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2 婚約破棄と前世の私②
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「ええとティア……シグルド殿から正式な婚約の申し入れが来ているのだが……全くあんなことがあった後だというのにどういうつもりなのか」
私は言葉を失う。
まさかシグルドが本気だったとは。
不意に昼間の情熱的な口付けを思い出して頬が熱を帯びた。
「お父様……そのお話、お受けいたします」
「ティア!本当にいいのか?」
「ええ、ロジェ家にとっても私にとっても悪い話ではないと思います」
「ティア、家のことはどうでもいい、今回はお前の意思を尊重したい」
眉間の皺を深め向けられた眼差しには、悔恨と慈愛の色が浮かんでいた。
「お父様……」
父の愛情に胸が詰まる。でも、だからこそ――
「シグルド様の妻に、私がなりたいのです」
すらりと口をついて出た言葉は、心からのものなのか私にも分からなかった。
けれどシグルドの妻になる――その未来は何故か私の胸をひどく騒めかせた。
シグルドの行動力を私は甘く見ていた。
正式に受諾の返事をした翌日には、男避けにと婚約指輪が贈られた。
しかもサイズまで完璧なのだ。たった1日でどうやって……と驚き呆れたものの、愛の為せる業だとシグルドはうそぶく。
台座に嵌められた石はシグルドの瞳の色。その石を見る度心まで射抜くようなあの瞳が思い出されて、私の胸は早鐘のように高鳴った。
結婚式はシグルドが1年も待てないと主張して半年後に決まった。学園はあと1年で卒業だったけれど当然退学。
あっという間に外堀を埋められて、私は実感が伴わないまま婚礼の準備に奔走し、フワフワと覚束ない日々を過ごしていた。
「ティア……」
はっと我に返ると、目の前には騎士の正装に身を包んだシグルドが佇んでいた。
黒地に金糸銀糸をあしらった壮麗な衣装は、上背がありがっしりとした体つきのシグルドにとても良く似合っていた。
「まぁ!シグルド様……素敵です」
文句なしの美丈夫ぶりに、ほうっと見惚れながらシグルドを見上げると、彼は射殺さんばかりに私を見据えていた。
「あ、あの、シグルド様?」
恐ろしい眼差しに怖気づいて一歩後ずさる。シグルドは瞬きもせず、私から目線も逸らさず間合いを詰める。
待ってと腕を差し伸べると、その手を引かれて強く抱きすくめられた。
「そんな姿、誰に見せられるものか……!」
「え?」
今日は婚約してから初めての夜会だった。ベアトップの胸元が大きく露出したドレスだったけれど、夜会としては至ってオーソドックスなスタイルだった。
「変……ですか?」
「綺麗すぎて頭がおかしくなりそうだ……」
顔に血が上るのを感じた。
シグルドがどういうつもりで求婚したのか私は知らない。彼は公爵子息として縁談話は引きも切らずと聞く。その上見目もいい。家格が釣り合うとはいえ何故敢えて私なのか。
同情か義務感か、ちょっとした興味か気まぐれか……
はじめはユージンへの些細な意趣返しのつもりだった。
でも、そんなことはどうでもよくなるほどに、最近の私はシグルドのことばかり考えている。
きっと最初の口付けから始まっていた。全部シグルドの掌の上なのだとしても、もうどうしようもない位に彼に惹かれている。
「今日は出かけるのを止めよう。君を他の男になど見せたくない」
「シグルド様……」
「君に触れる男がいたらきっと、殺したくなる……」
シグルドは恐ろしい程の独占欲を隠そうともしない。そういったところもまた私を増長させるだけだというのに。
本当に憎たらしい程に愛おしい人――
「困った方……今日はお側を離れません。私を守ってくださるでしょう?」
シグルドの頬に手を当てて、瞳を覗き込んで微笑む。
「ああ、ティア……」
唇が触れる。
啄む合間合間にティア、と譫言のように囁かれ、この熱情に流されてしまいたくなる。
やがて名残惜し気にシグルドが腕の戒めを解いた。
「君は本当に……存在が媚薬の様だな」
シグルドは頬に口付けると、私を馬車までエスコートした。
シグルドのエスコートは完璧だった。
少し強引ながらも優雅な所作で男女の適切な距離を保ちつつ、時折甘い言葉で私の心をくすぐる。
そして約束通りどこへでも私を伴い、ピッタリと離れず寄り添ってくれた。
お陰で私はとても馴染みある、同性からの悪意の視線に晒されていた。きっとシグルドも気付いている。
でも、彼は他など目に入らないとでも言いたげに蕩けるような甘い笑みを私に向けた。私を婚約破棄された哀れな令嬢にしないための演技なのかもしれない。
