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姫宮 樹李
09.
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八つ当たりがてら、今度は橘のHBの鉛筆を盗んで、「橘透愛」の名前をノートにずらっと書き殴った。
常に気にしていた文字のバランスなんて、微塵も考えなかった。
ただただ一心不乱に、何度も何度も何度も、何度も、何十回でも、ひらがなでもカタカナでも、彼の名前を強く強く紙に刻み込んだ。
一ページめくるたびに芯が折れてしまったので、その都度、丁寧に削りながら。
三時間ほど経ったところで、ついに本体が折れた。
その頃になると真っ白だったノートは、彼の名前だけで真っ黒に埋め尽くされていた。
もはや文字であることすらわからないくらいだった。
でも僕には全部、読める。
「たちばなとあ……橘、とあ、透愛……ふふ」
透愛と書いて、とあと読む。
透き通るような愛が、永遠に。
真っ直ぐな彼らしい名前だ。文字だけで輝いている。
うっとりと、満足げにノートを掲げて眺めていると、痺れた手のひらから一筋の血が垂れていることに気付いた。
「痛……」
どうやら、鉛筆が折れた時に木の棘が刺さってしまっていたらしい。手を動かすたびに、深くまで入ってきてズキズキと痛む──でも。
「痛いなぁ……橘」
橘が毎日使っていた鉛筆の一部が、僕の皮膚の下に入ってるという事実に満足した。
嬉しくて嬉しくて、棘が刺さった手のひらを何度も撫で、舐めた。引き抜く気は皆無だった。
一生ここに橘を入れておいたままでいいとさえ思った。
しかし結局、暫くそのままで放置していたため細菌感染を引き起こして膿んでしまった。
そして運悪く家政婦に見つかり病院に連れていかれた。
強制的に棘を抜かれ、たった数週間で橘がいた痕跡が綺麗に治ってしまった時は、心の底から悲しかった。
唇を噛む。
せっかく橘と繋がれたのに。
どうしてみんな、僕と橘を引き裂こうとするんだろう。
*
一瞬の満足感は、それを上回る飢餓感にとって変わる。
消しゴム、その他諸々。橘の私物を盗んではイタズラを繰り返す日々が続く。
それでも足りない。
橘が、足りない。
人目を忍んで、こっそり橘の一部を味わうだけじゃ物足りない。ちゃんと彼の全てを喰らわないと、この飢えは満たされない。
けれどもそれは当たり前だ。
橘を拒絶したあの日以降、橘と会話をしたことなど一度もないのだから。
彼との会話だって彼の表情だって、全部全部、僕が脳内で勝手に作り出した妄想に過ぎない。
この頃になると、放課後、その日橘が入った個室トイレにこっそりと入るのが日課になっていた。
橘が使った個室の匂いを、一息に嗅ぐ。
彼の夢を見て夢精した日から覚えた自慰を、そこで何度か、した。
橘が腰を下ろしたであろう白い便器に吐き出された白濁液の量が増えれば増えるほど、橘に対する欲求はどんどんどんどん、膨れ上がっていった。
あれほど頑張っていた勉強なんてもうどうでもよかった。習い事だって今や片手間で、疎かだ。
大真面目に勉強机に座っても、思い出すのは「今日の橘」のことだけ。
今日彼は、休み時間に隣の人と仲良く喋ってたな。僕以外の人形と元気いっぱいに遊びながら、今人気のゲームがどうとか騒いでいた。
あとサッカークラブの遠征で他県に行くとか、コーチに褒められたとか。
「俺、しょーらいサッカーの選手になって、透貴に家買ってやんだ。こんなにでっけーの」
とも身振り手振りで周囲に説明していた。
そんなもの、君が欲しいと言えば僕が買い与えてあげるのに。もちろん別荘だって。
君のお兄さんは別邸に住まわせて、僕と橘とで一つの家に住めばいい。
一昨日の校外学習で、橘はクラスメイトを庇って蛇に足を噛まれていた。しかも、恐怖に怯えて粗相をしたクラスメイトの腰に、自分の服を巻き付けてやっていた。
面倒見のいい橘らしい。でも面白くない。
蛇に襲われたのが僕だったら、彼は助けてくれただろうか。
彼の華奢な足から細く流れる、ちょっぴりとした赤。蛇口の水で下水道へと流されてしまう血が勿体なく思えて、できることなら味わってみたかった。
僕は日除けの帽子を被った長い前髪の下で、飢えた蛇のような目で橘の足を凝視していたに違いない。
橘に触れたい、舐めたい。
あの細い身体のあちらこちらに噛み付いて、僕のモノだという証を刻みつけたい。
どんな手を使ってでも彼を手に入れたい。
彼には友達になりたいと言われたけれど、僕が求めてるのはそんなものじゃない。
喉から手が出てきてしまいそうになるほど、橘が欲しい。
理由は、まだわからないけれど。
わからないからこそ、余計にこのマグマのような熱い感情は昂るのだ。
それでも実行に移さなかったのは、それが越えてはいけない一線であるとわかっていからだ。
まだ辛うじて、理性を選ぶ理性が残っていた。これでも、まだ。
