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「──泣いちゃうよ? アンタ」

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「最期に、おまえに聞きたい」
「そうだよ?」

 くす、と唇を指でなぞりながら男の問いを先取りする。
 情の深い男だ、きっとその言葉を口にすれば彼自身が傷付いてしまう。
 彼は、こんなくだらないことで傷を負っていい人間じゃない。
 ボクに抱いていたであろう甘やかで優しい気持ちを、一刻もはやく捨て去ってほしかった。
 
 憎んで憎んで、憎んでほしい。
 彼の中でくすぶる怒りが、蠢く憎悪が、ボクをいたぶることで全て昇華できるぐらいに。

「ボクがアンタの弟を殺したんだよ。びっくりした?」

 震える唇をぎり、と噛みしめた男に向かって口角を吊り上げる。
 ちゃんと笑えているだろうか。

「まぬけだよね、なんちゃらっていう悪の組織の残党を必死に追ってたくせに、幹部の一人がこーんなに近くにいることにも気付かないなんて。ふふ」

 軽薄な笑みに見えただろうか。
 見えてなければいけない。ボクは全てが終わるまで、彼の憎悪を引き出さなければならない。

「あっ、そうそう! アンタの弟さん、他の被検体よりも長く生きたよ。まあ天才のボクが作った薬の影響もあるんだろうけど、意外と体力もあって」

 どうか完璧に騙せるようにと願いを込めながら、大きく息を吸った。

「手と足の指ぜーんぶ切り落とされてもぴんぴんしてたよ。すごいねえ、元気元気!」

 一息に残酷なセリフを吐き捨てる。
 彼の手が憎しみに染まり、ボクに向けられた銃口がかたりと震えた。
 
「あとは……あれかなぁ、死ぬ前にエミリアさんとミーナの名前を叫んでたことかな。奥さんと子ども思いの優しいパパだったんだね、アンタから聞いてた通りだ」

 泣かせるねえ、と血だらけの手で懐を探り、一本のタバコを取り出す。
 たったそれだけの動作なのに、歯茎から歯が根こそぎ引っこ抜かれそうになるぐらい痛い。

「あ、火もってる?」

 男は答えない。

「あいかわらず、気がきかないなあ」

 激痛に苛まれながら、ガチガチとライターを鳴らしてタバコに火を付けて、口許まで持っていく。
 暫くぶりのタバコを咥え、鼻から煙を吐き出した。

 煙臭い苦みが肺と喉にじんじんと染みて痛い。

「……屑が」

 ぎり、と男が唇を噛みしめた。広い地下道にその音が響いたのはきっと周りが静かだったからだろう。
 悠々とタバコをふかすボクと、ボクに銃を突きつける男の二人きり。

 死に近い空気が、充満していた。

「へえ、じゃあそのクズに1年間も騙されてたおまぬけさんはだれ?」
「なぜ俺に近づいた」
「近づいた? いいがかりはよしてよ。確かに声をかけたのはボクだけど、強引にボクを家に連れてかえったのはアンタの方でしょ?」

 出会いは本当に偶然だった。
 流れるような赤い髪と街灯の下でまたたく金色の目に惹かれて、たまたま声をかけた。

 今思えば、一目惚れというやつだったのかもしれない。

 全てに気付いたのは彼に写真を見せてもらった時だ。
 息が止まるほどに驚いた。決して忘れることができなかった顔が、そこには写っていたのだから。


『弟は優しかった。堅物な俺と周囲の仲をいつも取り持ってくれていてな』

『両親が早くに死んでからは、俺が弟を育てたんだ。弟はいい人と巡り合って幸せな家庭を築いてくれた。だが』

『……敵に捕まって、死んだ。俺がこんな仕事をしていたせいで目を付けられた。おまえの目はあいつによく似ている。だからだろうな、おまえのことが気になったのは』


 アンタの写真を見つめる瞳があまりにも痛そうで、苦しそうで。
 その頃にはもう引き返せないほどアンタに惹かれていたボクは、言いだすことができなかった。

「え? なに怒ってんの? 元々はアンタのせいじゃん。アンタの隊がボクのいた組織をぶっ潰そうとしたから報復されたんだよ。因果応報って言葉知らない?」
「リバイバルプロジェクト。おまえの名前はその頭文字か」
「あは、そうそう」

