大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶

145.柔らかな想いを、貴方へ

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 手の平に収まるくらいの、白銀の輝きを持った髪飾り。
 細い蔦が絡み合うようなデザインの土台に、まるでロランディア村を思い出させるような鮮やかな翠色の丸い宝石が、小粒の木の実を思わせるようにちりばめられていた。
 慎重につまみ上げてみると、翠色の光の粒がちらちらと零れる。
 もしかして……レグルから授業で受けた、魔力を込めたアクセサリー、というやつじゃないだろうか。
 さらりと、そういうものもあるという程度にしか聞いていないけれど……この光の粒は、マナの粒子……のはずだから、たぶんそうだ。
 魔力を込められたものは、とても貴重でお値段も素晴らしいと聞いたのだけど……こんなに良い物を、もらってしまってよかったのだろうか。
 髪留めを慎重に机の上に置いて、今度は一緒に入っていた紙片を広げる。
 綺麗で小さな文字が、髪留めと同じ、翠色のマナインクで綴られていた。
 ――お姉さんへ。
   沢山、ありがとうございました。
   一緒に包んだ髪留めは、私が作ったものです。
   まだまだ修行中の身だけど、上手にできたから、もらって欲しいです。
「ミモレちゃん……」
 すごい、まだ幼い彼女が、こんなに美しい髪留めを作ったなんて。
 後から知ったことだけれど、彼女の家は、こういった貴重品や魔道具、薬などを作っている職人が何人もいるところらしい。
 彼女も、家の一員としてこういったものを作るのに頑張っているのだろう。
 再び用紙に視線を落とすと、続きは少しだけ、インクの色に滲みが出ている様に見えた。
 ――ここからは、あのお姉ちゃんからの言葉です。
 その一言にどきっとする。
 思い当たる人物は、一人だけだ。
 そして、その先に書かれていた言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。
 ――私は、あの人のために生きて、死んで、死んだ後も、幸せだった。
   だけど、一度もこの想いを言葉にしなかったことだけ、後悔している。
   ……あの頑固者のこと、どうかよろしく。
   貴女を危ない目にあわせた私が言うことではないかもしれないけど……。
   限りある時間の中で、後悔は、しないようにね。
                    アイビー――
「……アイビーさん……」
 くしゃ、と、用紙の端に皺がついてしまった。
 手紙は、そこで終わっている。
 確かに彼女には、本当に大変な目にあわされたけれど……彼女がザフィアのことを想う、あの気持ちの真っ直ぐさに、憧れたのも事実だ。
 ――限りある時間の中で――。
 ゴーストになってまで、数百年も想いを持ち続けた彼女の言葉は、胸の奥に重く響いた。
「……リリー?」
 アルトから声を掛けられて、知らず閉じていた目を開ける。
「おい、あんまりのんびりしてると、さすがに時間遅れるぞ」
「そうだよね、ごめん。今行く――」
 引き出しの中に手紙と髪留めを閉まって、バスケットに手を伸ばしかけたところで――ぴたりと、動きを止めた。
 ……うん。
「ごめんアルト、今行くから」
 改めてそう声を掛けて、一度は閉めた引き出しを急いで開ける。
 手早く髪を解いて、手ぐしで整えて――いつもの飾り気のない髪ゴムではなく、開封したばかりの髪留めでまとめた。
「――うん、よし」
 手鏡で確認をして、今度こそ朝食の入ったバスケットを握る。
「行こうアルト」
「おう」
 少しだけ急ぎ足で、でも足音は立てないように静かに足を動かして、焔さんの作業部屋へと向かった。
 扉の前で一度、深呼吸をしてからノックする。
「焔さん、梨里です。朝食お持ちしました」
 …………。
「焔さん?入りますよ」
 こうして扉に呼びかけて、返事がないのも久しぶりだ。
 静かにノブを回して、部屋の中へと足を踏み入れる。
「失礼します」
 この部屋に入るのは、約ひと月ぶり……くらいだろうか。
 雑然と積み上げられた、いくつもの本の山。
 壁一面の本棚にも、見渡す限りの本、本、本……。
 まったく、本当に焔さんらしい部屋だ。
「焔さん?どこに……」
 本の森の中、きょろきょろと視線を彷徨わせると……いた。
 いつもの長椅子の上に、丸くなってブランケットを被った焔さんの背が見えた。
 その長椅子へと向かう途中、脱ぎ捨てられたままのローブを拾い上げ、埃を払って衣装立てに掛ける。
