137 / 171
第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
134.暴かれた過去<1>
しおりを挟むばしゃっと氷水をかけられた感覚で、無理矢理に目が覚めた。
「っひゃ……!」
「なんじゃ、生きておったか」
驚いて顔を覆った私の頭上で、つまらなそうな声がする。
――とにかく、頭が痛い。
ぐらぐらする。
喉も痛い。
それを意識した途端、激しくむせ返って、今度は水を吐いた。
「げほっ、げほっ、はあ、は……。う」
苦しい、けど……生きてはいる、らしい。
何があったか思い出そうとすると、寄り添う2人の男女の姿が瞼の裏にちらついた。
ぼんやりしてきちんとは思い出せないけれど……なんだか、そんな2人の夢を見ていた、ような。
ってそうじゃなくて。
確か、あの宝石池で……。
そう、そうだ。あそこで、アイビーと会ってしまって。
というか、操られていて。
私は、焔さんの言いつけを破って……結局、池の底にある鍵を――。
「っ!」
そうだ、鍵!
慌てて自分の両手を見るけれど、鍵らしきものは何も持っていない。
ばたばたとびしょ濡れの服や周りの地面を探していると、再度、頭上から呆れた声が振ってきた。
「忙しいやつじゃな。鍵ならお前が取ったろう?」
「……っえ」
「なにアホ面してるんじゃ。全く。これだから小娘は……」
濡れ鼠になって地べたに座り込む私を、彼女はやれやれと肩を竦めて見下ろしていた。
確か、宝石池のほとりでアイビーと戦っていた……ヴィオラ。
間違いなく、彼女だ。
私とは打って変わって濡れた様子すらない彼女は、アイビーとの激しい戦いの後だというのに、水色のローブもその美しい銀髪も、綺麗に整っていた。
「この世に存在する全ての『鍵』と呼ばれるものに、同じように形があるわけはあるまいて。あそこにあったのは形のない鍵。お前はしっかりと手に入れていたから、安心しろ」
「……は、はぁ」
よくわからないけれど、私にちゃんと鍵を取ることができていたのなら、よかった。
きっと焔さんも、ちゃんとその先へ進めたのだろう。
なら、それはいいとして、だ。
「あ、の……取り敢えず、ここ、どこですか……?」
喉に力を入れて絞り出した私の声は、しわがれてしまっていた。
薄暗い空間。
強い土と緑の匂いがして、周囲は何かに囲まれているようだ。
真上には、板のようなものの隙間に、星の瞬く夜空。
どうやら、地上ではない……多分地面の亀裂の中のような場所にいるらしい。
私の問いに、ヴィオラは大袈裟に溜息をついて、肩を落とす真似をしてみせた。
「命の恩人に対して、最初に言うことがそれか?本当に礼儀のなってない小娘じゃの」
「えっ、あ、ごめんなさ――」
「いや、謝らんでいい。半分は冗談じゃ」
「へ?」
自分で言い出しておいて、冗談?
