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秘密の共有、ふたりだけの消えない傷跡
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好きだ、好きだ、好きだ
(好きだよ、好きだよ、好きだよ)
なんで俺から離れていった
(だからキミから離れたんだよ)
俺の腹に傷をつけたぐらいでなんで逃げた
(キミに消えない傷をつけてしまったから)
俺は恍惚感で最高に幸せだったのに
(僕は罪悪感で最悪に不幸せだったよ)
絶対に追いかける、絶対に捕まえてみせる
(ーーお願いだからもう僕を離して)
一瞬、息が止まった。
どうしようと考えてもどうにもできないとヤケになり、にこっと笑顔を作ってみせた。
「やあ、久しぶりだね颯真(そうま)くん」
それじゃあと何事もなかったかのように通り過ぎようとして、強く腕を掴まれた。
振り返ると背の高い大男が…颯真がニヤリと笑った。
「よう…探したぜアオ先輩。二年ぶり、いや、正確には一年と八ヶ月ぶりだな」
「正確な数字までわかるんだね」
「ずっとお前を探してたからな。ようやく見つけた」
さらに腕を引っ張られて路地裏へ連れ込まれる。しまったなあと鈴宮碧(すずみや・あおい)は後悔した。
ーー油断したなあ。まさか追いかけてくるなんて思わないじゃん。あーあ、これからどうしよ。
明るい道から外れ街灯も少ない裏道へ引き摺り込まれる。力で勝てないことはわかっているので、仕方なく歩く。
壁に押し付けられ、至近距離で顔を覗かれる。ここで怯んでもしょうがないと、碧は颯真を見上げてにっこりと笑った。
一年八ヶ月ぶりに見る颯真はすっかり大人の男の顔になり、こんなときなのに見惚れそうになった。
「ーーなんで逃げた」
「そりゃ逃げるでしょ。だってキミに…」
「これか?」
そう言って颯真がTシャツの裾をめくってみせた。
右側の腹部に三センチ程の切り傷。ーーあの日付けた傷だ。
碧は直視できなくて目を逸らす。
「しっかり見ろ。お前につけられた跡だ」
「…正確にはカッターナイフを持たせた僕の手を握って自分で付けた傷跡でしょ」
「お前が傷つけたことに何ら変わりはねえよ。小さい傷だけどなあ、たまに痛むんだよ。忘れるなって言われるみてえにな」
「……忘れてよ」
「絶対に忘れねえ。これつけられた後にお前が逃げたことも絶対に忘れねえ」
「執着強いねえ」
「どっかの誰かさんのおかげでな。で? この一年八ヶ月、お前がどこで何してたか教えてもらおうか? アオ先輩」
「…」
答える気はなく白々しく目線を違うところへ向けると「こっちを見ろ」と荒々しく顔を掴まれ無理矢理キスされる。
噛むようなキス、すぐにねじ込まれる舌、碧の舌を引っ張る癖…全部全部、碧の記憶の中にいる颯真だった。
碧は目を細めてキスを堪能した。
(…追いつかれちゃったなあ)
すぐに逃げたのに、どこの大学とかどこに住むとかも一切言わなかったのに、逃げ切ったと思ったのにこの一年八ヶ月で追いつかれてしまった。
ーーキス、気持ちいいなぁ。
やっぱりこの子は違うなあと回らない思考がのんびり動く。気づけば腕を伸ばして颯真の首に抱きついていた。
「んっ、はぅ、…んっ、んんっ、ん…っ、ぁ…」
「ちょっと見ねえ間にビッチになったか? 俺と別れたあとで何人の男とヤったんだよ」
「ん、んっ…そもそも僕たち付き合ってたっけ?」
「黙れ」
「ぅうっ」
首筋を強く噛まれた。これじゃあ跡になるなあと明日の朝が楽しみになった。
碧はにこりと笑った。
「僕の部屋来てセックスしてくれたら教えてあげるよ?」
「物少ねえな…」
ひとり暮らしをする碧の部屋へ足を踏み入れた颯真はぽつりと言った。
「ホントに住んでんのか?」
「フツーの大学生がセカンドハウスなんて借りれないでしょ」
「まあそうだけど。漫画とか雑誌とか一切ないのか」
「ないよ。僕には必要ないもん」
「娯楽は」
「んー、思考?」
「意味わかんね」
まあいいやと颯真に抱き上げられ、部屋の半分以上を占領するベッドに投げられた。
「もっと大事に扱ってよね」
「大事に扱われたかったら約束しろ。二度と俺から逃げない、って」
「んー、やめとくよ」
「約束しろ」
「んー…、んふふ」
「笑ってごまかすんじゃねえ」
あっという間に服を剥ぎ取られる。碧は隠すことなく全身を颯真に見せた。
颯真の手が伸び脇腹を触り、目を丸くした。
「一年八ヶ月前より痩せてんじゃねえか。は? 骨と皮だけじゃねえか。お前大食いキャラだったろ」
「ごはん食べるのめんどくさい」
「こんなボロボロの体抱くの怖えよ。まあ抱くけど」
鎖骨に噛みつかれる。べろべろ舐められて再び首を噛まれた。そのまま強く吸われ、噛み跡と共にキスマークも残るだろう。嬉しい。
「はあ、あっ…ん、ふ、うっ…」
「で? 今付き合ってる男はいるのか?」
「いるよ…」
「今から俺が寝取るってわけね」
「キミに寝取れるかなぁ?」
「クソビッチが」
颯真が服を脱ぎ捨てる。
がっしりとした肩に筋肉質の腕、綺麗に割れた腹筋…会わなかった間に体も少年からすっかり大人の男となっていた。
しかし腹の傷跡があるためしっかりとは見られず、すぐに目線を外した。
「ちゃんと見ろ」
「…」
「チッ」
舌打ちをした颯真が碧の手を取り、無理矢理傷跡に触らせる。
「ひっ…」
「ああ、ようやく俺が主導権握れた。怖いか? 傷に触るのがそんなに怖いか?」
「や、やめ、て…」
指先にザラリとした感触。逃げようにも、強く掴まれては逃げられない。
「触れ。傷口をなぞれ。舐めろ。噛め。お前が付けた傷ってのをしっかり味わえ」
涙目になる碧がふるふると首を横に振るう。
やめて。お願いだからやめて。
カタカタと震えるのを見て、ようやく颯真は手を離してくれた。
「ふーん。トラウマになるぐらいにはお前も傷になってるってわけか。いいね。すげーいい」
ベッドがギシリと音を立てる。颯真に抱きしめられた。
傷跡に無理矢理触らせた割には、安心しろと言わんばかりに優しく頭を撫でられて意味がわからない。
「…颯真くん」
「なんだ」
「僕を抱くのか抱かないのかどっちかにしてくれる? 早く続きしたいんだけど?」
すでにギンギンに勃起する颯真の性器に触れる。軽く上下に擦ってやれば先端からじゅんわりと我慢汁が漏れ出た。
ついでに同じく勃起する自身にも触れ、先端から出た体液を颯真の頬に擦り付けてやった。
「ビッチめ」
「ん、はっ、…ぁあ、んっんんっ、ん…」
ぐちぐちと性器の先端を強く揉まれ、甘い声がたくさん漏れ出る。
先ほどから期待のせいで収縮を繰り返す穴に、颯真は自身の先端を押し当てた。
「クソビッチなアオ先輩には慣らしなんて必要ねえよなあ?」
「…自分が我慢できないだけのくせに」
「うるせえよ」
「はぁんっ、んっうぅっ、ぁ、あ、あ、ああああ…っ」
一気に奥まで押し込められ思わず背がのけ反る。露わとなった首元をガブリと噛まれた。
「い、った、痛い…はあ、あ、あ、あぁ…っ」
これもまた、しばらくは消えない跡になるだろう。…颯真の腹部の消えない傷跡と違ってすぐになくなるけれど。
「相変わらずきゅうきゅうに締めつけてくるな。もっと緩めろ」
「むり…、っキミのが大きすぎる、んんっ! だ、よ…はあ、あっ」
「なあアオ先輩。クソビッチな先輩はどのちんこが一番良かったんだ?」
「…さあ?」
白々しく肩をすくめて見せると気に食わなかったのか、鋭い瞳で睨まれゾクッとした。
「この一年八ヶ月…俺がどんな思いで過ごしてきたわからせてやるよ」
足をすくい上げられさらに繋がりが深くなる。大きな体を小さな体に遠慮なく打ち付けられる。
碧はただ、その気持ちよさにずっと喘いでいた。
久しぶりに聞いた、アオ先輩、という颯真しか呼ばれない名前に興奮しながら。
初めて会ったのは高校三年生の時だった。
もう使われていない体育館倉庫の中で初めて付き合う人と初めてセックスするという段階で、ひとつ年下の颯真に偶然にも見られてしまった。
恥ずかしさからだろう、今から抱いてくれるはずの恋人は逃亡。碧はただ全裸でぽかんとした。
『俺が寝取ってやろうか』
冗談だろうと思ったのに本当にセックスしてしまった。
それが全ての始まりだった。
「んー…いま何時…」
スマホを見るとまだ八時にもなっていなかったので安心した。
今日は二限目からの予定なので、もう少しのんびりできる。碧はベッドの中でごろごろする。
ーー昨夜の颯真とのセックスはよかった。すごくよかった。
自身も颯真もどれほどイったのかは覚えていないが、この体のだるさから相当な数だったろう。
狭い部屋を見渡しても颯真はいない。早々に帰ったのか。
「…まあもう会わないか」
一年八ヶ月前は純真無垢だった先輩がこんなビッチに成長してさぞ嘆いていることだろう。
「そういや着信あったな…」
もう一度スマホを見ると、着信が五十件を超えていたので目を丸くする。
「えー、なんか怖いなあ」
見ると全て、今付き合っている男からだった。そんな緊急の連絡なんてないだろうに。
メッセージアプリを開くと、別れよう、と五十件超の着信の最後にそう入れられていた。碧は首を傾ぐ。
結構上手く付き合ってると思ったんだけどなー、と不審がりスクロールしていくと、送った覚えのない写真が数枚載せられていた。
ベッドの上で裸で転がる碧。その体は噛み傷、キスマークだらけでおまけに体液でぐちゃぐちゃだ。
下半身なんて、たった今セックスしました、と言わんばかりのどろどろ具合で事後だと誰が見てもわかる。
