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敵か、救世主か
しおりを挟む突然光とともに現れた者、それはミリアムに30ヴィタを手渡したローブの男だった。
よっぽど急いで来たのか、頭を覆い隠していたローブはずり落ちて、眩いばかりの銀髪があらわになっていた。
「あぁ? なんだぁこいつ、スラムの人間じゃあねぇな?」
「坊ちゃん迷子でちゅかぁ?」
この場に明らかに場違いな高貴な出で立ちの男を揶揄する言葉に、男たちに下品な笑いが起こる。
いったい何をしに来たんだろう。30ヴィタがやっぱり惜しくなって追いかけてきたのなら、とんだ災難に巻き込まれそうになっている。
ローブの男は血と涙に塗れたミリアムの顔を見ると、少しだけ目を見開いた。そして、すぐにボス格を男を見ると、自らに浴びせられる嘲笑交じりの視線に臆することなく、堂々とした態度で口を開いた。
「その者を買いたい」
「……あ?」
「今から貴族に売り渡すのだろう? 俺がより高く買うと言っているんだ」
「へぇ……」
ミリアムは耳を疑った。一体全体、どういう目的で言っているのだろうかと。
ボス格の男はじろじろとローブの男を見分し、金を持っていそうだと判断したのだろう。「いくらだ?」と聞いた。
「500ヴィタでどうだ」
ローブの男がそう言ったとき、その場にいた誰しもがその額に驚き、黙り込んだ。ミリアムも例外ではない。
私に500も出してどうするつもり? と。そのくらい、男が提示した額はスラムの人間たちにとっては常識外れの額だった。いや、それこそ、並みの貴族でもそんなには出せないだろう。
黙り込む男たちに、ローブの男は足りないと思ったのか「わかった、800出そう」と言った。なにも分かっていないのだが、男たちは分かったらしい。
「いいぜ。先に出しな」
ボス格の男の声に、ローブの男は自らの懐をガサゴソ漁り札束を取り出し、ひょいとその札束を床に投げた。ドン、と紙とは思えないほどの、重量感のある音が鳴る。
一人の男が前に走り出て、札束を数え始めた。
量も多いので、それだけで時間がかかる。札束を数えるぱらぱらという音がやけに大きく響いて、縄が腕に食い込む音がぎちぎちと聞こえるようだった。
やがて札束を確認し終えた男がボス格の男に合図を送ると、ボス格の男はミリアムの縄を掴んでいる男に「くれてやれ」と顎で指図する。
ミリアムは投げるように突き飛ばされた。
いきなりのことで、ミリアムはまた地面に顔からぶつかりそうになって、ぎゅうと目をつぶった。またあの痛みが襲ってくるのかと思い、心臓が冷えた瞬間、肩を掴まれ、体を抱きとめられた。
ローブの男の体からは、高級な石鹸をたっぷりと使って洗われたであろう、清潔な布の匂いがした。ミリアムが永らく嗅いでいない匂いだった。
「立てるか」
「……無理かも」
「仕方ない、抱えるぞ。縄は外で外してやる」
体を持ち上げられて、肩の上に乗せられる。お腹が苦しかったが、そんなことよりもこの場所から早く立ち去りたかった。
もっとも、新たに私を買ったこの男が味方なのか敵なのかもよく分からないので、安心するにはまだはやいが。
――――――
ミリアムを肩に乗せたまま、男はスラムの中を闊歩した。スラムの人々は、人さらいや泥棒、折檻など様々な事情でこのように連れて行かれる人間を日常的に見ているせいか、特に誰も気にしなかった。
この男は、あいつらから私を買い取って、どうするつもりなんだろう。それもあんな大金で。
あの金額よりも高く買い取ってくれる人のところへ、さらに私を売る? グリマルディに、そんなお金を出せる人間が一体どれくらいいると言うのだろう。
男はどんどんスラムの中を進み、果てにはスラムの外まで出てしまった。
あぁ、いよいよ売られるんだ――。
すでに先ほどのいざこざで消耗しきっていたミリアムは、ほとんど諦めの境地に居た。
男はミリアムを肩から下ろすと、綺麗な馬車の前にミリアムを下ろした。
「立てるか?」
「なんとか……」
男に支えられながら直立すると、男がミリアムの後ろに回り、ミリアムの腕を縛っていた縄を切った。ようやく腕に血が回りだして、ミリアムはすっかり感覚を失ってしまった手のひらを閉じたり開いたりする。
「この馬車に乗れ」
「……嫌だと言ったら?」
ミリアムの言葉に、男はクイと片眉を上げ、無言で馬車の扉を開いた。
「これでもか?」
「なっ……マリー?!」
「エマ様っ……! よくぞご無事で……!」
馬車の中にいたのは、犬小屋にいるはずのマリーだった。
目にいっぱいの涙を溜めたマリーは、ぼろぼろのミリアムの姿を見るなり、馬車から飛び出してエマを抱きしめた。
「よかった、よかったです、エマ様……!」
「どうしてマリーがここに……」
マリーを受け止め、呆然としていると、ローブの男とばちりと目が合った。
「感動の再会の中申し訳ないが、そろそろ君の本来の買主が追ってくるはずだ。とりあえず馬車に乗ってくれないか」
「……っあなたは何者?! 私たちをどうするつもり?!」
「何者なのかは昼間説明しようとしたんだが……時間がないから説明は馬車の中だ。ともかく、俺は君を誰かに売るためや、革命派に差し出すために来たんじゃない。それだけはたしかだ」
どうする。信じる? こんな、見ず知らずの外国人を? この男の言葉が本当かどうかなんて、なんの保証もないのに?
しかし男を振り切ってスラムに戻ったところでもう職はないし、正体もバレてしまっている。今日が無事で済んだとしても、明日からは第二の女将さんが現れるだけ。
選ぶ道は2つに1つ。どっちを選んでも死んでしまうかもしれない。でも、可能性で言えば、この男は未知数――
「乗るわ」
ミリアムがそう答えると、ローブの男は少し、ほんの少しだけ、安堵のような表情を浮かべた気がした。
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