 ローブの飾りから、しゃらら、と涼やかな音が部屋に響くが、焔さんはぴくりとも動かなかった。
 すいすいと足下の本を避けて、長椅子の元へとたどり着く。
 テーブルに朝食入りのバスケットを置いてから、ブランケット越しに焔さんの背をそっと揺すった。
「……んー……」
 くぐもった呻き声が上がる。
 ――こんなところは、子供のような人だ。
 少し困ってしまうけれど、こういう一面も、彼の好きなところで。
「焔さん。……焔さん?起きてください、朝ですよ」
「ん……。あれ、梨里、さん?」
「はい。おはようございます。朝食お持ちしました」
「あー……うん、うん。おはよう……」
 ゆっくりと上体を起こした焔さんが、ぐぐっとひとつ伸びをした。
 その眠そうな横顔は、やっぱり整っていて――好きだなあ、なんて想う。
「……よし、じゃあ、頂こうか」
「はい!」
 バスケットの中身をテーブルへと並べて、久々にふたりと1匹、日常を取り戻したような気持ちで朝食を取り始める。
 モニカが少し多めにいれてくれた、みずみずしい野菜のサンドイッチも、ソーセージも、ベーコンと目玉焼きも……何もかも美味しく感じるのは、久しぶりだから、なのだろうか。
 記憶にある朝食より多かったはずの食事も、あっという間になくなって、3つのティーカップに青い色のハーブティーを用意する。
 注いだカップの中で、キラキラと煌めきが揺れているように見える、鮮やかな青の水面に、思わず声を上げた。
「わぁ……綺麗な青」
「ああ。今日はそのハーブティーなんだね。だからカップも透明なのか」
 焔さんはそう言いながらカップを受け取って、一口。
 幸せそうな微笑みで、頷いた。
「うん、美味しい」
 続いて私も口を付けると、ほわっと温かな中に、綿飴のような微かな甘みを含んだ、爽やかな風味が口いっぱいに広がった。
「甘いんですね、これ……すごい、好きです」
「梨里さんが気に入ったなら、よかった。……ところで」
「?」
 す、と焔さんが、飲みかけのハーブティーをソーサーに戻してしまう。
 自然とあった視線の先で、焔さんがこてん、と首を傾げた。
「その髪飾り……とても綺麗だけれど、どうしたの?」
「え、ああ」
「僕があげたものじゃないよね?」
「これは、ミモレちゃんから別れ際に頂いたものなんです」
「ああ、あの子か。どれどれ……」
 組んでいた足を解いて、焔さんが長椅子から立ち上がった。
 どうするのかと視線で追っていると、彼は座る私の背後までやってきて、しげしげと髪飾りを眺めているようだった。
「……うん、よく出来てるね」
「あの……これって、魔力が込められているアクセサリー……ってものですよね?」
「ああなんだ、知ってたんだ。うん、そうだよ。これは、君を守る力が込められているみたい」
 髪飾りを見るのに満足したのか、焔さんはそのまま、空いていた私の隣へと腰を下ろした。
 くい、と彼の綺麗な指先が小さく動くと、それに合わせて、向かいの席にあった彼の飲みかけのティーカップが、ソーサーごとふわりと浮き上がり、静かにこちらへと移動してきた。
 本当に、魔術って便利だ。
「とても綺麗で、君に似合ってる。……できる限り、ずっと身につけておくのがいいよ」
「あ」
 自然にこちらへ伸ばされた彼の手が、私の髪をさらりと一房すくって、その感触を楽しむように、するりと指を滑らせた。
 至近距離に見た彼の微笑みとその仕草に、一気に鼓動が走り出す。
 同時に、彼女の――彼女たちの言葉を思い出すのは……髪飾りを話題に出されたから、だろうか。
 すでに痛い程早鐘を打っている心臓が、勢いよく破裂してしまいそうだ。
 どきどきしすぎて、怖い。
 怖い――けれど。
 気持ちを、伝えられるうちに伝えろと。
 後悔だけはしないで、と。
 沢山の大切な人たちが、温かく背中を押してくれた。
 ぎゅ、と膝の上で握りしめた両手が、ふ、と力を緩める。
 極度の緊張が、彼女たちの温かさを思い出して、解けていく。
 ――大丈夫。
「……焔さん」
「ん?」
 見つめた彼の黒い瞳は、時折ちらちらと紅いマナの揺れを映している。
 ――だめでも、大丈夫。
 そう簡単にはいかないって、わかってるから。
 それでも、伝えよう――。
「焔さん、私、貴方のことが好きです」
 ゆっくり一呼吸置いて、するりと出てきた自分の声は、震えても掠れてもいない。
 真っ直ぐに、何も飾らない言葉で。
 ――ああ、貴方のことが、好き。
 柔らかい幸せな気持ちをふわりと乗せて、私は彼に、大切な想いを手渡した。



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