「いつの間に撮ってたんだ…」
しかも写真の最後には「寝取られ完了」と謎の返信付き。
恐らく颯真だろう。というか颯真しかいない。メッセージアプリを開けば会話文で誰と付き合っているかすぐにわかるだろうから、別れさせる気で送ったに違いない。
「ごめんね、巻き込んで」
付き合っている男に未練はないが、こんな終わり方をさせるのはさすがに少し心が痛む。
シャワーでも浴びようかと立ち上がりかけたとき、スマホの通知音が鳴った。
見るとメッセージアプリだが、このアイコンは見たことがない。
「誰だろ」
開いてみると、そこには住所と時間が書かれていた。住所はこの近くで徒歩で行け、部屋番号も書かれていた。20時とも書かれているので、この場所に20時に来いということだろう。
誰だろうと思っても、颯真以外いない。碧が眠る間に勝手にスマホを操作したに違いない。
『今日バイト。22時なら』
そう返信すると即座に既読が付いた。
『逃げんなよ』
文字だけならいくらでも逃げられる。実際、碧は行く気は全くなかった。
しかし、続けて送られてきた画像に行かざるを得なくなる。
「ああー…盗られてる…」
財布に入れておいた学生証がない。颯真に人質ならぬ物質をされてしまった。
再発行してもいいが、すでに颯真の手にあるため大学名や学部名が全て知られてあるのであまり意味がない。
部屋を知られただけなら引っ越せばいい。しかし、学生証となれば話は別だ。
「んー、んんー、んんんー……はあ、会うしかないねぇ」
のろのろと立ち上がった碧は、とりあえずシャワーを浴びた。
それきりの関係だと思ったのに、気づけばまた会っていた。
とは言ってもお互いが体育館倉庫にいる時だけの間柄。そこにいればセックスする。それだけ。
お互いに名前とクラスぐらいは自己紹介した。でも、それだけ。
連絡先も知らないし住んでいる場所も知らない。
セックスして腹が減れば購買でパンとジュースを買い、ふたりで食べてまた抱き合う。
不思議と居心地がよかった。
玄関チャイムを鳴らすとすぐに颯真が出た。
「逃げるかと思った」
「さすがに学生証は返してほしいなあ」
「入れ」
やっぱり入んなきゃだめですよね、と碧は靴を脱いだ。玄関先で終わればよかったのに。
碧と同じワンルームの部屋に、香ばしいいい匂いが漂った。
「メシ食ったか?」
「まだ。というか基本食べない」
「食えよ…。その骨と皮だけの体どうにかしろ」
「そう言われましても。ん? 唐揚げ作ったの?」
小さなキッチンのシンクの上には美味しそうな唐揚げが山盛り乗っかっている。
「…自分で揚げたの? キミってもしかして料理スキル高い?」
「自炊が一番安く上がるし大量に食える。ほれ、口開けろ」
「あーん」
小さく口を開けると唐揚げを放り込まれる。少し冷えているが、これぐらいが食べやすくていい。
碧は眉間に皺を寄せた。
「え、なんでこんなにおいしいの? 毒入ってる?」
「失礼だなてめえ。自分で味付けしてんだよ」
「ええー…自分で味付けまでしちゃうタイプですか…」
「メシも炊いてある」
「うわぁ、何合あるんですか」
ぱかっと開けた炊飯器は炊き立てでふっくらツヤツヤである。思わず碧の喉が鳴る。
「お前も食え。唐揚げには白米だ」
「颯真くんが食べさせてくれるなら食べてあげてもいいよ?」
ふふふ、と笑いながらそう言うと、丼に白米をよそった颯真が箸に一口分のごはんを乗せてこちらに向ける。
ぱくっと食べた。
「おいしい。炊き立てごはんなんていつぶりだろ。そもそもウチ炊飯器ないし」
「マジか」
「個人店の居酒屋バイトしてるから賄いあるけど基本食べないし」
「…賄い食わないのになんでバイト先が居酒屋なんだよ」
「近いから」
「もったいね」
「次唐揚げ食べたい。早く早く、あーん」
「自分で食えっての」
結局、キッチンに立ったままふたりで大量の唐揚げと白米を食べた。正確には碧は全て食べさせてもらった。
「ーー食べすぎた」
碧はベッドに横になる。お腹いっぱいまで食べるなんて本当に久しぶりすぎて、この感覚をしばらく忘れていた。
「僕はもう動けない。ああ~お腹いっぱいすぎて目が回る~」
「言うほど食ってねえだろ。片付け手伝え」
「よろしく~」
「あ? お前も手伝うんだよ」
「えー、ちゅーしてあげるから。ほら、こっちおいで。はい、ちゅー」
ちゅ、ちゅ、と目元にキスしてあげると冷たい目線で見下ろされた。碧はどこ吹く風でベッドの上でごろごろ。
「誰にでもこういうことすんのかよ」
「さあどうだろうね。あ、これ颯真くんの部屋着? 借りまーす」
ラクな服装に変えたかったところなのでちょうどいい、枕元に畳んであった颯真の部屋着に着替えた。
「ぶっかぶか。肩出ちゃうよ。まあいいや。…ん? 颯真くん片付けないの?」
「俺の服着てベッド転がるやつ前にして他のことできるかよ」
颯真もベッドへ入ってきて、碧を背中から抱きしめる。
「久しぶりだなこの匂い…」
髪の毛に顔を埋めてしみじみと呟かれる。腕をしっかり回してホールド、足もがっちりと囚われては逃げようがなかった。
「で? この一年八ヶ月の間でどれだけの男とヤったんだ?」
「んー、何人だろ…。十人ぐらいかな、んん? もうちょっといるかな。あ、でも途中でセフレ作ってみたけど僕には合わなかったからそれはノーカン?」
「…思った以上のクソビッチ」
「でも全員ちゃんと恋人だったよ? デートしてごはん食べてセックスして。長続きしないけどね」
「で? どのちんこが一番よかった?」
「ふふふ、そこはノーコメントにしておこうかなぁ」
「俺って言えや」
「張り合うの? かわいいね。…幻滅した? 記憶の中の僕はビッチじゃないでしょ?」
かぷ、と首筋を柔らかく噛まれる。
「んっ…僕だって好きでビッチになったわけじゃないよ。恋愛至上主義なだけ。もちろんセックスも大好きだよ? でも僕がほしいのは恋人。僕だけ見て一日中僕のこと考えてくれて…重苦しい恋愛がしたい」
「俺は一年八ヶ月考えてましたけど?」
「ははは、重いね。その間キミはどれだけの人を抱いたの?」
「抱くわけねえだろ」
「わー重いねえ、重い重い」
くすくす笑うと抱きしめられる腕に力が入った。
「俺はお前の恋人にはなれねえのか」
「なれないね」
「なんでだ」
「さあねえ、なんでだろうねえ」
首筋をもう一度、今度は強く噛まれる。服の中に手が入ってきて、きゅっと乳首を摘まれた。
「んっ、ん…はあ、あ…」
「どうやったらお前の恋人になれる? なあ、アオ先輩」
くりくりと突起をこねくり回され、ぎゅううと押しつぶされる。ビクビクと体が震えた。
碧はそっと手を伸ばして、颯真の股間に触れる。もうとっくの昔に勃起していたのは知っている。
「おちんちん挿れてくれたら答えてあげるかもね?」
そんな気さらさらないけど。
振り向くと冷たい目線で見下ろされる。「その目つき好きだよ」とキスすると勢いよく舌を突っ込まれながら押し倒された。
碧は眉間に皺を寄せた。
「むむ…これはちょっと熱がありますなあ」
体温計なんてものはないから測れないけど、体感的に微熱だ。
「今日は昼からだしバイトもないし…」
三限目からなのでそれまでに休めばなんとか出席できるだろう。で、帰ってからまたゆっくり休もう。
突然の颯真との再会から早一週間。怒涛の一週間である。
スマホの着信が鳴る。噂をすれば、だ。なんでこうも毎日毎日かかってくるんだろうと思いながら立ち上がり水を飲む。
冷蔵庫に何もないけれど、まあ寝てればいいや。
着信音が切れる。またすぐにかかってくる。また切れて…何度か繰り返すと、メッセージの通知が鳴った。
『出ろ。男とヤってる最中か?』
重いねえ、重い重い。
『熱出た』
『うそつけ』
また着信が鳴った。もう面倒になり出る。
「…なに」
『調子悪そうだな。今から行くから待ってろ』
すぐに切れた。碧はスマホを眺める。
まだ朝の六時なんですけど…。
案の定、颯真はすぐに来た。しかもなぜか勝手に鍵を開けている。
「え?」
「合鍵作った。はい、スペア返すわ」
「いつの間に…」
一番最初に会った夜、あのときに学生証を盗られたのでついでに部屋をガサ入れしたのだろう。
この部屋のスペアがどこにあるか自分でもわからなかったのに。
「で? 熱は?」
颯真がおでこ同士をくっつけ、首に手を当てて最後に頬を撫でた。
「微熱だな。粥作ってやるから寝とけ」
「ごはんないし炊飯器もないよ」
「米と卵と小さい土鍋その他諸々持ってきた」
用意周到なことで、と碧はベッドに横になった。
自分の部屋に颯真がいてごはんを作ってくれている。変な光景だ。
(思えば学校以外で会ったことなかったんだよねぇ…)
会うといえば体育館倉庫だけ。待ち合わせしていたわけでもないから、タイミングが合わなければ会えない。
それが今、ちょっと手を伸ばせば届く距離にいるのだ。
思わず腕を伸ばしかけて、ハッとした碧はベッドに潜り込んだ。
「できたぞ」
「僕お粥きらい」
「作ったあとで言うんじゃねえよ。いいから食え」
「食べさせてくれたら食べてあげる」
「チッ」
テーブルに土鍋を置いて、颯真がフーフーして食べさせてくれる。
「あれ、おいしい。お粥っておいしいっけ?」
「俺ぐらいの料理上手が作れば上手くなる。食ったら飲んどけ」
そう言ってポケットから取り出したカプセルを口に運ばれたので、あーんと口を開けて水と一緒にごくりと飲み込んだ。
それを見た颯真が、うわあ、と嫌そうな声を上げる。
「お前…俺がなに飲ませるか少しは考えろよ」
「風邪薬でしょ? この部屋にそんなものないから持ってきてくれたんでしょ?」
