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第五章
変わり果てた姿
しおりを挟む「レオ、来てくれたわね」
レオンハルトを出迎えたのはナディア王女だった。
レオンハルトを連れてきた二人の兵士は、レオンハルトを王女のいるこの部屋まで連れてくると、さっさと部屋を出て行ってしまった。部屋にはレオンハルトと王女の2人だけだ。
突然の招集に、レオンハルトはもちろん緊張していた。
緊急で呼び出された理由も見当がつかないし、レオンハルトの母の死に王室が関わっているかもしれないと分かった直後だ。
当時幼かったナディア王女が直接関わっているとは考えにくいが……ナディア王女を含めた王室全体に疑いの目を向けてしまう。
「……何か、緊急だと聞きました。一体何があったのでしょうか」
「奥様とお出かけしていたそうね。せっかくの休日なのにごめんなさいね」
座ってくださいな。促され、レオンハルトは茶器の置かれたテーブルに着席した。
ナディア王女が手ずから茶を淹れてくれ、目の前に湯気の立った温かいお茶が注がれる。
「子供の頃はこうして、よくあなたにお茶を飲んでもらったわね」
「……えぇ」
「せっかく王都に来てるのに、知らせてくれないなんて寂しいわ」
「申し訳ありません……」
紅茶の水面に浮かぶ自身の表情は浮かないものだった。
レオンハルトも、正直王都に来たからには王女に挨拶するべきかと悩んではいた。しかしルーナに、王女に会いに行くと言って変な疑いをもたれたり、嫌な気持ちにさせたくなかった。
数か月前にレオンハルトはナディア王女の求婚を断っている。そのとき、ナディア王女は怒るでも悲しむでもなく、ルーナを愛しているというレオハルトの気持ちに理解を示してくれた。
そんな王女に対して、やはりレオンハルトの行動は不義理だっただろうか。かといって、それを理由にこんな風に緊急で呼び立てる必要があるとも考えられず……やはり別の何かがあるに違いない。
「実はね……レオのお母様のことで、伝えたいことがあるの」
「っ?!」
まるで心を読んだかのようなタイムリーな話題に、レオンハルトは動揺して茶器を置くときに音を立ててしまった。
「っ申し訳ありません」
「いいのよ、気にしないで。動揺するのも無理はないわ……私がなぜあなたのお母様の話なんかと思うでしょう?」
「……僕の母は……」
「知っているわ。あぁ、アイレンブルク夫人の話じゃないわよ? あなたの産みのお母様……お亡くなりになられてるのよね」
「えぇ、ですが……」
「もしも、お母様の死の原因が、誰かに殺されたから……だとしたら、どう思う?」
「なっ……」
ナディア王女はレオンハルトの母を殺したのは王室が飼っている貴族のリクベルトだと知っているのか?
母を殺した理由を打ち明けてくれるのか? こんなにあっさりと、王室の闇を外部に漏らしてくれるだと?
そんなわけはない。レオンハルトは王室がなぜ母を殺したのか知りたいと思っていたが、王室が自らそれを打ち明けてくれるはずなどないのだ。
それも、こんな完璧なタイミングで王女から真相が話されようなど、どう考えてもおかしい。レオンハルトは一度、すっとぼけてみることにした。
「……母は、殺されたのですか?」
「えぇ。残念ながら……最近になって、やっと分かったことなの。あなたの母を殺したと自白した人がいて……」
「自白……?」
「えぇ、別の悪いことをしていた人なんだけどね。取り調べていたら他にもたくさん悪いことをしていたの……あなたのお母様を殺したのも、その一つよ」
「本当に、その人がやったんですか?」
リクベルトは王室の犬だ。王室の命令に絶対に従う、全面的な味方。そのリクベルトがまず捕まって尋問にかけられていることがおかしい。きっと人違いだ。レオンハルトはそう思った。
「そうよ。レオも、お話する?」
王女は朗らかに笑った。レオンハルトは何が何やら分からないまま、気が付けば頷いていた。
*
王女に連れて来られたのは王宮の地下にある牢だった。
煌びやかなドレスで、かび臭い石造りの階段を優雅に降りていく王女の姿と、薄暗い地下牢との対比はなんともちぐはぐである。
「ここね」
