燕の軌跡

猫絵師

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記憶

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やっと一通りの葬儀を終えて、パウル様の許可を得てから宿舎に戻った。

「ん?アダルウィンの奴はどうした?」

馬を小屋に預けに行って、アダルウィンの馬がいないのに気が付いた。

「朝出ていったお連れ様ですか?まだ戻られてませんが…」

「蒼い髪のじゃなくて金髪の方だよ」と特徴を教えると、馬の世話をしてくれる下男は「あぁ」と声を上げた。

「そのお連れ様でしたら、お二人の後に『少し出かけてくる』と仰って、まだ戻られていませんよ」

その返事を聞いて嫌な予感がした。

俺もアルフォンスも、アダルウィンには死体の件については聞かせたくなかったから留守番させたのだ。

あいつは親父に似て真面目だし、言いつけは守るもんだと信じて疑っていなかった。

いつ頃出ていったのかと下男に訊ねると、俺たちが出て行ってからすぐだという。

それなら既に六時間以上経っているし、ちょっとの外出にしては長過ぎだ…

「…あいつ、どこに行ったんだ?」

ラーチシュタットに来るのは初めてだろうし、あいつの訪ねて行くような知り合いなんて、実父であるバルテル卿ぐらいのものだろう。

もしかして、何か忘れ物でも見つけてアルフォンスを追ったという事も考えられたが、アルフォンスはあんな適当そうな印象から想像できないぐらい完璧人間だ。

なんならしっかり者に見えてアダルウィンの方がうっかりしている。

とりあえず俺が勝手に動くわけにもいかずに、二人のどちらかが帰ってくるを待った。

先に戻って来たのはアルフォンスの方だった。

「ただいま戻りました」と明るい声で挨拶するアルフォンスは何やらご機嫌の様子だ。

「お前ひとりか?」と訊ねると、アルフォンスはそこでやっとアダルウィンの姿が無いのに気付いたようだ。

浮かれていたような顔をしていたアルフォンスの顔から表情が消えた。

「…まさか…いないんですか?」

「やっぱり一緒じゃないんだな…俺が帰って来た時にはもう姿が無かった。使用人のおっさんの話だと、俺らが出て行った後に『少し出てくる』って出てったらしい。あいつ何か言ってたか?」

