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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
101.初めての魔術<1>
しおりを挟むさて、どうしたものか。
少しだけ雲の多いロランディアの空を見上げて、私は深く溜息を吐いた。
週明け、またロランディア村に来た私は、もうすっかりと仲良くなった子供たちを眺めながら、図書館の庭で切り株に腰掛けていた。
子供たちとライオット王子は、楽しそうに歓声を上げながら魔術の練習をして遊んでいる。
不思議なことに、この村で生まれる子供はほぼ全員が魔力持ちで、魔術の適性があるのだという。
「そおれ!」
男の子が手を振ると、一瞬だけ虹色の光の帯が宙に現われて、きらきらと霧散した。
私はといえば、手元に本を開きつつも、空を仰いで溜息ばかりついている。
懐を探って取り出したのは、あのマナブックが入っている小さな巾着。
このマナブックを読み終わってしまった私は、今夜からどうするか。
朝からそればかりを考えていた。
先週はずっと、このマナブックを読むという名目で、夜もこちらの世界にとどまり続けていた。
夜になったら焔さんのいる保管書庫へ行って、読書をする静かな時間を過ごす。
それがここ最近の、毎日の楽しみだったのだけれど……。
マナブックを読み終わってしまった今、調査に没頭する焔さんと一緒に過ごす為の理由がなくなってしまった。
……まさか、一緒に居たいんです、なんて言う訳にもいかないし……。
今日からは、夜はちゃんと、自宅に帰ったほうがいいのかな。
困ったなぁ。
もう一度大きな溜息が口から漏れていく。
ふるふると頭を振って頭の中のモヤを霧散させると、少し身体を捻ってロランディア村の方へと顔を向けた。
適当に腰掛けた古い切り株。
特に意識して選んだわけではなかったのだけど、ここから村の方向に見える風景は、中々に美しかった。
緑の木々と畑、民家のコントラストが鮮やかで、まるで油彩画でも見ているかのような気持ちになってくる。
そんなのどかな景色にぼんやりと見とれていたから、彼が子供たちの輪から外れてこちらに近づいてきていることに気づくのが遅くなった。
「綺麗でしょう?そこからの眺め」
「レグルさん。……ええ、本当に綺麗ですね」
穏やかな声に振り返ると、さくさくと下草を踏む音と共に、黒い衣装を風に揺らして、リヒトー・レグルが微笑みながら歩いてきていた。
私の隣まで来て立ち止まった彼は、同じように村の方を眺めて目を細めた。
「私も、この村に来て初めての日に、ここからの眺めにずっと見入っていました」
「そうでしたか。これだけ綺麗な眺めですもの、見入ってしまう気持ち、わかります」
「ええ、そうでしょう?……それで、リリー様は何をお悩みなのですか?」
「え?」
「不躾で申し訳ありません。どうしても気になってしまいまして……。先ほどから、空を見て溜息ばかり吐いていらしたでしょう?私で良ければ、お話相手にして頂けませんか?」
胸に手を当て微笑みかけてくるレグルに、私は困ったような笑みしか返せなかった。
……口の端とか、引きつってないと良いけど。
彼の優しさはありがたいけれど、さすがに……焔さんと一緒に居られる都合の良い理由を考えている、なんて正直なことは言えない。
「いえ……すみません、お気遣い頂いてしまって。何でもありませんから」
この出張が始まってからというもの、彼とはちょっとした世間話程度しか、したこともない。
その程度の仲で、悩みを相談なんて……うん、できるわけないよね。
しかし、私の返答を聞いたレグルは、あからさまにしょんぼりした様子になった。
「そう、ですか……。私では、貴女のお力にはなれませんか」
「え、いや、その……」
「出過ぎたことを言って、申し訳ありません。私なんて何の役にも立たなくて……」
角が立たないように断ろうと思い選んだ言葉だったのに、どうしてかもの凄く気落ちされてしまっている。
焔さんと変わらないくらい長身の彼が、小さく見えてしまう程に肩を落としている姿に、何故かとてつもなく罪悪感を感じてしまった。
「そ、そんなに気を落とされないでください。ええと……あの、お恥ずかしいのですが、自分があまりにも無力だな、と思ってしまって……」
「無力、ですか?」
「ええ……。子供たちですら、あのように魔術を使えるのに、大賢者様の秘書という立場である私が、簡単な魔術すら使えないなんて……無力さが、歯がゆくて」
嘘は言っていない。
自分より年上のはずの男性をしょんぼりさせてしまった、という罪悪感から、何とか当たり障りのない悩みごとをひねり出す。
取り繕うように口から出た言葉ではあったものの、まったくの嘘ということではなく、先ほどまで本当に考えていたことでもあった。
楽しそうに魔術の練習をする子供たちは、レグルという良き先生のおかげか、簡単な魔術をいくつも使いこなすことができて、同い年の他の子供に比べても本当に優秀だと、ライオット王子が言っていた。
あんなに小さい子供ですらできることが、全くできない私。
ヴィオラにあんな風に言われてしまっても仕方ないのでは……、と考えてしまうくらい、魔術の練習に打ち込む子供たちの姿は、今の私には眩しかった。
「ふむ……」
私の言葉を聞いたレグルは、少し考え込むようにした後、その場で膝をつくと、すっとこちらへ手を伸ばしてきた。
「リリー様、少々お手を宜しいですか?」
「え、はい……」
伸びてきたレグルの手が、そっと私の手をすくい上げる。
……焔さんとは違う、温かい体温と、少し荒れた指先の感触の、男の人の手。
少し緊張して固くなっている私の前で、レグルがそっと目を閉じた。
「……?」
何をされるんだろう、と首を傾げている間に……じわりと、レグルの手に触れている手の平の部分に、微かな熱を感じたような気がした。
……温かい何かが、触れた部分からすうっと流れ込んでくるような感触。
「何……?」
「わかりますか?」
「ええ……何か、温かい熱のような……」
私が応えると、レグルは目を開いて、優しい笑顔で頷いた。
「では、もう片方の手の平を上にして、こちらに」
「……こう、ですか?」
「はい」
差し出されたもう片方の彼の手に、おずおずと空いた手の平を置く。
すると、先ほどまで感じていた温かさが、両腕に広がって開いた手の平に流れていくような感覚が広がった。
「そのまま、手の平に意識を集中してください。手の平からその熱を出すようなイメージ、できますか?」
「……ええと……」
両腕に、ゆるゆると流れるように揺蕩う、柔らかな熱を感じる。
繋いだ方の手からゆっくりと流れ込んでくるそれに意識を集中すると、それは徐々に、もう片方の腕へと移動して、開いた手の平の上に集まってくるような感覚があった。
これを、手の平から出すようなイメージ……。
よくわかっていないままに、じっと手の平を見つめていると、やがて小さなきらきらした光の粒が手の平の上に漂い始めた。
夕陽を反射して、きらきらする細かな粒子……焔さんが魔術を使った時に何度か見えた、マナの粒子の光に似ている。
段々と手の平の熱が上がってきて、それと同時にマナの粒子の量も増えてくるように見えた。
手の平から熱を出すようなイメージ、って……こう、かな?
自分の手の平からその粒子が溢れてくるような、マナの粒子がもっと沢山でるようなイメージを……。
恐る恐るイメージすれば、途端に手の平の表面に集まる熱の温度が、さらにぶわりと上がって。
大きく、弾けた。
「う、わ……っ!」
「おお!」
私の驚いた声と、感嘆するようなレグルの声が重なる。
私の手の平から青空に向けて、透明な水の粒が大量に噴き上がり、きらきらと大きな虹を作り出していた。
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