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第三章 ニセ耳とビークニャ

第五話 ハルのヒーロー

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 チョマ族の放牧地から順路へと戻り、なだらかな登り道を辿りはじめて三日目。ラーザの街を出て九日目の午後の事だ。ハルが切り立った崖の中程に、ビークニャの子供がうずくまっているのを見つけた。

「おとーさん、どうしよう」

 ハルは声をひそめて、心底困ったという顔をして言った。

 あのビークニャの子供を助けたいと思うことが、キャラバンの迷惑になるとわかってしまっているのだ。もちろん自分で助けに行けるはずがない、馬車を止めてもらい、更に誰かの手を煩わせる事になるだろう。かと言って、見なかったことには出来なかったようだ。

 俺もどうしようかと唸る事しか出来なかった。俺にも、あんな崖が登れるはずがない。

 その時、一番前の馬車から、アンガーがひらりと飛び降りた。腰に鉤爪を下げ、肩にロープの束を担いでいる。

 助けてくれるつもりだ!

 しばらくして「ほーう! ほほーう!」と掛け声がして、馬車が順番に止まる。

 アンガーはすでに崖を登りはじめていた。ネコ科の動物そのままの、しなやかな動きでわずかな足場から跳ぶ。張り出したように生える、頼りない木の枝に手をかけ、勢いを殺さず次の足場へと飛び移る。

 足場がなくなると鉤爪を逆手に持ち崖へと突き立て、手の力だけで登って行く。

 あと少しだ!

 ふと気づくと、キャラバンの全員が馬車から降り、息を飲んで見守っている。

 足場がガラガラと崩れ、ヒッっとハルが短く悲鳴をあげ俺の脇腹にしがみつく。ロレンがそっとハルの頭に手を置き、

「アンガーの身の軽さは山猫並みです。ほら、大丈夫ですよ」

 と言った。見ると片手で崖に鉤爪を突き立て、空いた手と口とでロープで輪を作っている。斜め上の木の枝めがけて投げる。

 掛かった!

 ロープを伝い木の枝に足をかけて跳び、ビークニャのいる踊り場へふわりと着地する。

 どうやら立ち上げれないらしいビークニャの子供を、アンガーがポンチョを脱いで包み、背中にもう一本のロープで担ぎあげる。

 それからは早かった。ロープを伝いトーン、トーン、と壁を蹴りながら降りてくる。着地していつもの無表情のまま歩いて来た。

 ハルが待ちきれずに走り寄り、つい、といった風に興奮して日本語で言った。

「アンガー、テレビのヒーローみたいだった!」

 アンガーは「ハル、なに? ひーろー?」と、首を傾げた。

 俺が「英雄みたいだってさ」と、異世界語に訳すと、首まで赤くして照れていた。




 ビークニャの子供はかなり衰弱し怯えていたが、蜂蜜を溶いたぬるま湯を、スプーンで少しずつあげるとやっと飲んでくれて『メェー』と鳴いた。

 後ろ足を脱臼していたのを、ハザンが嵌めてくれた。

 ハルが心配そうに付き添っていると、ロレンが来て、

「その子が元気になるまで、ハルが面倒見てくれますか?」と言った。

「いっしょに行く、良いの?」とハルが聞くと、

「チョマ族のビークニャだとしても、今から戻るのは無理ですし『拾った命はもらった命』です。野生のビークニャかも知れませんしね」

『拾った命はもらった命』というのは、この世界の格言のようなもので『命を助けてもらったら、助けた方も助けられた方も、その命は大切にしなければならない』という意味らしい。


 アンガーが拾った命は、ふわふわで、とても暖かかった。
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