大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

70.大賢者様と私<4>

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 耳にから脳へ届けられた言葉を完全に受け止めきる前に、焔さんの唇が次の言葉を発した。

「好きなんだ。本当に――君の書く、物語が!」

 ――……へ?
 一瞬、衝撃に飛びかけた意識がぎりぎりのところで繋ぎ止められる。
 見つめ合ったままの彼の瞳は、時々見られるような、あの少年のようなきらめきに輝いていた。

「なんだろう、これまでだって僕は、それこそ数え切れない程の本を読んできた。そんな中で、君の物語には、どうしてかもの凄く惹かれるんだ!」
「……あ、の」
「僕自身にも理由はわからないんだけど……でも、本を好きになったり、その作者の物語を好きになるって、そういうものだと梨里さんも思わないかい?君なら、わかってくれるでしょう?」
「……あ、あー……その、はい」

 いや、何がはい、だ自分。
 待って待って。ちょっとだけあの、待ってほしい。
 衝撃から段々と引き戻される意識と、正常に働き始める理性とがフル回転する。
 ――僕は、ずっと前から好きなんだ。
 焔さんはさっき、そう言って。
 ――君の書く、物語が!
 ……そうだ、今、そう言ったんだ。
 彼が言った言葉を、頭でしっかり理解した途端。

「……ふ、ふふ」
「……?梨里さん?」
「ふふ、あ、あははは……!」

 堪えきれない笑い声が、私の唇から漏れてしまっていた。
 変な期待をしてしまった自分と、今の状況とがおかしくて、次から次へと笑いがこみ上げてきてしまう。
 そう、そうだった。
 この人は――私の好きになった、憧れたこの人は、こういう人だった。
 どこまでも本が大好きで大好きで、何よりも大好きで仕方のない人。
 忘れていた訳ではないけれど……こんな状況で、あんな期待をしてしまうなんて。
 こういう人だから、惹かれたはずなのに。
 新しく自分の中に芽生えたこの感情が邪魔して、当たり前のことを通り越してあんな期待をしてしまった自分が、可笑しくて仕方ない。

「ふふ、ふふふ……」

 なおも笑いが止まらない私に、さすがに焔さんが困惑した表情を浮かべていた。

「えっと……」
「……ふふ、ご、ごめんなさい。突然笑ったりして。本当にごめんなさい」

 目尻に滲んだ涙を拭って、ふうと息を吐いた。

「なんでもないんです。ただ……ちょっとびっくりして」
「そう……?」
「はい。……ふふ、こんなに熱烈に、私が書いたものを好きだって誰かに言ってもらえるなんて。思ってもみませんでした」
「……あ」

 今更過ぎるとは思うのだけど、焔さんの頬がぱっと軽く朱色を帯びたように見えた。
 自分で言ったことなのに、そんな風に照れるところはやはり可愛いと思ってしまう。

「あー……その……」
「ふふ……すごく、嬉しいです。そんな風に言ってもらえて。ありがとうございます」
「……よ、喜んでもらえたなら、よかった……のかな?」

 そんな会話をしながらも、更に赤くなった気がする焔さんの顔に、また小さく笑いが零れてしまう。
 焔さんは手で口元を覆うと、先ほどまでの真剣さはどこへやら、明後日のほうへ視線を泳がせてしまって……その仕草にも、また笑ってしまった。
 純粋に、自分の書いていた物語をそんな風に言ってもらえるのは嬉しい。
 嬉しいやら、可愛いやら、可笑しいやらと、なんだか幸せな気持ちで胸がいっぱいだ。
 ずっとにこにこしている私に、焔さんはひとつ大きな咳払いをして、照れ隠しのように頭をがしがし掻いた。

「あー……もう、なんか恰好つかないね。でもいいか。本音だし」
「いいと思いますよ。それに、焔さんはいつもかっこいいですから、大丈夫です」
「えー……んー、まぁ、梨里さんがそう言ってくれるならいいかな。……あ、そうだ」
「?」
「……えっと……あったあった。もうこの際だ。これ、ずっと渡す機会が見つからなくて……僕から、大好きな作家さんへの贈り物」
「え?」

 贈り物?と私が首を傾げている間に、焔さんはジャケットの内ポケットを探って取り出した包みをこちらに差し出してきた。
 手のひらに収まってしまいそうな、小さくて細長い包み。
 綺麗な包装紙で飾られたそれは、端のほうにちょっとだけしわが寄ってしまっていて、ずっと持ち歩いていたのかな、なんて想像してしまう。

「私が頂いてしまっていいんですか?」
「うん。貰ってくれたら、僕が嬉しいな」
「……それじゃあ、受け取ります」

 突然の贈り物にどきどきしつつ、白い包装紙の包みを両手で受け取った。
 手のひらに丁度いい重さで……この大きさだと、中身はなんだろう?

