だから僕は魔女を娶った

春野こもも

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第三章

やっと一歳差

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 街でルーナと連れ立って歩いていると、やたらに視線を感じる。

 ルーナはレオンハルトの腕に手を回し、ことあるごとにあの店のドレスが可愛いだのあのパン屋の外装が可愛いだのとレオンハルトに報告してくれるのだが、その度にルーナとすれ違う男たちの視線がルーナに移るのが気に入らない。

 花祭りに出かけたときにはそんなこと気にならなかったが、あの頃からもしかして、ルーナは周囲の視線を集めていたのだろうか?

 ルーナは僕の妻なのだが……とルーナに視線を遣る男を見るたびに睨みつけてはいるのだが、もはやキリがない。

「レオン、どうしたの? さっきからキョロキョロして」
「あ、いや……」
「私の話をちゃんと聞いてくれてるのかしら」

 実は半分ほど聞いていないのだが、ちょうどオペラハウスに到着したのをいいことに、レオンハルトはその場を誤魔化すことができた。

 ルーナが選んだオペラの演目は悲恋ものだった。
 仲睦まじい恋人同士がいたが、ある日高位貴族の令嬢から惚れられた男は恋人を捨てて令嬢と結婚してしまう。
 
 恋人の女はそれを苦に服毒自殺を図り、男はやがて本当に愛しているのは恋人の女だったと気付くのだが、その頃にはすでに女は息絶えているというストーリーだった。

 ルーナはオペラの鑑賞中からボロボロ涙を溢して、帰りの馬車の中でも泣いていた。その泣きっぷりは、ルーナの身体中の水分が抜けてしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。

「ひどいわ……っ! ひどすぎるわぁ……っ!」 
「ルーナ、落ち着いて……君が選んだ演目じゃ無いんですか?」 
「だって……っ! 巷で人気のラブストーリーだと聞いたんですものぉ……っ! ハンナに教えてもらったんですもの~っ!」

 えぐえぐ泣き続けるルーナを宥めながら、あの小説といいこのオペラといい、ハンナの好みは少し過激すぎるんじゃないかと思った。

 しかし、たしかに悲しい話だったが、それにしても泣きすぎじゃないだろうか。
 ルーナの喜怒哀楽が激しいのは百も承知ではあったが、あまりの泣きっぷりにレオンハルトは少々驚いてもいる。

「レオンは……レオンは私を捨てないでくださいまし……っ!」

 ルーナの言葉で脳裏によぎったのは、金の長い髪。翡翠の瞳。幼い頃からずっと想い続けた人。
 オペラを見ている途中、男に自分を重ねなかったと言えば嘘になる。けれど僕が捨てたのは、どちらかと言うと……。

「レオン?」

 呼びかけられて、ハッと我に返った。
 不安そうにレオンハルトの顔を覗き込むルーナの涙を指で拭う。

「捨てませんよ」

 花祭りの帰りの馬車のときのように、レオンハルトがルーナを泣かせたわけではなかったが、愛しい人が泣いている姿を見るのは辛い。

 レオンハルトはそっとルーナの頬、目の端、額にキスを落として肩を抱き寄せた。
 ルーナがレオンハルトの肩にこてんと頭を乗せる。

「あの話はたしかに悲しかったですが……あの男は絶対に幸せになれませんよ」
「どうして?」
「罪の意識と愛する人を失った悲しみに苛まれて、令嬢とも上手くいくはずありませんから。令嬢にも捨てられてしまったらあとは路頭に迷って野垂れ死にでもするんじゃないですか? そうすれば、死んでしまった恋人もせいせいすると想います」

 ルーナを慰めるつもりでレオンハルトはそう言ったのだが、ルーナは「……そうかしら」と小さく呟いた。

「私は……もし私があの恋人だったら……彼には幸せでいてほしいわ」
「え?」
「捨てられたことは悲しいけど……愛してるんですもの。幸せになってほしいわよ」

 レオンハルトは思わず黙ってしまった。あんなに悲しみ泣いていたのだから、きっと恋人の女に感情移入して、男を恨んでいるのだと思ったから。男には不幸になってほしいのかと思っていた。

 けれど、ルーナの器はレオンハルトの想像をはるかに超えるくらい大きく、ルーナの愛は海のように深いということが分かった。

「……君には敵わないですね」
「? 何か言った?」
「いいえ、何も。……あ、ルーナ。僕、やりたいことを思いつきました」
「あらっなにかしら?!」
「裏庭でピクニックをしたいです」

 自分の好きなことや、好きなものはなんだろう。そう考えた時、思い浮かんだのはこれだった。
 
「ふふ、いつでもできるのに」
「だめですか?」
「もちろんだめじゃないわよ」

 屋敷に帰って、裏庭の樫の木の下にシートを敷いて、ルーナとピクニックをした。

 レオンハルトはルーナの膝の上で微睡んで、ルーナは本を読んでいた。もちろんこの間の恋愛小説ではなくて、別の小説だ。真面目な内容だと言っていた。……本当かどうかはわからない。

 ルーナの柔らかい膝の上に頭を乗せて、秋の初めの風が頬を撫でるのが心地よかった。

 ルーナの細い指先が本のページを捲る音、風が葉っぱを揺らす音。時折ルーナがレオンハルトの前髪を梳く感覚。

 その全てを感じるたびに幸せだと思ったし、これが永遠に続けばいいのにと思った。

 夜は屋敷のみんなでパーティーをした。
 
「ケーキのろうそくを消す時はお願いごとを心で唱えてから吹き消すのよ!」
「お、お願いごとですか?」
「そうよぉ! あっ大変! 蝋が垂れちゃうわ! はやく! はやく!」

 そう急かすルーナと慌てるレオンハルトを見て、使用人たちが微笑ましそうに笑っていた。

 アイレンブルクにいるときには、自分の誕生日パーティーだなんてしたことがなかったから、使用人達に囲まれて祝われるのがどうにも照れ臭かった。

 使用人達と妻が主人の誕生日をいっしょに祝うなんて、普通じゃないと思う。だけど嫌だとは思わなかった。

 ルーナがいるから、こんな風に使用人達とも近い距離で接することができているのだ。
 ルーナがいなければ、今頃誰もレオンハルトの誕生日を祝おうとなんか思っていなかっただろう。

 アイレンブルク家にいた頃とは随分違う距離感だけれど、レオンハルトはこっちの方が好きだと思った。

 寝る頃になっても、レオンハルトの心はほくほくと温かいままで、今日が終わってしまうのが惜しいと思うくらいだった。

「誕生日が終わってしまうわね」
「いい誕生日でした。今までで一番……嬉しい誕生日でした」
「あら本当に? なにが嬉しいの?」
「だって君とようやく一歳差になれたじゃないですか」
「やだ……もしかして私が最初に2つも違うって言ったこと、気にしてらしたの?」

 当たり前だ。「ひぃ」と小さな悲鳴を上げられたこともちゃんと覚えている。

「ろうそくを吹き消す時、なにをお願いしたの?」
「……秘密です」
「えぇーっ! なによぉ、教えてちょうだいよぉ」
「嫌です」 

 本当は、「ルーナとずっといっしょにいれますように」とお願いごとをした。

 それをルーナに言えばきっと喜んでくれるはずなのに、照れ臭くて言えなかったことが、結局レオンハルトがルーナより年下である証明のようなものだった。

 でも、言えばよかったのだ。
 照れ臭いという取るに足りない理由なんかで、本心を隠すべきではなかった。ルーナへの愛を告げるべきだった。

 後悔をするのは、いつも手遅れになってからなのだから。



  

 
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