「だからって外箱とか確認しろよ。変なもん飲ませるかもしれねえだろ」
「キミにそんな度胸ないよ」
「信用されてるのかいないのか」
颯真が立ち上がり片付けてくれる。その後ろ姿を見ながらぽつりと「キミになら何飲まされたって構わないよ」と呟きながらベッドに潜り込んだ。
布団を被り、玄関にいる颯真を眺める。
「もう帰るの?」
「することねえだろ」
「大学は?」
「三限目から」
「じゃお昼までいられるね。僕も三限目からなんだ。ねえここにいてよ。僕さみしい」
「そんなこと誰にでも言うんじゃねえ。寝とけ」
「さみしい」
「寝とけ」
「…じゃあすっごくいいこと教えてあげるから、ここにいて」
颯真が玄関のドアを開ける。
「この部屋ね、僕以外で入ったのキミが初めてだよ」
ドアが閉まる。すぐさまベッドが沈み込む音がして碧は微笑んだ。
「…どういう意味だ」
冷たい目で見下ろされる。
「そのままの意味だよ」
「どうせうそだろ。この一年八ヶ月で十人以上の男と寝てその上セフレまでいやがったくせに」
「僕は自分のテリトリーを大事にするタイプなんだ。この部屋は神聖なんだよ。ここから先の話を聞きたかったら抱っこしてね」
ん、と両手を広げると、盛大にため息を吐いた颯真に腕を引っ張られた。
あぐらをかく真ん中に座り、後ろからぎゅっ。大きな体にすっぽりと包まれ、碧は嬉しそうに笑う。
「熱大丈夫か? 咳は? 頭痛は?」
「キミって世話焼きさんだねぇ」
「俺から逃げられねえように囲い込んでる最中だ」
「囲い込み」
「住所、大学名、バイト先、たまに寄る本屋、たまに行くスーパー…全部知ってっからな」
「わー重い重い。僕ってばすごい囲い込まれてるねえ」
「このまま逃げるなよ」
「あはは、どうしようかな」
「で? 自分のテリトリーがなんだって?」
頬を撫でられた。その大きな手のひらが心地よくて擦り寄ってしまう。
「この部屋は俺以外入ったことねえってのは本当か?」
「ホントだよ。恋人と会うときはその人の部屋だし。なんだったらスマホと財布も全部置いとく。絶対に持って行かない」
「は…?」
「だってどこに住んでるかとか知られたくないし、スマホにアプリ勝手に入れられたら嫌だしそもそも見られるのも嫌だし。もし恋人が部屋に来たとしても絶対に上げない。だってここは神聖な部屋だもん。僕は…ここでずっと考えてたい。ずっと考え事してたい」
「……何を考えるんだ?」
颯真の手が、ぎゅっと碧の小さな手を握りしめる。
碧もそっと、握り返した。
「教えてあげない」
「重いのが好きって言ってる割にはそういうの拒むのかよ」
「キミはそういうのしそうだよねえ」
「…お前のスマホにすでにGPSアプリ入れてる」
「あらら」
思わず笑ってしまった。
「どうせ俺が帰ったらそのアプリ消すんだろ?」
「さあねえ、どうだろう。ずっと見てなきゃわかんないよね。ーー颯真くん、見張っててくれる?」
ちらりと背後を見ると、相変わらず冷たい目線を注がれる。
「俺をこの部屋へ入れたのは、俺が特別だから、俺がどうでもいいから、どっちだ。言え」
「んふふ」
「言え。…チッ、もう寝とけ」
まぶたに手を置かれ真っ暗にされる。
「俺に襲われたくなかったら寝ろ」
「ん? てっきり襲ってくれるのかとばかり」
「体調悪いやつに手ぇ出すほど落ちぶれてねえよ」
「別に襲ってくれていいのに」
くすくす笑いながら碧は目を閉じた。
喋りすぎたらしくちょっと苦しい。ふうと息を吐くと頬を撫でてくれ「おやすみ、アオ先輩」と優しく囁かれた。
ーーキミから逃げた張本人なのに、なんでここまで優しくできるんだろう。
碧は泣きたいのを我慢した。
「わーい、ドライブだー」
にこにこ笑いながら碧は助手席に座り込んだ。
「で、この車なんだっけ」
「覚える気ねえだろ」
何度も車種名を教えてくれたが車に全く興味がないのでちっとも覚えられない。なのでとにかく、赤い車、としかわからない。
夜、颯真にドライブに誘われた。
「颯真くん車持ってたんだね」
「そのうちお前を助手席に乗せようと思ってな」
「そう言いながら他の子乗せたでしょ?」
「お前のような尻軽じゃねえよ」
ギロリと睨まれたので、あははと笑ってごまかした。
碧はスマホを取り出しマップアプリを見た。
「どこ行くー? 僕的には夜景の綺麗なとこ行きたいし、あ、ちょっと遠いけど遅くまでやってる本屋さんあるからそこにも寄ってみた…え、なんかすごい顔してるけどどうしました」
「お前…スマホ持ってるじゃねえか」
「え、うん」
「男と会うときはスマホも財布も持たないって話しただろうが」
「したねえ」
それが何か? と笑顔で聞くと、「もういい…」と呆れ顔で睨まれた。んふふと笑って流れる景色に目をやった。
夜の道は街頭やライトがキラキラ光っていてとても綺麗だ。
「ヤケに嬉しそうだな」
「ドライブ行くことないもーん。楽しー」
「男の助手席なんかしょっちゅう乗ってるくせに」
「乗らないよ。だってどこ連れて行かれるかわかんないじゃん。一応これでも警戒してるもん。付き合ったらさ、勝手にスマホの中身見られるし変なアプリ入れられるし、怖いから手作りのもの食べたくないし、初めての飲み会でお酒飲んだら襲われそうになるし。だから僕はもう二度とお酒飲まない。そういえば学生証返してもらったっけ? あれも勝手に見られるんだよねえ。あ、返してもらってたね」
財布を確認すると入っていた。
颯真は、口に手を当てて気まずそうにしていた。
「…酒以外全部当てはまるんだけど」
「そうだねえ。颯真くん、勝手にスマホの中身見たし勝手に元彼に僕の卑猥な写真付きメッセージ送ってたし勝手に合鍵作ってたしGPSのアプリ入れたしごはん作って食べさせたしポケットから出した風邪薬を確認させず飲ませたし学生証も盗ったね。まだ二十歳になってないからお酒だけは関係ないね」
「…言葉にすると俺すげーことしてんなあ」
「重いねえ、重い重い」
「つか、まだGPSのアプリ入れたまんまだろ」
「うん、ほら、ここに入ってる。見て見て」
そう言って颯真の顔にぐりぐりとスマホを押し付ける。「運転中に見せてくんな!」と怒られたけど構わずぐりぐりぐり。
「消さねえの?」
「だって颯真くんが見張ってるからねえ。消すタイミングがないんだよねえ」
「白々しい」
「んふふ」
深夜まで営業する本屋に連れてきてもらった。普段来られない場所でしかも深夜帯だ、碧は終始にこにこしていた。
一冊だけ厳選して購入し、再び車に乗り込んでマップを見る。
「この先にコンビニあるから寄ってもらっていい?」
「なに買うんだ? ゴムか?」
「それも要るけどねえ」
にこ、と碧は笑った。コンビニに入った碧は一目散にパンコーナーへ走る。
「あった! どでかいメロンパン!」
「声でけえ。つかそんなでかい声出せたんだな」
「颯真くん覚えてる? このどでかいメロンパン、高校の購買に売ってたんだよ」
「そういやあったな。お前いつもこれ食ってたな。懐かし」
体育館倉庫でセックスして、腹が減っては購買へ向かってこの巨大なメロンパンを買っていた。
「メロンパンときたらやっぱこれだよねえ」
「うげ、甘いもんに甘いもんかよ」
ミルクティーを見せると明らかに嫌そうにされた。
「車ん中で食うな。ボロボロ溢れてるだろ」
「だっておいしいんだもん。まあ実際にはおいしいって言うか懐かしいって言うか。車は明日一緒に掃除しようね」
「明日も会ってくれるんか」
「だって颯真くんに見張られてるからねえ。んー、おいし」
「一口寄越せ」
まだ車はコンビニの駐車場に停めたままだ。だから誰かに見られるかもしれないのに、と思いながらも碧は顔を上げて目を閉じた。すぐに唇を重ねられ、舌を口内にねじ込まれる。
「…あま」
「一気に太れそうな感じしない?」
「お前の体は骨と皮だからな。それぐらいでちょうどいいかもな」
「お腹いっぱい。あげる」
「半分も食ってねえだろ」
んふふと碧は笑った。
「今ならメロンパンと一緒に僕も食べていいよ?」
ーー後部座席に腰掛ける颯真に跨り、碧は快感に喘いでいた。
「あ、あっ、あ…きもちい…はあっ、あっ、あっ、んん…っ」
「車買って正解。ここでアオ先輩抱けるとは。ほら、しっかり動け」
軽くお尻を叩かれ体がびくびく震える。まだイってないけど、ちょっと危なかった。
いつものベッドとは体勢が違い、咥えるように跨る形なので繋がりがより一層深い。
がんばって腰を動かすけれど、車の中でのセックスは全く慣れていないため勝手がよくわからない。
せっかく夜景の綺麗な高台まで来たというのに、景色なんて全然見ていない。
碧は夢中で颯真にしがみついていた。
「んっ、んっ、んっ…あ、あああ、は、あ…っ」
「もう息切れか? そんな細さじゃ体力ねえわな。ほら」
「んんんっ! あ、ゃ、い、イっちゃ…あ、あ、あ…っ!」
「…っ」
腰を強く掴まれ打ち付けられる。触られてもいない性器からどぴゅどぴゅと精液が溢れ出す。
同時に颯真もイったのだろう、内側で大きく震えていた。
力が抜けて颯真にもたれかかると、抱きしめられたくさんのキスを降らせてくれる。気持ちよくて嬉しくて、碧は目をつむって受け入れていた。
「一旦ゴム外すわ」
「ん…」
性器が抜け出る瞬間にぶるりと体を震わせていると、ゴムを付けた颯真自身が出てきたので碧は外してやった。
「ゴムなくていいのに」
「自分の車に自分の精液付くって気持ち悪いだろ。だからシート広げてんだよ」
颯真が腰掛ける後部座席には、途中購入したレジャーシートを広げていた。
「お前のは全然いいけどな」
萎んだ碧の性器を軽くしごいてその指先をぺろりと舐める。
「…なあ」
「んー?」
「俺のこと聞かねえの? どこの大学か、とか、どこでバイトしてるか、とか」
「聞かれたいの?」
「そりゃあな。なんだその顔。興味ないってか」
「んふふ、どうだろうね」
首元に擦り寄った。「ふーん」と意味深に返事をする颯真の手が、おもむろに碧の指先を掴んだ。
握りたいのかなと好きなようにさせていると、碧はビクッと体を震わせた。
右側の腹部…あの傷跡に碧の指先を触らせていた。
「や、やだっ…やめてよ…っ」
途端に涙目となる碧はぶんぶんと首を横に振る。
どんなに振り解こうとしても、颯真は手を離してくれない。
「しっかり触ってみろ」
「やめてっ、おねがい、だから…っ」
「前はああ言ったが本当は痛みなんか全くない。だから触れ。触ってくれ」
首を強く横に振るう。碧の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちるのを見て、ようやく手を解放してくれた。
颯真に背中を撫でられる。まるで謝られているかのようだった。
「お前が逃げても俺は追いかけるからな」
「…好きにしたらいいよ」
「何度だって抱きしめに行く」
「…好きにしたらいいよ」
「こんだけ好き好き言ってんのに恋人になれねえとは。一体何したらお前は陥落されるわけ?」
「んー、そうだねえ」
んふふと碧は笑った。
「教えてあげない」
むむ、と碧は唇を尖らせる。
「何してんだ? さっきからすげー顔になってるぞ」
ベッドの上でごろごろ転がりながらスマホを眺めていると、颯真にずしっとのし掛かられた。
「んー、ヒミツー」
「んだよ。しゃーねえ、車の掃除でもしてくっか。お前が車乗るたびメロンパンこぼしやがって。これで何回目だ?」
「んー、五回ぐらい?」
「十回だ」
「ホントにキミって数えるの好きだよねぇ。さぞかしいい大学に通ってるんでしょう」
「俺に興味持ち出したか?」
「雨降ってるから車の掃除できないねぇ」
「あ? いつの間に降り出し…降ってねえ」
カーテンを開けてすぐ閉めて、再び颯真がのし掛かる。
「重い~」
「てめえ騙したな」
「ぷぷぷ、騙されてやーんの」
「おいコラ。で? さっきから何見てんだよ」
「あーん僕のスマホ~」
スマホを取り上げられたが、そのスマホを見る颯真が固まる。
そして勢いよくスマホをベッドに投げつけた。
「てめっ、この後に及んでまだ逃げる気か…!」
碧が見ていたのは賃貸情報サイトだった。
「この部屋気に入ってるんだけどさあ、キミが来るから狭いんだよねぇ」
「…俺のせいってか」
ギロリと冷たい目で見下ろす颯真があることに気づいた。
「あ? こんなに部屋数いらねえだろ。ただでさえお前物少ねえのに」
開かれたページに映る物件全て、2LDKから3LDKなのだ。
「キミは自分の部屋が欲しいタイプ? 僕はねえ、くっつき虫になりたいからいらなーい」
「話が見えねえ」
「僕のベッドは処分だねえ。キミのベッド広いからごろごろできて好き。あとはー、炊飯器はキミのがあるし、洗濯機もキミの方が大きいし、レンジもキミのが…あれ、僕が持っていくもの何もない」
「……あ? マジで?」
合点がいったらしい、颯真の頬が見る見る間に紅潮する。
「おい!」
勢いよく肩を掴まれた。
「ようやく…ようやくか!」
「えー、なに~?」
「好きだぜアオ!」
盛大に頬にキスする颯真の嬉しそうな顔を見て、碧は笑った。
「夜時間あるだろ? ドライブ連れてってやる! 多少の寝不足は覚悟しとけよ! 車綺麗にしてくる!」
そう言って颯真は部屋を出て行った。
パタンと閉まるドアに向かって、碧は手を降った。
「違うよ」
にこっと笑った。
「さよならだよ」
「ふざけんな! なんだコレ!」
勢いよく胸ぐらを掴まれた碧はにこっと笑った。
「退学届だよ」
カバンに入れていたはずなのにいつの間にか颯真の手にある。
きっと探ったのだろう。
「ふざけんなっ! この後に及んでまだ逃げるってのか! しかも大学辞めてまで!? どういうことだ!」
「キミから逃げるためだよ。高校のときは周りに志望校言ってたから僕を追いかけられたけど、今回はどこに行くか誰にも言ってないからわかんないだろうね」
「ふざけんな…っ!」
「殴りたいなら殴れば?」
「一緒に住むって言っただろうが!」
「僕はそんなこと一言も口にしてないよ。キミが早合点したんだろうね。まあ僕が嘘ついてても逃げるけど。退学届、返してくれない? 早く提出したいんだけど」
「なんでそんなに冷静なんだよ…!」
「なんでそんなに熱くなれるの?」
盛大に舌打ちした颯真は胸ぐらを掴んでいた手を離し、退学届を破り捨てた。
「あーあ、また書かなきゃいけない」
「アオ!」
肩を掴まれた碧は笑った。
「どうしたの? 泣いてるよ?」
「なんで…なんでそんな笑ってんだよ…!」
「キミから逃げられるからね。ーーなんでそんな被害者面できるのか不思議でしょうがないよ。キミを傷つけたのは僕だ。でも、あのときカッターナイフを持たせて僕の手を動かしたのはキミだよ」
若気の至りといえばそれまでだ。
もう使われていない体育館倉庫の中。いつも通りセックスしてうとうとしていると不意に手を掴まれた。
カッターナイフを持たせられた。よくわからないまま、颯真の腹部に誘導させられる。
碧の手を握る颯真の手で、気付けば腹部から血が溢れ出ていた。
『これでお前は俺から離れられねえ』ーーそう言った颯真のセリフが、今だに碧の耳から離れてくれない。
「そんなことで…」
「そんなこと? 僕は人を傷つけたんだよ。犯罪者じゃないか」
「お前ひとりでやったんじゃねえだろ。俺がやったんだろ」
「この際どっちでもいいよ。僕がキミを傷つけたことに変わりはない。ーーあのときの笑ったキミの顔が忘れられないよ。お願いだからもう僕を離して」
颯真が抱きしめてくる。
首をふるふると横に振っている。
「いやだ」
「ねえ離して」
「いやだ」
「僕が冷静でいられるうちに離して。お願いだよ」
「…冷静でいられるうちってなんだよ。お前だってもっと言いたいことあるんじゃねえの? 言えよ! なあアオ!! 全部言えよ! 俺が納得できる言葉をくれよ!! なあ! ア…」
碧を見る颯真の目が丸くなる。
ーーああもうだめだバレたせっかく我慢していたのにあーあもうだめだ。
颯真が涙を流しながら、ふ、と笑う。
「お前だって泣いてんじゃねえかよ、アオ先輩よお…」
「…抑えてるんだよこれでも。だって僕、犯罪者になりたいわけじゃないから」
「これは秘密の共有だろ」
くっ、と喉奥で颯真が笑う。
碧は気づいていた。自分が泣いていることに。
とっくに気づいていた。いや、最初から知っていたけどずっと抑えていた。
「ーーなんで僕がごはん食べないかわかる? なんでこんなに痩せたかわかる?」
「あ? こんなときになんだよ」
「知ってる? 恋わずらいってお腹空かないんだよ」
碧は精一杯、微笑んでみせた。ぽたりと、涙がこぼれ落ちる。
「僕ね、この部屋でずーっと考え事してた。ずーっと思い出してた。キミと過ごした三ヶ月間のこと。たった三ヶ月しか僕たち一緒にいなかったんだよ? それをさ、一年八ヶ月間、ずっと思い出してずっと思い出に浸ってた。女々しいでしょ。知ってる。僕はね、ずーっとずーっと、キミだけが好きなんだよ」
「…色んな男とヤってたくせによく言うわ」
「僕はさみしがり屋だからねぇ。ひとりはさみしいよ」
颯真にもたれかかると背中を撫でてくれた。
「キミのお腹から血が流れたとき、キミ笑ったでしょう? 僕は怖かった。キミを傷つけた罪悪感でいっぱいなのに、キミを僕だけのものにできた、って恍惚感もあった。そんなの犯罪者の考えそうなことじゃん。怖いよ。好きな子に消えない傷跡残して嬉しいなんてさ。…こんな僕でよかったら抱きしめてほしいな」
強く抱きしめられた。
「もう…逃げなくていいかな」
「俺に捕まっとけ」
「秘密の共有、ふたりでお墓まで持っていかないとね」
「元からそのつもりだ」
碧は笑った。
「あーあ、捕まっちゃった」
「ところでこのGPSアプリはいつ消したらいいでしょうか」
素朴な疑問を本人にぶつけてみると、颯真は盛大に眉間に皺を寄せた。
「お前、前科いくつあると思ってやがる」
「あらら、全くもって信用がない」
「あると思うな」
冷たい目で見下ろされた碧は、んふふと笑う。
「そんなことしなくてももう逃げないのになぁ。キミの部屋に転がり込んできちゃったわけだし」
こんな風にね、とベッドの上でごろごろする。
「いいねぇ、広いベッド」
「…お前は相変わらず俺に興味ねえよな。いい加減どこの大学かどこがバイト先か聞けよ」
「ここにいれば必ずキミが帰ってくるんだから、そんな邪魔な情報いらないでしょ」
「てめえそのうち監禁してやる」
「わー重いねぇ、重い重い。でもキミなら大歓迎だよ。首輪でもつけちゃう? わんっ、なんちゃって」
さらに冷たい目でギロリと睨みつけられ、んふふと碧は笑った。
「好きだよ、颯真くん」
「…こんなときに言うんじゃねえよ。反則だろ」
ベッドが軋み、目の前には真っ直ぐに見つめてくる颯真の顔が。
「これからはもっともっと伝えなきゃね。好きだよって、キミに。わー、信じてない顔」
「誰が信じられるか」
「んふふ、逃げれば追いかけてくるのに好きって言えば変な顔しちゃって。僕はどうすればいいんだろうねぇ」
「それを一生考えろ」
「そうする。だから一生そばにいるよ」
「永遠に秘密の共有だ」
「うん。一緒に、ね」
颯真にキスをされ、碧は嬉しそうに目を閉じた。
(好きだよ、好きだよ、好きだよ)
なんで俺から離れていった
(だからキミから離れたんだよ)
俺の腹に傷をつけたぐらいでなんで逃げた
(キミに消えない傷をつけてしまったから)
俺は恍惚感で最高に幸せだったのに
(僕は罪悪感で最悪に不幸せだったよ)
絶対に追いかける、絶対に捕まえてみせる
(ーーお願いだからもう僕を離して)
一瞬、息が止まった。
どうしようと考えてもどうにもできないとヤケになり、にこっと笑顔を作ってみせた。
「やあ、久しぶりだね颯真(そうま)くん」
それじゃあと何事もなかったかのように通り過ぎようとして、強く腕を掴まれた。
振り返ると背の高い大男が…颯真がニヤリと笑った。
「よう…探したぜアオ先輩。二年ぶり、いや、正確には一年と八ヶ月ぶりだな」
「正確な数字までわかるんだね」
「ずっとお前を探してたからな。ようやく見つけた」
さらに腕を引っ張られて路地裏へ連れ込まれる。しまったなあと鈴宮碧(すずみや・あおい)は後悔した。
ーー油断したなあ。まさか追いかけてくるなんて思わないじゃん。あーあ、これからどうしよ。
明るい道から外れ街灯も少ない裏道へ引き摺り込まれる。力で勝てないことはわかっているので、仕方なく歩く。
壁に押し付けられ、至近距離で顔を覗かれる。ここで怯んでもしょうがないと、碧は颯真を見上げてにっこりと笑った。
一年八ヶ月ぶりに見る颯真はすっかり大人の男の顔になり、こんなときなのに見惚れそうになった。
「ーーなんで逃げた」
「そりゃ逃げるでしょ。だってキミに…」
「これか?」
そう言って颯真がTシャツの裾をめくってみせた。
右側の腹部に三センチ程の切り傷。ーーあの日付けた傷だ。
碧は直視できなくて目を逸らす。
「しっかり見ろ。お前につけられた跡だ」
「…正確にはカッターナイフを持たせた僕の手を握って自分で付けた傷跡でしょ」
「お前が傷つけたことに何ら変わりはねえよ。小さい傷だけどなあ、たまに痛むんだよ。忘れるなって言われるみてえにな」
「……忘れてよ」
「絶対に忘れねえ。これつけられた後にお前が逃げたことも絶対に忘れねえ」
「執着強いねえ」
「どっかの誰かさんのおかげでな。で? この一年八ヶ月、お前がどこで何してたか教えてもらおうか? アオ先輩」
「…」
答える気はなく白々しく目線を違うところへ向けると「こっちを見ろ」と荒々しく顔を掴まれ無理矢理キスされる。
噛むようなキス、すぐにねじ込まれる舌、碧の舌を引っ張る癖…全部全部、碧の記憶の中にいる颯真だった。
碧は目を細めてキスを堪能した。
(…追いつかれちゃったなあ)
すぐに逃げたのに、どこの大学とかどこに住むとかも一切言わなかったのに、逃げ切ったと思ったのにこの一年八ヶ月で追いつかれてしまった。
ーーキス、気持ちいいなぁ。
やっぱりこの子は違うなあと回らない思考がのんびり動く。気づけば腕を伸ばして颯真の首に抱きついていた。
「んっ、はぅ、…んっ、んんっ、ん…っ、ぁ…」
「ちょっと見ねえ間にビッチになったか? 俺と別れたあとで何人の男とヤったんだよ」
「ん、んっ…そもそも僕たち付き合ってたっけ?」
「黙れ」
「ぅうっ」
首筋を強く噛まれた。これじゃあ跡になるなあと明日の朝が楽しみになった。
碧はにこりと笑った。
「僕の部屋来てセックスしてくれたら教えてあげるよ?」
「物少ねえな…」
ひとり暮らしをする碧の部屋へ足を踏み入れた颯真はぽつりと言った。
「ホントに住んでんのか?」
「フツーの大学生がセカンドハウスなんて借りれないでしょ」
「まあそうだけど。漫画とか雑誌とか一切ないのか」
「ないよ。僕には必要ないもん」
「娯楽は」
「んー、思考?」
「意味わかんね」
まあいいやと颯真に抱き上げられ、部屋の半分以上を占領するベッドに投げられた。
「もっと大事に扱ってよね」
「大事に扱われたかったら約束しろ。二度と俺から逃げない、って」
「んー、やめとくよ」
「約束しろ」
「んー…、んふふ」
「笑ってごまかすんじゃねえ」
あっという間に服を剥ぎ取られる。碧は隠すことなく全身を颯真に見せた。
颯真の手が伸び脇腹を触り、目を丸くした。
「一年八ヶ月前より痩せてんじゃねえか。は? 骨と皮だけじゃねえか。お前大食いキャラだったろ」
「ごはん食べるのめんどくさい」
「こんなボロボロの体抱くの怖えよ。まあ抱くけど」
鎖骨に噛みつかれる。べろべろ舐められて再び首を噛まれた。そのまま強く吸われ、噛み跡と共にキスマークも残るだろう。嬉しい。
「はあ、あっ…ん、ふ、うっ…」
「で? 今付き合ってる男はいるのか?」
「いるよ…」
「今から俺が寝取るってわけね」
「キミに寝取れるかなぁ?」
「クソビッチが」
颯真が服を脱ぎ捨てる。
がっしりとした肩に筋肉質の腕、綺麗に割れた腹筋…会わなかった間に体も少年からすっかり大人の男となっていた。
しかし腹の傷跡があるためしっかりとは見られず、すぐに目線を外した。
「ちゃんと見ろ」
「…」
「チッ」
舌打ちをした颯真が碧の手を取り、無理矢理傷跡に触らせる。
「ひっ…」
「ああ、ようやく俺が主導権握れた。怖いか? 傷に触るのがそんなに怖いか?」
「や、やめ、て…」
指先にザラリとした感触。逃げようにも、強く掴まれては逃げられない。
「触れ。傷口をなぞれ。舐めろ。噛め。お前が付けた傷ってのをしっかり味わえ」
涙目になる碧がふるふると首を横に振るう。
やめて。お願いだからやめて。
カタカタと震えるのを見て、ようやく颯真は手を離してくれた。
「ふーん。トラウマになるぐらいにはお前も傷になってるってわけか。いいね。すげーいい」
ベッドがギシリと音を立てる。颯真に抱きしめられた。
傷跡に無理矢理触らせた割には、安心しろと言わんばかりに優しく頭を撫でられて意味がわからない。
「…颯真くん」
「なんだ」
「僕を抱くのか抱かないのかどっちかにしてくれる? 早く続きしたいんだけど?」
すでにギンギンに勃起する颯真の性器に触れる。軽く上下に擦ってやれば先端からじゅんわりと我慢汁が漏れ出た。
ついでに同じく勃起する自身にも触れ、先端から出た体液を颯真の頬に擦り付けてやった。
「ビッチめ」
「ん、はっ、…ぁあ、んっんんっ、ん…」
ぐちぐちと性器の先端を強く揉まれ、甘い声がたくさん漏れ出る。
先ほどから期待のせいで収縮を繰り返す穴に、颯真は自身の先端を押し当てた。
「クソビッチなアオ先輩には慣らしなんて必要ねえよなあ?」
「…自分が我慢できないだけのくせに」
「うるせえよ」
「はぁんっ、んっうぅっ、ぁ、あ、あ、ああああ…っ」
一気に奥まで押し込められ思わず背がのけ反る。露わとなった首元をガブリと噛まれた。
「い、った、痛い…はあ、あ、あ、あぁ…っ」
これもまた、しばらくは消えない跡になるだろう。…颯真の腹部の消えない傷跡と違ってすぐになくなるけれど。
「相変わらずきゅうきゅうに締めつけてくるな。もっと緩めろ」
「むり…、っキミのが大きすぎる、んんっ! だ、よ…はあ、あっ」
「なあアオ先輩。クソビッチな先輩はどのちんこが一番良かったんだ?」
「…さあ?」
白々しく肩をすくめて見せると気に食わなかったのか、鋭い瞳で睨まれゾクッとした。
「この一年八ヶ月…俺がどんな思いで過ごしてきたわからせてやるよ」
足をすくい上げられさらに繋がりが深くなる。大きな体を小さな体に遠慮なく打ち付けられる。
碧はただ、その気持ちよさにずっと喘いでいた。
久しぶりに聞いた、アオ先輩、という颯真しか呼ばれない名前に興奮しながら。
初めて会ったのは高校三年生の時だった。
もう使われていない体育館倉庫の中で初めて付き合う人と初めてセックスするという段階で、ひとつ年下の颯真に偶然にも見られてしまった。
恥ずかしさからだろう、今から抱いてくれるはずの恋人は逃亡。碧はただ全裸でぽかんとした。
『俺が寝取ってやろうか』
冗談だろうと思ったのに本当にセックスしてしまった。
それが全ての始まりだった。
「んー…いま何時…」
スマホを見るとまだ八時にもなっていなかったので安心した。
今日は二限目からの予定なので、もう少しのんびりできる。碧はベッドの中でごろごろする。
ーー昨夜の颯真とのセックスはよかった。すごくよかった。
自身も颯真もどれほどイったのかは覚えていないが、この体のだるさから相当な数だったろう。
狭い部屋を見渡しても颯真はいない。早々に帰ったのか。
「…まあもう会わないか」
一年八ヶ月前は純真無垢だった先輩がこんなビッチに成長してさぞ嘆いていることだろう。
「そういや着信あったな…」
もう一度スマホを見ると、着信が五十件を超えていたので目を丸くする。
「えー、なんか怖いなあ」
見ると全て、今付き合っている男からだった。そんな緊急の連絡なんてないだろうに。
メッセージアプリを開くと、別れよう、と五十件超の着信の最後にそう入れられていた。碧は首を傾ぐ。
結構上手く付き合ってると思ったんだけどなー、と不審がりスクロールしていくと、送った覚えのない写真が数枚載せられていた。
ベッドの上で裸で転がる碧。その体は噛み傷、キスマークだらけでおまけに体液でぐちゃぐちゃだ。
下半身なんて、たった今セックスしました、と言わんばかりのどろどろ具合で事後だと誰が見てもわかる。
「いつの間に撮ってたんだ…」
しかも写真の最後には「寝取られ完了」と謎の返信付き。
恐らく颯真だろう。というか颯真しかいない。メッセージアプリを開けば会話文で誰と付き合っているかすぐにわかるだろうから、別れさせる気で送ったに違いない。
