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第1章 大賢者様の秘書になりました
58.これ以上を望んでも
しおりを挟む王子に手を引かれ、躊躇いがちにダンスホールへと歩いて行くリリーの背を、長椅子に腰掛けたまま見送る。
2人には周囲から視線が集まっているようだったけれど、緊張した様子のリリーを王子が上手くリードして、特にミスもなくワルツをこなしているようだった。
くるり、くるりとターンする度に、ふわりと彼女のドレスが広がって、刺繍の金糸がホールの明かりを集めて煌めく。
王子の口元が動いて、何やらリリーへと声を掛けている。
それに応えるように顔を上げた彼女は、そのままふわりとはにかんだようだった。
優雅に踊る2人の姿に、周りの貴族たちも見とれている様子がわかる。
「……む」
まぁ、何となく面白くない気もするけど……リリーが楽しめているのなら、いいか。
手元の紅茶を一口飲んで、ふうと小さく息を吐いた。
「リリー、上手くなったよなぁ」
ふと、隣に座るオリバーがそんなことを呟く。
本当に、この1ヶ月で彼女は、立ち居振る舞いも洗練され、ワルツもきちんと踊れるようになって……。
「……うん、素敵なレディになったよね」
しみじみと頷いてしまった。
ふっとオリバーが吹き出す。
「その言い方。イグニス、父親みたいじゃん」
「ち、父親って……。まぁ、君たちより大分年上ではあるけれどね」
「年上ってレベルじゃないけどなぁ」
……実際何百年も生きている訳だし。
普段からあまり意識することもないけれど、年上ではあるはずだ。
リリーの保護者というか、監督者であるのも事実だし。
何気なくオリバーの方を見ると、その視線は鮮やかな青のドレスを纏ったロイアーへと向いていた。
テーブルの傍で立ったまま、ロイアーもリリーたちのダンスを見守っているようだ。
ちょんっと肘でオリバーをつついて、少しだけ顔を寄せる。
「……オリバーは、ダンスしてこないの?」
「……は?」
きょとん、とした顔がこちらに向けられる。
「いや、だからさ。せっかく来たんだし、ロイアーと踊ってこないの?って」
「………………え」
2,3回瞬きをしたオリバーの口から、言葉にならないような音が漏れる。
だめだ、これは完全にそんな考えなかった、という顔だ。
「――いやいやいや、無理でしょ。え?いや、それは……うん」
完全に混乱してしまっている反応に、悪いと思いつつも少し笑ってしまう。
「だって。こんな機会ないだろう?」
「いや、それはそう、だけど……」
「今日だったら、君は僕の従者として来ているんだから。ロイアーのエスコートしてる以上、ちょっと踊るくらい問題ないと思うけれど」
「え、いや、それは、うん……でも」
「ロイアーだって独身で高位の貴族令嬢なんだ。のんびりしてるとほら……」
「え」
そんな会話をしているうちにも、ひとり立っていた彼女のところへ、ひとりの貴族青年が話し掛けにいっていた。
身なりは良いし、ロイアー自身も丁寧に接しているところを見ると、あまり無下にも出来ない相手なのだろう。
「ほら、先越される前に行ってきなよ」
「え、あ」
ぽん、と肩を叩いても、オリバーは困り切った顔をして中々動こうとしない。
そのうち、青年がロイアーへと手を差し出した。
会話は聞こえてこないけれど、あれはダンスの誘いをしたのだろう。
ロイアーは首を振って断っているようだけれど、青年は中々引かない。
「いいの?あのままじゃかっさらわれちゃうよ」
「いや、その、だって、あの男……」
「明らかにブリックスより格上だね。でも今夜のエスコートは君だろ?なら問題ない」
「イグニス……」
「あ、ほら」
何度目か断った後でも、まだ引いてくれない青年に、ロイアーも困っていたらしい。
こちらを振り返って、何か言いたそうに口を開いたけれど、青年が一歩踏み出したのに気を取られて結局何も言えずに視線を戻していた。
がたんと、隣でオリバーがテーブルにぶつかりつつ立ち上がる。
……やっと動いたか。
そのまま早足でロイアーのところまで行ったオリバーは、青年へ軽く挨拶をしてそっとロイアーの隣に立った。
すかさずロイアーがオリバーの影に隠れている。
もっと早く素直になればいいのに。
「……あいつも難儀なやつだな」
さっきまでオリバーが座っていたところに、今度は黒猫がぴょんと飛び上がってきて欠伸をしながら呟いた。
