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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
74.大賢者様の登城
しおりを挟むざわざわと、控えめなざわめきが起きる。
いつも通りすっぽりとフードを被り顔を隠した焔さんの後ろをついていくけれど……うん、周囲からの視線が痛い。
まだリブラリカの館内、しかも職員しかいないようなエリアなのに、私たちが廊下を歩いているだけで、廊下沿いの部屋や物陰から大量の視線が集まっていた。
焔さん――大賢者様が最奥禁書領域から出たとなれば、視線を集めてしまうのは仕方のないことではあるのだけれど。
「…………」
以前にも増して視線が痛いのは気のせいだろうか。
無数の針のような視線の中、焔さんは周囲をまるで気にせず足早に歩いて行く。
王宮からの迎えの馬車が待っているという、リブラリカの貴族専用玄関へと到着する頃には、私もアルトもすっかり疲れてしまっていた。
「大賢者様、秘書様。お待ちしておりました。迎えの馬車も到着しております」
聞き慣れた声に顔を上げると、扉の傍で待っていてくれたらしいシャーロットがこちらに微笑んでいた。
「シャーロット!」
「さっきは届け物ありがとう、リリー。……疲れた顔してらっしゃいますわね」
「うん……ちょっと、視線が痛くて」
心配してくれた友人にちょっと本音を零せば、彼女は「仕方在りませんわね」と苦笑して肩を竦めた。
「あの舞踏会の時、大賢者様のお顔を見てしまった方が沢山いましたから……。あれ以来、大人気ですものね」
「そんなに騒ぐことかなぁ?」
私たちの会話に、焔さんがきょとんと首を傾げるので、今度は私が苦笑するしかなかった。
この国の建国に携わり、なおかつ最強と謳われた伝説の大賢者様。
オルフィード国の国民なら誰もが知っているそんな人物が、800年以上生きている現在でさえ容姿端麗で整った顔立ちの美青年だ、などと――そんな噂が立ったのは、あの舞踏会の夜からすぐのことだった。
噂でしかないものの、目撃者は貴族多数。
貴族令嬢たちの囀りのような噂話は、とんでもないスピードで国中に広まり、一時期、リブラリカの一般書架には、そんな大賢者様を一目見てみたいと普段以上に大勢の人が詰めかけ、騒然となったことすらあった。
噂の本人は人前に出る気もなかったため、ひと月ほどで自然と人は減っていったけれど……あの頃は、私が一般書架の仕事を手伝えばすぐに人に囲まれてしまうような有様で、本当に苦労したのだ。
そんな外の事などお構いなしに、いつも通り最奥禁書領域に籠もりきりだった大賢者様は、なんの被害も受けなかったようだけれど。
当時の苦労を思い出し、首を傾げたままの焔さんの前で、シャーロットと顔を見合わせ吹き出してしまった。
その後、陛下を待たせてはいけない、と、あとの事を副館長であるシャーロットに任せ、私たち2人と1匹は馬車に揺られて王城へと出発した。
カラカラと石畳を進んでいく、馬車の車輪の音。
しかし王宮の馬車はさすがに高級なようで、車輪に魔道具が使われているため、車内はほとんど揺れなど感じない。
そわそわと制服のスカートの皺を伸ばしながら窓の外に目をやると、今日も賑やかな城下街の様子が見えた。
夕方に近い時間だからだろうか、買い物用のバスケットを手に、子供と市場を巡る母親が多い気がする。
まだまだ陽が高いため、空は真昼のように明るいけれど、市場は夕食前のかき入れ時のようだ。
噴水を中心にした円形の広場には、沢山の屋台と馬車、人が溢れている。
まるで中世時代のヨーロッパのようなこの光景も、いつしかすっかり見慣れてしまっていた。
母親に手を引かれた子供が、王宮の馬車に気づいてこちらを指差しているところがちらりと見えて、微笑ましい気持ちになる。
新緑の街路樹が目に鮮やかな道を抜け、門を抜けて……馬車はあっという間に、オルフィード国の王城へと到着していた。
王宮の侍従が開けてくれた扉から、焔さんが一足先に馬車を降りる。
「リリー」
「はい、ありがとうございます」
いつも通り優しい笑顔と共に差し出された手を、どきっとしながら借りて馬車を降りる。
前回王城へと来たのは舞踏会の夜だったから、昼間の城へと訪れるのは、これが初めてだ。
隅々まで手入れが行き届いた庭は美しく、みずみずしい新緑で輝いている。
白い石で作られた外壁が、青い空に映えるように輝いていた。
侍従さんに案内されて城の中へと向かう私たちに、リブラリカ内で感じたものと同種の視線が突き刺さる。
さすがに城で働く人達はあからさまではなかったけれど……そこかしこから隠れた視線を感じて、王城に来てまで居心地悪い思いをすることになるなんて……思ってもみなかった。
前を行く侍従さんや焔さんにばれないよう、隠れて小さく息を吐く。