「ごめんね、巻き込んで」
付き合っている男に未練はないが、こんな終わり方をさせるのはさすがに少し心が痛む。
シャワーでも浴びようかと立ち上がりかけたとき、スマホの通知音が鳴った。
見るとメッセージアプリだが、このアイコンは見たことがない。
「誰だろ」
開いてみると、そこには住所と時間が書かれていた。住所はこの近くで徒歩で行け、部屋番号も書かれていた。20時とも書かれているので、この場所に20時に来いということだろう。
誰だろうと思っても、颯真以外いない。碧が眠る間に勝手にスマホを操作したに違いない。
『今日バイト。22時なら』
そう返信すると即座に既読が付いた。
『逃げんなよ』
文字だけならいくらでも逃げられる。実際、碧は行く気は全くなかった。
しかし、続けて送られてきた画像に行かざるを得なくなる。
「ああー…盗られてる…」
財布に入れておいた学生証がない。颯真に人質ならぬ物質をされてしまった。
再発行してもいいが、すでに颯真の手にあるため大学名や学部名が全て知られてあるのであまり意味がない。
部屋を知られただけなら引っ越せばいい。しかし、学生証となれば話は別だ。
「んー、んんー、んんんー……はあ、会うしかないねぇ」
のろのろと立ち上がった碧は、とりあえずシャワーを浴びた。
それきりの関係だと思ったのに、気づけばまた会っていた。
とは言ってもお互いが体育館倉庫にいる時だけの間柄。そこにいればセックスする。それだけ。
お互いに名前とクラスぐらいは自己紹介した。でも、それだけ。
連絡先も知らないし住んでいる場所も知らない。
セックスして腹が減れば購買でパンとジュースを買い、ふたりで食べてまた抱き合う。
不思議と居心地がよかった。
玄関チャイムを鳴らすとすぐに颯真が出た。
「逃げるかと思った」
「さすがに学生証は返してほしいなあ」
「入れ」
やっぱり入んなきゃだめですよね、と碧は靴を脱いだ。玄関先で終わればよかったのに。
碧と同じワンルームの部屋に、香ばしいいい匂いが漂った。
「メシ食ったか?」
「まだ。というか基本食べない」
「食えよ…。その骨と皮だけの体どうにかしろ」
「そう言われましても。ん? 唐揚げ作ったの?」
小さなキッチンのシンクの上には美味しそうな唐揚げが山盛り乗っかっている。
「…自分で揚げたの? キミってもしかして料理スキル高い?」
「自炊が一番安く上がるし大量に食える。ほれ、口開けろ」
「あーん」
小さく口を開けると唐揚げを放り込まれる。少し冷えているが、これぐらいが食べやすくていい。
碧は眉間に皺を寄せた。
「え、なんでこんなにおいしいの? 毒入ってる?」
「失礼だなてめえ。自分で味付けしてんだよ」
「ええー…自分で味付けまでしちゃうタイプですか…」
「メシも炊いてある」
「うわぁ、何合あるんですか」
ぱかっと開けた炊飯器は炊き立てでふっくらツヤツヤである。思わず碧の喉が鳴る。
「お前も食え。唐揚げには白米だ」
「颯真くんが食べさせてくれるなら食べてあげてもいいよ?」
ふふふ、と笑いながらそう言うと、丼に白米をよそった颯真が箸に一口分のごはんを乗せてこちらに向ける。
ぱくっと食べた。
「おいしい。炊き立てごはんなんていつぶりだろ。そもそもウチ炊飯器ないし」
「マジか」
「個人店の居酒屋バイトしてるから賄いあるけど基本食べないし」
「…賄い食わないのになんでバイト先が居酒屋なんだよ」
「近いから」
「もったいね」
「次唐揚げ食べたい。早く早く、あーん」
「自分で食えっての」
結局、キッチンに立ったままふたりで大量の唐揚げと白米を食べた。正確には碧は全て食べさせてもらった。
「ーー食べすぎた」
碧はベッドに横になる。お腹いっぱいまで食べるなんて本当に久しぶりすぎて、この感覚をしばらく忘れていた。
「僕はもう動けない。ああ~お腹いっぱいすぎて目が回る~」
「言うほど食ってねえだろ。片付け手伝え」
「よろしく~」
「あ? お前も手伝うんだよ」
「えー、ちゅーしてあげるから。ほら、こっちおいで。はい、ちゅー」
ちゅ、ちゅ、と目元にキスしてあげると冷たい目線で見下ろされた。碧はどこ吹く風でベッドの上でごろごろ。
「誰にでもこういうことすんのかよ」
「さあどうだろうね。あ、これ颯真くんの部屋着? 借りまーす」
ラクな服装に変えたかったところなのでちょうどいい、枕元に畳んであった颯真の部屋着に着替えた。
「ぶっかぶか。肩出ちゃうよ。まあいいや。…ん? 颯真くん片付けないの?」
「俺の服着てベッド転がるやつ前にして他のことできるかよ」
颯真もベッドへ入ってきて、碧を背中から抱きしめる。
「久しぶりだなこの匂い…」
髪の毛に顔を埋めてしみじみと呟かれる。腕をしっかり回してホールド、足もがっちりと囚われては逃げようがなかった。
「で? この一年八ヶ月の間でどれだけの男とヤったんだ?」
「んー、何人だろ…。十人ぐらいかな、んん? もうちょっといるかな。あ、でも途中でセフレ作ってみたけど僕には合わなかったからそれはノーカン?」
「…思った以上のクソビッチ」
「でも全員ちゃんと恋人だったよ? デートしてごはん食べてセックスして。長続きしないけどね」
「で? どのちんこが一番よかった?」
「ふふふ、そこはノーコメントにしておこうかなぁ」
「俺って言えや」
「張り合うの? かわいいね。…幻滅した? 記憶の中の僕はビッチじゃないでしょ?」
かぷ、と首筋を柔らかく噛まれる。
「んっ…僕だって好きでビッチになったわけじゃないよ。恋愛至上主義なだけ。もちろんセックスも大好きだよ? でも僕がほしいのは恋人。僕だけ見て一日中僕のこと考えてくれて…重苦しい恋愛がしたい」
「俺は一年八ヶ月考えてましたけど?」
「ははは、重いね。その間キミはどれだけの人を抱いたの?」
「抱くわけねえだろ」
「わー重いねえ、重い重い」
くすくす笑うと抱きしめられる腕に力が入った。
「俺はお前の恋人にはなれねえのか」
「なれないね」
「なんでだ」
「さあねえ、なんでだろうねえ」
首筋をもう一度、今度は強く噛まれる。服の中に手が入ってきて、きゅっと乳首を摘まれた。
「んっ、ん…はあ、あ…」
「どうやったらお前の恋人になれる? なあ、アオ先輩」
くりくりと突起をこねくり回され、ぎゅううと押しつぶされる。ビクビクと体が震えた。
碧はそっと手を伸ばして、颯真の股間に触れる。もうとっくの昔に勃起していたのは知っている。
「おちんちん挿れてくれたら答えてあげるかもね?」
そんな気さらさらないけど。
振り向くと冷たい目線で見下ろされる。「その目つき好きだよ」とキスすると勢いよく舌を突っ込まれながら押し倒された。
碧は眉間に皺を寄せた。
「むむ…これはちょっと熱がありますなあ」
体温計なんてものはないから測れないけど、体感的に微熱だ。
「今日は昼からだしバイトもないし…」
三限目からなのでそれまでに休めばなんとか出席できるだろう。で、帰ってからまたゆっくり休もう。
突然の颯真との再会から早一週間。怒涛の一週間である。
スマホの着信が鳴る。噂をすれば、だ。なんでこうも毎日毎日かかってくるんだろうと思いながら立ち上がり水を飲む。
冷蔵庫に何もないけれど、まあ寝てればいいや。
着信音が切れる。またすぐにかかってくる。また切れて…何度か繰り返すと、メッセージの通知が鳴った。
『出ろ。男とヤってる最中か?』
重いねえ、重い重い。
『熱出た』
『うそつけ』
また着信が鳴った。もう面倒になり出る。
「…なに」
『調子悪そうだな。今から行くから待ってろ』
すぐに切れた。碧はスマホを眺める。
まだ朝の六時なんですけど…。
案の定、颯真はすぐに来た。しかもなぜか勝手に鍵を開けている。
「え?」
「合鍵作った。はい、スペア返すわ」
「いつの間に…」
一番最初に会った夜、あのときに学生証を盗られたのでついでに部屋をガサ入れしたのだろう。
この部屋のスペアがどこにあるか自分でもわからなかったのに。
「で? 熱は?」
颯真がおでこ同士をくっつけ、首に手を当てて最後に頬を撫でた。
「微熱だな。粥作ってやるから寝とけ」
「ごはんないし炊飯器もないよ」
「米と卵と小さい土鍋その他諸々持ってきた」
用意周到なことで、と碧はベッドに横になった。
自分の部屋に颯真がいてごはんを作ってくれている。変な光景だ。
(思えば学校以外で会ったことなかったんだよねぇ…)
会うといえば体育館倉庫だけ。待ち合わせしていたわけでもないから、タイミングが合わなければ会えない。
それが今、ちょっと手を伸ばせば届く距離にいるのだ。
思わず腕を伸ばしかけて、ハッとした碧はベッドに潜り込んだ。
「できたぞ」
「僕お粥きらい」
「作ったあとで言うんじゃねえよ。いいから食え」
「食べさせてくれたら食べてあげる」
「チッ」
テーブルに土鍋を置いて、颯真がフーフーして食べさせてくれる。
「あれ、おいしい。お粥っておいしいっけ?」
「俺ぐらいの料理上手が作れば上手くなる。食ったら飲んどけ」
そう言ってポケットから取り出したカプセルを口に運ばれたので、あーんと口を開けて水と一緒にごくりと飲み込んだ。
それを見た颯真が、うわあ、と嫌そうな声を上げる。
「お前…俺がなに飲ませるか少しは考えろよ」
「風邪薬でしょ? この部屋にそんなものないから持ってきてくれたんでしょ?」
「だからって外箱とか確認しろよ。変なもん飲ませるかもしれねえだろ」
「キミにそんな度胸ないよ」
「信用されてるのかいないのか」