半分って、どういうことだ。
私の疑問が顔に出ていたのだろうか、ヴィオラは私から目を逸らしてうんと伸びをしながら教えてくれた。
「お前のことを、アイビーのゴーストからは守った。だが、鍵を取りに行ったお前を助けた覚えはない。だから、半分だ」
「……ええと。それじゃあ……ありがとう、ございます。……半分だけ」
「正直、生きているとは思わなかった。中々しぶといのう、お前」
「…………」
これは、褒められている……のだろうか。
どう返したらいいのかよく分からずにいれば、ヴィオラがぐい、と片手を引く動作をした。
瞬間、ぐいっと身体が引っ張られて、気がついたら立ち上がっていた。
勢いでよろけるけれど、足には力も入る。
うん、自力で立てそうだ。
続いて彼女が手を振れば、びしょ濡れだった服がからりと乾いて、軽くなった。
「いつまでもこんなところにいるわけにはいかないだろう?ほら、行くぞ」
「あ、ありがとう……ま、待ってください!」
私の応えを聞く前から歩き出してしまう彼女を、慌てて追いかける。
完全に彼女について行く形になってしまっている、けれど……ここが何処かもわからないし、ひとりでなんて居たくないのだから、今はこれが最善のはずだ。
お互い無言で歩いていく間に、段々と気持ちも落ち着いてきて、暗闇になれてきた視界には色んなものが見えるようになっていた。
まず、ここは土の中……というか、どうやら人工的に作られた地下の通路のようなもの、らしい。
綺麗に削られた土壁には、等間隔に灯りを置くためのような四角い溝が作られている。
天井部分は、板のようなもので屋根が作られているようだが、朽ちたように何カ所も落ちてしまっているせいで、月明かりが入り込んでいるみたいだった。
宝石池の水中で、鍵を手に入れて……恐らくそのまま、急に流されたか何かして。
たどり着いたのがここ、ということは、まだロランディアの近くにいるのだろうか。
近くじゃないと、困るけれど……。
まだ月が空高く浮かんでいるから、そう長く気を失っていた訳ではないようだ。
あれ以来、一言も会話がないまま、ヴィオラは銀髪を揺らし前を歩いている。
時々、天井から漏れる月光を受けて輝く髪が、とても美しい。
こんなに華奢な少女の姿をしているのに、昔の焔さんを知っているほどに、長生きしているだなんて……。
まぁ、それを言ったら、焔さんだって800年以上生きているのに、外見は20代にしか見えないのだから詐欺だけど。
無言で彼女の背を見つめているうちに、ふと疑問が浮かんできた。
そういえば、どうしてあの時……宝石池の畔にこの人が居たんだろう。
まるでタイミングを見計らったみたいに現われて、アイビーから私を守ってくれた。
あんなに色々言っていたのに。
私のことを嫌っていたはず、なのに。
どうして助けてくれたんだろう。
……聞いたら、応えてくれるだろうか。
ほんの少し躊躇ったけれど、どうしても気になってしまって、思い切って聞いてみることにした。
「……あの」
「ん」
「どうして、宝石池に居たんですか?」
「どうしてじゃろうなぁ」
はぐらかすような言い方に、思わず足を止めて強く言い返した。
「あんな……私のことあんなふうに言っておいて、どうして助けてくれたんですか?……私のこと、嫌いなんでしょう?」
ぴたりと、前を行く彼女も足を止めた。
そこはちょうど、天井が崩れた場所で……明るい月光を浴びながら肩越しに振り返ったヴィオラはふっと微かに笑った気配がした。
「お前のことは、勿論嫌いじゃがな。……自分たちの不始末に、お前みたいな唯の小娘の命を巻き込むというのも、嫌だったのでな」
「……あなたたちの、不始末?」
彼女の表情は、影になってしまっているせいでよくわからない。
かろうじて見えるその口元は、嘲るような微笑を浮かべているようだった。
「私にもなぁ、直接ではなくとも、責任があると思ってるのじゃよ。そう、ちょびーっとな。わかっていて言わなかった、というやつじゃ。後から思い返せば、できたことなど沢山ある。ま、人はそれを後悔と呼ぶのじゃがの」
「えっと……」
一体、なんの話だろう。
首を傾げている私を見て数秒。
ヴィオラは、はっと得心がついた、というように目を丸くした。
「ああ!お前、さてはイグニスから聞いておらんのじゃな?」
「聞いてないって……何を、ですか」
言い方に少々ムッとしながらも言い返せば、今度は楽しそうににんまりされる。
その顔すら心を逆なでられるようで、不愉快だ。
「何を、じゃと?イグニスの過去に決まっておるじゃないか。あやつの忘れられない過去じゃよ。……ははは!そうかそうか!あいつ、お前のことを大切に手元に置いておきながら、肝心の自分のことについてはだんまりか!」
おかしくて仕方ない、とでも言いたげに思い切り笑う彼女の声は、先ほどまでしんとしていた通路内に大きく響く。
私が不快感も隠さずの顔をしていると、ヴィオラは散々笑ったと目尻の涙まで拭いながら、その可憐な唇から衝撃的な一言を紡いだ。
「じゃあ私が教えてやらんとな!イグニスとザフィアはな、その昔、大切な女をひとり、死に追いやったんじゃ!その女のことを悔いて悔いて、何百年も忘れられずにいるんじゃよ!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
35
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる