女神は真価を問う

あやさと六花

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14話

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 陽春の日差しを浴びながら、お気に入りの日傘を差したシャーロットは王都の公園を歩いていた。

 歩道に沿うように道端には美しい花々が咲き乱れている。普段のシャーロットであれば顔を綻ばせて見入っただろうが、今日は一瞥もしなかった。

 シャーロットの足取りは淑女らしく落ち着いていた。後ろに静かに控えているメアリーもきっと太鼓判を押してくれるのではないだろうかと思えるほどの出来だ。

 ちょうど一年前にもシャーロットはこの道を通って湖へと向かった。当時も今もこの先に待つ人に早く会いたい気持ちは変わらない。だが、ただ純粋に恋人を想っていたあの時とは違い、シャーロットはひとつの決意を秘めていた。



 
 早い時間のためか、湖にはひとけがなかった。

 鳥が戯れる水辺を眺める背中を見つけて、シャーロットは声をかける。

「お待たせしてしまって申し訳ありません、レオナルド様」
「……いや、俺も今来たところだ」

 振り向いたレオナルドの瞳にはシャーロットへの嫌悪が滲む。口元に刷いた笑顔もいびつで、声も固い。
 この一年、ずっと近くでこの拒絶を見続けた。当初の頃より慣れたとはいえ、やはりシャーロットの心は傷ついてしまう。

「約束の期日までまだ時間はありますが……私の気持ちをお伝えしたくて、お呼びしました」

 レオナルドの眉が、ぴくりと動く。

 約束をしたにも関わらず、勝手に結論を出したシャーロットを不快に感じたのだろう。わがままだとはわかっていたが、シャーロットはどうしても今伝えたかった。

「私は――」
「待ってくれ。……俺は、聞きたくない」

 シャーロットが何を言うのか察したのだろう、レオナルドの表情が大きく歪む。

 自分の望みはレオナルドに苦痛を強いてしまう――そのことを改めて突きつけられたシャーロットの心にわずかに迷いが生まれる。

 思わず後ずさったシャーロットの足が、落ちていた石に引っかかった。ぐらりと体が傾き、日傘を落としてしまうシャーロットの手をレオナルドが引っ張る。その勢いで、彼女は彼の胸に飛び込んだ。

「あ、ありがとう、ございます……」

 お礼を言いながら顔を上げたシャーロットは、レオナルドの首筋に鳥肌が立っているのに気づいた。慌てて離れようとしたシャーロットを、レオナルドが抱きしめる。

「レ、レオナルド様!?」

 困惑するシャーロットに応えず、レオナルドは腕の力を強める。

 彼の体はシャーロットをすっぽりと覆ってしまえる大きい。触れる胸板も絡みつく腕もシャーロットとは違い筋肉質でたくましい。頬に押し付けられた衣服から清涼な彼の香りがした。

 シャーロットの顔に一気に熱がのぼる。

 清い交際をしていたふたりはエスコートで手や腕に触れることはあっても、キスすらしたことがなかった。抱きしめられたのは、シャーロットが転びそうになったり体調不良で自力で歩けなかったりと助けが必要だった時のみだ。

 こんな風に明確な意志を持って抱きしめられるのは初めてで、シャーロットの混乱はさらに増した。

 何度も名前を呼ぶが、レオナルドは無言だった。拘束を解く気がないのを示すかのように、腕の力が強まる。

 心臓が早鐘を打ち、呼吸の仕方もわからなくなる。けれど、シャーロットは抱きしめられるのが心地よく感じられた。ずっとこうしていたいと、この場所を他の人には譲りたくないと、先日のお茶会でも感じた利己的な思いが湧き上がる。