「開けてもいいですか?」
「うん」

 焔さんが頷くのを見てから、ひとつ深呼吸をしてどきどきする心臓を宥める。
 微かに期待で震える指で、そっと包みを開いていくと……中から出てきたのは見覚えのある輝きだった。

「これ……!」

 純白の軸に、透明な宝石が煌めく美しいマナペン。
 繊細な雪の結晶と欠けた月のバランスが綺麗で、僅かな光を集めて上品に輝く、これは……間違いなくあの時のマナペンだ。
 驚いて顔を上げると、焔さんが自分の胸ポケットから星と月の彫刻された、同じ軸と宝石のマナペンを手ににっこりしていた。

「え?え、どうして――」

 焔さんの手には確かにマナペンがあるのに、どうして今私の手に、あの高級すぎるマナペンがもう1本存在しているのか。
 正直、あの時のことは……なんというか、ショックを受けすぎていたのかよく覚えていない。
 あの時は、焔さんの新しいマナペンを買うだけだったんじゃ。

「それ、梨里さんに似合いそうだったから、お揃いにしようかなと思って。君は心ここにあらずって感じだったから覚えてないと思うけど、あの時、2本とも買っておいたんだよ。……なんとなく、渡せずにいたんだけどね」
「お揃い……」

 焔さんと、お揃い。
 混乱の中、その言葉だけがやけに強く心に刺さって、嬉しさにぶあっと顔が赤くなった気がした。

「で、でも!これ、すごく高いやつ……」
「まぁそうだけど、ほら、マナペンは良い物持つに限るから」
「こんな高価な物……ほ、本当に貰ってしまって良いんでしょうか……」

 お揃いは嬉しい、もの凄く。
 でもめちゃくちゃに高価なはずのこれを、ぽんと簡単に貰ってしまって良いのだろうか。
 さすがに気が引けるというか……。

「それがもし遠慮なら、僕が良いって言ってるんだからいいんだよ。……もし、気に入らないとかそういう理由だったら、無理にとは――」
「気に入らなくないです!」

 焔さんの言葉に、反射的にマナペンを握りしめ、思い切り首を振っていた。
 好きな人とのお揃いの文房具なんて――気に入らないわけがない。
 高価なものだから、躊躇ってしまう気持ちも確かにありはする、のだけど。
 どうしても、このマナペンから手を放したくない――そんな気持ちを大切にしようと思った。

「……これは、ありがたく頂きます。――大切に、します。ずっと」

 胸元に抱いたマナペンが、冷たい金属のはずなのに、ほんのり温かいような気がした。
 この言葉通り、ずっとずっと大切にしよう。
 以前もらったブックマーカーと合わせて、私の宝物だ。

「――うん」

 その後しばらくの間、飽きずにマナペンを眺めたり、自分の制服の胸ポケットに挿したりする私を、焔さんは本当に嬉しそうに温かく見守ってくれていた。
 何かを理由にしたわけでもなく、こんなに素敵な贈り物を貰ってしまうなんて。
 せめて私も、何か――焔さんが喜ぶものを、お返しできればいいのだけれど。
 と、そこまで考えて、あることを思い出した。

「あ」

 そうだ、そういえば――。
 もう一度バッグを引き寄せて、中を覗き込む。
 本当に偶然、もう1冊手に入ったというだけだったのだけど……私の書いた物語を、あんな風に好きだと言ってくれる人がいるのなら。
 ちょっと……どころではなく恥ずかしいけれど、きっと、これも大切にしてくれるんじゃないか。
喜んでもらえるんじゃないか、なんて思ってしまったから。

「焔さん、このマナペンのお礼……ってわけでもないんですけど」
「ん?」
「もしよかったら、私からもこれ……受け取って頂けませんか?」
「……え、」

 私が差し出した真新しい文庫本を見た焔さんが、目を丸くする。
 受け取った本の表紙をじっと見つめて、ゆっくりとページを捲った焔さんは。

「っええええええぇぇぇ?!」

 私とアルトが飛び上がるほどの大きな悲鳴を、最奥禁書領域に響かせた。




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