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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
81.身支度も社会勉強
しおりを挟むロランディア村出張、2日目。
ビクビクしながら再び森の中の扉をくぐり、可能な限りの早足で図書館へと向かった。
勿論理由は、昨夜見た幽れ……いや、白い影のせいである。
図書館に到着して、真っ先に焔さんの部屋へと向かったのだけれど。
「……いないね」
何度ノックしても反応がなく、さらに鍵のかかっていないドアを開けて室内を覗いてみれば、部屋はもぬけの殻だった。
家具は動かした形跡すらなく、ベッドには皺ひとつない。
……これは、もしかして。
思い当たる場所へ行こうと扉を閉めて、廊下を歩き出した途端。
ガチャリと隣の扉が開いて、日の差し込む廊下に眩しいくらいの金髪の頭がぬっと現われた。
「ん……あ、リリー。おはよう」
まだ少し眠そうな目をしたライオット王子が、ふわあっと控えめな欠伸をしながらこちらに手を振った。
「殿下。おはようございます」
きちんと挨拶を返したのだけど――ライオット王子は、途端にむっと眉間に皺を寄せた。
「敬語」
「へ」
「……敬語、使わなくていいって言ったじゃないか」
そういえば、以前そんなことも言われたような。
確かに今、周りに人はいないけれど……相手は本物の王子様なのだ。
本当に、いいのだろうか。
「確かに、そう言われましたけど……」
「………………」
私が困りつつ黙り込むと、王子は腕を組んでむっとした表情のままこちらを見つめてきた。
……これは、私が折れる以外に選択肢がない、のでは。
「……わかった。本当に、人がいないときだけね」
「おうっ」
溜息混じりに応えると、ライオット王子は嬉しそうに破顔する。
こういうところは本当に、少年みたいなのだけれど……実際の彼はきらっきらの王子様、なのよね。
国中のご令嬢たちに人気の、美しく気高いライオット王子。
それがこの国の民たちに認識されている、彼という人物のはず……なのだけど。
こうして接していると、ついついその事実を忘れそうになってしまう。
「で、こんなとこでどうしたんだ?大賢者か?」
遠い目で考え事をする私は、彼の言葉にはっと我に返った。
そうだった、今は焔さんを探してるんだった。
「ああ、うん、そうなの。でも部屋に居なかったから、別の場所に探しに行こうと思って」
「そうだったのか。よし、じゃあ行こう」
「え?!殿下も来るの?」
意気揚々と廊下を歩き出したライオット王子は、顔だけこちらに振り返るときょとんとした表情で首を傾げた。
「なんで驚くんだ?俺、ここに居る間はリリーと一緒に行動すると言っただろう?」
「た、確かに昨日そんなこと聞いた、けど……でも、…………お願い、待って」
「なんだなんだ?」
放っておけばそのまま本当に歩いて行ってしまいそうなライオット王子の袖を、取り敢えずむんずと掴んで捕獲する。
とにもかくにも、このままこの王子を行かせるわけにはいかなかった。
「……あの、そんな恰好で行くつもり?」
「ん?」
本気で意味のわかっていないような反応が返ってきて、私はがっくりと肩を落とす。
――そう。彼はこの国の王子様。
だからこれもきっと……それ故のことなのだろうと、予想は付くのだけれど。
問題なのは、彼の、今の姿について、だ。
蜂蜜色の綺麗な髪はもつれて鳥の巣状態だし、なんとか着たのだろう軍服デザインの衣装は、所々ボタンを掛け違えていたり、変なところに皺が寄っていたり。
つまり、身だしなみというものが全然、なっていないのだ。
確か、着いてきた侍従の人は村長さんのお屋敷の方でお世話になるって言っていたし、これでも……ライオット王子自身が、精一杯頑張った結果なのだろう。
なのだろう、けれど。
一国の王子のこんな姿を見てしまって、そのまま他の人の目があるところになんて、とても行かせられなかった。
「ちょっとだけ、お部屋に失礼してもいい?」
「ん?ああ」
「では」
簡単に許可を取って、彼の部屋へと王子を引きずり込む。
呆れ顔でベッドの上に丸くなったアルトを横目に、私は朝からライオット王子の身支度をすることになったのだった。
「……おお、すごいな」