「レオナルド様」

 声音が変わったシャーロットをレオナルドは一瞬だけ強く抱きしめたが、すぐに観念したようなため息を吐きながら腕の力を弱めた。

 シャーロットはレオナルドの腕の中から、彼を見上げる。

「レオナルド様、私は……しがない男爵令嬢です。取り立てて良いところなどなく、それどころか他の貴族令嬢と違って平民の血も混ざってます」

 縁を繋いだところでポーレット家に利益をもたらすわけでもない。レオナルドがシャーロットを選んだ唯ひとつの理由は失われている。

 見下ろす冷淡な瞳にはシャーロットが映っている。淑女としての体裁も、恥も外聞も捨てて想い人にすがりつく女の姿が。

 それは先日の劇でヒーローに想いを伝えるヒロインに似ていた。あの時あれほど泣けたのは、きっと彼女のような強さが欲しかったからだと気づいた。

 シャーロットはふと思う。母もかつて心が離れていく父にこうして愛をこいたかったのではないかと。

 そして、シャーロットもずっと恐れていたのだ。母と同じ状況になれば、自分も臆病風に吹かれてレオナルドとの未来を諦め、彼を憎むようになるのではないかと。

 けれど、シャーロットと母は別の人間だった。彼女と同じ道は辿らないと、今のシャーロットは断言できる。

「それでも……私はあなたを愛しています。たとえ再びあなたの愛を得られなくても、あなたが許してくださるのなら……どうか、傍にいさせてください」

 レオナルドの目が見開かれた。

 同時に、彼の背後で湖で泳いでいた水鳥が大きな声で鳴いた。何かを伝えようとするかのようにシャーロットを見つめるその目には既視感があった。

「あの鳥、あの時の……きゃっ!?」

 レオナルドが勢いよくシャーロットを抱きしめた。声を上げようとした彼女の目が彼の首筋を捉え、息を呑んだ。――鳥肌が、消えている。

「レオナルド様……」

 声を震わせながら、レオナルドを見上げた。

 シャーロットを見つめる青の瞳には驚愕の色が浮かんでいる。そして、そこにはもうひとつ、温かな感情が、シャーロットがこの一年恋しくてたまらなかった愛情があった。

「呪いが……解けたのですね……!」
「……ああ」

 頷くレオナルドの姿がぼやける。レオナルドに頬を拭われて、シャーロットは自分が泣いているのだと気がついた。

「すまなかった、シャーロット。君にとてもつらい思いをさせてしまった」
「……いいえ。心を無理やり変えさせられたレオナルド様のほうが、おつらかったでしょう」
「俺は……この一年、生きた心地がしなかった」

 レオナルドの唇が震えたかと思うと、その目から次々と涙が零れ落ちる。

「君と出会って初めて生まれた感情を、大切にしてきたものを奪われて、絶望して、苦しくてしかたなかった」
「レオナルド様……」 
「だから、ようやく取り戻せて嬉しい。やっと、やっと君を傷つけずに傍にいられる」

 レオナルドは微笑んだ。しかし、すぐに顔を曇らせた。

「だが……君には謝らないといけないことがある。俺は、最初から君との未来を諦めるつもりはなかった。……君には悪いが、婚約解消の約束を守る気は一切なかったんだ。なんだかんだと理由をつけて、婚約を継続しようと思っていた。呪いが解けなければ、君に苦痛を強いるとわかっていたのに、自分の気持ちを優先した」

 頭を垂れて、レオナルドは懺悔をする。

「それは私も同じですわ。私もあなたを苦しめ続けることを覚悟で傍にいたいと望んだのですもの。……ふふ、私達、似たもの同士ですわね?」
「……そうだな」

 視線を合わせ、ふたりはクスクスと笑いあった。婚約者とはいえ、距離が近すぎることにお互いに気恥ずかしさやためらいを見せてはいたが、今は離れたくはなかった。

 そんなふたりに、ふと影が差す。

 顔を上げると、メアリーが日傘を差しかけていた。いつもは行儀作法に厳しい彼女は、薄っすらと涙を浮かべて微笑んでいる。

 一度は失われ、再び得られた光景がそこにはあった。
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