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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
99.魔女の忠告
しおりを挟む忘れられもしない、華奢な美少女がそこに居た。
名前は、確か――。
「……ヴィオラ、さん……?」
「ほう、私のことをきちんと覚えておったか。頭のつくりはそこまで悪くはないと見える」
「…………」
さりげなく失礼なことを言った彼女――女賢者・ヴィオラは、綺麗なアイスブルーの髪を揺らしながら、軽い足取りでこちらへと近づいてくる。
後ずさりしたいのを何とか堪えて、もう一度視線をベンチへと向けるけれど……。
やっぱり、アルトは固まったまま動かない。
「これは、貴女が……?」
「ああ、ちょっとなぁ。話をするのに、邪魔されとうなかったのでな」
「なんの、ご用でしょうか」
固い声で返事をする私に、彼女の口の端がにいと小さくつり上がる。
先ほどの彼女の言葉……アルトに邪魔されたくない、ということは、焔さんにも知られたくないということ、なのだろう。
それだけじゃない。
邪魔されずに話をしたいという、ただそれだけのために、こんな風に時間を止めるような魔術を使うなんて……この人も賢者なのだ、と。
強力な魔術を使える人なのだと、警戒心を新たにする。
身構える私を余所に、彼女はふらりとベンチの方へ歩み寄ると、すとんと腰を下ろした。
隣で固まっているアルトを眺めるようにしながら、冷たい視線だけをこちらに向けてくる。
「お前、イグニスの秘書をしているらしいが……元いた己の世界とこの世界を行き来しておるのだって?」
「……まぁ、はい……」
数少ない人しか知らないはずのそれを、どうして知っているのだろう。
疑問に思いながらも、相手が昔の焔さんを知るほど長生きしている存在だということを思い出して、ぐっと堪えた。
アルトすらいない今の状況では、何かあっても助けてくれるひともいない。
そんな中、魔術も使えない私が彼女に逆らったり、嘘を吐いたりするのはとても無謀に思えた。
渋々といった私の返答に、彼女のアイスブルーの瞳が、さらに冷たくすうっと細められた。
増した視線の鋭さに、身を切られるような迫力を感じて身震いしそうになる。
「随分と、中途半端な奴じゃの」
冷たく言い捨てられた言葉が、ぐさりと心に刺さった。
「イグニスは、この世界で知らぬ者のない、あの伝説の大賢者なのだぞ?その秘書という役目を与えられながら……あまりにも中途半端。無責任にも程があるというものだ」
「な…………」
「しかも、魔力はある癖に魔術もろくに使えんのであろう?……焔の大賢者とまで呼ばれ、畏れられたあの男の秘書が、なんの役にも立たぬ小娘とは。片腹痛いわ」
お世辞にも好意的とは思えない、酷い言い草ばかり。
最初のうちは面食らってしまった私だけど、彼女がこれ見よがしに肩を竦めて大きく溜息を吐く姿に、次第にむかむかしてくる。
……焔さんの古い知り合いだか、友人だか知らないけれど。
ほぼ初対面で、数える程しか言葉を交わしたことのない相手に、こんなに辛辣な言葉を投げかけられる謂われはないはずだ。
私は、焔さんに望まれて彼の秘書になった。
向こうの世界とこちらの世界を行き来しているのだって、焔さんがそうしたらいい、と言ってくれたのだ。
私と焔さんのことを何も知らないくせに、中途半端だなどと言われたくはない。
心に生まれた小さな怒りが、彼女に立ち向かう小さな勇気に変わる。
こんな時には、どんな時でも凜と美しく立つ、自慢の親友の教えを思い出して。
背筋を伸ばし、顎を引いて胸を張る。
しっかりとアイスブルーの瞳を見返して、口を開いた。
「……先ほどから何を仰っているのか、いまいちわかりませんけれど……。私はイグニス様の秘書であることを誇りに思っていますし、魔術が使えないことを不便と思ったこともありません」
「はん。これだから考えなしの小娘は」
ヴィオラはフンと鼻で笑うと、ベンチの上で足を組み、腕を組んで私を睥睨した。
「考えなし、などではありません。私は――」
「黙れ小娘。お前がどう思っているか、などということは、どうでもよいのだ。問題は、周りの者からお前がどう見えるか、ということであろう?」
「……周りの方たちからも見劣りしないよう、日頃から努力しているつもりです」
「お前自身がどう考えているかなんて知らぬがな、私から見たお前は、取り立てて能力もない、魔術すら使えないただの小娘じゃ。そんなお前が、どうしてあのイグニスの秘書なんぞに取り立ててもらえたのか、本気で意味がわからんな」
「…………」
そんなこと、この人に言われる筋合いはない。
そう考えながらも、頭の片隅で、彼女の言葉が反射している。
自分の中の何かが、彼女の言うことが全て間違っているわけではないということも、微かに理解してしまっていた。
ずっと前、それこそ始めの頃から、大賢者とまで呼ばれる焔さんの秘書をすることに、引け目のような、気後れのような何かを感じてはいたのだ。
自分は何も取り柄のない……ただ本が好き、というだけの人間なのに。
国の伝説にすらなるような、大賢者である焔さんの秘書という立場は、本当に私に務まっているというのだろうか。
日頃から、意識の深いところで気にしているような内容をきっぱりと言われてしまって、戸惑いと同時に、じわりと心が痛む感覚に胸元を握りしめた。
しかし、そんな風に同様している自分のうちを、彼女に見せたりはしたくない。
「……貴女には、関係ありません」
よく分からない感情で言葉が震えそうになるのを、必死に堪えて言い返す。
ヴィオラはそんな私に興味すらないような顔をして、うんと伸びをした。
「まぁそうじゃけどな。久々に会った古い友人の秘書が、こんな役にも立たぬ小娘だとは……正直、不愉快以外の何でもなかったのでの。つい一言、嫌味でも言ってやろうと思ってな」
「いくら貴女がイグニス様の古い友人とはいえ、ほぼ初対面の相手にこれは、些か失礼が過ぎるのではありませんか?」
「お前のような小娘相手に、失礼もなにもないわ。もう数百年生きてから言え、小娘」
本当に失礼ね、この人……!
