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前篇
触れる(6)*
しおりを挟む「なに、を」
「気付いてないとでも、思った? あんたずっとずっと、俺を通して、誰かを痛めつけてる……俺の後ろに、誰が見えてんの」
「……なんだそれは。僕は別に、誰も」
「あんたの家に、母親の肖像画だけ、ないことと、関係ある……?」
「あれの話はするな」
「……ッ、ぐ」
思い出したように腰を深く突き入れられて、血の気が引くような痛みに呻く。だが、今ので図星であることを確信した。「成り上がり」と同様、家族の存在は彼にとっての地雷だったらしい。
思い起こせば、おかしいと思うことはたくさんあった。
肖像画の件は、頭の片隅にずっと引っ掛かっていた。それに、あんた父親いないの? と前に聞いてみた時は、強く睨まれて、「あれは別邸だ」と、それっきり。それ以上、詳しくは聞けなかった。
使用人の誰も、アレクシスの両親の話をしようともしない。
意図的に避けているようにも見えた。
それに普通、自分の両親のことを「あれ」とは呼ばない。
アレクシスの他人の呼び方には、意味がある。リョウヤのことだって頑なに稀人、と呼んでいるのだ。それはつまり、彼にとっての親という存在は、下手をしたらリョウヤよりも名前で呼びたくない存在であるということに他ならない。
「言った……じゃん、誰かは、誰かの代わりになんかなれないんだよって」
「当たり前だろう、そんなのは」
「違う。あんたはわかってない。何も、わかってない。だからあんたは、冷たいままなんだ」
「は」
銀色の髪のカーテンが、わずかに揺れた。アレクシスの口元は、たしかに弧を描いている。
「改めて言われずとも、知っている……そんなこと」
笑っているはずなのに、まるでリョウヤに突き放されたと言わんばかりのその表情。
やっぱり、アレクシスは勘違いをしている。
リョウヤの言う「冷たい」は、彼が思っている「冷たい」とは違うのに。
「そういう意味じゃ、ない。死ぬことよりも、生きることの方がずっとずっと、大変だから……溶けないのは、冷たそうだなって思ったんだ」
「……意味が、わからん」
「だから、あんたは髪も真っ白で、髪も、肌も、吐息も……氷みたいで、だから俺は──」
言いあぐねて、変わらないアレクシスの表情に唇を噛む。
違う、こんな言い方じゃ伝わらない。痛みに強張る体に鞭打ち、顔の横に突かれていた手にそうっと頬を寄せてみた。耳たぶにじんわりと、低い体温が染みこんでくる。
アレクシスの手はぴくりと動いたが、離れていくことはなかった。
闇市で買われたあと、馬車に揺られながらも思ったのだ。この人、吐く息も冷たいのかなって。
だったら生きるのも大変だ。
自らの息で、肺までも凍てついてしまうのだから。
「あんた、自分をあっためる方法、知らねーんだ、ろ……?」
アレクシスが、深く瞠目した。
「だって、さ。いっつも、世界で自分は1人きりみたいな顔……してるよ……?」
アレクシスのそれはまさしく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だった。
ぽたりと、生え際に浮いた汗が透き通るような髪の先へと伝って、溶けるみたいに滴り落ちてくる。
彼が流す汗にはどんな意味があるのだろう。
怒りか、焦燥か、不安か、それとも──ああ、そっか。
なんだ、そうだったのかと初めて理解した。ようやく、理解できた。
ずっと、アレクシスのことを気難しくて冷酷な男だと思っていた。そして相反するように子どものようだと。大人と子供が混在している。その奇妙なバランスの悪さの正体が、今ようやくわかった。
アレクシスの体には鎖が巻き付いているのだ。
しかも、かなり強固な鎖だ。もうアレクシスの皮膚に食い込み、血管に細かな根を張り、彼が生きて来た年数分だけ同化しきってしまっている。
道理で、目を凝らしても凝らしても見えなかったはずだ。鎖自体が、見え辛くなっているのだから。
きっとアレクシス自身も、鎖に縛り付けられていることに気付いていないに違いない。
馬鹿だなぁ、と、思う。
リョウヤのことを愚かだというのなら、アレクシスだって愚かだ。リョウヤと違って手枷も足枷も嵌められていないはずなのに。自由にどこへだって行けるはずなのに。自ら雁字搦めになって、そこから一歩も踏み出せないのだから。
家族がいないというのは、孤独だ。唯一の家族を失ったリョウヤにもそれはわかる。自分の世界が暗闇に覆い尽くされ、そこに取り残されてしまうのだ。
どんなに立ち上がろうとしても、足場が闇に呑み込まれ、脆く崩れ去ってしまいそうな恐怖だ。
アレクシスの見えている世界が月の光も差し込まない暗闇なのだとしたら、それはとても痛ましいことだ。リョウヤも、1人きりの夜は寂しかった。
手を伸ばす。アレクシスはただ、リョウヤの指先を凝視していた。
そうっと、落ちた髪の先に触れてみる。
「ここにいるのに、馬鹿だなぁ……」
こんなにも美しい色をしているのに。他人から見れば、アレクシスがここにいることにも簡単に気付けるのに、アレクシス自身は、自分の光が見えないなんて。それはあまりにも、寂しいことだ。
ひとりは、寒いだろう。
それでもアレクシスは、寒くて寒くて、もう寒いのに慣れてしまって、心まで氷になってるみたいに見えた。
氷は触れた者も凍らせてしまう。たとえ心があったって、決して溶けない氷に覆われていたら触れられない。そこに存在しているのが見えていても、透明な壁に阻まれて手が届かない。
そんなんじゃ、誰も近づけない。
掘りの深いくぼみにぽこんとはまっている、赤。リョウヤは狭まりつつある視界で、その瞳の奥にいる存在を確かに見た。やっと、探し出せたのだ。
うずくまったままの、ありのままの命。
置き去りにされて泣いてる子どもが、そこにはいた。
──────────────────
31話、「ひとりぼっち」の対の話です。
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