「いえ…僕は何も…」

硬い表情で動揺するアルフォンスは本当に何も知らない様子だ。

アダルウィンは本当にどうしたんだ?あいつらしくない…

「…もしかしたら…一人であそこに行ったのでは?」

「馬鹿言え、あいつがそんな勝手な事…」

アダルウィンを信じたい気持ちはあるが否定しきれない事も事実だ。

あいつ朝は少し拗ねてたしな…

いつも飄々とした態度を崩さないアルフォンスもアダルウィンに対して責任を感じているようだった。

「とにかく、アダルウィンが心配です。とりあえず《燕の団》から二人預かってきました。後から数人送るそうです。

とりあえず我々だけで急いで向かいましょう」と俺を急かして例の場所に行くように促した。

一応、アダルウィンが帰って来た時の為に使用人に伝言を残してきたが、頭のどっかでその伝言が無駄になるような気がしてた。

例の死体の事より、今はアダルウィンの事が心配だった。預かった子供ではあるが、あいつはもう俺の息子みたいなもんだ。

本当に何かあったらユリアやバルテル卿に顔向けできない…

焦る気持ちと悪い方へ向かう思考を抑えながら、アルフォンスの案内で例の場所に向かった。

スーが寄越した連中はまだ若い二人組だった。別に指名したわけじゃないし、信用できるなら誰でもよかったのだが、その人選が以外で少し違和感を覚えた。

「申し上げにくいのですが、スーの方も問題があったようです」

移動する馬の背でアルフォンスが俺に簡単な報告をした。

あのスーが出し抜かれたと聞いて驚いた。俺も知ってるエルマーとかいう団員が裏切ったらしい。

「幸い、問題はすぐに解決したみたいです。スーも命に別状ないようですが、《燕の団》は厳戒態勢でしたよ」

「…なるほど」と頷いて預かった団員に視線を向けた。二人とも少し居心地悪そうに俺から視線を逸らした。

「その二人は問題なさそうという事で預かりました。幹部からの面接済みです」と、二人の事を保証してアルフォンスは報告を終えたようだった。

全く、この短い間に色々ありすぎだ…

スーの事は後に確認するとして、直近の問題はアダルウィンだ…

ヨナスとリアムと名乗った二人はスーの《犬》らしい。まだ若いが、スーが寄越したということはある程度信用できるし腕も立ちそうだ。

二人にもアダルウィンの特徴を教えて、アダルウィンの保護を優先するように伝えた。

二人ともいい意味で素直な馬鹿って印象だ。

話をしているうちに、薄暗い脇道に入った。

暗い道は立ちんぼや悪党が好みそうな場所だ。

「こっちです」と案内するアルフォンスの後を追って、暗い道の更に奥に進むと、道の先から馬の嘶く声が聞こえた。

暗い路地の中で、馬を連れて行こうとする二人組の男と、頭を振って嫌がる馬の姿が見えた。

「…あれって、《フレイヤ》だよな?」

暗くて少し離れているが、特徴的な鬣や尾は間違いなくアダルウィンの馬だ。

俺たちの反応に、出番だと踏んだヨナスらが飛び出して行った。

急に輩に襲われて、馬に気を取られていた男たちは悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、速攻で捕まって俺の前にしょっ引かれてきた。

こいつら意外と要領良いな、などとヨナスらに感心しながら悪態吐いている馬泥棒に声を掛けた。

「よぉ。その馬うちの若いもんの馬でな。返してくれ」

「な、なんだよ?こいつはずっとここに繋いであったんだ。ちょっと世話しようとしただけだよ」

引き攣った顔で誤魔化すように笑いながら言い訳する男は小者だ。騎士として修練を積んだアダルウィンを倒して馬を奪うなんて無理だろう。

《フレイヤ》は知っている人間を見つけて安心したようにすり寄って来た。

特に酷いことをされた様子はないが、知らない人間に連れて行かれそうになって怖かったみたいだ。

「そりゃ親切にどうも…それより、この馬に乗ってた奴知らねぇか?」

「知らねぇよ!ずっとここに繋いであったってことしか知らねぇよ!」

「旦那。盗人の話信じちゃいけねぇよ」「骨の一本二本折ったらゲロするぜ」

ヨナスらが物騒な台詞で泥棒たちを威嚇すると、冗談と受け止められなかった男たちは慌てて馬を返すと申し出たが俺の欲しい言葉はそれじゃない。

「この馬の持ち主がどこにいるか分かるか?」と、少し声を低くして紳士的に質問したら男たちは泡食って弁明を開始した。余程我が身が大事と見える。

「マジで!マジで知らねぇんだよ!

ちょっと通りかかって、戻ってきたらまだ繋がれていたから、ちょっとした出来心なんだよ!許してくれ!」

「俺はこいつに手伝えって言われたから来ただけだ!俺は悪くない!」

「汚ぇぞ!お前だって分け前寄越せって言ってたじゃねぇか!」

醜く仲間割れの喧嘩を始めた男たちは必死だ。二人とも馬鹿そうだし、嘘を吐く余裕はなさそうに見える。

騎士が馬をほっぽり出して何処に行ったんだ?

