんなある日、一人の紳士とリンユゥは対局することになり…。
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる