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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
82.調査初日開始
しおりを挟むレグルと別れて保管書庫を覗きに行くと、案の定本の山に埋もれるようにして焔さんが寝落ちていた。
急いで起こして食堂に向かい、レディ・オリビアの用意してくれた温かい食事を頂いて、やっと1日の開始だ。
今日の私とライオット王子の予定は、午前中がレディ・オリビアと共に図書館の書架整理、午後は村に出て散策してみるということになっている。
昨日ぶりに足を踏み入れたロランディア図書館の一般書架は、ステンドグラスから差し込む陽の光に淡く虹色に染まっていて、とても幻想的だった。
「素敵……」
小さく呟くと、レディ・オリビアがくすりと笑みを漏らした。
「そうでしょう?この時間帯が一番綺麗なのよ」
「はい、本当に美しいです」
「うふふ、ありがとう。……さて、書架整理ね。ほとんど利用者がいないから、あまり意味がないのかもしれないのだけど。並びと分類はこの用紙を見てね。あとは軽くお掃除しながら、本の状態を見ていってくださればいいわ」
私とライオット王子それぞれに渡された用紙には、綺麗なエメラルドグリーンのインクで、丁寧な文字で書かれた並びと分類が書架番号と共に箇条書きにされていた。
きっとこれが、彼女のマナペンの色なのだろう。
掃除用具を片手に、3人それぞれ担当の書架へと向かう。
時々、遠くの方から微かに本を動かす音がする以外には、しんと静かな館内。
鳥の羽ばたきや鳴き声、森の葉ずれの音といった自然の音がする中、ただ黙々と本を手に取り、埃を払い状態を確認していく作業は、とても心が穏やかになるものだった。
そうやって書架の整理を始めて、夢中になって……どのくらいの時間が過ぎた頃だったろうか。
カタン、カタン。
小さな物音が思ったよりも近くで聞こえて、はっと我に返った。
レディ・オリビアかライオット王子が近くにいるのかと思って、物音のした書棚をそっとのぞき込む。
森が見える窓辺に置かれた踏み台。
鮮やかな緑の眩しい光に包まれたそこには、驚くことに小さな女の子がいた。
ふわふわの長い栗色の髪は柔らかそうで、質素なベージュの飾り気のないワンピースに優しく落ちかかっている。
小柄な身体を丸めるようにして、まだ彼女の手には大きすぎる様に見える本をのぞき込む姿は、真剣そのものだった。
すっかり声を掛けるタイミングを逃してしまった私。
ふとこちらの視線に気づいたのか、女の子が顔を上げて――目が合った。
「――!」
「あっ……」
途端に、女の子は印象的な翡翠色の瞳を零れるほど大きく開いて、弾けるようにばっと身を翻してしまう。
こちらが呼び止める間もなく、ぱたぱたと小さな足音が館内に響いて、そのまま出て行ってしまったようだった。
「……なんだ、あれ」
肩の上のアルトが、こてんと首を傾げる。
私はと言えば、空中で行き場を失った手を引き戻しながら、何となく申し訳ない気持ちになってしまった。
邪魔をするようなつもりでは、なかったのだけど。
怖がらせてしまっただろうか……。
そこにそっと顔を覗かせたのは、レディ・オリビアだった。
「あら……?もしかして今、ミモレが居たかしら?」
「あ……ええと、窓際に、栗色の髪の女の子が……」
「それならミモレね。私の親戚の子なのだけど、よくここに入り浸っているの」
なるほど、この図書館の稀少な常連さんだったらしい。
それを聞いて、尚更申し訳ない気持ちに胸が痛んだ。
「レディ・オリビア。……すみません、私、彼女を驚かせてしまったみたいで……」
「仕方ないわ。そう気を落とさないで、お嬢さん。……あの子、もの凄く人見知りだから、きっとびっくりしちゃったのね。貴女のせいじゃないわ」
「……はい……」
そうは言われても、やっぱり……怖がらせてしまったと思うと、心が痛い。
もし次に会ったときには、驚かせないように話し掛けて、謝れるだろうか。
その後もそんなことを考えながら、黙々と書架整理を進めた。
途中、リブラリカの最奥禁書領域でもよく見る、ほわほわの毛玉のような見た目の本の妖精――フィイを見つけて、纏われつかれたりしながら、午前中は静かに時間を過ごした。
時間を忘れて本を読みふける焔さんを再度回収して、食堂で昼食を頂き、ゆったりした時間の中で午後が始まる。
焔さんは相変わらずというか、調査に夢中になっているようで、昼食の間も持ち込んだ本から目を離さず、食後は紅茶を飲み終えるとすぐにまた、保管書庫へと引っ込んでしまった。
一度各自の部屋で準備をしてから、ライオット王子と図書館の正面玄関で待ち合わせして、今度は午後のお仕事――ロランディア村の調査へと出発だ。
魔道具によって室温調整がされていた図書館の外へと出ると、むわっとした夏の温度に全身包みこまれて、じわりと汗が滲み出るのを感じた。
空を見上げれば、所々で白い雲が浮かぶ、綺麗な青い夏の空。
森に囲まれた田舎の村は、木立を揺らす風が気持ち良い、夏特有の空気に満ちていた。
「さすがに暑いなぁ……」
「そうだね。でも風が涼しいから、気持ちいい」
ざああっと木の葉を揺らす風が、少し強めに吹き抜けていく。
こんな田舎の村で、ライオット王子と2人、青空の下に立っているなんて……なんとなく、不思議な感じがした。
うーんと思いっきり伸びをしたライオット王子は、「さて!」と気合いをいれるようにぱんっと気持ちいい音をさせて手を叩いた。
「それじゃあ、何から始める?リリー」
「そうだね……」
私たちの仕事は、ロランディア村自体の調査だ。
まだここに着たばかりの私たちは、この村について何も知らない。
「まずは、ぐるっと村全体を歩いてみようか」
「土地を知るってことだな。うん、大事なことだ。賛成!」
相変わらず良い笑顔で頷くライオット王子は、本当に楽しそうに村へと続く道を歩き始める。
その後ろ姿に、思わずふふ、と笑みがこぼれた。
「殿下、すごく楽しそうだね」
その背を追いかけながら声を掛ければ、歩くのを辞めないままに、ライオット王子はこちらに振り返る。
「ああ!今まではずっと城の中と勉強、各地の公務続きだったからな。こんなにすがすがしい時間を過ごせるのは新鮮なんだ」
「あ……」
そうか。彼は一国の王子様だから。
全然気づかなかったけれど、こんな風にお付きの侍従もなしに自由に過ごせることは、きっとものすごく、貴重な時間なのだろう。
私が返事に詰まったのを何やら勘違いしたのか、焦ったようにライオット王子が両手を振った。
「ああ違う!違うんだぞ、ちゃんとした調査だということはわかってる!きちんと真面目にやるつもりだから……!」
「わかってますよ、大丈夫です」
「そ、そうか……」
あからさまにほっとした表情を浮かべる彼に、また自然と笑みが浮かんでいた。
ころころと表情の変わるライオット王子と一緒にいるのは、なかなかに楽しい時間だ。
「さあ、張り切って行きましょう、殿下」
「ああ!」
再び2人で歩き始める道の先。
小さな小川に掛かった小さな橋を渡った先からは、村人の家や畑が広がり始める。
夏の気持ち良い陽気の中、ふたりと1匹、珍しい組み合わせでのロランディア村散策が始まった。
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