嫌味が言いたかっただけ、だなんて。
何百年生きているのか知らないけれど、あまりにも酷い言葉ばかりだ。
「もういい。飽きた……帰るか」
また唐突に、彼女は面倒くさそうに言い捨てて、ひょいとベンチの上に立ち上がる。
何も感じなくなっていた世界に、ふわりとささやかな風が吹き始める。
「ああそうだ。帰る前に忠告しておいてやろう」
くるり、と肩越しにこちらを振り返った彼女は、冷たい表情でこちらを見下ろし、吐き捨てるように言った。
「おい小娘。お前間違っても、イグニスに懸想なぞするでないぞ。あやつはああも見目が良いがの。万が一、あやつの傷を抉るような真似をしたら……小娘、お前なぞすぐに殺してくれる」
「えっ――?!」
「ゆめゆめ忘れるなよ。私は有言実行という言葉が好きなのでな――」
「ちょっと!待っ――」
急に風が強さを増し、彼女のアイスブルーの髪が大きく翻る。
その強さに堪えきれず目を閉じ、一瞬後にはぶわりと肌に熱気を感じた。
がばっと周囲を見回す。
鳥の声、風の音、夏の陽気――。
一瞬にして、世界が元通りになっていた。
待って、と伸ばした手の先に、ちょこんと怪訝そうに首を傾げる相棒の姿。
「あ?んなアホ面して、どうかしたかリリー」
「……あ、ると……」
「なんだ、本当に疲れ溜まりすぎてんじゃねーのか?……ほら、早く帰るぞ」
「う、うん」
とことこと先を歩き出す黒猫の背を追って、図書館へと帰る道を歩き出す。
「アルト、その……なんともないの?」
「は?何が」
「なにがって……その、ほら、さっきの」
「なんだ……?あのぼんくら王子のことか?仕事なんだから仕方ないだろ」
「いや、えっと……。うん、そうだよね」
「さっきから変だぞお前。今日はもうさっさと帰るからな」
「うん……」
呆れた様子で溜息を吐くと、アルトは先を急ぐように歩みを早めた。
さっきの、で、ライオット王子のことしか出てこない、ということは……本当に、あのヴィオラとの会話は、私と彼女しかわからないようになっていたんだ。
まだ明るい、のどかな帰り道なのに。
頭の中は、先ほどのヴィオラとの会話でいっぱいいっぱいになっていて……ぐるぐると回り思考が絡まりあってしまっている。
――取り立てて能力もない、魔術すら使えないただの小娘。
そう、それが自分だ。
事実だってことくらい、自分でちゃんとわかってる。
わかっていることを言われた衝撃よりも。
――間違っても、イグニスに懸想なぞするでない――。
そう言い捨てられた、その言葉のほうがぐさりと胸に突き刺さった。
傷を抉ることになるって、どういうこと?
告白することが、傷を抉ることになるって……以前、そういうことがあって、焔さんが傷ついたって、そういうことなの……?
私が知らない、焔さんの過去。
それを、彼女は知っている――。
色々な感情で、心が溢れてしまいそう。
彼女と会話をした、たったそれだけで石のように重くなってしまった心と身体のせいで、歩く為に一歩足を踏み出すことさえ億劫に感じる。
顔を上げて、遠くに見えたロランディア図書館。
古くて美しいその佇まいが、突然もの悲しいものに見えたような気がした。
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