けれど私は……こんなにも容易い女だっただろうか?彼の目線一つでこんなにも心を乱されて……
整った彼の横顔をどこか夢心地で見上げた。私の視線に気付いたシグルドは、「どうした?」と優しく目を細めながら私の瞳を捕らえた。
そうして束の間見つめ合っていたその時――
「ティア?」
腰に添えられていたシグルドの手に力が籠った。
「ユージン……」
見慣れた人懐っこい瞳が驚愕に見開かれている。隣には新たに婚約したときく可憐なセレイス伯爵令嬢。
「ユージン、セレイス様お会いできて嬉しいですわ」
私はあの頃の感覚を蘇らせると、にっこりと微笑んだ。するとユージンの顔がみるみる赤く染まる。
ふふ、と私は悪役のように唇を吊り上げてセレイスに目を向けた。
「セレイス様、いずれ義理姉妹となりますわね。どうぞ仲良くしてくださいね」
満面の笑みを浮かべると、セレイスは引き攣った笑みを浮かべた。
「……はい、こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
何だか私がいじめているようで気分が白けてくる。そもそもユージンがセレイスに心変わりした結果の現状だというのに。
「ティア、本当に兄上と……」
「ティアは俺の婚約者だ。これまでのように気安くするなよユージン」
俺は嫉妬深いからな、と悪魔のように冷たく笑むシグルドをみて、何故私たちが悪役のようになっているのかと可笑しさが込み上げてくる。
ユージンは目を泳がせ、赤くなったり青くなったりと忙しない。
「ねえユージン、あなたには感謝してるのよ。だってシグルド様と出会えたんだもの。私今本当に幸せなの」
シグルドにしな垂れかかって熱く潤んだ瞳で見上げると、同じだけの熱量で見つめ返された。私の体は火が付いたように熱く火照る。
今はユージンなどどうでもいい、もう私にはシグルドしか見えない。
きっとそんな空気が伝わったのだろう。セレイスにつつかれて、ユージンは顔を真っ赤にしながら立ち去った。
「ねえシグルド様、私偽装婚約だと思っていたのですよ」
「俺は最初から本気だったが?」
「さっきユージンに言ったことが本心だといったら?」
シグルドが息を呑む。
「もう解っているのでしょう?悪い方……私とっくにあなたを愛しているわ。責任取ってくださる?」
上目遣いに甘く睨むと、獰猛な瞳に激しい情欲が点るのがわかった。ああ、食い殺されそうなこの瞳が堪らない。
「ティア……もう我慢できない……」
低く呻くように囁かれた言葉を合図に、私達は会場を後にした。
私は言葉を失う。
まさかシグルドが本気だったとは。
不意に昼間の情熱的な口付けを思い出して頬が熱を帯びた。
「お父様……そのお話、お受けいたします」
「ティア!本当にいいのか?」
「ええ、ロジェ家にとっても私にとっても悪い話ではないと思います」
「ティア、家のことはどうでもいい、今回はお前の意思を尊重したい」
眉間の皺を深め向けられた眼差しには、悔恨と慈愛の色が浮かんでいた。
「お父様……」
父の愛情に胸が詰まる。でも、だからこそ――
「シグルド様の妻に、私がなりたいのです」
すらりと口をついて出た言葉は、心からのものなのか私にも分からなかった。
けれどシグルドの妻になる――その未来は何故か私の胸をひどく騒めかせた。
シグルドの行動力を私は甘く見ていた。
正式に受諾の返事をした翌日には、男避けにと婚約指輪が贈られた。
しかもサイズまで完璧なのだ。たった1日でどうやって……と驚き呆れたものの、愛の為せる業だとシグルドはうそぶく。
台座に嵌められた石はシグルドの瞳の色。その石を見る度心まで射抜くようなあの瞳が思い出されて、私の胸は早鐘のように高鳴った。
結婚式はシグルドが1年も待てないと主張して半年後に決まった。学園はあと1年で卒業だったけれど当然退学。
あっという間に外堀を埋められて、私は実感が伴わないまま婚礼の準備に奔走し、フワフワと覚束ない日々を過ごしていた。
「ティア……」
はっと我に返ると、目の前には騎士の正装に身を包んだシグルドが佇んでいた。
黒地に金糸銀糸をあしらった壮麗な衣装は、上背がありがっしりとした体つきのシグルドにとても良く似合っていた。
「まぁ!シグルド様……素敵です」
文句なしの美丈夫ぶりに、ほうっと見惚れながらシグルドを見上げると、彼は射殺さんばかりに私を見据えていた。
「あ、あの、シグルド様?」
恐ろしい眼差しに怖気づいて一歩後ずさる。シグルドは瞬きもせず、私から目線も逸らさず間合いを詰める。
待ってと腕を差し伸べると、その手を引かれて強く抱きすくめられた。
「そんな姿、誰に見せられるものか……!」
「え?」
今日は婚約してから初めての夜会だった。ベアトップの胸元が大きく露出したドレスだったけれど、夜会としては至ってオーソドックスなスタイルだった。
