だから僕は魔女を娶った

春野こもも

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第四章

雷鳴

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 昨晩から降り続けた雨は朝方になっても地面を叩き続け、レオンハルトは窓を激しく叩く雨音で目が覚めた。

「なんだか朝から空が嫌な感じねぇ」
「これはまだ降りそうですね……地面もぬかるんで危ないですし、今日は屋敷から出ないでくださいね」
「じゃあレオンも、お仕事に行くのはよしたら?」
「それはできません……」

 もちろんそれができたらいいけれど。
 今日は王都から視察団がやってくる予定だ。この雨なので予定が前後する可能性はあるが、レオンハルトはその場にいなければいけない。

「遅くなるかもしれないので先に休んでいてくださいね」
「はぁい……」

 朝の見送りの際、ルーナは足場が悪い中馬車に乗ろうとしているレオンハルトが心配なのか、どこか浮かない表情を浮かべていた。

 そんなルーナを宥めるように、白い頬に触れて撫でる。

「いってきます」
「……いってらっしゃい」

 頷いて、ルーナに背中を向けたときだった。
 ルーナがレオンハルトの手首を掴んだのだ。まるで引き留めるように。

 レオンハルトが驚いて振り向くと、なぜかルーナも驚いたような顔をしていた。無意識の行動だったのだろうか。

「あっ……ごめんなさい」
「なにかありましたか?」
「ううん……なんだか胸騒ぎがして。気をつけてね……?」

 ルーナがわけもなく不安定になるのは珍しいことだった。なにを不安がっているのか、その原因はルーナ自身も分かっていなさそうだったが、今夜は早く帰るべきだろうと思う。

「なるべく早く帰ります」

 レオンハルトがそう言えば、ルーナは幾分かほっとしたような安堵の表情を見せる。
 それを見てようやくレオンハルトも安心して、再びルーナに背中を向け屋敷を出たのだった。

――――――

 屯所に着いても雨は未だ止まず、遠くの空では時折稲妻が走るのが見える。
 まだまだ止みそうにない雨に、やはり王都からの視察団は到着が遅れているようだ。

 レオンハルトにとっては南部騎士団に赴任してから初めての視察で、王都騎士団からの質疑に答えられるよう資料をまとめておいた。それを見返そうと書類鞄を開け、絶望する。

「……忘れた」

 大事な書類を屋敷に忘れたのだ。
 頭からサァー……と血の気が引いていく。ルーナの言っていた胸騒ぎとは、このことだったのだろうか?

 屋敷に持ち帰って仕事をしたのがよくなかった。なぜ今日に限って鞄の中身を確認しなかったんだ……。

 様々なたらればが頭の中をよぎっていたが、それよりも対策を考えなくては、と我に帰る。

 視察団の到着は遅れているとのことだ。もしかしたら、一度取りに帰っても間に合うのではないだろうか?

 そう気付いたレオンハルトは、執務室を飛び出した。馬車より馬に乗ってしまった方が早い。
 兵舎の正面から出て、右手にある厩へ急ごうと、階段を駆け降りる。

 厩へ行くと、ドミニクが馬の手入れをしている最中にだった。

「あれ、副団長馬使うんですか?」
「あぁ、ちょっと急ぎの用が……」
「そうすか……ってあれ、もしかして視察団じゃないすかね?」
「なに……」

 後ろを振り返ると、屯所に向かってくる馬の団体が見えた。最悪だ。絶対に視察団だ。

 あぁもう、と舌打ちしたくなる気持ちを堪えて、雨の中厩から飛び出した。ドミニクも慌てて厩を飛び出して、周りの兵士達に視察団が来たことを伝えに走っていた。

 団長もきっと、どこか窓から様子を伺っているはずだからもうすぐ出迎えに来るだろう。
 しかし団長が来るまでは、レオンハルトが応対しなくてはならない。

 レオンハルトは兵舎の前で、視察団が到着するのを待った。そして、だんだんと視察団が近付いてくるのを見守るうちに、ある違和感に気が付いた。

 ……聞いていたよりも、随分と数が多い。

 王都からの視察は定期的に行われている恒例のもので、特別に何か南部がやらかして調査に来たわけではない。ただ様子を見に来て、変わりがないと確認されるものだけのはずだ。

 それにしては、例年よりも随分騎士の数が多い……陣営的にきっと真ん中の馬車を警護しているのだと思うが、随分手厚い警護だ。

 聞いている視察団の中に、それほど身分が高い人物はいないはず。視察にやってくる騎士達よりも、レオンハルトやクラウス団長の方がよっぽど地位としては高い。
 では一体、誰を警備しているんだ?
 
 視察団が門を潜り、兵舎へと到着した。
 こちらの出迎えの兵士達も続々と揃いだしたが、皆一様にレオンハルトと同じ疑問を抱いているようで、辺りは妙な緊張感に包まれていた。

 馬車が止まる。護衛をしていた騎士達が一斉に馬から降りて、馬車の前から兵舎までの道に列を成した。

 嫌な予感がする。ルーナの言葉を借りれば、胸騒ぎがした。
 心臓がドクドクと荒々しく音を立てて、雨に打たれて冷えていく体に、額から汗が流れた。

 馬車の扉の前に、傘が開かれた。騎士が扉に手をかける。

 ――開けないでくれ。

 咄嗟にそう思った。
 空にはピカッと稲妻が光り、間髪入れずにゴロゴロゴロ……と大きな音が鳴り響いている。

 扉が開いた。中から人が降りて来る。
 もう一度、空に稲妻が光った。閃光は馬車から降りてきた人物を後ろから照らし、逆光になる。

 だから、こちらからは馬車から降りてきた人物の顔は一切見れなかった。南部の騎士達もそれが誰かわからなかったようで、ざわざわと戸惑う声が聞こえている。

 だけどレオンハルトには分かった。
 その馬車から降りてきたのは誰なのか。この胸騒ぎや、心臓の大きな音、冷や汗を起こしていたのが誰なのか。

 ゴロゴロゴロ……ッという大きな雷鳴のあと、地響きのような音がした。とても近くに雷が落ちたのだ。

 皆が慌てて辺りを見渡し混乱している中、レオンハルトはまっすぐ前だけを見つめていた。

 レオンハルトの視線の先には、シェザーレ王国第一王女、ナディアがいた。


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