大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

12.青い贈り物

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「ああ梨里さん。お帰り」
「ただいま戻りました……これ、お預かりした資料です」
「うん、ありがとう。お遣いご苦労様」

 焔さんは私から包みを受け取ると、早速机に向かってしまう。
 その背に一瞬口を開き掛けて。

「――っ。私、席に戻ります」

 口から出たのは、別の言葉だった。
 ぎゅっと、胸元の青い包みを抱き込む。
 言わなければ、今日こそはと決めていたけれど。
 今は、この青い包みが気になるから……後でもいいや。
 タイミングは掴めないし。まだまだ、夕食の時でも午後のお茶の時でも、チャンスはあるのだ。
 やはり焔さんは忙しいようで、こちらを振り返らずに頷く。

「ああ、すまないね。今日中に仕上げてしまいたいものがあるから、梨里さんは自由にしていて」

 ここ数日と同じような言葉に、私はいつも通りぺこりとひとつ礼をした。

「はい、失礼します」

 ぱたんと背後で扉が閉まって、黙ってついてきていたアルトと並んで歩き出す。

「……よかったのか?」
「ん?」

 足音がふかふかの絨毯に吸われて、聞こえる音は静寂と、自分が動く度におこる微かな衣擦れの音だけ。
 静かな空気を壊さないように、私たちはそっと会話をする。

「朝からずっとそわそわしてただろ。イグニスに何か言いたいことがあったんじゃないのか」
「やっぱりアルトは気づいてたんだ」
「あんなに挙動不審じゃあなぁ?あれで気づかないのはあいつくらいだぞ」
「……焔さん、そんなに鈍いの?」
「そこかよ。まあ、自分の好きなもの以外にはとんでもなく鈍いな」
「そうなんだ。……そんなに、本が好きなんだね」
「あいつの本好きは異常だからなぁ」
「まぁ……そう、かも」

 返事をしながら見渡すのは、前方も、天井も、見える部分を埋め尽くすように溢れる本の山。
 私が一生かけても読み切れないような、沢山の異世界から集められた本が眠っている。
 彼の作ったこの場所を見ていれば、アルトの言葉も納得出来る気がする。うん。
 おしゃべりをする間に到着した自分の席で、私はそれまで大切に持っていた青い包みをそっと机の上に置いた。
 机の上にひらりと飛び乗ってお行儀良く座ったアルトが、じっと包みを見つめながら尻尾をひょんと振る。
 やがてさらりと、なんでもないふうを装って、少しだけ低い声がぽつんと耳に届いた。

「ロイアーが言ったこと。俺様も、考えなかったわけじゃない」
「え?」
「イグニスはただの本馬鹿だけど、この世界で大賢者って呼ばれるだけの地位がある。この領域の中だけで好きに過ごすのはいいだろう。だが、ここの外の人間も関わってくることに、お前を巻き込むっていうならそこら辺は考えないといけないんじゃないかと思うんだ。――来月の、舞踏会のこととかな」
「アルト……」
「ま、俺様は結局のところあいつの使い魔っつー立場だからな。自分の主人にああだこうだと言える訳はないんだが。……だから、リリー」

 ぺたりと、頬にアルトの肉球が触れる。後ろ足で立ち上がったアルトの目線が、椅子に座る私の目線と同じ高さになっていた。
 きらきらと、燃えるような鮮やかな瞳が、綺麗。

「お前は、言いたいことがあるならしっかりあいつに言ってやれよ。もう、ガツンと。あの、本以外のことに関してはてんでダメダメな大賢者、お前がうるさく小言いうくらいでちょうど良いんだからな」

 真剣な表情で言われた言葉だったけれど、言い方に小さく吹き出してしまう。

「ふ……何、そのダメダメって。使い魔がそんなこと言っていいの?」
「あいつの前じゃなきゃいいんだよ」
「ふふ……。ありがとう」
「ふん」

 アルトの言葉が嬉しくて、ちょっとだけ心が軽くなる。
 可愛い猫の手に背を押してもらったことだし、あとでもう一度、焔さんにお願いしにいこう。
 朝よりもずっと前向きな気持ちでそう思えたことが、何より嬉しかった。

「――さて」

 気を取り直して……、と。机の上に置いたままだった青い包みにそっと触れた。
 まずはこの、気になる包みから開けてみよう。
 手触りの良い青い布はとても上質で、凜とした彼女自身を思い起こさせる。
 そっと開いた中には、1冊のノートと1冊の薄い、絵の綺麗な本が入っていた。
 青と赤が綺麗に混ざり合った空の表紙。表題は、読めない文字で書かれている。
 一体、どこの国の言葉だろう、と考えて、妙なひっかかりに、はて、と首を傾げた。
 そういえば……この字、どこかで見たことがあるような……。