アダルウィンの行動が理解出来ずにいると、狭い路地からアルフォンスの呼ぶ声がした。

「閣下!こちらに来てください!早く!」

大きく手を振って、慌てた様子のアルフォンスはそのまま狭い路地に消えた。

見失っては困ると、慌ててアルフォンスが消えた路地に踏み込んだが、待っていたのは本能的に避けたくなるあの臭いだ…

狭い建物に囲まれた狭い路地には腐臭が溜まっていた。

久しぶりに嗅ぐと吐き気がする…

「昨日はこれほどじゃなかったんですが…」

手で鼻や口元を抑えながらアルフォンスが呟いた。

彼は路地からまた一本奥の建物の隙間を指し示した。そこに近付くとまた一段と腐臭が濃くなった。

腐臭はアルフォンスの足元にある色の変わった麻袋から漏れていた。

吐き気を覚えたが、意を決してダガーを抜くと一気に袋を裂いて中身を確認した。袋から解放された死体の臭いに耐え切れずに、下がるとアルフォンスにぶつかった。

「わっ!」と声を上げてアルフォンスがその場に尻もちを着いた。

「わりぃ、大丈夫か?」

振り返ってアルフォンスに手を貸そうとして気付いた…

「大丈夫か?どっか切ったか?」アルフォンスの手が突いた場所に黒い染みがジワリと沁みていた。アルフォンスもそれに気づいたらしい。

自分の身体を確認していたが、どこも怪我してないようだ。

そうなるとその血は誰のだ?

地面に沁み込んだ血痕は死体から染み出したものとは離れていた。乾いていたが、色はまだ赤を含んでいた。新しいものだ…

その血は最悪な想像を抱くのに十分だった。

「まさか…アダルウィン…」

「死ぬような量の出血じゃない。他に痕跡が残ってないか探せ」

青い顔になっているアルフォンスを叱咤して周りに手がかりを求めた。

怪我してるなら他にも血の跡が残ってるはずだ。

辺りに手掛かりが無いかと見回して、死体の入った袋の近くに何か落ちていた。

「何だ?首飾りか?」

拾ったチェーンの切れた首飾りには、赤黒い血と腐臭を漂わせる肉片のようなものが付着していた。この死体の持ち物か?

花の枝を握ったカナリアっぽい小鳥の意匠で、女が好みそうな感じだ。

何か関係があるのかも知れないから、とりあえずハンカチに挟んでポケットにねじ込んだ。

「なんかあるか?」

這いつくばって地面を観察するアルフォンスに声を掛けた。

「少しだけ…血の跡が続いてます。でも、少量で判別が難しいです…

訓練された犬か専門の追跡できる人じゃなければ難しいかと…」

もちろん、今の俺たちはどちらも持ち合わせていない。

この死体も重要だが、俺たちにはアダルウィンの方が大事だ…

憲兵を呼びに行くか、パウル様に現状を報告するかのどちらにすべきか悩んでいると、路地の入口の辺りが騒がしくなった。言い争う声はヨナスたちとも馬泥棒とも違う声だ。

誰何すいかする声はやたらと威圧的だ。この上厄介ごとは御免だと、慌てて表に顔を出した。

「おい。お前ら誰と揉めて…」

声を掛けようとして固まった。ヨナスらと揉めていた相手も俺の姿を見て目を見開いて固まっていた。

「…ロンメル男爵…何故このような場所に…」

「ローゼンハイム卿、あんたも何でこんなところに?」

とっさに返した言葉にローゼンハイム卿は顔を歪ませた。

「近くを通りかかったら、何やら揉めているような声が聞こえたので確認に来たのです」

「はぁ…左様で…」

なんか違和感のある回答に抜けた返事を返してしまった。向こうはそれが気に入らなかったのか、イラっとしたような顔で俺を睨んできた。

「それより…侯爵閣下と一緒にいるはずの閣下がなぜこのような場所に?この者たちは閣下の従者ですか?」

「俺が雇った傭兵です。そこでうちの騎士の馬が盗まれそうになってたんで少し揉めました。もう解決してます」

「馬?その馬の事ですか?」と、卿は更に踏み込んだ質問をした。

ローゼンハイム卿は何頭もいる馬から迷わずにアダルウィンの馬を指さした。

俺は何も思わなかったが、後ろから顔を出したアルフォンスはその違和感を見逃さなかった。

「なぜその馬だと思うのですか?」

アルフォンスは俺を押しのけて前に出るとローゼンハイム卿に詰め寄った。

アルフォンスの勢いに、ローゼンハイム卿の方がわずかに後ろに退いたように見えた。

「『近くを通りかかった』と仰いましたよね?それは具体的にどこに行こうとしてたのですか?」

「随分不躾な質問をするのですね」と、ローゼンハイム卿は不快感をあらわにして俺を睨んだ。

「ロンメル男爵。部下の教育がなってないようですね。これでは主人である貴方が恥をかくことになりますよ」

卿は巧みに話をすり替えて俺を口撃し始めた。

「この辺りはよく問題が起きるエリアです。

私は非番の日も治安維持のために時々足を向けるようにしています。馬を当てたのはたまたまでしょう?

それより、侯爵閣下と一緒にいるはずの閣下がなぜこのような場所にいらっしゃるのでしょうか?私のような憲兵に知られては都合の悪い事でもあるのでしょうか?」

冷静に指摘をするローゼンハイム卿に、食ってかかっていたアルフォンスも押し黙った。

ローゼンハイム卿はラーチシュタットの憲兵だ。彼の言う通り、ここに居ても不思議はない。むしろ俺たちがこんなところにいる方が違和感がある。

「それで?ここで何を?」

完全にペースを向こうに持って行かれた…

多分、何にでも噛みつくスーの《犬》が居なかったらこのまま引き下がっていただろう。

「何だよ!お前、男爵より偉いのかよ?あぁん?」「この国の《英雄様》だぞ!憲兵が偉そうにできる相手じゃねぇだろうが!」

若い傭兵たちは気に入らない威圧的な憲兵に噛みつきたいのだろう。ただ、俺を盾にして噛みつくのは止めてくれ…

大人しくなるどころか更に酷くなる二人を煩わしそうに睨んで、ローゼンハイム卿は辺りを気にしていた。

人の多い通りからは外れているが、度を越して騒げば目立って人も来るだろう。俺だって目立つのは御免だ…

「お前ら落ち着け!

ローゼンハイム卿、悪いんだが、今はあんたの相手している余裕はないんだ」

「随分な物言いですね…」

「口が悪いのは勘弁してくれ。こいつらもうちの若いのが出掛けたまま行方不明になってて気が立ってんるだ」

俺の話を聞いて、ローゼンハイム卿の眉が少しだけ動いた。話くらいは聞いてくれそうだ。

「騎士見習いとしてロンメル家で預かってたハルツハイムって青年だ。

道に明るくないから迷ったんだと思う。そいつの馬がそこに繋がれていた」

「ハルツハイムという家名は聞き覚えがないですね…」

「ハルツハイムは騎士になるにあたって与えられた姓だから、元はヴェルフェル侯爵閣下の近侍長であるバルテル卿の三男だ。

まだ戦にも出てないし、名前が知られてないのは当然だ」

「…バルテル卿の…」

失踪したアダルウィンの父の名を聞いてローゼンハイム卿も驚いていた。落ち着きを払っていた表情は消え、驚きを通り越して顔色まで悪くなっている。

「失礼…その、ハルツハイム卿の失踪はバルテル卿もご存知なのですか?」と、ローゼンハイム卿は的外れな質問をした。

「いや、まだです。今から報告を…」

「困ります。それは少し待ってください」

「は?」何言ってんだ?という顔で見返す俺たちに、ローゼンハイム卿は慌てて言葉を続けた。

「その…バルテル卿のご子息が失踪したとなれば、かなりの大事になります。

ラーチシュタットの責任も問われかねません…

私も急ぎ憲兵を手配しますので、報告は捜索を終えてからにして頂きたい」

保身から来る言葉なのだろう。確かに、憲兵隊長であるローゼンハイム卿の立場としては分からなくもない。

どうしたものかとアルフォンスらに視線を向けた。

アルフォンスは悔しそうだが、背に腹は替えられないといった様子でローゼンハイム卿の申し出を受けるように勧めた。

「閣下、今はアダルウィンが優先です…」

「…だな」

この際、死体が見つかって騒ぎになろうが、俺たちが詰問されようが知ったことでは無い。

最悪、パウル様が何とかしてくれるはずだ…

アダルウィンが無事ならそれでいい…

ローゼンハイム卿の申し出を了承して、アダルウィンの捜索を彼に任せた。

✩.*˚

頭が痛い…

目を覚まして真っ先に頭痛と目眩が襲ってきた。

何で?ここは何処だろう?

起き上がろうとしたが、身動きが取れない。後ろ手に両手を縛られて、足もくるぶしの辺りを縛られているのに気づいた。

暗い建物の中は埃とカビの臭いで充満していた。

「…あ…ぅ」声を出そうとしたが、漏れ出たのは声などというものではなかった。

息を吸う度に頭を殴られたような痛みが襲う。

暗さに慣れた目の前に、自分の髪の毛と血溜まりが見えた。その血は僕のものみたいだ…

何で?どこ?痛い…怖い…

兄さんは何処だろう?母上は?父上は?

恐怖で身動きが取れずに、必死で助けてくれそうな人を思い浮かべた。

頭がガンガンと激しい痛みを訴えて思考が途切れる。唯一僕に許されていることは身体を丸めて震えていることだけだった。

どれだけ時間が経ったか分からない。

人の声が聞こえて、建物の中に慌ただしい物音が響いた。

「ハルツハイム卿!いらっしゃいますか?」「全部確認しろ」「古くなってるから踏み抜かないように気を付けろ」

物々しい声は誰かを探しているようだ…

この際誰でもいい…僕を見つけて助けて欲しい…

そんな願いが届いたのか、早足で響く軍靴の音がすぐ近くまで来た。廊下と隔てられているドアがこじ開けられて、部屋に踏み込む物々しい足音に頭痛が酷くなる。

「居たぞ!」と叫ぶ声で助かったのだと思った…

「ハルツハイム卿ですか?」と確認されたが、僕の知らない名前だ…

名乗らなければと思ったが、言葉が上手く出なかった。頭を強く打っていたからだと思う。

彼らは何やら相談して応援を呼ぶと数人がかりで僕を外に連れ出してくれた。

外は寂れた場所で、何で僕はこんなところにいたのだろうと不思議になった。一人で来るようなところではない。でも何か思い出そうにも靄がかかったように思い出せない。

「アダルウィン!」大きな声で名前を呼ばれた。それが覚えのない声で少し驚いた。

「良かった…俺だ、分かるか?」と話しかけてくれるが、その銀髪の壮年の男性に見覚えはなかった。

それでも必死に話しかける姿を見ると彼は僕を知っているらしい。

「すぐに治療できる場所に連れて行くからな。もう少し頑張れよ」と、励ましてくれた。

「アダルウィンは見つかりましたか?」と若い男の声がして、長兄と似たような年頃の青年が駆け寄ってきた。

兄の友人だろうか?

蒼い髪の青年は僕の知らない人だったが、銀髪の男性同様、向こうは僕を知ってるようだった。

「見つかった。頭を怪我してるみたいだ」

「良かった…一時はどうなることかと…」

「全く…治療したら説教だからな、アダルウィン」

二人は周りの手を借りて、僕を用意していた馬車の荷台に乗せて自分たちは馬に跨った。

状況からして助かったようだが、何処に連れていかれるのか不安になっていた。知ってる人が誰もいない状況で、何故か怪我してて、ここは僕の知らない場所だ…

兄たちか母が迎えに来てくれるだろうか?