「変……ですか?」
「綺麗すぎて頭がおかしくなりそうだ……」
顔に血が上るのを感じた。
シグルドがどういうつもりで求婚したのか私は知らない。彼は公爵子息として縁談話は引きも切らずと聞く。その上見目もいい。家格が釣り合うとはいえ何故敢えて私なのか。
同情か義務感か、ちょっとした興味か気まぐれか……
はじめはユージンへの些細な意趣返しのつもりだった。
でも、そんなことはどうでもよくなるほどに、最近の私はシグルドのことばかり考えている。
きっと最初の口付けから始まっていた。全部シグルドの掌の上なのだとしても、もうどうしようもない位に彼に惹かれている。
「今日は出かけるのを止めよう。君を他の男になど見せたくない」
「シグルド様……」
「君に触れる男がいたらきっと、殺したくなる……」
シグルドは恐ろしい程の独占欲を隠そうともしない。そういったところもまた私を増長させるだけだというのに。
本当に憎たらしい程に愛おしい人――
「困った方……今日はお側を離れません。私を守ってくださるでしょう?」
シグルドの頬に手を当てて、瞳を覗き込んで微笑む。
「ああ、ティア……」
唇が触れる。
啄む合間合間にティア、と譫言のように囁かれ、この熱情に流されてしまいたくなる。
やがて名残惜し気にシグルドが腕の戒めを解いた。
「君は本当に……存在が媚薬の様だな」
シグルドは頬に口付けると、私を馬車までエスコートした。
シグルドのエスコートは完璧だった。
少し強引ながらも優雅な所作で男女の適切な距離を保ちつつ、時折甘い言葉で私の心をくすぐる。
そして約束通りどこへでも私を伴い、ピッタリと離れず寄り添ってくれた。
お陰で私はとても馴染みある、同性からの悪意の視線に晒されていた。きっとシグルドも気付いている。
でも、彼は他など目に入らないとでも言いたげに蕩けるような甘い笑みを私に向けた。私を婚約破棄された哀れな令嬢にしないための演技なのかもしれない。
けれど私は……こんなにも容易い女だっただろうか?彼の目線一つでこんなにも心を乱されて……
整った彼の横顔をどこか夢心地で見上げた。私の視線に気付いたシグルドは、「どうした?」と優しく目を細めながら私の瞳を捕らえた。
そうして束の間見つめ合っていたその時――
「ティア?」
腰に添えられていたシグルドの手に力が籠った。
「ユージン……」
見慣れた人懐っこい瞳が驚愕に見開かれている。隣には新たに婚約したときく可憐なセレイス伯爵令嬢。
「ユージン、セレイス様お会いできて嬉しいですわ」
私はあの頃の感覚を蘇らせると、にっこりと微笑んだ。するとユージンの顔がみるみる赤く染まる。
ふふ、と私は悪役のように唇を吊り上げてセレイスに目を向けた。
「セレイス様、いずれ義理姉妹となりますわね。どうぞ仲良くしてくださいね」
満面の笑みを浮かべると、セレイスは引き攣った笑みを浮かべた。
「……はい、こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
何だか私がいじめているようで気分が白けてくる。そもそもユージンがセレイスに心変わりした結果の現状だというのに。
「ティア、本当に兄上と……」
「ティアは俺の婚約者だ。これまでのように気安くするなよユージン」
俺は嫉妬深いからな、と悪魔のように冷たく笑むシグルドをみて、何故私たちが悪役のようになっているのかと可笑しさが込み上げてくる。
ユージンは目を泳がせ、赤くなったり青くなったりと忙しない。
「ねえユージン、あなたには感謝してるのよ。だってシグルド様と出会えたんだもの。私今本当に幸せなの」
シグルドにしな垂れかかって熱く潤んだ瞳で見上げると、同じだけの熱量で見つめ返された。私の体は火が付いたように熱く火照る。
今はユージンなどどうでもいい、もう私にはシグルドしか見えない。
きっとそんな空気が伝わったのだろう。セレイスにつつかれて、ユージンは顔を真っ赤にしながら立ち去った。
「ねえシグルド様、私偽装婚約だと思っていたのですよ」
「俺は最初から本気だったが?」
「さっきユージンに言ったことが本心だといったら?」
シグルドが息を呑む。
「もう解っているのでしょう?悪い方……私とっくにあなたを愛しているわ。責任取ってくださる?」
上目遣いに甘く睨むと、獰猛な瞳に激しい情欲が点るのがわかった。ああ、食い殺されそうなこの瞳が堪らない。
「ティア……もう我慢できない……」
低く呻くように囁かれた言葉を合図に、私達は会場を後にした。
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