颯真が立ち上がり片付けてくれる。その後ろ姿を見ながらぽつりと「キミになら何飲まされたって構わないよ」と呟きながらベッドに潜り込んだ。
布団を被り、玄関にいる颯真を眺める。
「もう帰るの?」
「することねえだろ」
「大学は?」
「三限目から」
「じゃお昼までいられるね。僕も三限目からなんだ。ねえここにいてよ。僕さみしい」
「そんなこと誰にでも言うんじゃねえ。寝とけ」
「さみしい」
「寝とけ」
「…じゃあすっごくいいこと教えてあげるから、ここにいて」
颯真が玄関のドアを開ける。
「この部屋ね、僕以外で入ったのキミが初めてだよ」
ドアが閉まる。すぐさまベッドが沈み込む音がして碧は微笑んだ。
「…どういう意味だ」
冷たい目で見下ろされる。
「そのままの意味だよ」
「どうせうそだろ。この一年八ヶ月で十人以上の男と寝てその上セフレまでいやがったくせに」
「僕は自分のテリトリーを大事にするタイプなんだ。この部屋は神聖なんだよ。ここから先の話を聞きたかったら抱っこしてね」
ん、と両手を広げると、盛大にため息を吐いた颯真に腕を引っ張られた。
あぐらをかく真ん中に座り、後ろからぎゅっ。大きな体にすっぽりと包まれ、碧は嬉しそうに笑う。
「熱大丈夫か? 咳は? 頭痛は?」
「キミって世話焼きさんだねぇ」
「俺から逃げられねえように囲い込んでる最中だ」
「囲い込み」
「住所、大学名、バイト先、たまに寄る本屋、たまに行くスーパー…全部知ってっからな」
「わー重い重い。僕ってばすごい囲い込まれてるねえ」
「このまま逃げるなよ」
「あはは、どうしようかな」
「で? 自分のテリトリーがなんだって?」
頬を撫でられた。その大きな手のひらが心地よくて擦り寄ってしまう。
「この部屋は俺以外入ったことねえってのは本当か?」
「ホントだよ。恋人と会うときはその人の部屋だし。なんだったらスマホと財布も全部置いとく。絶対に持って行かない」
「は…?」
「だってどこに住んでるかとか知られたくないし、スマホにアプリ勝手に入れられたら嫌だしそもそも見られるのも嫌だし。もし恋人が部屋に来たとしても絶対に上げない。だってここは神聖な部屋だもん。僕は…ここでずっと考えてたい。ずっと考え事してたい」
「……何を考えるんだ?」
颯真の手が、ぎゅっと碧の小さな手を握りしめる。
碧もそっと、握り返した。
「教えてあげない」
「重いのが好きって言ってる割にはそういうの拒むのかよ」
「キミはそういうのしそうだよねえ」
「…お前のスマホにすでにGPSアプリ入れてる」
「あらら」
思わず笑ってしまった。
「どうせ俺が帰ったらそのアプリ消すんだろ?」
「さあねえ、どうだろう。ずっと見てなきゃわかんないよね。ーー颯真くん、見張っててくれる?」
ちらりと背後を見ると、相変わらず冷たい目線を注がれる。
「俺をこの部屋へ入れたのは、俺が特別だから、俺がどうでもいいから、どっちだ。言え」
「んふふ」
「言え。…チッ、もう寝とけ」
まぶたに手を置かれ真っ暗にされる。
「俺に襲われたくなかったら寝ろ」
「ん? てっきり襲ってくれるのかとばかり」
「体調悪いやつに手ぇ出すほど落ちぶれてねえよ」
「別に襲ってくれていいのに」
くすくす笑いながら碧は目を閉じた。
喋りすぎたらしくちょっと苦しい。ふうと息を吐くと頬を撫でてくれ「おやすみ、アオ先輩」と優しく囁かれた。
ーーキミから逃げた張本人なのに、なんでここまで優しくできるんだろう。
碧は泣きたいのを我慢した。
「わーい、ドライブだー」
にこにこ笑いながら碧は助手席に座り込んだ。
「で、この車なんだっけ」
「覚える気ねえだろ」
何度も車種名を教えてくれたが車に全く興味がないのでちっとも覚えられない。なのでとにかく、赤い車、としかわからない。
夜、颯真にドライブに誘われた。
「颯真くん車持ってたんだね」
「そのうちお前を助手席に乗せようと思ってな」
「そう言いながら他の子乗せたでしょ?」
「お前のような尻軽じゃねえよ」
ギロリと睨まれたので、あははと笑ってごまかした。
碧はスマホを取り出しマップアプリを見た。
「どこ行くー? 僕的には夜景の綺麗なとこ行きたいし、あ、ちょっと遠いけど遅くまでやってる本屋さんあるからそこにも寄ってみた…え、なんかすごい顔してるけどどうしました」
「お前…スマホ持ってるじゃねえか」
「え、うん」
「男と会うときはスマホも財布も持たないって話しただろうが」
「したねえ」
それが何か? と笑顔で聞くと、「もういい…」と呆れ顔で睨まれた。んふふと笑って流れる景色に目をやった。
夜の道は街頭やライトがキラキラ光っていてとても綺麗だ。
「ヤケに嬉しそうだな」
「ドライブ行くことないもーん。楽しー」
「男の助手席なんかしょっちゅう乗ってるくせに」
「乗らないよ。だってどこ連れて行かれるかわかんないじゃん。一応これでも警戒してるもん。付き合ったらさ、勝手にスマホの中身見られるし変なアプリ入れられるし、怖いから手作りのもの食べたくないし、初めての飲み会でお酒飲んだら襲われそうになるし。だから僕はもう二度とお酒飲まない。そういえば学生証返してもらったっけ? あれも勝手に見られるんだよねえ。あ、返してもらってたね」
財布を確認すると入っていた。
颯真は、口に手を当てて気まずそうにしていた。
「…酒以外全部当てはまるんだけど」
「そうだねえ。颯真くん、勝手にスマホの中身見たし勝手に元彼に僕の卑猥な写真付きメッセージ送ってたし勝手に合鍵作ってたしGPSのアプリ入れたしごはん作って食べさせたしポケットから出した風邪薬を確認させず飲ませたし学生証も盗ったね。まだ二十歳になってないからお酒だけは関係ないね」
「…言葉にすると俺すげーことしてんなあ」
「重いねえ、重い重い」
「つか、まだGPSのアプリ入れたまんまだろ」
「うん、ほら、ここに入ってる。見て見て」
そう言って颯真の顔にぐりぐりとスマホを押し付ける。「運転中に見せてくんな!」と怒られたけど構わずぐりぐりぐり。
「消さねえの?」
「だって颯真くんが見張ってるからねえ。消すタイミングがないんだよねえ」
「白々しい」
「んふふ」
深夜まで営業する本屋に連れてきてもらった。普段来られない場所でしかも深夜帯だ、碧は終始にこにこしていた。
一冊だけ厳選して購入し、再び車に乗り込んでマップを見る。
「この先にコンビニあるから寄ってもらっていい?」
「なに買うんだ? ゴムか?」
「それも要るけどねえ」
にこ、と碧は笑った。コンビニに入った碧は一目散にパンコーナーへ走る。
「あった! どでかいメロンパン!」
「声でけえ。つかそんなでかい声出せたんだな」
「颯真くん覚えてる? このどでかいメロンパン、高校の購買に売ってたんだよ」
「そういやあったな。お前いつもこれ食ってたな。懐かし」
体育館倉庫でセックスして、腹が減っては購買へ向かってこの巨大なメロンパンを買っていた。
「メロンパンときたらやっぱこれだよねえ」
「うげ、甘いもんに甘いもんかよ」
ミルクティーを見せると明らかに嫌そうにされた。
「車ん中で食うな。ボロボロ溢れてるだろ」
「だっておいしいんだもん。まあ実際にはおいしいって言うか懐かしいって言うか。車は明日一緒に掃除しようね」
「明日も会ってくれるんか」
「だって颯真くんに見張られてるからねえ。んー、おいし」
「一口寄越せ」
まだ車はコンビニの駐車場に停めたままだ。だから誰かに見られるかもしれないのに、と思いながらも碧は顔を上げて目を閉じた。すぐに唇を重ねられ、舌を口内にねじ込まれる。
「…あま」
「一気に太れそうな感じしない?」
「お前の体は骨と皮だからな。それぐらいでちょうどいいかもな」
「お腹いっぱい。あげる」
「半分も食ってねえだろ」
んふふと碧は笑った。
「今ならメロンパンと一緒に僕も食べていいよ?」
ーー後部座席に腰掛ける颯真に跨り、碧は快感に喘いでいた。
「あ、あっ、あ…きもちい…はあっ、あっ、あっ、んん…っ」
「車買って正解。ここでアオ先輩抱けるとは。ほら、しっかり動け」
軽くお尻を叩かれ体がびくびく震える。まだイってないけど、ちょっと危なかった。
いつものベッドとは体勢が違い、咥えるように跨る形なので繋がりがより一層深い。
がんばって腰を動かすけれど、車の中でのセックスは全く慣れていないため勝手がよくわからない。
せっかく夜景の綺麗な高台まで来たというのに、景色なんて全然見ていない。
碧は夢中で颯真にしがみついていた。
「んっ、んっ、んっ…あ、あああ、は、あ…っ」
「もう息切れか? そんな細さじゃ体力ねえわな。ほら」
「んんんっ! あ、ゃ、い、イっちゃ…あ、あ、あ…っ!」
「…っ」
腰を強く掴まれ打ち付けられる。触られてもいない性器からどぴゅどぴゅと精液が溢れ出す。
同時に颯真もイったのだろう、内側で大きく震えていた。
力が抜けて颯真にもたれかかると、抱きしめられたくさんのキスを降らせてくれる。気持ちよくて嬉しくて、碧は目をつむって受け入れていた。
「一旦ゴム外すわ」
「ん…」
性器が抜け出る瞬間にぶるりと体を震わせていると、ゴムを付けた颯真自身が出てきたので碧は外してやった。
「ゴムなくていいのに」
「自分の車に自分の精液付くって気持ち悪いだろ。だからシート広げてんだよ」
颯真が腰掛ける後部座席には、途中購入したレジャーシートを広げていた。
「お前のは全然いいけどな」
萎んだ碧の性器を軽くしごいてその指先をぺろりと舐める。
「…なあ」
「んー?」
「俺のこと聞かねえの? どこの大学か、とか、どこでバイトしてるか、とか」
「聞かれたいの?」
「そりゃあな。なんだその顔。興味ないってか」
「んふふ、どうだろうね」
首元に擦り寄った。「ふーん」と意味深に返事をする颯真の手が、おもむろに碧の指先を掴んだ。
握りたいのかなと好きなようにさせていると、碧はビクッと体を震わせた。
右側の腹部…あの傷跡に碧の指先を触らせていた。
「や、やだっ…やめてよ…っ」
途端に涙目となる碧はぶんぶんと首を横に振る。
どんなに振り解こうとしても、颯真は手を離してくれない。
「しっかり触ってみろ」
「やめてっ、おねがい、だから…っ」
「前はああ言ったが本当は痛みなんか全くない。だから触れ。触ってくれ」
首を強く横に振るう。碧の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちるのを見て、ようやく手を解放してくれた。
颯真に背中を撫でられる。まるで謝られているかのようだった。
「お前が逃げても俺は追いかけるからな」
「…好きにしたらいいよ」
「何度だって抱きしめに行く」
「…好きにしたらいいよ」
「こんだけ好き好き言ってんのに恋人になれねえとは。一体何したらお前は陥落されるわけ?」
「んー、そうだねえ」
んふふと碧は笑った。
「教えてあげない」
むむ、と碧は唇を尖らせる。
「何してんだ? さっきからすげー顔になってるぞ」
ベッドの上でごろごろ転がりながらスマホを眺めていると、颯真にずしっとのし掛かられた。
「んー、ヒミツー」
「んだよ。しゃーねえ、車の掃除でもしてくっか。お前が車乗るたびメロンパンこぼしやがって。これで何回目だ?」
「んー、五回ぐらい?」
「十回だ」
「ホントにキミって数えるの好きだよねぇ。さぞかしいい大学に通ってるんでしょう」
「俺に興味持ち出したか?」
「雨降ってるから車の掃除できないねぇ」
「あ? いつの間に降り出し…降ってねえ」
カーテンを開けてすぐ閉めて、再び颯真がのし掛かる。
「重い~」
「てめえ騙したな」
「ぷぷぷ、騙されてやーんの」
「おいコラ。で? さっきから何見てんだよ」
「あーん僕のスマホ~」
スマホを取り上げられたが、そのスマホを見る颯真が固まる。
そして勢いよくスマホをベッドに投げつけた。
「てめっ、この後に及んでまだ逃げる気か…!」
碧が見ていたのは賃貸情報サイトだった。
「この部屋気に入ってるんだけどさあ、キミが来るから狭いんだよねぇ」
「…俺のせいってか」
ギロリと冷たい目で見下ろす颯真があることに気づいた。
「あ? こんなに部屋数いらねえだろ。ただでさえお前物少ねえのに」
開かれたページに映る物件全て、2LDKから3LDKなのだ。
「キミは自分の部屋が欲しいタイプ? 僕はねえ、くっつき虫になりたいからいらなーい」
「話が見えねえ」
「僕のベッドは処分だねえ。キミのベッド広いからごろごろできて好き。あとはー、炊飯器はキミのがあるし、洗濯機もキミの方が大きいし、レンジもキミのが…あれ、僕が持っていくもの何もない」
「……あ? マジで?」
合点がいったらしい、颯真の頬が見る見る間に紅潮する。
「おい!」
勢いよく肩を掴まれた。
「ようやく…ようやくか!」
「えー、なに~?」
「好きだぜアオ!」
盛大に頬にキスする颯真の嬉しそうな顔を見て、碧は笑った。
「夜時間あるだろ? ドライブ連れてってやる! 多少の寝不足は覚悟しとけよ! 車綺麗にしてくる!」
そう言って颯真は部屋を出て行った。
パタンと閉まるドアに向かって、碧は手を降った。
「違うよ」
にこっと笑った。
「さよならだよ」
「ふざけんな! なんだコレ!」
勢いよく胸ぐらを掴まれた碧はにこっと笑った。
「退学届だよ」
カバンに入れていたはずなのにいつの間にか颯真の手にある。
きっと探ったのだろう。
「ふざけんなっ! この後に及んでまだ逃げるってのか! しかも大学辞めてまで!? どういうことだ!」
「キミから逃げるためだよ。高校のときは周りに志望校言ってたから僕を追いかけられたけど、今回はどこに行くか誰にも言ってないからわかんないだろうね」
「ふざけんな…っ!」
「殴りたいなら殴れば?」
「一緒に住むって言っただろうが!」
「僕はそんなこと一言も口にしてないよ。キミが早合点したんだろうね。まあ僕が嘘ついてても逃げるけど。退学届、返してくれない? 早く提出したいんだけど」
「なんでそんなに冷静なんだよ…!」
「なんでそんなに熱くなれるの?」
盛大に舌打ちした颯真は胸ぐらを掴んでいた手を離し、退学届を破り捨てた。
「あーあ、また書かなきゃいけない」
「アオ!」
肩を掴まれた碧は笑った。
「どうしたの? 泣いてるよ?」
「なんで…なんでそんな笑ってんだよ…!」
「キミから逃げられるからね。ーーなんでそんな被害者面できるのか不思議でしょうがないよ。キミを傷つけたのは僕だ。でも、あのときカッターナイフを持たせて僕の手を動かしたのはキミだよ」
若気の至りといえばそれまでだ。
もう使われていない体育館倉庫の中。いつも通りセックスしてうとうとしていると不意に手を掴まれた。
カッターナイフを持たせられた。よくわからないまま、颯真の腹部に誘導させられる。
碧の手を握る颯真の手で、気付けば腹部から血が溢れ出ていた。
『これでお前は俺から離れられねえ』ーーそう言った颯真のセリフが、今だに碧の耳から離れてくれない。
「そんなことで…」
「そんなこと? 僕は人を傷つけたんだよ。犯罪者じゃないか」
「お前ひとりでやったんじゃねえだろ。俺がやったんだろ」
「この際どっちでもいいよ。僕がキミを傷つけたことに変わりはない。ーーあのときの笑ったキミの顔が忘れられないよ。お願いだからもう僕を離して」
颯真が抱きしめてくる。
首をふるふると横に振っている。
「いやだ」
「ねえ離して」
「いやだ」
「僕が冷静でいられるうちに離して。お願いだよ」
「…冷静でいられるうちってなんだよ。お前だってもっと言いたいことあるんじゃねえの? 言えよ! なあアオ!! 全部言えよ! 俺が納得できる言葉をくれよ!! なあ! ア…」
碧を見る颯真の目が丸くなる。
ーーああもうだめだバレたせっかく我慢していたのにあーあもうだめだ。
颯真が涙を流しながら、ふ、と笑う。
「お前だって泣いてんじゃねえかよ、アオ先輩よお…」
「…抑えてるんだよこれでも。だって僕、犯罪者になりたいわけじゃないから」
「これは秘密の共有だろ」
くっ、と喉奥で颯真が笑う。
碧は気づいていた。自分が泣いていることに。
とっくに気づいていた。いや、最初から知っていたけどずっと抑えていた。
「ーーなんで僕がごはん食べないかわかる? なんでこんなに痩せたかわかる?」
「あ? こんなときになんだよ」
「知ってる? 恋わずらいってお腹空かないんだよ」
碧は精一杯、微笑んでみせた。ぽたりと、涙がこぼれ落ちる。
「僕ね、この部屋でずーっと考え事してた。ずーっと思い出してた。キミと過ごした三ヶ月間のこと。たった三ヶ月しか僕たち一緒にいなかったんだよ? それをさ、一年八ヶ月間、ずっと思い出してずっと思い出に浸ってた。女々しいでしょ。知ってる。僕はね、ずーっとずーっと、キミだけが好きなんだよ」
「…色んな男とヤってたくせによく言うわ」
「僕はさみしがり屋だからねぇ。ひとりはさみしいよ」
颯真にもたれかかると背中を撫でてくれた。
「キミのお腹から血が流れたとき、キミ笑ったでしょう? 僕は怖かった。キミを傷つけた罪悪感でいっぱいなのに、キミを僕だけのものにできた、って恍惚感もあった。そんなの犯罪者の考えそうなことじゃん。怖いよ。好きな子に消えない傷跡残して嬉しいなんてさ。…こんな僕でよかったら抱きしめてほしいな」
強く抱きしめられた。
「もう…逃げなくていいかな」
「俺に捕まっとけ」
「秘密の共有、ふたりでお墓まで持っていかないとね」
「元からそのつもりだ」
碧は笑った。
「あーあ、捕まっちゃった」
「ところでこのGPSアプリはいつ消したらいいでしょうか」
素朴な疑問を本人にぶつけてみると、颯真は盛大に眉間に皺を寄せた。
「お前、前科いくつあると思ってやがる」
「あらら、全くもって信用がない」
「あると思うな」
冷たい目で見下ろされた碧は、んふふと笑う。
「そんなことしなくてももう逃げないのになぁ。キミの部屋に転がり込んできちゃったわけだし」
こんな風にね、とベッドの上でごろごろする。
「いいねぇ、広いベッド」
「…お前は相変わらず俺に興味ねえよな。いい加減どこの大学かどこがバイト先か聞けよ」
「ここにいれば必ずキミが帰ってくるんだから、そんな邪魔な情報いらないでしょ」
「てめえそのうち監禁してやる」
「わー重いねぇ、重い重い。でもキミなら大歓迎だよ。首輪でもつけちゃう? わんっ、なんちゃって」
さらに冷たい目でギロリと睨みつけられ、んふふと碧は笑った。
「好きだよ、颯真くん」
「…こんなときに言うんじゃねえよ。反則だろ」
ベッドが軋み、目の前には真っ直ぐに見つめてくる颯真の顔が。
「これからはもっともっと伝えなきゃね。好きだよって、キミに。わー、信じてない顔」
「誰が信じられるか」
「んふふ、逃げれば追いかけてくるのに好きって言えば変な顔しちゃって。僕はどうすればいいんだろうねぇ」
「それを一生考えろ」
「そうする。だから一生そばにいるよ」
「永遠に秘密の共有だ」
「うん。一緒に、ね」
颯真にキスをされ、碧は嬉しそうに目を閉じた。
2
この作品は感想を受け付けておりません。
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