鏡の前に座らせて、髪に櫛を通し、服の皺を伸ばして、ボタンをしっかり留めていく。
ひとつひとつ、やり方を丁寧に説明しながら整え終える頃、ライオットは鏡に映るいつも通りの自分を見つめて、目を丸くしていた。
「これでも頑張ったつもりだったんだが……なるほど、今まで全然気にしていなかったが、朝の身支度というのにも手順やコツがあるのだな」
素直に感心しきりの王子に、私は一仕事終えたような謎の達成感を感じて、ふうと息をついた。
「まぁ、王子だったら普段は自分でやらないと思うし、知らなくても仕方ないよね」
「身分によってそういう、知っていて当たり前、が違ってくることもあるだろうが……俺は今、こうしてまたひとつ学べたことが嬉しいと思う。やっぱり、リリーはすごいな。ありがとう」
こうきらきらした笑顔を向けられると、なんとも毒気を抜かれてしまう。
純粋すぎる視線が眩しくて、思わず視線を泳がせながら返事をした。
「どういたしまして、です。こんなことで喜んでもらえるなら、わからないことがあったときにはいつでも聞いてね」
「ああ。その時は頼む」
「……ふああ、やっと終わったのか?」
とすっと肩に軽い衝撃があって、アルトが飛び乗ってくる。
やっと、なんていうほど時間は掛かっていないつもりだったけれど。
時計を見ればもう、朝食の集合時間が間近に迫っていた。
「あ、もういかなくちゃ」
「朝食の時間か。そうだな、大賢者も連れてこないと」
ライオット王子と連れだって、再び廊下へと出る。
階段を降りたところで、偶然レグルとすれ違った。
……王子のあんな姿を見られなくて本当によかったと、心の中でほっとする。
レグルは私たち2人に気づくと、「おや」と首を傾げてから、笑顔で胸に手を当て軽く頭を下げた。
「これは殿下。そしてリリー様、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、レグルさん」
朝の挨拶を済ませ、胸ポケットから懐中時計を引っ張り出したレグルは文字盤を見て納得したように頷く。
「もう朝食の時間でしたか」
「はい、それで、マスターを呼びに行こうかと……多分、昨日の保管書庫に籠もりきりなのではないかと思いまして」
「恐らくリリー様の仰る通りですね。昨夜は一晩中、明かりがついているようでしたから」
「……初日からご迷惑お掛けして、申し訳ありません」
彼からそんな台詞が出てくるのは、夜中に様子を見に行ってくれたからなのだろう、と察しをつけて、レグルに頭を下げる。
もう、ここは最奥禁書領域じゃないのに……焔さんは完全に、通常運転のようだ。
そんな恐縮しきりの私に、レグルは優しく首を振ってくれた。
「いいえ、お気になさらないでください。迷惑だなんてことはありませんから」
「ですが……」
「むしろ嬉しいくらいです。これほどの所蔵があっても、普段からこんなに読み込んでいただけることのない本たちですから。他でもない大賢者様のお役に立てているのなら、本たちもきっと嬉しいでしょうし」
「レグルさん……ありがとうございます。そんな風に言って頂けると、助かります」
「ええ。ですから、リリー様もそんなお顔なさらず。笑顔でいらっしゃって頂ければ、私も嬉しいですから。今日も素敵な笑顔を見せてくださいませんか?」
「……はい」
さらりと何でもないように言われた言葉に、一瞬引っかかりのようなものを感じたけれど……ここはシャーロットからの淑女の教え通り、ひとまず曖昧に微笑んで流した。
……今、さらっとキザなことを、言われたような……?
「それでは私は、先に食堂でお待ちしていますね」
「あ、はい。マスターとすぐに参ります」
そのままあっさりと食堂の方へ歩き去ってしまうレグルの背を、しばらく呆然と見送ってしまった。
その姿が廊下の角へと消えた後、思わず隣のライオット王子を見上げると、向こうもこちらに顔を向けたのでちょうど視線が合う。
「…………」
「…………」
2人で無言のまま顔を見合わせて――言葉にしなくても何か、伝わるものがある気がした。
敢えて言葉にはしなかったけれど、恐らく、同じ事を考えていたような。
「……取り敢えず、大賢者呼びにいくか」
「……そうだね」
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