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後篇
2.現在(1)
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そして、今日も今日とて。
「えっと……どうしたの?」
正直、またかと思った。
どうしてこの男はぽっと現れて突然道を塞いでくるのか。今となっては日常茶飯事のことだが、急に出てこられるとやっぱり驚く。
せめて、「前にいる」とか一声かけてほしい。
「ねえアレク。そこに突っ立ってられると動けないんだけど」
なにしろ今からこの藁を、馬房にたっぷりと敷き詰めてやらなければならないのだ。
目の前の男よりも何百倍も可愛い可愛い馬たちのために。
もしゃもしゃと並んで草を食んでいる姿さえも愛らしくて、釘が数本抜けた木の椅子をずりずりと持ってきて腰を降ろし、じっと彼らを眺めるのもリョウヤの日常の一コマだった。
厩務係には「そんなことなさらないでください」と諫められることも多かったけれど、今では皆諦めたのか、またかと肩を竦めるだけに留めてくれている。
馬と使用人の数名しかいない、それなりに穏やかな空気の流れるこの空間が好きだった。
だというのに、この男が来ると場が凍る。
「出かけんの? 今日予定あったっけ……あっ、ルディさんとデートの約束でもしてる?」
ぴくりとアレクシスの頬が動いた。当たりらしい。
この男には正式な婚約者のみならず愛人も多数いるらしいが、リョウヤは一応はこいつの「妻」という立ち位置なので(跡継ぎを産むまでという期限付きだが)、そんなリョウヤに見送られるというのはたとえアレクシスであっても気まずいのかもしれない。
なかなかに人間らしいところもあるな、ならば邪魔者はさっさと退散しよう。
そう気を利かせてアレクシスの愛馬の前からどけてやろうとしたのに、すっと横に動いたリョウヤの行く手を塞ぐように、アレクシスが横にずれてきた。
「え、邪魔」
「違う」
「違うの? 一昨日ルディさんから手紙来てたじゃん」
「……断りの手紙は既に送ってある」
「は?」
愛する女性からのデートのお誘いを断るだなんて、なんて最低な恋人なんだ。きっと勇気を振り絞って手紙をしたためただろうに、男の風上にも置けない。
「いやいや、それ男としてどうなの? あの人絶対あんたに会いたかったと思うよ。さっさと行って抱きしめてこいよ、月から舞い降りた妖精さんなんだろ」
「やめろ」
「自分で言ってたくせに……」
「おまえには関係ない」
むっと目に見えて不機嫌になった夫に呆れた。本当に気分屋だな。こんな男が恋人じゃルディアナも苦労するだろう。
「じゃあ馴染みの舞台女優さんとか? それとも別の人? いいから俺にかまわず行ってきなよ」
「……どれも違うに決まっているだろう」
「じゃあなに」
それとなく左に右に移動しようとすると、素早く行く手を阻まれる。なんだか珍妙なダンスを踊っている気分になる。一体なんなんだ。
「おまえが、ここにいると聞いたんだ」
「え、結局俺に用事? なんの用?」
首を傾げる。ただ純粋に疑問だったのだが、アレクシスは腕を組んだままむっつりと黙ってしまった。イラっとする。
こいつのこういうところが本当に面倒臭い。
黙っていてもなんでもかんでも相手に伝わる、察してもらえると思ったら大間違いだぞこのお坊ちゃんが。
「えーと、俺なんかした? だったら悪いんだけどこれ終わってからにしてくんねー?」
ぶるると鼻を鳴らし、横からにゅいっと鼻を突き出しすりすり擦り付けてきたアレクシスの愛馬をよしよしと撫でる。
可愛い、早く構い倒したい。今は目の前の男よりも馬の方が圧倒的に大事だ、馬。
リョウヤの唯一の癒しを奪わないでほしい。
「遊びじゃないんだ、仕事の邪魔はするな」
「してないよ、ちゃんと手伝ってるって。あんたこれ見えてる?」
そして、こんもりとした藁を鼻の高さまで抱えているリョウヤは気付いていなかった。リョウヤに懐く馬が、リョウヤの行く手を阻む幼少期からの主人でもあり友でもあるアレクシスと、リョウヤを巡ってじりじりと睨みを利かせ合っていることを。
また、そんな攻防戦を眺める使用人たちもまたか、とうんざりしていた。
アレクシスの妻でもあるリョウヤは忌人、かつ稀人という特殊な人間だが、皆この奔放そうに見えて気遣いのできる、人懐っこい奥様を気に入っていた。
体を動かすのが楽しいのか、くるくる動きまわり厩舎の仕事を手伝おうとしてくれる彼を見ていると場も明るくなる。
またリョウヤは要領もいい上に、さばさばとした動きには無駄が一切ないので、見ていて心地いい。
馬たちも、遊んでくれるリョウヤを好いているようだ。
ただ、リョウヤが手伝ってくれることは有難いのだが、リョウヤがここに訪れると頻繁に、こう、予告もなしにぬぅっ……と現れるのだ。
剣呑な雰囲気を隠しもしない、我がお屋敷の、旦那様が。
しかもリョウヤがここで楽しそうにすればするほど、チェンバレー家の当主の苛立ちは増していくらしい。主人の目の前でリョウヤと仲睦まじげに言葉を交わそうものなら、一人残らず嬲り殺すとばかりの、絶対零度の視線を向けられるのである。
「ほう、僕の馬と堂々と浮気をしながらか?」
「いや、別にアレクの可愛い馬をどうこうしたいなんて思ってないんだけど……」
違います奥様、逆でございます! と、ここにいる使用人のほとんどが心の中で突っ込んだ。
誰もがアレクシスの言葉の裏に隠されている真意、つまり、「おまえ如きが僕の愛馬と仲良くするな」ではなく、「おまえ、僕以外の男(馬)と仲良くするな」であることを読み解けているというのに、肝心のリョウヤが全く気付いていないというのが、難儀なところである。
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