 ずきずきと、体中を蝕む苦痛が増してくる。
 
「見ての通りボクの両親は東洋系でね。LとRの区別がなかったからつづりも違ったんだ。だから名前とかけてみたの。うまいでしょ? っていうか気付くの遅いよ。ぶっちゃけ弟さんのことだってすっかり忘れてたんじゃないの」

 違う、忘れているわけがない。
 ボクは知っている。彼が今でも弟を失ったことで心を病んでいることを。

彼がアジトを発見して現場に駆け付けた時には既に遅く、生きたまま解体された弟の亡骸の前で立ち尽くしていたそうだ。
 当時の夢を頻繁に見るのだろう、魘されて夜中に弟の名を呼びながら飛び起きては、顔を覆って汗を拭きとっていた。
 眠るボクの隣で震える吐息を絞り出し、ボクを起こさないよう細心の注意を払いながらベランダに足を運んでいた。

 大きな背中が小さく見えた。

 そんなアンタをずっと見てきた。だからボクは知っている。
 この男が誰よりも優しくて家族思いで、強くて脆い男なのだと。
 ボクだけが、知っている。

「おまえは、どんな気持ちであいつの家族に……エミリアとミーナに会っていたんだ」
「え? べつに……奥さんはそこそこ美人だなって。性格も悪くなかったね、アンタの弟さんって趣味よかったんだね。あ、褒めてるよ?」

 タバコの煙の向こうに、一人の女性が見える。
 レヴィくん、お義兄さんのことをよろしくねと微笑んでくれたエミリアさん。
 貴女が作ってくれた料理が、今まで食べてきた中で一番美味しかった。

「では、ミーナは」
「可愛かったねえ、純粋に慕ってくれて。子どもはいいもんだね、何も知らなくて。懐柔するのも簡単だ」

 ボクをレヴィお兄ちゃんと呼んで、懐いてくれたミーナ。
 小柄なミーナを抱き上げて、その命の重さに目頭が熱くなった。
 頭の匂いを嗅げば暖かい日だまりの香りがした。あの人に教えてもらった通りだった。

 そうだ、「レヴィお兄ちゃんと結婚する」なんて言うもんだから、アンタが慌てたこともあったっけ。
 「レヴィは俺の恋人だから諦めてくれ、頼む」と大真面目な顔でミーナに訴えていたアンタに、ミーナだけじゃなくてエミリアさんも呆気に取られてたなあ。
 ボクはもうおかしくって、声に出して笑ってしまった。

 暖かな家庭だった。けれどもどこかに影があった。
 いるべき人がいないという傷が、飾られた家族写真に残っていた。

「まだ他に、質問あります?」

 あの人の奥さんが、あの人の子どもが。
 そして何よりも、あの人自身が受けるはずだった未来の幸せをボクが壊した。

「おまえは……どんな気持ちで俺のそばにいた」

 これには即答できなかった。

 一瞬だけ耳鳴りが酷くなる。どうやら血を失い過ぎたらしい、
 まだダメだ。頑張れ。あと少しだけでいいんだ。
 気を抜けば薄れそうになる意識を叱咤して、なんとか吊り上げたままの口角を維持する。

「どんな、気持ちって。あー……ふ、は」

 ついに声が震えてしまった。指も震え、間に挟んでいたタバコも落ちそうになる。
 誤魔化すように笑って、大きく煙を吐き出した。
 もうタバコの味すらわからない。苦いのか甘いのか辛いのかも。

「いわなくともわかるんじゃない。聞きたい、の? 別に……いいけどさ」

 まだ少ししか吸っていないタバコを放り投げて、靴底でぐしゃりと踏み潰す。
 ついでに口内に溜まった血混じりの唾もぺっと吐き出した。

「──泣いちゃうよ? アンタ」
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