父は忙しいし、母は面倒がりそうだからやはり兄のどちらかが来るだろう…

馬車の振動が傷の痛みを思い出させた。

頭痛のせいか、瞼の裏に記憶にない女の子の姿が浮かんだ。

可愛い少女は笑顔で『ちゃんと返してね』と告げて、持っていた物を僕に差し出した。彼女が大事にしていた古い髪飾り…

これは幻だろうか?でも、僕は彼女を知っている…

あるはずのない記憶は瞬きと共に消えてしまった。

恋焦がれるかのように彼女に会いたいと思っている自分がいた。

✩.*˚

レプシウス邸に逆戻りしてアダルウィンの治療を依頼した。俺が担ぎ込んだとあってすぐに治療に応じてもらえた。

治療をしてから分かったが、頭の傷は見た目では分からない深刻なダメージを与えていた。

「ロンメル男爵、残念なお話をしなければなりません…

ハルツハイム卿はここ数年の記憶が飛んでいるみたいです。聞き取りをしましたが、自分は12歳で、バルテルと名乗ってます」

「…マジかよ…」

よりによってうちに来る前の記憶で止まってしまったようだ…

顔見知りのレプシウス師の弟子は治療をしたアダルウィンの詳細を教えてくれた。

「頭の外傷はできる範囲で治療しましたが、問題は頭の中です。さすがに私も頭の中までは干渉できません。

おそらく一時的に記憶が抜け落ちているものだと思いますが、万が一戻らない可能性もあることはご理解ください」

「犯人を見てる可能性もあるんだ。何とかならないか?」

「一時的なものであれば療養して日常生活を送ることで戻る可能性もあります。しかし、記憶喪失の原因が心理的な問題であるなら無理に思い出させるのは危険です。

どちらにせよ、今は様子を見るしかありません」

アショフは都合の悪い現実を俺に突きつけた。こんな話を聞くことになるなんて思いもしなかった…

命令違反をしたのはアダルウィンだが、ちゃんと監督していなかったことを後悔した。あいつだってまだ若いし、血気盛んな若者だ。間違いだって起こすだろう。

よくできた良い子だからと油断していた俺の責任だ…

結局死体は回収できなかったし、アダルウィンを危険な目に合わせてしまった。パウル様へ報告できることは俺の失態のみだ…

アショフに案内されてアダルウィンの病室に見舞いに行くと、不安そうにおどおどしている彼の姿があった。その幼く見える姿は本当に別人のようで、頭に巻かれた包帯が痛々しい…

「傷は痛むか?」と問いかけると、アダルウィンは「少し…」と返事をした。

今のアダルウィンにとって俺は知らない人間だ。年齢も12歳で止まっているなら今の状況は恐怖でしかないだろう。

「頭の治療は慎重に行わなければ危険です。

他の身体の部位より加減して治癒魔法をかけているので、余程の事がない以上は大事を取って何回かに分けて治療します。しばらくは当院でお預かりします」

「ぱぱっと治せねぇのか?」

「そんなことをしたら意識障害や後遺症が残る可能性があります。

ご存じかもしれませんが、治癒魔法とは簡単に言うと自然治癒力を高める手伝いをする魔法です。

極端な話、身体に無理を強いることになります。それが頭であればなおさら慎重に使う必要があります」

「スーはやってたぞ」と子供みたいに引き合いに出すと、アショフは俺の言葉に眉を寄せた。

「それは…あまり褒められた事ではありませんね。次に会ったら少し話をした方が良さそうですね…」

あ…もしかして俺要らん事言った?

その後、何故か今後の治療について詳しい説明を受ける羽目になった。

治癒魔法はよく分からんが、他の魔法に比べれば繊細で扱い方次第で癒すことも殺すこともできるのだという。だからこそ扱いは慎重でなければならないらしい。

「魔導師の中でも《治癒魔導師》と名乗れる存在はほんの一握りです。それは技術的な問題もありますが、それ以上に人間的な適性が重要視されるからです。

とにかく、我々に治療を依頼されたのですから、治療の方法などはこちらにお任せ下さい」

「分かったよ。あんたの事を信用してないわけじゃないさ。ただ、俺も用事が済んだらブルームバルトに戻らなきゃならん。それまでには何とかしてもらえると助かる」

「保証はできませんが善処します。こればかりは本人次第ですから」

あまりいい返事ではないが、その返事は彼の誠実さから出る言葉だろう。

他に頼る宛てもない。どうせ俺にできる事もないし、ここは信用して彼に任せることにした。

「少し話をするのは良いか?あまり長くしないから」とアショフの許可をもらってアダルウィンのベッドに腰を降ろした。

「俺の事分かんねぇよな?」と訊ねると、アダルウィンは申し訳なさそうに「ごめんなさい」と謝った。

「いいよ。別に責めてるわけじゃない。でもな、俺のこと分かんなかったら知らないおっさんに話しかけられても怖いだろ?それじゃ俺もちょっと都合悪いからさ、名乗らせてくれよ」

