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第二章
兄
しおりを挟むレオンハルトは執務室の窓から庭を見下ろした。ほんのひと月前には殺風景だった我が屋敷の庭だが、今では色とりどりの花を抱いて草木を風にたなびかせている。ルーナは花が好きだったようであれこれと自分で花を取り寄せては庭園に植えていた。元からあった噴水も業者を入れて綺麗にして、庭に置くインテリアなどは新しく買いそろえたようだ。
「あ……」
レオンハルトは思わず声を漏らした。庭にルーナが現れたからだ。メイドといっしょに散歩をしているらしい。
ルーナは毎日庭に出て散歩をしている。レオンハルトはそんなルーナの日課を知っていた。ルーナは楽しそうにメイドと話しながら自らが造った庭園を歩いている。レオンハルトはふ、と口元を緩ませて窓から体を離した。
ルーナが毎日庭園を散歩していることを知ってからは、兵舎に行かなくてもよいときは庭を見る体でルーナの姿を見るのが日課となっていた。ルーナはそのことを知らない。もし知られたらと思うと末恐ろしい。小一時間は質問攻めにされるだろう。
ちょうどコンコン、と執務室のドアが叩かれた。
「はい」
「旦那様。ディーデリヒ様の馬車が到着いたしました」
「もう……?」
今日は兄のディーデリヒがレオンハルトの屋敷に来る日だ。しかし予定よりも数時間も早い。もしかしたらルーナと鉢合わせてしまうかもしれないと内心焦りながら、レオンハルトは兄の出迎えに向かった。
庭へと出ると、ちょうどディーデリヒが馬車から降りてくるところだった。
「兄上」
「レオンハルト! 久しぶりだな! 元気だったか?」
兄のディーデリヒは相変わらずの快活な笑顔をレオンハルトに向けた。
不愛想で口下手な自分とは違い、兄のディーデリヒは明るく社交的な人物だった。栗色の明るい髪に緑の瞳を持ち、整った甘い顔立ちに愛想も爵位もあるとなれば女性たちが黙っているはずはない。兄は王都でも有名な社交界の華だった。
「えぇ。おかげさまで。兄上もお元気そうで何よりです」
「相変わらず堅い男だな! ハンサムな顔がもったいないぞ! 久しぶりの再会なんだからもっと笑え。ほら、にこー」
ディーデリヒはレオンハルトの頬を指で掴むとびよーんと両手で伸ばした。
「やめへくだはい」
「ほら笑え笑え」
「いたいれふ」
くだらないやりとりをしていると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。
レオンハルトは頬を掴んでいた兄の手をばっと振りほどいた。ディーデリヒはそんなレオンハルトに驚いた顔をしてから、レオンハルトの後ろへと視線を移した。
「あぁ、ルーナじゃないか。結婚式以来だな」
「ごきげんよう、ディーデリヒ様。お久しぶりですわ」
ルーナはニコニコ笑いながらレオンハルトの隣に並び立つと、赤くなったレオンハルトの頬を見てくすくす笑った。
「楽しい遊びをしてらしたわね」
「……別に僕は楽しくない」
ルーナが現れたのが後ろからでよかった。変な顔を見られずにすんだから。
「兄上。ルーナも来たことですし早く中に参りましょう」
「あぁ、そうだな。土産もたくさん持ってきたんだ。いっしょに食べよう」
「まぁ嬉しいですわ」
長旅を終えた兄と共に三人で食事を摂った。
元々社交的な兄はルーナと難なく会話をしていた。二人が今までに会ったのは結婚式だけだが、ルーナも兄に負けず劣らずの明るい性格なのもあって二人は打ち解けるのも早いようだった。
正直に言えばレオンハルトは少し心配していた。
兄は社交的の花形だ。そんな兄のたった一人の弟が妾腹だということ自体兄の汚点であるというのに、その弟が娶った妻はあの「魔女」。実際に兄は結婚式でも浮かない表情を浮かべていた。いくら王命であると言っても、この結婚はアイレンブルク家にとって汚点となるだろうから。
兄がルーナをよく思っているはずがない。それは理解できているつもりだけれど、いざ兄がルーナに辛く当たったらと思うと胸が詰まった。
ルーナは魔女で、王女様の宿敵だ。
レオンハルトがルーナと結婚したのは王女様のため。たしかにそれはそうであるけれど、だからと言ってルーナがわざわざ辛い思いをして、泣く必要はないんじゃないか。レオンハルトはそう思うようになっていた。
特に馬車でルーナがただの人間の自分がどうやって王女様を呪うかも分からないと泣いているのを見てから。あのとき、レオンハルトは初めてルーナが自分と同じ人間であると知ったのだ。
ルーナを見る目が変わった。正直のところ、魔女のはずなのに人間であるルーナに、どう接していいのか分からなくなった。
「ではこの屋敷の庭はルーナ嬢が?」
「えぇ。まだ完成はしていませんけれど、形にはなってきましたわ」
「ほぉ。すでに十分立派で素晴らしい庭だけどな」
「嬉しいですわ。あとでぜひご覧になってくださいませ」
「あぁ。そうさせてもらうよ」
笑みを浮かべて会話を交わす二人の間には友好的な雰囲気が横たわっている。
幸い、兄の態度はルーナを傷つけるものじゃなかった。そのことにレオンハルトは安堵し、人知れず小さく息を吐いたのだった。
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