「本当にね」
「……お前が言うのか?大賢者様」
「何の事?」
「……ふん」
じと目を寄越しながらよく分からないことを言って、アルトがくるりと丸くなる。
追加の紅茶は、ほんの少しだけ甘いものを選ぼうかと思った。
「……失礼、僕の連れがどうか致しましたか?」
衝動のままシャーロットの隣まで来てしまって、もう何とでもなれ、と腹を括った。
「うん?君は――」
「!」
こちらを振り向いたシャーロットが、ぱっと顔を明るくして俺の後ろに一歩下がる。
青年は少し眉を寄せていたが、長年社交界に顔を出さなかった俺のことはわからないようだ。
これは好都合、とそのまま愛想笑いで誤魔化してしまう。
「本日、大賢者殿の従者を務めている、リブラリカの職員です。ロイアー副館長のエスコートをしておりまして」
「ああ、そうだったのか。いや、ロイアー嬢をダンスに誘いたかっただけだったのだが……相手がいるからと、先ほどから断られてしまっていてね」
「左様でしたか。大賢者殿からも副館長のことを頼まれていたものですから、何か粗相でもあったのかと焦ってしまいました」
意図的にイグニスの方へ視線を移しながらそう言うと、青年もそちらへと顔を向けた。
気づいてくれたイグニスが、フードから覗く口元だけにっこりさせながらひらひらとこちらへ手を振ってくれる。
先ほどはシャーロットへ随分と執着していたようだったけれど……ここまで牽制すれば、余程の馬鹿でない限りは引いてくれるだろう。
「そういうことですの。本当に申し訳ありませんわ」
俺の片腕に手を掛けて、シャーロットもにこりと微笑む。
青年はやっと諦めたのか、軽く肩を竦める。
「いや、相手がいるというなら、断られてしまっても仕方がない。ロイアー嬢、いずれまた、別の機会にお誘いさせてください」
それだけ言い残すと、青年は綺麗に礼をして踵を返した。
青年が十分離れた頃。
持ったままだったグラスに口をつけて、シャーロットが重く溜息を吐いた。
「助かりましたわ、オリバー。あの方、本当に毎回しつこくて」
「……毎回?」
「ええ。あの方、オルメロット家の嫡男なのですけれど……妹たちにもちょっかいを出しているようで、全く困ったものですわ」
……毎回。そんなに呆れるほど、毎回シャーロットに声を掛けているのだろうか。
そう思うと、ちょっとどついてやりたいような気持ちになってくる。
ちら、と青年が去ったほうを見れば、少し離れた場所から、彼はまだこちらを窺っているようだった。
「いやですわ、まだ見てる」
シャーロットも視線に気づいたらしい。
彼がいる方に背中を向けて、またひとつ溜息を吐いていた。
我知らず握ったままにしていた手に、ぎゅっと更に力が込もった。
こんな風に、成長した彼女と一緒に舞踏会に来れる日がくるなんて、思ってもみない幸運があったものだとしみじみ思っていたけれど。
「――なぁ、どうする?」
「え?」
互いの腕が、肩が触れるくらいの位置に、綺麗に着飾ったシャーロットがいて、こちらを見上げている。
もし、これ以上を望んだとして、罰が当たったりしないだろうか?
「あいつ、こっち見てるし。あんな断り方した以上、その……」
俺はどうせ、この数年間社交界には出てないから、ぱっと見じゃどこの誰だかなんてわからないだろうし。
「――俺たちも、一曲くらい、踊った方がいいのかな、って……」
今夜一夜だけ。
たった一曲だけの間でいいから、もう少しだけ贅沢な夢を見ることは、許されるだろうか。
恥ずかしくて、シャーロットの目を見返せない。
どうせいつものように、「そんなことするわけないでしょう!」って怒鳴られるだろうなとか、頭の中でぐるぐる考えていたのに。
「…………そう、ですわね」
ぎゅ、と。
俺の腕に掛けられていたシャーロットの手に、力が入ったのを感じた。
「へ」
驚いて、彼女のほうへ視線を戻す。
シャーロットは完全に俯いてしまっていて、俺からは彼女の綺麗な金の髪と、髪飾りと――ぽっと赤く染まったように見える、彼女の耳と綺麗なうなじしか見えない。
「断る口実に使ってしまった訳ですし。その……隅の方で一曲だけなら、踊って差し上げてもよろしくてよ……」
ぼそぼそと聞こえた彼女の声に、刹那思考が真っ白に塗りつぶされる。
――嗚呼。
これが夢でありますように。
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