王女がある檻の前で立ち止まった。中は暗く、目が慣れていない為か何も見えない。
兵士が明かりを近付けて、真っ暗な檻の中を照らす。誰も居ないように思われた部屋の隅っこで、黒い影が緩慢な動きで蠢いた。
――誰かいる。ぞくりと背筋が震えた。
「ねぇ、あなたでしょう? レオンハルトのお母様を殺したのは」
鈴を転がすような美しい声が檻の中に呼びかける。その影は小さく動いただけで、返事をしようとしない。王女が兵士を見ると、兵士が檻の中に入ってその影を暗闇から引きずってきた。
格子越しに現れたその姿を見て、レオンハルトは思わず息を飲んだ。
「……リクベルト?」
小声で小さく呟いたレオンハルトの声を聴いた王女が「知ってる方?」と無邪気にレオンハルトに問うた。
「いえ……」
引きずられてきた男は、ぼろ布を纏っていた。そこからとびでている手足は細くて、枝のようだった。もしや、こうして人に引きずられでもしなければ、自分一人では歩けないのではないかと思った。
さらに、ただでさえ枝のように細く、骨と皮しかないような腕の表面は赤黒く、血やあざでところせましと埋まっている。
髪は何日も洗っていないのかぼさぼさで、皮脂や血がべったりと張り付いていた。伸びっぱなしであろう長い前髪の隙間から、ぎょろりと濁った白い眼玉がこちらを覗いている。
生きているのか……こんな姿になっても、生きていられるものなのか。
記憶の中や写真で見た姿とはあまりに変わり果てていて、一瞬誰か分からなかった。レオンハルトの知っているリクベルトは、鍛えられた立派な体躯に鋭い眼光を持った殺し屋だ。
今の、よほよぼで今にもぽきりと折れそうな枝のような手足に、なんとも汚らしい風貌とはかけ離れている。……けれど、眼光の鋭さは変わらない。たしかにこれはリクベルトだ。
尋問なんかじゃない。拷問の末に変り果ててしまったリクベルトの姿だった。
一体どうしてこんなところにいるんだ。なにかしくじったのか? なにか重要な任務を失敗してしまったのだろうか。
脳裏に過ぎったのは数ヶ月前、襲われたルーナを庇ったときのことだった。
「あらっもしかして舌を抜いてしまったの? だから話せないんでしょう?」
「申し訳ありません……どうやら担当官によっぽど癪に障ることを言ったようで……」
「まぁ。これじゃレオと話せないじゃない。ごめんなさいね、せっかくこんな汚いところまで来てもらったのに……レオ?」
純真無垢な笑みで王女がレオンハルトに振り返る。
その笑みを見た瞬間、レオンハルトは自分の中でこれまで築き上げてきた"ナディア王女"という虚像がガラガラと崩れ落ちる音を聞いた。
レオンハルトでさえショックを受けるような凄惨な取り調べを受けたであろう姿の容疑者を前に、ナディア王女は一切顔色を変えていない。
レオンハルトの知るナディア王女は、虫さえ怖がるような臆病さと、怪我をした野兎が可哀そうだと泣く優しさを持ち合わせた少女だった。
そのナディア王女は、どこにもいない気がした。
これは、本当にナディア王女なのか……?
「どうしたの? レオ。どこか様子が変よ」
「いえ……」
思わずレオンハルトは後ずさった。冷や汗が額に浮かび出る。
様子が変なのはナディア王女の方だ。おかしい。レオンハルトの知っている王女じゃない。
「気分が悪そうね。手を貸した方が良さそうかしら?」
「い、え……だいじょうぶ、です……」
地面がゆれている。違う、目が回っているんだ。どうして急に……バランスが取れない。今にも倒れてしまいそうだ。
「大丈夫じゃないでしょう? きっと効いてきた頃よ」
「効い……っ?」
「美味しかった? 私の淹れた紅茶は……」
どさりとついにレオンハルトは地面に倒れ込んだ。体が言うことを聞かない。指一本足りとも自分の意思では動かせない。
石畳の冷たい床が体温をじわじわと奪っていく。
クソ、やられた……!
カツカツと音を立てて、ゆっくりナディア王女が近づいて来た。
王女がしゃがんで、レオンハルトの髪を撫でる。
「少しだけ眠っていてね……」
おやすみ。
その言葉を契機のように、レオンハルトの意識はぶつりと切れて、ブラックアウトした。
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