『二十六時のアオイヒカリ』

まとめなな

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時間を撮るということ

第十五章 止まらない懐中時計

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 立春前の薄曇り。日永町の空は灰と藍が混ざり、雪でも雨でもない細かな霧が漂っていた。照人は兄と茅乃を伴い、九条時計店の奥座敷へ向かった。青い暖簾をくぐると、壁一面の振り子時計が静止している。ただ一つを除いて――父の遺した懐中時計だけが、秒針を止めようとせず走り続けていた。  
 「オーバーホールしたばかりなのに、ぜんまいが切れない」九条が眉根を寄せた。「この個体は機械式を超えて、時間の泉と直結しているようだ」  
 懐中時計はガラス蓋を外しても輪列が揺れを増すばかり。歯車が銀鈍色の火花を散らし、青光の微粒子が軸受けから漏れる。秒針は本来六振動なのに一秒に十振動へ暴走していた。  
 「放置すれば町全体の時間が早送りになる」と九条。  
 兄は苦く笑った。「父さんは“もう止まらないから託す”と言ってた。売った時間の利息が逆流しているのかもしれない」  
 照人はカメラを構えた。「止まらないなら、止まった瞬間を先に写そう。未来静止を定着すれば時計は像へ同期するはずだ」  

◆ 未来静止露光  

 作業台に共鳴マットを敷き、懐中時計を中央へ。トリプル振り子レンズを一・二五ヘルツに、真昼フィルターと青潮フィルターを交互に挿入し、〇・二秒連写を三十回。十回目に秒針残像が光条を描き、二十回目に火花が銀砂へ変わる。三十回目の閃光でモニタに静止像――「二十六時零分」の未来針――が現れた。  

◆ 針の現在位置  

 プリントを上げると静止針の裏に実時間の薄影。兄が懐中時計を覆い外すと実機の針も像へ吸い寄せられ、ぴたりと止まる。だが耳を澄ませば遠いレールのきしみが秒音と同期していた。時計内部に幽光ラインが縮尺転写されたのだ。  

◆ 止まらない理由  

 写真を透かすと停止針の背に「+0:01」と銀粒子が浮かぶ。  
 「未来貯蔵時計だ」と九条。「止まるたび持ち主の未来に一分を貯金する仕組み。父君が売った時間を回収するための装置だろう」  
 兄は深く息を吸う。「僕が学費捻出で時間を売った時、父さんは裏で返済計画を打っていたんだ」  
 照人は余白に〈止まらない懐中時計=家族の未来貯金箱〉と書き込む。  

◆ 街へ流れる新リズム  

 翌日、広場時計が〇・五秒遅れ、観光列車のベルが正確になる。兄が竜頭を少し回すと広場時計は遅れを取り戻し、ベルが一拍伸びた。未来の一分を放出するたび、町のテンポが微調整される。  

◆ 線路守からの調整票  

 夜、店先に札。〈秒針 偏差許容 プラスマイナス〇・〇二〉。厳格なガイドラインは線路守の無言の監視だ。  

◆ 兄の決断  

 懐中時計は木箱に収められ、防湿庫へ。鍵は九条と照人が一本ずつ。「未来を浪費しないよう監視し合おう」と兄。茅乃が二つの時計を撮影すると、秒針は同角度で凍り、背後の青光が静かに鼓動した。  

 止まらない懐中時計はもはや暴走装置ではない。必要なときだけ一分を刻み、家族と町の未来レートを測る穏やかな振り子になった。レンズの奥で新しい秒音が遠い線路を叩く――二十六時零分の針は止まっているのに、未来列車の車輪は静かに走り始めている。  

◆ エピローグへの秒音  

 深夜二十三時五十九分、照人は暗室でプリントを見返した。止まった針の写真は光を吸い込まず、闇の中で薄く発光している。新しいフィルムが送り出される音――それが懐中時計に代わり未来を刻む音だ。  
 次の一分が貯金箱から解放される時、誰の笑顔を写し取るか。それが写真家たちの宿題となる。雪はやみ、星がレールのように並び始める。秒針は止まり、しかし光は止まらない。了
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