子供に話すようにゆっくりと話しかけると、アダルウィンはうつむきがちの視線を少しだけ上げて俺の顔を見た。

「俺はブルームバルトの領主でロンメル男爵ってんだ。お前の事は親父さんから騎士見習いとして預けられた」

「父上から?」

「あぁ、そうだ。今のお前はロンメル家の騎士見習いで、姓はハルツハイムを名乗ってる」

「…すみません…何も分からなくて…」

「謝らなくていい。多分そのうち思い出すから無理すんな。

まぁ、とりあえず、俺はお前の味方だし、なんかあったら頼ってくれ。俺の言いたいことはそれだけだ」

とりあえず言いたい事を言ってアダルウィンの反応を見た。

まだ信用しきれてないだろうが、それでも少しでも安心できる材料になればいいと思った。

説明の甲斐あって、アダルウィンも状況を知って少し落ち着いたようだ。

「じゃあ、また顔出すからな。それまで大人しくしてろよ?」

そう言って部屋を後にしようとドアに近付いた時、慌ただしい靴音と言い争うような声が近づいてくるのに気付いた。

「卿!落ち着いてください!」

宥める声はアルフォンスのようだが、相手は誰だ?

なんとなく嫌な予感がしてドアから離れると、次の瞬間ノックもなしに勢いよくドアが開いた。

「アダルウィン!」

病室には大きすぎる声が響いて、その場の全員の視線が釘付けになる。

「…ち、父上?」

病室に飛び込むように入ってきたのはアダルウィンの父であるバルテル卿だった。

バルテル卿はいつもの落ち着いた雰囲気とは対照的に、服や髪を乱して肩で息をしていた。明らかに様子が違う。

「バルテル卿、少し話を…」

アダルウィンを叱りに来たのだと思った。

とりあえず間に入ろうとしたが、押しのけられてそれは失敗に終わった。

「…私に何か言うことはあるか?」

病床の息子に向けるには冷た過ぎる言葉だ。

包帯から覗くアダルウィンの顔色から血の気が引くのが見て取れた。

「も、申し訳ありません…」

「勝手をしてロンメル男爵に迷惑をかけたそうだな。

私はお前をロンメル家に送り出した時に、《主命を厳守し、主人に尽くすように》と送り出したはずだ。

お前の行動は私だけでなく、お前を騎士として任命したヴェルフェル侯爵閣下をも裏切る行為なのだぞ」

バルテル卿の言葉はその通りなのだが、記憶の無いアダルウィンには酷な話だ。

厳しい父親の言葉に追い詰められていたアダルウィンを助けたのはアショフだった。アショフはアダルウィンを庇うようにバルテル卿の前に立った。

「失礼いたします、バルテル卿。ハルツハイム卿の現状についてお話があります」

「それは後で伺います。息子に騎士としての心構えを説くのが先です」

「バルテル卿、ここは治療院です。そして優先されるべきは患者の治療です。卿の父親としての立場もおありでしょうが、今のご子息の治療の妨げになるような発言を許容することはできません。

必要とあれば、ご子息の治療が終わるまで卿の当院への立ち入りをお断りさせて頂きます」

葬儀で顔も合わせているからお互いの立場は知っているはずだ。

バルテル卿に正面切って《摘まみ出して出禁にするぞ》と宣言するとはこの男もなかなか肝が据わっている。

「…分かりました。先に伺います」

幾分か落ち着きを取り戻したバルテル卿はアショフの話に応じて別室に移るように促された。

「ロンメル男爵は少しお待ちいただけますか?私が戻るまでハルツハイム卿の付き添いをお願いします」

アショフはそう言い残してバルテル卿と一緒に病室を出て行った。

俯いたままのアダルウィンは気付かなかっただろう…

ドアを閉めるときに一瞬振り返ったバルテル卿の顔は子供を心配する父親の顔をしていた。
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