「あ」

 そうだ、あの時焔さんから渡された、舞踏会の招待状――読めない便せんに書いてあった文字と似てる!
 ということは、これはこちらの世界の文字で。
 ぱらりと捲ってみた様子だと、どうやら絵本のようだった。
 とても綺麗なイラストで、魔法使いのようなローブの人物がページごとに丁寧に描かれている。

「綺麗……」

 思わず呟いた私の手元を覗き込んで、アルトがおお、と声をあげた。

「何かと思えば、『オルフィードの魔法使い』か。あの女もよく考えたな」
「オルフィードの魔法使い?」

 それが、この本のタイトルなのだろうか。

「ああ。この国――オルフィード国の人間なら、どんなに貧しい奴でも子供の頃に聞かされる有名な話だ」
「オルフィード……。この図書館がある国、オルフィードっていうんだ」
「そうか、リリーには話してなかったか。そうだ、ここはオルフィード国。大陸でも、そこそこ大きい国なんだぞ」
「へえ……」

 今まで当たり前のように過ごしてきたのに、私は今いるこの国の名前すら知らなかったようだ。
 でも、この絵本のおかげでひとつ、知ることができた。

「オルフィード国、か」

 忘れないように覚えておこう、と口に出してみる。知ることのできた喜びが、じんわりと沁みる心地だった。

「そういえば、もう一つ何か入ってたんだよね……え?」

 そのちょっとした違和感に気づけたのは、こちらの世界の文字で書かれた絵本を先に見たからかもしれなかった。
 青い包みに入っていた、もうひとつ。薄いノートの表紙には、見慣れた文字で表題が記されていた。

「『第1300982言語 翻訳表』……?え、あれ、なんで読める……?これって」

 どきどきと、鼓動が早くなる。ちょっぴり緊張した手で開いたそのノートの中には、びっしりと――見覚えのある文字と、こちらの世界の文字が書かれていた。
 表題の通り『翻訳表』なのだとしたら、これはもしかして。

「わたしの世界の文字と、こっちの世界の文字の翻訳表……?」

 がたんと、少し音を立てて椅子に腰掛けて、先ほどの絵本のタイトルの文字をノートの中で探し始める。
 簡単とはいかないまでも、翻訳表と見合わせてみた絵本のタイトルは――紛れもなく、オルフィードの魔法使い、だ。

「え、なんで……すごい!読める!」
「ああそうか、ロイアーはお前の世界の文字も読めたな。筆跡もあの女のだし……まったく、とんでもない贈り物もらっちまったな、リリー」
「あ、アルト!なんで……なんでロイアーさんが、このノート……」
「この大図書館では、イグニスの奴が異世界管理課に許可を取った異世界の本が、少しだけど翻訳されておいてあるんだよ。その翻訳作業のために、職員の一部が異世界の文字を学習してるんだ」
「それでロイアーさんが、私の世界の文字を……」
「わざわざそんなものまで一緒にして寄越したんだ。お前に、その絵本読んで欲しかったんだろ。……それ、子供向けの内容にはなってるが、本筋はこの国の成り立ちの話だしな」
「!そう、なの?」
「まぁ、ごちゃごちゃ説明するより、実際読んだ方が早いだろ。うむ、結構文字が多めの、大人向けの絵本だが……翻訳表もあるし、そこまで時間はかからんだろう。読んでみればいい」
「うん!」
「俺は寝る。何かあったら起こせ」

 くあ、と猫らしく欠伸をして、ソファの端で丸くなるアルト。
 私は、目の前に並べて置いた絵本とノートに、どきどきしていた。
 音のないこの場所で。
 本棚で眠る本たちや、妖精さえもしんと息を殺しているような沈黙の中。
 綺麗な空が描かれた表紙を見つめていると、どこからか風の音が聞こえてくるような気がしてくる。
 新しい物語を読み始める時に感じる、いつものどきどきした気持ちより、もっと強い。
 表紙を捲って、綺麗な小高い丘の緑の中、虹のかかった紫の屋根のお城を魔法使いが眺めている。
 この絵本が、異世界に来て初めて読む物語だ。
 ページを捲る指先が、慎重に、慎重にとゆっくり動く。
 都度翻訳表を見ながら、という作業はとても時間がかかるけれど。
 一文字一文字噛み締めるように読んでいく物語は、美しいイラストに引き込まれるように、目の前に鮮やかな景色の波になって溢れていく。



 ――オルフィードの魔法使い。
 昔々のその昔。
 まだこの場所に、古い王国があった時代。
 緑豊かな王国に、本の大好きな魔法使いがやってきました――。


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