トイの青空

宝楓カチカ🌹

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繋がれた手

177.

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「オレが、死のうが生きようが、関係ねえじゃん……!」
 トイのことを生きる価値のない玩具だと、殺してやりたいとさえ口にしていたのに。
 その度にトイは、深く傷付いていたというのに。
「ソンリェンには、関係ねえじゃんか!」
「何が関係ねえ、だ!」
 ソンリェンがもう片方の膝をバルコニーにかけた。がくんと身体が崩れる。
 力いっぱい引き寄せられるが手すりには届かない。
 ソンリェンのもう片方の腕もトイの手首に絡まってきた。絡まってしまった。
 トイはもう彼の手の甲を刺せなかった。ソンリェンから降りかかってくる血の量があまりにも多くて焦点が定まらない。
 いや違う、トイの目が滲んでいるのか。
「お前の命は、俺の」
 もンなんだよ、と。いつもなら続いていたはずだ。トイもそれを望んでいた。そう言ってくれれば、最後の力を振り絞ってソンリェンの手を振り解けたのに。
 だというのにソンリェンの唇は痛みではなく歪み、やがて明確な意思を持って震えながら開かれた。
 開かれて、しまった。


「大事な、もンなんだよ」


 ──目を開ければ血が垂れてくる。
 トイは堪えきれず目を閉じた。ソンリェンの金色の髪が重い雲の隙間から差し込む太陽の光に照らされて、あまりにも眩しかった。
「大事、なんだよ……トイ」
 何も見えないはずなのに、ソンリェンの強い眼差しが瞼の裏に透けて見えた気がした。
 聴覚だけが敏感になってしまったせいで、ソンリェンの低い声も耳朶によく響いた。

 震える空気を一つ吸い、吐く。

「トイ……お前が、大事だ、誰よりも──なに、よりも」
 自分の命よりも。声無きソンリェンの叫びが、ぽつりと雨と共に頬に浸透してきた。
 ぽつりぽつりと、口に滲んでくる空の雫と鉄臭さと、しょっぱさ。
 トイの涙か汗か、それともソンリェンか。二人分か。
「だから……だから、頼む」


『こんな汚れ切った身体じゃ誰もてめえなんて助けねえよ』


 かつてそんな言葉でトイを蔑み、トイをどうでもいいものと切り捨てたはずの男が、今必死になってトイを助けようとしている。
「頼む……!」
 トイが死んだら、舌打ちの一つや二つで済ましてほしいのに。


 ソンリェンはあまりにも、変わってしまった。





「そんなに、オレの具合よかった、の……?」
 目を開き、あえて傷付けるための言葉を吐き捨てたのは最後の意地だった。
 そして狙い通りソンリェンの顔は凍った。
 噛みしめられた厚い唇に彼の吹き荒れる痛恨を感じて、トイの方が苦しくなった。
「違え、よ」
 嘲笑しようとして、失敗したような顔。
 そんなひしゃげた表情をしているくせに、ソンリェンの手の力は緩まなかった。
 それこそが、彼の答えなのだろう。
「嘘、つき、そんりぇんの、ばか。どうせ今だけなんだろ……」
 トイはもう、辛うじて残っていた意地すらもソンリェンにぶつけられなくなってしまった。
 その上しゃくりあげているせいで、まともに相手に声が届いているかどうかも怪しい。
「どうせまた、捨て、るんだ……トイのこと」
 ソンリェンは今まで以上に引き上げる腕に力を込めてきた。その分赤い液体も流れる。
 不思議だ。こんなにも血が出ているというのに、傷も深そうなのに、ソンリェンはトイの手を絶対に離してくれないという絶望にも似た確信が胸の奥で広がってくる。


 打ち捨てられたあの時は、死が希望だった。
 けれどもこの瞬間、絶望にも似た確信が、トイの希望になってしまった。




 それは生きると、いうことだ。





「何度も、言ってんだろうが……捨てねえよ」

 トイの声は、ソンリェンに届いていた。さらに視界が震える。

「わかんねえ、じゃん」
「それは助かってから判断、しろ」

 苦しそうに声を絞り出している癖に、傲慢さだけは本当に変わらない。
 ソンリェンはソンリェンのまま、変わってしまった。

「トイ、手え伸ばせ。そろそろヤバい……からな」

 その言葉通り、いよいよソンリェンの語尾も震えてきた。そろそろ腕も脚も限界なはずだ。

「じゃねえと俺も、落ちるぞ。二人そろって死ぬか」

 それなのに、トイが一人で落ちるという選択肢は与えて貰えない。

「くそ……細いくせに重いんだよ、お前……重いんだよ」

 眩しそうに目を細められ、そんなことを言われてしまったら。

「諦め、ろ。離さねえからな……絶対」

 そんな潰れた声で、この手を離さないと明言されてしまったら。

「トイ、頼む」

 そしてそれが嘘ではなく、本当なのだと見せつけられてしまったら。


「トイ──頼むから……」


 こんな風に懇願されてしまったら。
 そんなのもう、諦めるしかないじゃないか。






 トイは、ソンリェンの血に濡れた手を掴み返した。
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