すると、私の肩の上で大人しくしていたアルトが、こそりと耳元で囁いた。
「ここでもイグニスのやつ、大人気だな」
「そうみたいだね……うう、視線が痛い」
「本当にな。……ったく、見世物じゃねーっつーの」
いや本当に、アルトの言う通り、見世物じゃないんだけどね……。
とはいえ、大賢者様が正式に王城へと入ったのは、舞踏会を除けばほぼ800年ぶりの出来事のはず。
そうもなれば、仕方ないのかもしれない……なんて、諦めるほうが早い気がしてきた。
侍従さんに案内され、豪奢な飾りの施された広い廊下を歩くこと10分ほど。
だいぶ城の奥の方まで来たような気がするけれど、今この城のどの辺にいるのかもわからない。
通されたのは、これまた豪華な内装の小ぶりな部屋だった。
「陛下にお伝えして参りますので、こちらで少々お待ちください」
丁寧に礼をして出て行った侍従さんに代わり、メイドさんたちが香りの良いお茶とお菓子をテーブルに用意してくれる。
流れるようにテーブルのセッティングをしながら、メイドさんたちの視線はちらちらと焔さんの方へ注がれていた。
やがてメイドさんたちも退室すると、ようやくほっと肩の力が抜ける。
焔さんと並んで長椅子に腰掛け、甘い香りのお茶を飲むと程よい温かさがじんわりと胸の辺りに沁みた。
心に余裕が出てくれば、改めて部屋の中にも視線が向く。
飾り彫りのされた美しい金属窓には、オルフィード国の色でもある落ち着いたワインレッドのカーテンが掛けられていて、金の飾り紐で束ねられている。
壁際の暖炉には季節柄、火はないけれど、代わりに青い光がふわふわと踊っているように見えた。
きっと、冷房代わりだという魔道具が動いているのだろう。
外は少しだけ暑かったけれど、宮殿の中はリブラリカ館内のように過ごしやすい気温になっているようだ。
私がキョロキョロと部屋を見回していたせいだろうか。
ふふ、と隣で小さな笑い声が聞こえて振り向けば、焔さんが組んだ足に頬杖をついてこちらをじっと見つめていた。
「梨里さん、緊張してる?」
ほんの少しだけからかうような声色を感じて、ちょっとだけむっと唇をとがらせる。
「それはまぁ、突然のことですし、緊張はしてますけど……焔さんはいつも通りですね」
「まぁね。久しぶりだしだいぶ内装も変わってるみたいだけど、昔住んでた場所だから」
「住んでた……って、この国が出来た頃のこと、ですか?」
焔さんは普段、滅多に昔の話をしてくれない。
もしかしたら何か聞けるかも……、とどきどきしながら尋ねてみると、ふわっとした笑顔のまま――すっと、視線を逸らされた、ように感じた。
「そうだね。この城は、オルフィード国の前の国のときから王城として使われていたから。
リブラリカが出来るまでは、ここに住んでたんだ」
「そんなに昔からあるんですね。それにしては綺麗ですけど」
「結構改装とかもしてるみたいだからね。当時のままの建物もあるけれど、そっちはもっと城の奥のほうで、廃墟になっちゃってるみたいだよ」
「へぇ……」
廃墟になってしまってる、というのはちょっと寂しい気もするけれど……焔さんが昔住んでいた時そのままの建物、か。
むしろそっちのほうが見てみたい気もするけれど……奥の方にあるというなら、見るのは無理そうかなぁ。
なんて、そんなことを考えながら、お皿に盛られた焼き菓子をひとつ、口に運ぶ。
ほろりと口の中でとけるように崩れたそれは、甘酸っぱい木イチゴのような味がした。
「あ、おいしい……」
「ん?どれどれ?」
「この赤い木の実が入った焼き菓子です。甘酸っぱくて美味しくて」
「ああこれか。うん、紅茶にもよく合うし、いいよね」
ひょい、と自然に身を寄せてきた焔さんが、同じ焼き菓子に手を伸ばし美味しそうに頬張る。
たった一瞬、肩が触れ合ったその距離にさえ、心臓が軽く跳ねる。
「……そっ、そうですね」
動揺を誤魔化そうともう一つ口に放り込んだ焼き菓子は、すぐにほろりと崩れてしまった。
呆れた様子でこちらを見ていたアルトが、ぴくりと耳を跳ねさせる。
「アルト?」
ふいと扉の方へ向いたアルトに首を傾げれば、隣の焔さんからは盛大な溜息が聞こえてきた。
「えっ、焔さん、どうし――」
しかし私の問いかけは、バタバタという足音と共に勢いよく開かれた扉の音に遮られてしまう。
「リリー!大賢者も、よく来たな!」
「殿下っ……!」
ばーんと開かれた扉から、勢いのある声に名を呼ばれる。
美しい薄紫の瞳をきらきらと輝かせながら部屋に飛び込んできたのは、分厚く豪奢な刺繍のされた赤いマントを翻す青年。
白い衣装に蜂蜜色の柔らかな金髪が見目麗しい、この国の第1王子――ライオット・フェリオ・オルフィードその人だった。
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