けれども目の前に、途方もない甘露を滴らせる餌をぶら下げられて。
僕は簡単に、牙を剥いた。
常に気にしていた文字のバランスなんて、微塵も考えなかった。
ただただ一心不乱に、何度も何度も何度も、何度も、何十回でも、ひらがなでもカタカナでも、彼の名前を強く強く紙に刻み込んだ。
一ページめくるたびに芯が折れてしまったので、その都度、丁寧に削りながら。
三時間ほど経ったところで、ついに本体が折れた。
その頃になると真っ白だったノートは、彼の名前だけで真っ黒に埋め尽くされていた。
もはや文字であることすらわからないくらいだった。
でも僕には全部、読める。
「たちばなとあ……橘、とあ、透愛……ふふ」
透愛と書いて、とあと読む。
透き通るような愛が、永遠に。
真っ直ぐな彼らしい名前だ。文字だけで輝いている。
うっとりと、満足げにノートを掲げて眺めていると、痺れた手のひらから一筋の血が垂れていることに気付いた。
「痛……」
どうやら、鉛筆が折れた時に木の棘が刺さってしまっていたらしい。手を動かすたびに、深くまで入ってきてズキズキと痛む──でも。
「痛いなぁ……橘」
橘が毎日使っていた鉛筆の一部が、僕の皮膚の下に入ってるという事実に満足した。
嬉しくて嬉しくて、棘が刺さった手のひらを何度も撫で、舐めた。引き抜く気は皆無だった。
一生ここに橘を入れておいたままでいいとさえ思った。
しかし結局、暫くそのままで放置していたため細菌感染を引き起こして膿んでしまった。
そして運悪く家政婦に見つかり病院に連れていかれた。
強制的に棘を抜かれ、たった数週間で橘がいた痕跡が綺麗に治ってしまった時は、心の底から悲しかった。
唇を噛む。
せっかく橘と繋がれたのに。
どうしてみんな、僕と橘を引き裂こうとするんだろう。
*
一瞬の満足感は、それを上回る飢餓感にとって変わる。
消しゴム、その他諸々。橘の私物を盗んではイタズラを繰り返す日々が続く。
それでも足りない。
橘が、足りない。
人目を忍んで、こっそり橘の一部を味わうだけじゃ物足りない。ちゃんと彼の全てを喰らわないと、この飢えは満たされない。
けれどもそれは当たり前だ。
橘を拒絶したあの日以降、橘と会話をしたことなど一度もないのだから。
彼との会話だって彼の表情だって、全部全部、僕が脳内で勝手に作り出した妄想に過ぎない。
この頃になると、放課後、その日橘が入った個室トイレにこっそりと入るのが日課になっていた。
橘が使った個室の匂いを、一息に嗅ぐ。
彼の夢を見て夢精した日から覚えた自慰を、そこで何度か、した。
橘が腰を下ろしたであろう白い便器に吐き出された白濁液の量が増えれば増えるほど、橘に対する欲求はどんどんどんどん、膨れ上がっていった。
あれほど頑張っていた勉強なんてもうどうでもよかった。習い事だって今や片手間で、疎かだ。
大真面目に勉強机に座っても、思い出すのは「今日の橘」のことだけ。
今日彼は、休み時間に隣の人と仲良く喋ってたな。僕以外の人形と元気いっぱいに遊びながら、今人気のゲームがどうとか騒いでいた。
あとサッカークラブの遠征で他県に行くとか、コーチに褒められたとか。
「俺、しょーらいサッカーの選手になって、透貴に家買ってやんだ。こんなにでっけーの」
とも身振り手振りで周囲に説明していた。
そんなもの、君が欲しいと言えば僕が買い与えてあげるのに。もちろん別荘だって。
君のお兄さんは別邸に住まわせて、僕と橘とで一つの家に住めばいい。
一昨日の校外学習で、橘はクラスメイトを庇って蛇に足を噛まれていた。しかも、恐怖に怯えて粗相をしたクラスメイトの腰に、自分の服を巻き付けてやっていた。
面倒見のいい橘らしい。でも面白くない。
蛇に襲われたのが僕だったら、彼は助けてくれただろうか。
彼の華奢な足から細く流れる、ちょっぴりとした赤。蛇口の水で下水道へと流されてしまう血が勿体なく思えて、できることなら味わってみたかった。
僕は日除けの帽子を被った長い前髪の下で、飢えた蛇のような目で橘の足を凝視していたに違いない。
橘に触れたい、舐めたい。
あの細い身体のあちらこちらに噛み付いて、僕のモノだという証を刻みつけたい。
どんな手を使ってでも彼を手に入れたい。
彼には友達になりたいと言われたけれど、僕が求めてるのはそんなものじゃない。
喉から手が出てきてしまいそうになるほど、橘が欲しい。
理由は、まだわからないけれど。
わからないからこそ、余計にこのマグマのような熱い感情は昂るのだ。
それでも実行に移さなかったのは、それが越えてはいけない一線であるとわかっていからだ。
まだ辛うじて、理性を選ぶ理性が残っていた。これでも、まだ。
けれども目の前に、途方もない甘露を滴らせる餌をぶら下げられて。
僕は簡単に、牙を剥いた。
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